王太子殿下は約束を果たします
ルシアンとカルセドニクス、幼馴染同士の会話の続きです。
約束(船団が白い理由も含め)の内容については長ったらしくて申し訳ないですが拙作『妖精王の茶会』を斜め読みしていただければ…長いですが。
最後にようやっと、ヒロインが出てきます。
カルセドニクスは手にしていた杯を卓に置いて、空間保管庫から記録結晶を取り出すとルシアンに手渡した。
「竜使の調査の過程で分かったことと、宰相からの情報とを縒り合わせたものだ。
事前にいくらか報告は受けていたとは思うが、ここ10日ほど南北両大陸、とくに南からカロッサへの新たな入国者が多数確認されている。入国時はばらばらに行動して、その後はほとんどの者が出国はせず、十数か所に分散して潜伏中だ。
身元は民間人を装っているが、訓練を受けた兵士や、傭兵も混じっている。
今回のお祭り騒ぎに合わせての入国なら紛れられると考えたのだろうな」
「私の船団到着と合わせて動きがあると踏んでいたが、読みが当たったな。
こちらを都合よく利用してしてやったというところだろうが、この程度で紛れて誤魔化せると思われたのならうちの諜報力も甘く見られたものだね。
クラウス先生のお怒り顔が見えるようだよ……おーこわ」
ルシアンとカルセドニクスは同時期に宰相クラウス・ミュラーのもとで学んだことがある。
大人を舐めた態度を取る子供を容赦なく叱って躾けてくれる、有難くも恐ろしい師匠だった。
「半年ほどの間、カロッサ国内に向けた書簡の量が激増していたのは把握していたが、ここに来て人の流入が予想を上回って一気に増えた。
書簡については精査してみると、南大陸のとある小国が発信元の物が数多く含まれていた。
詳しくは記録結晶に」
「スファルトード公国か。カロッサとも国交がある国だろう?
確か今…………」
「マルス・スファルトード第三公子が、首都郊外にある迎賓館に滞在中だ」
「カロッサ側から、こちらに了承を求める旨連絡がきていたな。こちらの使節団訪問よりも前に日程が組まれていたそうだし、特に問題ないようだと回答した記憶があるんだけど………それにしても、なんでも把握済みだね、カル」
「それが仕事だからな。今は休暇中だが」
「…はいはい。じゃあ、書簡が多いのは彼がいるから?」
「宛先は島内各所だから、それだけが理由ではないな。
公子に何者かが接触してくることがあれば、それも探りを入れるには好都合とも言える。
竜宮側でも動きに注視するようにしよう」
「頼むよ。
……数日前から逆に書簡の量が減っているけど?」
「準備で連絡を密にとる段階から、詳細が詰まって決行を待つ状況に移ったからだろう。作戦決行が近いのだと考えられる」
「作戦か。やはり竜宮案件か…?」
「十中八九」
「潜伏先は?」
「すべて把握済みだ。
今は監視下において出方を窺っている。
王宮はもちろん、市街地と外苑や城郭を含め王都はまるごとシシティバルムの結界に護られている。荒事が起きるなら、結界の外だ。そちらは我々竜宮の領分となる」
「シシティバルム…原初の刻からカロッサを護る氷竜か」
「カロッサ王国には仔細を伝え、あちらから結界内の警備の強化のために我が国に対し助力の要請があった。万が一何者かの侵入を許した場合に備え、第一師団の当初の護衛陣に加えて第三師団からもかなり人員を割いている。
潜伏先や人数などの情報は記録結晶にあるから、警備担当者にも伝えておくといい」
「え?丸投げ?
警備の配置とか相談に乗ってくれたりは?」
「……休暇中」
「おぉぅ…」
手伝ってくれてもいいじゃんケチとむくれながらも、ルシアンは執務机代わりにしている卓においた通信魔道具をすぐさま起動して、使節団の警備にあたっている第一師団長に情報を送信した。
竜使が動いていることは極秘情報だ。カルセドニクスはあくまで、王子の一友人の貴族子息としてここにいる。
それに、警護にしても外交にしても、それぞれしっかりとした担当者がいて使節団が編成されているのだ。横から要らぬ手や口を出して他人の職分を侵すのも、それが元で休暇が返上になるのも、カルセドニクスとしては勘弁である。
通信を終えて戻ってきたルシアンだったがその表情は晴れない。
「……8年越しにやっと迎えに来れたというのに。
なぜよりによって”今”なんだ……」
いつも微笑みを絶やさないルシアンには珍しく眉間に深いしわが刻まれた。
無理もない。ずっと想い続けた大切なひとにようやく妻問いに訪れようとする矢先に、それに紛れて不穏分子が動き回っているとは。
しかも、その人の住む国に竜宮が乗り出し多くの竜使を遣わすような事態が起きようとしているのだ。
竜宮の調査内容については、ルシアンもあらかじめ報告を受けている。カルセドニクスの言うように、十中八九、カロッサ島内で蠢く不穏分子は竜宮が介入すべき事案である。
全ての情報を秘匿せずこうして調査経過を知らせたり潜伏している勢力がいると警告してくれるのは、竜宮側からフェアノスティ王家への配慮の現れである。
最終的な調査の結果、竜王ナザレが事態への介入の決断を下せば、カロッサ入りしたカルセドニクス達竜使はあらためて王太子達と共に行動してくれるだろう。
だが、潜伏する勢力の思惑が竜宮管轄の案件ではないと判断された場合には、ナザレの加護を受けて竜の力を行使することが可能な竜使としては、一切手出しを許されない。
竜や妖精たちの力によりこの世界が強く影響を受けるのを防ぐのが竜宮の重要な目的であるので、純然たる人同士の争いに竜の力をもって介入するのは禁忌とされる。
できるのは、竜王の加護を放棄した上で、それぞれが一騎士や一魔法使いとして助力することのみだ。
それでも。
「そう心配するな。
結界内の警備はハーヴェイ第一師団長にお任せしておけば大丈夫だ。
危険は確かにあるが、おそらく今回のことは全て竜宮が介入すべき事案であるだろう。外の騒動に関しては竜宮が全力で対処し、なんとしても鎮圧してみせる。
それに―――――」
カルセドニクスは一旦言葉を切り、灰青の瞳をルシアンにひたと据えた。
「もしも竜宮が動かない事態となったとしても、私一人で奴らとその背後にいる輩も全て氷漬けにしてでも、君と君の想い人の暮らす国は護ってみせよう」
鋭利な刃物を思わせる眼差しに友人の強い意志を感じて、ルシアンは一瞬息を飲んだ。そしてすぐに父王フェルナンによく似た顔でくしゃりと笑った。
「頼もしいけど、ちょっと怖いよカル」
魔王みたいだと苦笑いを浮かべる王太子の顔から少しだけ憂いが晴れたのを見て、カルセドニクスもほんの少しだけ口角を動かした。
この年下の叔父がここに来るまでどれだけ苦労して、会えない間もどれだけ相手の王女を心の支えにしてきたのか、カルセドニクスは傍で見てよくわかっている。
祖父である現王フェルナンに頼まれるまでもなく、どんな助力も惜しまないつもりだった。
中身の減ってきたルシアンの杯に二杯目を注ごうと、カルセドニクスは蜂蜜酒の瓶に手を伸ばす。杯の中でゆらゆらと揺れる金色の蜂蜜酒を見つめるルシアンが、また少し眉尻を下げて不安な顔になった。
「あと残る問題は、求婚が受け入れてもらえるかだよね……」
「…?
約束、していたのではなかったか?」
「したけどさ……8年前は、僕はまだしがない第三王子で。
それでも、貴族と王族じゃ話が違うって断られかけたんだよ?
それなのに、今は王太子になっちゃったし……」
「中身は基本変わっとらんものな」
「そこはちょっとは成長はしたとかって言ってくれてもいいんじゃないの???」
「…………弱気だな、珍しく。
漂う海月のように飄々としたいつもの王太子殿下はどこに行った?」
「次から次に出てくる問題を、ただただ必死に潰しながら今日まで漕ぎ進んできただけだから。
自分だけで立ってるのにも必死なのに、こんな状態で王太子妃にきてくださいなんて、言っていいのかな……」
いつも柔和な笑みをたたえながら、必要以上に敵を作らず、ぶれない考えでもって判断を下していくルシアンは、最初は若輩だと舐めてかかっていた一部の貴族すら徐々に味方につけていった。弱冠十二歳でやむなくその地位についた少年は、今では厚い信頼を寄せられる王太子に成長した。
その彼は今、王太子としてではなく、一人の男として苦悩している。
「ルシアン……他に誰かなど、考えられんのだろう?」
「そう……だけど」
「胸を張れ、ルシアン。
君は王国の一番つらかった時期を支え導いてくれた、民が誇るフェアノスティ王国王太子殿下だ。
それにこの私の、唯一無二の、自慢の友でもある。
ありのままのルシアンとして、真摯に思いを伝えて求婚する、ただそれだけ考えればいい」
「カルぅ…………」
ルシアンは感激したように涙目になった。落ち込んだ気持ちは少しは浮上したかとカルセドニクスがホッとしたのも束の間。
「君が妻帯者だったり過去に何人か恋人でもいたならその言葉にも重みがあったろうけど、それでも嬉しいよぉ」
「……」
無表情なカルセドニクスの顔に、ほんのちょっぴり不機嫌さが滲む。
ルシアンの指摘通り、カルセドニクスは今まで誰か女性に恋をしたことはない。通常の社交は問題なくできるし、諜報活動の過程で証言を聞き出すために女性に親しげに近づくことはあった。だか彼個人には恋愛経験も兆候もないし、特段それに問題も感じていない。
恋の苦悩は知らないが、年下の友人に何か言ってやらなければとごくごく一般的な慰めを口にしたのに、酷い言われ様である。
「悪かったな、嫁も恋人の影も皆無で」
「ほんとにねぇ、あねうえそっくりなびじんなのに、みんなぽーっとみてるだけでちかよってはこないんだよねぇ。
ふふっ、カルはもっとこう、やぁらかいふんいきをだすようにしないとさぁ〜」
表情には出ないがちょっとむくれるカルセドニクス。
だが原因となった友人が、先ほどまでとはうって変わってへらへらと上機嫌に笑いながら杯を干したのに気がついた。
「……ルシアン?
お前、もしかして酔ってるのか?」
「よってないよーぅ」
「…酔ってるな。
土産には地酒がいいって言うから買ってきたのに、弱すぎないか?それとも蜂蜜酒限定で酔いやすいのか?
もう呑むな、次から酒は買ってこない」
「やだぁ、カルたちのいじわるぅ」
「達…?」
「ふふっ、かるがふたりいるぅ
ふたりになってもびじんだねぇ」
「これっぽっちの蜂蜜酒でそこまで酔ったのか??
騎士見習いの若いやつの方がまだ強いぞ」
「かるたちがひどいぃ」
「いいからもう寝なさい」
意図したわけではないが、自分が選んだ土産がもとで王太子に外交の場で醜態を演じさせるようなことがあっては一大事だ。しかも彼の一世一代の求婚の日でもある。何かあったら色んな意味で取り返しがつかない。
まだ呑むとごねるのを宥めながら杯を取り上げつつ、カルセドニクスは大事な日を控えた友人を責任を持って寝台に連行したのだった。
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明朝、雲一つない空の下、フェアノスティの白い船団がカロッサ本島ドネリ港に入港した。
船からは馬車や騎士たちの乗る馬の他、大小数多くの荷が降ろされた。
集まった民や観光客が、あの荷の中はきっとフェアノスティ王国からカロッサ王国への贈り物だろうと噂する中、ついに王太子ルシアン・アディル・フェアノスティが姿を現した。
陽光を浴び綺羅綺羅しく光る金の髪と、澄んだ青い瞳の美しい王太子の微笑みは、その場に居合わせたすべての者を魅了した。
ドネリ港から王宮がある首都クルデまでは馬車でゆっくり行っても一刻ほど。
沿道を埋め尽くす群衆に時折手を振りながら、白馬に乗った王太子を先頭に一行は王宮に向けて進む。
そして、カロッサ王国の王侯貴族一同が並んで待つ王宮外苑に、漸く王太子率いる使節団が到着した。
王族が王宮の外で迎えることは、カロッサからフェアノスティへの最上級の敬意の表れでもあるのだが、それ以上に来訪を待ちきれない第二王女の意向を汲んでの計らいでもあった。
愛馬を侍従に預けた王太子が、美しい立ち姿で佇む第二王女のもとへと、静かに歩み寄る。
その顔に浮かぶ笑みは先ほどまで沿道の民に向けていたのとは違う慈愛に満ちたもので。
昨晩酔いに任せてつい親友にだけ漏らしてしまった不安もすべて、この瞬間には消し飛んでしまったようで、喜色を通り越してどこか泣きそうに見えるほど幸せな笑顔になっていた。
出迎えた第二王女アリスティアの瞳にもうっすら涙が光る。
王女の白く細い指には初めて会った時に王子が渡したという金の台座に青い金剛石が嵌まった指輪が光り、
二人のそれぞれの耳には、同じく王女が片方を約束の印として渡したという揃いの翡翠の耳飾りが揺れていた。
差し出したアリスティア王女の両手を、ルシアン王太子は優しく、でもしっかりと両の手で握った。
「リズ、来たよ」
「ルー……」
額同士を合わせ微笑み合う二人、その光景はまるで一枚の絵画のようで、見守っていた人々からは大きな歓喜の声が沸き上がった。
後日、実際その二人の情景は絵に描かれ、この婚約に沸く両国の民の間で飛ぶように売れたという。
カルセドニクスはその光景を、警備兵の中に紛れ込む形で遠目に見ながら胸をなでおろしていた。
本来なら、貴族の階級でも騎士団内の役職でもこんな末席に居るはずはないのだが、休暇中でかつ竜宮からの公にできない任務中という微妙な立ち位置にある上、「カルは自分が思ってる以上に美人なんだから今日だけは僕より目立たないでお願い!」という王太子の心からの訴えにより耳飾りの認識阻害機能を有効にした状態での参列となった。カルセドニクスとしても、友人の想いが成就する瞬間に立ち会えて、かつ、使節団一行に溶け込んで竜使の調査を続けるためにはこの方が有難かった。
その王太子殿下は、今まさに運命の相手と念願の再会を果たしている。昨夜の王太子酔っ払い事件の収集の苦労も報われるというものだ。ここに至るまでに数えきれないほど重ねてきた王太子殿下自身の努力も、すべて。
ほっとしたことで押さえきれなくなった欠伸を噛み殺し、少しずれた色付き眼鏡を指先でそっと持ち上げた。
閉じた目を薄く開け、周囲を探る。自分にとって慣れ親しんだ気配を捉えたからだ。
それは島全体に薄く満ちるものと、王宮に近づくにつれ強くなるものが地下から。そして出迎えのカロッサ王族の中から数人と、さらに今まで感じたことのない強い違和感に似たものを放つ人物が、ひとり。
目星をつけた人物を、やはりと思いながら人垣の後ろから眼鏡越しにそっと見つめる。
青銀に輝く衣装から見える細く白い襟元と腕が眩しい。
幼さが残る華奢で小柄な立ち姿なのに凛とした、白金色の髪の少女。
(真珠姫、レイリア第三王女……か)
一方、見られている側の第三王女の方も、カロッサ王家の血筋特有の、魔法は使えないが魔力は非常に強いという特異な体質でもって、フェアノスティ側の人員の人垣の中にあるその異質な存在にいち早く気づいていた。
護衛や侍従たちの列の最後尾から見守っている、暗い銀色の髪の男だ。
南国特有のカロッサの強い陽射しを避けるためか色のついた眼鏡を掛けていて(そのこともこういった公式な式典においては異例だと思う)表情はうかがえない。
しかも、見つめれば見つめるほどその人物の容姿がぼやけていくというか、どうも視線が滑っていくような印象を受ける。
詳しくは判断がつかないが何か、魔法の気配を感じるのだ。生活用魔道具を動かす程度の魔力しかない普通の人ならおそらくその存在を認知すらできないのではなかろうか。
そして何より、この島にいるはずがないものへの強烈な違和感。
「あの男から目を離すな」
斜め後ろに立つ近衛騎士のダナンが、彼女にだけ聞こえる程度の声でそっと耳元で囁いたのにわずかに頷いて見せた。
カルセドニクスとレイリア、彼らが互いに感じた違和感の正体。
それは――――――
((竜の気配だ))
最後まで読んでいただきありがとうございました。