参謀長は女神(?)に叱られます
(これは、どういう状況ですの??)
ダナンの説得に負けて内苑までやってきた第三王女が目にしたのは、苑内を巡る小径の傍に座り込んで一心不乱に何かを描きつけている暗銀色の髪をした男の姿だった。
座り込む男、おそらく竜宮からきた竜使である彼は、昼餐の席には居なかったと思う。
最初、使節団を出迎えたとき受けた視線が滑っていくような感覚は今は消えていて、暗い銀色の髪以外にもその容貌をはっきりと見ることができた。
軍部に籍を置いている方ときいていたのに、それにしては白い印象の肌は少し上気して頬に朱が差している。
肩の上あたりで緩く結んだ銀髪が解れてきたのが邪魔なのか掬って耳にかける指先は繊細そうで、袖口からのぞく手首も含め細身に感じる体格は軍人というより文官に見える。
色のついた眼鏡は今は外されていて、薄く青みがかった瞳が髪と同じ色の睫毛で縁取られているのがよく見えた。その瞳が宝物を見つけた子供のようにキラキラと輝いているのも。
(一体、何をそんなに一生懸命に描いているの?)
集中しているからか、レイリアが歩み寄っても男の目線は逸らされることなく前を向き、手は止まることなく紙の上に何かを描き続けている。
ダナンが奥へと第三王女来訪を告げに行き一人になったのをいいことに、レイリアは男の横、本当にすぐ傍まで近づいて並んでしゃがみ込み、手元を覗き込んでみた。
(まぁ)
男が描き続けているのは、彼の目が見つめているであろう路傍の植物だった。
男の傍らには先ほど描き上げたであろう別の植物の絵が一枚落ちていた。拾って見れば、姿をそのまま写し取ったように細部まで緻密に描かれた植物の絵には、細々とした注釈が書き加えられている。植物自体の特徴の他、見つけた場所、日付、気温と湿度、土の表面の具合や土質などだ。
瞬きをするのも惜しいとばかりに手と眼を動かし続ける様子は、声を掛けるのも躊躇われる気がするほど。
(それにしても、こんな気づかないことってある??)
肩や腕が触れそうなほどの距離で並んでいるのに、男はまったくレイリアに気付く気配がない。耳元で「わぁ!」とでも叫べば気付くだろうが、そんな悪戯心でこの集中を邪魔してはいけない気がする。
(ずっと、この調子なのかしら。一体いつから……?)
竜使殿が内苑に来たと知らせを受けてから、茶会を辞してこちらに向かった。少なくとも半刻ほどは経っているだろうか。
陽は中点を過ぎているとはいえまだまだ高い。見れば隣にいる竜使殿の額には玉の汗が浮かんでいる。
時間も暑さも気にならないくらい、目の前の植物と向き合っているのか。文官のようだと思ったが,むしろ学者の方がしっくりくるかもしれない。
(冷たい水でもお出しした方がよくない?)
確かテスが彼をここまで案内したと言ったはずなのにどうして一人でここにいるのかも疑問だ。
とにかく何か飲み物を用意してもらおうと立ち上がろうとしたとき、彼の汗が目に入りそうなほどになっているのが見えた。集中しているようだから声をかけて手渡すより拭いて差し上げた方がいいかも、と手巾を取り出して額に伸ばしたところで―――
ぐら
どさり
「……………………え?」
手巾が額に触れる直前に、男の身体が傾いでそのまま思い切り横倒しになってしまった。
手巾を持った手を下ろすのも忘れ、数回の瞬きをするほどの間固まった後。
「ぇええぇえーーーー!?
ちょっ……嘘でしょ??」
事態がようやく呑み込めたレイリアが、倒れた男の赤い顔を覗き込んでその腕を叩いて刺激を与える。
「もしもし!?貴方、大丈夫!?」
「………あ…」
叩かれた刺激でか、男がゆっくりと目を開き、レイリアと視線が重なった。
初めてしっかりと見たその瞳は、少し青みがかった澄んだ灰色。暗銀色の髪と相まって確かに以前標本で見た紫玉髄の原石のようだと、焦った頭の片隅でそんなことを考えてしまうくらい、魅入られるほどの美しさだった。
「意識はある?私の声、聞こえてます??」
「………やっぱり」
「なに?何か言いたいの!?」
「やっぱり……ここは楽園ですね……女神さまが見えます……」
「は?」
何言ってんのこの人と言わんばかりの顔になったレイリアの頬に、男にしては細い指が伸びる。
触れられそうになってびくりと肩を震わせたレイリアに、男は華が開くような柔らかい笑みを浮かべた。
「ようやく…出会えました……あなたが、私の―――――」
そこまで言って言葉を途切れさせ、微笑んだまま男は意識を失った。
頬に触れる前にぱたりと力なく落ちた手を見て、レイリアは生まれて初めて血の気が引くという感覚を味わった。
「ちょっと!?しっかりなさい!!
テス!!ダナン!!
早く、こっちに来て頂戴!!」
***********************
「まことに、面目次第もございません」
「……まったくですわ。」
レイリアの護衛の男に支えられて担ぎ込まれた四阿で、カルセドニクスは助けてくれた7つも年下の少女に母にされるが如く懇々と説教されていた。
「いい大人が夢中になり過ぎて暑気あたりで倒れるなど。」
「……すみません」
「わたくし、心臓が止まるかと思いましたのよ?」
「返す言葉もありません…」
「そもそも、ザクト南方辺境伯子息様は、暑い気候は慣れていらっしゃるのでは?
ザクト領はカロッサと気候的にはそう変わりませんよね?」
「はい、仰る通りです……でも陽射しはカロッサの方が強いです」
「まあ、それで式典中も色付き眼鏡をかけておられたの?」
「……強い日差しによる刺激に目がちょっと弱いもので…認識阻害を発動しておりましたので、かけたままに。
無作法で、たいへん申し訳ありませんでした」
「ならなおさら、日除けもせず炎天下に居て倒れるなんて何をお考えなんですか、ありえない」
「……すみません」
気を失っていたのはほんの僅かの間。だが暫くは起き上がるのを禁じられ、横になって濡らした手巾を額に乗せた状態のまま延々と叱られ、今に至る。
「植物のことになると途端にポンコツになるの、あいかわらずだよなぁ、お前は」
すぐ横から呆れたような別の声がかかった。
カルセドニクス同様に四阿の長椅子にうつ伏せに寝そべっているのは、明るく輝く銀髪に金の瞳の少年。彼こそが竜宮の真の主にしてこの世界に最初に降り立った竜、竜王ナザレである。
「それでよくキャロラインにも怒られてたよな、ちびっこの頃」
「……そう言う貴方はなんでそんなにへろへろなんです?」
「へろへろじゃ…ねっつの…ぅぷ」
しまりのない会話に、ほほほと軽やかな笑い声を上げたのは、テスに冷やした果実水を注いでもらっている艶やかな美女。原初の刻からここに居を定めてきたカロッサの護り竜、氷竜シシティバルムが変化した姿だ。ナザレの白銀の鱗が雪を戴いた竜壁山脈の色に例えられることがあるが、シシティバルムの緩く波打った髪は凍った湖のような白く透き通るような青だった。おそらくこれが、原初の氷竜の鱗の色であろう。
その膝の上には、小さな身体を丸めて甘える水色の鱗の幼竜が、撫でられながら目を細めて猫のように喉を鳴らしている。こちらはカルセドニクスが守護盟約を結んでいる氷竜リトニス。ナザレの予想したとおり、リトニスはカロッサ島近郊に点在するシシティバルムの眷属の竜達が住む営巣地の生まれだった。何かに惹かれ北大陸へと渡ったのはシシティバルムも把握していたが、それからすぐに、か細かった幼竜の気が大きな魔力に包まれるようにして安定したのでまあ大事なかろうとそのままにしたらしい。大層な放任主義だが、幼いとはいえリトニスは竜。しかも人と守護盟約できるほどの上位種なので、このくらいが普通なのかもしれない。
「本来なら盟主に異常ある場合に支え助けるのも其方の役目ぞ?それを一緒になってのびてどうする」
「きゅぅ〜…」
「次からはしかと盟主を護るのじゃぞ?」
「きゅっ!」
リトニスの元気のいい返事に満足気に頷くと、シシティバルムはまたその丸くなった背をよしよしと撫でた。
「偉いなぁ、ちっこいの」
「其方も見習うがよい、ナザレ。
竜使殿、其奴はな、久々に地行魔法を使ってみたら地中の魔素を吸い込みすぎてへべれけに酔っぱらったのじゃ。人間で言うなら二日酔いのようなものよ」
「地行魔法で酔った?
私の記憶が正しければ………ナザレ、貴方、地竜でしたよね?」
「父子で同じツッコミしてんじゃね……ぅえっ……」
ここにも酔っ払いが居たかと、カルセドニクスは自分の失態を棚に上げてげんなりした。
代々竜王ナザレとの守護盟約をしてきたザクト家に生まれたカルセドニクスにとっては、ナザレはそれこそ赤子の頃から常に傍にいるのが当たり前で、竜王様というよりはよく会う親戚のおじさん(見た目は子供に変化していることが多いが)のような感覚である。自然と口調も砕けてしまう。
そして、自分が覚えていないような小さい頃のことをあれこれ喋りまくる、ちょっと厄介な存在でもある。
「だいたい、どうして竜鱗体じゃなく本体で来ているのですか?
竜鱗体を送り込むなら自分で地行魔法など使わなくてもいいでしょうに。」
「いや、だって場所が場所だし、俺が自分で来た方が…ぅえっぷ……いいと思って」
「なら、私と同じ船か、使節団の船に同乗させて貰えばよかったでしょう」
「やっぱ自分が行こうって思ったときにはお前の船はもう出た後だったし、使節団の船が出るまでは日数がまだ結構あって、待ってられなかったんだよ」
「じゃあ、竜の姿で翔んでくれば」
「そんなことしたらあっちもこっちも大騒ぎになっちゃうだろ!??」
埒もない言い合いを続ける二人は未だ寝そべったままだ。格好がつかないことこの上ない。
それにしても、と言い合う客人達を見ながらレイリアは思う。
竜は自らの領域を定め、その中で眷属たちをまとめ営巣地を作る。本来なら、領域外からの竜の侵入は基本は拒むものなのだ。今回竜宮から竜使が来るにあたり、竜王自らも急遽カロッサに来ることになって、すでに結界内に招き入れられたのは聞き及んでいた。だが、竜使の中に守護竜を連れた者がいて、結界内への侵入をシシティバルムが許すのは予想外だった。だからこそ、初めてカルセドニクスに会った歓迎式典で、彼の中に知らない竜の気配を感じたとき有り得ないと思ったのだ。竜としてはまだ幼いその個体がカロッサの営巣地生まれだとあとから説明されて一応納得はしたのだが。
今、目の前にはカロッサの守護の竜と、竜王ナザレ、そして竜使を率いる竜騎士とその守護竜が並んでいる。しかも揃いも揃って面倒くさそうな面々だ。
「力の強い竜が、こんなにも一同に集うなんて…」
レイリアが小さく呟き、無意識のうちにその腹部に手をやったのを、カルセドニクスは額に乗せてもらっていた手巾の下からそっと見ていた。
手巾を外して体を起こすと、カルセドニクスは恩人の少女に改めて礼を言った。
「……ご迷惑をおかけしました。レイリア第三王女殿下。
手当をしていただき、ありがとうございました。
手巾は新しいものを贈らせていただきます」
「そのまま今返していただいて構いません。お気に入りなんですの、それ。」
「では何か、別のものを」
「お気になさらず。それよりこれを。一枚、落とされていましたよ」
「あ… ありがとうございます」
「植物のこと、お調べになってるのですか?」
「ええ……昔から、好きなのです」
「この内苑は、随分とお気に召したようですね」
「はい!素晴らしいの一言です!
外苑の植物も通常より葉が多かったり背が高かったり、北大陸の生育状況とは違うようでしたが。
こちらの内苑には、私でさえ図鑑で文字の情報と小さな挿絵しか見たことがない植物まで育てていらして。
本当に、楽園のようです」
先ほど絵を描いていた時もそうだったが、目が輝いている。研究分野について質問をした時の学者たちの反応にそっくりである。
本当に植物が好きなのだなぁと、レイリアは思った。
『ぶっきらぼうで表情がないから』
ルシアン王太子が目の前のこの人物についてそう評していた気がするが。
(ちっとも、そんなことない気がするけれど?)
耳飾りが魔道具になっており、別人に姿を変えたり認識阻害の魔法を発動して隠密行動しやすくしたりするものらしい。
そう説明を受けたレイリアは、視線が滑っていくようなあの不可解な感覚に答えが出て納得した。
表情がないと評されているのは認識阻害魔法のせいかとも思ったが、ルシアン王太子とザクト南方辺境伯子息は幼馴染のような間柄だと聞いていたからそれも違うだろうし。
思わずじっと見てしまったらしく、「どうしました?」と笑顔で聞かれたのにふるりと首を横に振った。
(細かいことを気にしても仕方ないわよね。
竜使の調査は、使節団の日程と合わせて行うということだし、七日もすればもう会うこともなくなる相手だもの)
そう思うレイリアだったが、背後からすごい視線を感じて振り返ると、未だ寝そべったままの竜王が怪訝を通り越して何か怖い物でも見たかのような形相になっていた。
「カルス……おま…今、笑ってた?」
「? そうですけど、なにか?」
「…………」
しれっと答えたカルセドニクスに、ナザレはますます奇妙なものを見る目になった。
普段のカルセドニクスを知る者なら当たり前すぎる反応なのだが、残念ながらこの場ではその感覚に同意してくれるものはいない。ひとまずナザレは口を閉じることにした。
ナザレが黙ったのを見てカルセドニクスは居住まいを正し、氷竜シシティバルムの方に向き直った。
「あらためまして。
竜伯パイライト=ザクトが一子、カルセドニクス=ザクトと申します。
此度、竜宮よりこの海域の島々で昨今頻発する妖精の幻惑事件と、カロッサ本島地下に眠る地竜の封印の確認に参りました」
寝転がる竜宮組。
読んでいただきありがとうございました。