参謀長は休暇を満喫します
ルシアン王太子率いるフェアノスティ使節団がカロッサ入りしてから3日目。
(……そういえば護衛だったわよね? この方)
内苑には一般の侍女や侍従はいない。テスがいるときは何か用を頼むこともあるが、竜鱗体はシシティバルムの目であり耳であるので王宮内へ出て内苑には不在なことも多く、ここでの身の回りのことは普段から王女自らが行っていた。中でもお茶を淹れることは、面倒くさがりなレイリアにとっての数少ない趣味となっていた。
レイリアは内苑の一角にある四阿で、お茶の準備をしながら傍にいる人物をじぃーっと見ていた。
使節団到着初日、竜王を交えた話し合いで竜使カルセドニクスが期間限定護衛に任命され、その日からレイリアに張り付くことになった。そのため、使節団歓迎の晩餐の席には、カルセドニクスは賓客としてでなくダナンの姿で護衛として加わった。
耳飾りの魔道具に刻まれた変装用の魔法は高魔力保持者でもなかなか正体を見破られることはないのだとカルセドニクスは説明した。ただ、耳飾りの魔道具の存在を知っている、かつ、高魔力保持者、となると話は別らしい。
レイリアの背後にしれっと立つ人物に対し、驚愕のような困惑のようななんとも言えない視線を送る王太子ルシアンの顔がちょっと面白いなと思ってしまったのは秘密だ。
しかし、護衛っぽい仕事をしたのはその一回きりのこと。
レイリアはまだカロッサの成人年齢の15になったばかりで、また揺籠の任についていることもあってこれといった公務は割り当てられていない。なので、基本的には王宮内、というかだいたい内苑にいることが多い。ということは、必然的にカルセドニクスもこの楽園に入り浸ることになる。
内苑にはレイリアと氷竜シシティバルム、およびシシティバルムが作る竜鱗体以外は立ち入らないから、人目を誤魔化すためにダナンの姿に変装することすらない。
最初にこの場所に訪れた時と同じ、見苦しくない程度に着崩した貴族の礼装と目を保護するための色つき眼鏡、あとは暗銀色の長い髪は緩く紐で括っただけという格好は、まさに休暇中という装いだ。
この四阿は、日差しの入り具合や、近くに咲く華の香りなど、内苑でもレイリアの一番お気に入りの場所だった………のだが。
護衛に決まった直後、晩餐会の準備までの間の短時間で、レイリアの憩いの場所はものの見事にカルセドニクスの執務室に早変わりした。以降、2人はすっかりこの四阿の同居人状態である。
植物の調査は仕事ではなく趣味と実益を兼ねたものらしいから、正確には執務室というよりは趣味の部屋と化した感じである。書きつけや専門書、論文の写本など、決して乱雑に置かれているわけではないが、如何せん、物が多い。よくこれだけの量があの小さい空間保管庫に入っていたものだと感心するばかりだ。
さまざまな物で一杯になった四阿の中で、カルセドニクスは今回カロッサで調べた植物の情報を整理したり、資料を調べて記録し直したり、大変忙しそうにしている。
すべて彼自身が描いたという植物の絵は美しく、生息範囲などを種類別に分類したものを立体的に投影できる魔道具など初めて目にする物もあって。思った以上に興味深くて隣で見ながら作業を手伝ったり、資料について質問したりしているうちに、だんだん研究者と助手のような関係になりつつあった。カルセドニクス自身に対する印象も、最初の『自己管理できてない上によくわからないやっかいそうな大人』から、『自分が好きなことに夢中になりすぎるだけで根は悪い人ではなさそうなヒト』くらいに変化していた。
ただ……
(護衛、ってなんだっけ……?)
とは思うのだが。
茶器を並べるために整理した資料をトントンと綺麗に整えながら、レイリアは苦笑する。
でも、特に不満なわけではない。
むしろ、半日もするとカルセドニクスが共にいる空間にレイリアの方が馴染んでしまった。
忙しくて迷惑がられるかとレイリアは思ったが、最初に誘った際カルセドニクスは意外にも快く同席してくれたので、それ以降はこうして二人一緒にお茶も飲むようになった。
………リ…リン………
時折、澄んだ鈴の音に似た響きが聴こえる。
それは、変身用魔道具の反対側の耳につけた、通信魔道具の着信音。それが鳴ると、カルセドニクスはスンッと表情を消す。小さな声で魔道具を通して話をしたり、記録具に転送されてきた情報を開いたりした後、小声で何かしら話して通話を終える。そしてまた先ほどの続きに戻って資料を愉しげに漁りはじめる。
最初こそ、その落差を面白がったレイリアだったが、それもすぐに見慣れた。竜使の顔をしている時と違い、植物のことを考えているカルセドニクスは楽しそうだったり悩まし気に眉を寄せたりと表情豊かだと、レイリアは思う。カルセドニクス本人を除くなら内苑での唯一のフェアノスティ組であるナザレは、その様子にまだ慣れないらしく見かけるたびにえも言われぬ顔をしている。
ナザレのように、何事にも感情を表に出さない彼以外をあまり見ない者達には、ザクト参謀長が感情表現豊かなどとはとても思えないという。だが、植物のことを考えている方が多いこの内苑という場所で時間を共有しているレイリアからしたら、無表情でいるカルセドニクスの方が珍しいのだ。
「ルー義兄様から聞いてたのと全然違うわ」
「ルー義兄様?」
お茶を用意しながら考えたことを思わず口に出していたのを、カルセドニクスが聞き返した。
「王太子殿下から、ザクト南方辺境伯子息様について少しだけ聞いていたのです」
「アイツのことだ、碌なことは言ってないんでしょうね。」
「そこまでではない、と、思いますけど」
「ところで王女殿下は、ルシアンのことを義兄と呼んでいるのですか?」
拡げていた資料を手早く片付けてから席に着き、カルセドニクスが茶を注ぐレイリアを見つめながら問う。
本人から重ねて頼まれ、繰り返し呼んでいるうちに自然に出るようになった呼び方でルシアン王太子を呼んでいたのに、言われて初めて気付いた。刷り込まれてるな、と自覚したレイリアである。嫌ではないのだが。
「なんでも、茶会でお会いしたときに約束したのだそうで。
私は幼くて覚えていなんですけどね」
「しかも、ルー?愛称で呼んでるんです?」
ルシアンの奴に愛称なんてあったっけ、とカルセドニクス。
呼び捨てにアイツ呼びとは。彼と王太子が親しいのは本当のようだ。
「その愛称も、茶会の時に姉が付けたのだそうです」
「………」
「ザクト南方辺境伯子息様?」
「……長いです。」
「はい?」
「ザクト南方辺境伯子息とか、よくもまあ噛まずに言えますね」
「……」
レイリアは人前に出ることがあまりなく”大人しくて控えめな姫”などという印象が独り歩きしているが、実は面倒くさがりな上、元来少々気が短い方だったりする。
何故かそこはかとなくむすぅっとして見えるカルセドニクスの口から辛辣にも聞こえる言葉が漏れたのに反応し、レイリアの方も無意識にくいっと片眉を上げ姿勢を正す。
「……もしかして、喧嘩売ってます?」
「それでは言いにくいでしょうから私のことも名前でいいです」
「それ、とは?」
「ザクト南方辺境伯子息という呼び名です。」
「カルセドニクス様、とお呼びしろと?」
「……ほんとによく回る口ですね」
「やっぱり喧嘩売ってますよね?」
「いいえ。
ルシアンをルーと呼ぶなら、私のことはカルスと呼んでください」
「え……何故?」
「その方が呼びやすいでしょう?
私の名の由来は玉髄なのですが、どうも両親が尾鰭をつけたがったようで、長ったらしいのです」
愛称呼びを期待する灰青の瞳が輝いている、ように見える。
レイリアとしては『カルセドニクス様』でも、もちろん最初の『ザクト南方辺境伯子息様』でも別段不便は感じていないと言いたいが、納得してくれなさそうである。
「わかりました、カルス様。
では私のこともレイとお呼びください」
「いえ、私は”レイリア王女殿下”で」
「……はぁ?」
思わず素を出して低い声音で返してしまったが、自分は悪くないとレイリアは思う。
愛称呼びに満足してさきほどまでのむすっとした表情をひっこめかけたカルセドニクスだったが、レイリアの機嫌がさらに急降下したのを見て少しだけ慌てて譲歩した。
「では、レイリア殿下と……」
「……」
「ならば、レイリア様で」
「……私には愛称呼びを要求なさっておきながら、私の愛称は拒否なさるんですの?」
「いえ、そういう訳ではありません」
「ではどういうこと?」
「……貴女の名前は、響きが美しいので」
「…………はぃ…?」
「略してしまうのは、惜しいです」
「っっ!?」
地位のある相手から名前で呼ぶことを、さらに愛称で呼ぶことを許されるのはそれだけでも大変な誉れ。そうでなくとも、家族や友人などの間で愛称を呼び合うのは親密さの表れである。なのに響きが美しいから略して呼びたくない、とは。
レイリアは一瞬聞き間違いかと思った。だが、灰青の瞳を少し伏せた端正な顔に浮かぶ、憂いとも恥じらいとも取れる表情を目の当たりにしては、自分の耳も脳も間違ってないと認めるしかない。
見たままを真に受けてはいけないと、浮かれそうになる自らの心をレイリアは懸命に戒める。ルシアン王太子に呼び方を刷り込まれたように、ずっと参謀なんていう軍務をこなしてきた大人なこの男性からしたら、たぶん七つも年下で独り内苑に籠る世間知らずな娘など掌で容易に転がせてしまうんだろうから。
少し目元を赤らめて笑みを浮かべ静かに茶器に手を伸ばす美貌の男を、効果は無さそうと思いつつも睨んでみるも、視線に気付いてその喜色はさらに濃く柔らかくなった。きっと自分の示すどんな反応もこの人を面白がらせてしまうだけだ、そう思ったらレイリアから苛立ちがするりと抜け落ちた。揶揄われれば腹は立つが、無駄な抵抗はするまい。
「………カルス様は、悪い大人ですわね」
「?
母国では、規則を守る模範的な大人だと思われていますが?」
「では模範的な、悪い大人ですわ」
こんな風に不意に距離を詰めてくるかと思えば、カルセドニクスはレイリアに対し必要以上に干渉してくることもない。
同じ空間を共有するのが苦でないし、普段と違い2人分の量を淹れるのにも、慣れてきた。
この距離感で、他でもないこの人が隣に居てくれる空気感が自分は好きなんだと、レイリアは思い始めている。
竜使の調査が終わって彼がフェアノスティに帰ってしまったら、きっと少し寂しく思ってしまうくらいに。
二人で過ごすこの時間が無くなるのが惜しいと思ってしまうくらいに。
ちなみに、2体の上位竜は地下の封印の場所でネリーを見守っていることが多くなった。日に日に、ネリーの魂魄は弱くなっていて、もうそう長くないかもしれないと、何も語らないナザレに代わってシシティバルムが教えてくれた。
少し様子を見てこようかと、レイリアが立ち上がり四阿から一歩踏み出しかけたとき―――――
ドクン
―――――それは起きた。
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