参謀長は訪問先にて魔王と呼ばれます(後編)
「それと二つ目は、マルス第三公子によるカロッサ王国第三王女殿下への傷害と拉致未遂を断罪するものです。」
「っ!」
流れるように二つ目の通告の内容を語り始めたカルセドニクスに、第二公子が反論する。
「それは、何かの間違いでは!?
マルスと第三王女殿下は婚約に向け内々に話が進んでいて、良好な関係を築いていると…」
「王女殿下ご自身の証言と確たる証人もおりますので、こちらは嫌疑ではなくすでに罪が確定しております。
なお、カロッサ王国第三王女レイリア・カロッサ殿下へ貴国関係者は今後一切接近を禁止。当然ながら、貴国との縁組については綺麗さっぱり無くなりましたことも併せてお伝えしておきます」
「なんということだ……」
計画が露見し最悪の形で失敗に終わったことに、公子達とその周囲にいた者達数名の顔色が変わった。
その様子を見渡しながら、カルセドニクスは彼らの顔と名前・役職などを事前に調査しておいた内容と照合していった。思ったとおり関わっている者は多くない。
(やはり主導は公国側ではない)
あの悪趣味な魔道具を持ち込んで公国上層部に竜の歪んだ知識を植え付け計画を主導した者を見つけなければ、本当の意味で今回の件は終わらない。
何食わぬ顔で話を続けながら、カルセドニクスは地上への降下後から密かに練り上げて構築していた探索魔法を広域展開し、不快な残り香を探る。
「第三王女殿下は、竜の眠る島であるカロッサにおいて大変重要な役割を担っておられるお方。
その第三王女殿下に対して害意ある企みを仕掛けられたことを、竜王ナザレはもちろん、カロッサの守護竜シシティバルム様も大変遺憾に思われています。」
「りゅ、竜王だと!?」
「カロッサの守護竜…原初の氷竜の化身が第三王女だったのでは!?」
「どうも大変な誤解をされているようですが。
第三王女殿下はその身に大切な使命を帯びておられるのは事実ですが竜の化身などではありません。」
「な、なんだと!?」
「竜王ナザレは今回の件に関わった不届き者どもに対し厳正なる処罰を行うとの決定を下し、貴国における調査と処理を私が一任されております。
それに伴い、現時点をもってマルス・スファルトード第三公子の身柄は竜王ナザレ、および『竜宮』の管理下に置くものとします」
「竜王の管理下…?」
「竜伯、ではなく…?」
「竜伯とは竜王ナザレと守護盟約を交わした者を指します。
『竜宮』において竜とその力に関わる者を取りまとめているのはあくまで竜王ナザレ。竜伯はナザレと我々人間との仲立ちをする立場、と思っていただければよいかと。
ちなみに私自身は別の竜と盟約を結んでおりますから、今後もナザレの盟主たる竜伯になることはありません。
竜に関わる知識の中でも一般的な部分については、フェアノスティにおいては特に秘匿されているわけではありません。
学びたいというならどうぞ我が国の王立学院にご入学ください。学院生なら竜についての記録も図書室で読み放題ですよ?」
「なっ……!?」
「妖精と竜の持つ力は強大であり、それについて正しく知ることはとても大切です。
我が国の民は、彼らが共にこの世界に存在していること、そして彼らの力を悪用しようとした者の末路がどんなものかも、良く知っております。
だからこそ、竜や妖精について軽々しく扱おうとはしない。
竜の怒りに触れ沈んだ島から逃げ延びてきた民の末裔として、あなた方にもそれはよくわかっていたはずではないのですか?」
「………っ」
カルセドニクスの言葉に公子二人は分かりやすく視線を逸らした。
ネリーの事件から逃げ延びた一族の末裔、しかもそう古くない世代にカロッサから嫁いできた王女がいたというのだから、竜に対しての執着とは別に、何らかの教訓も残されていたに違いない。
残念ながら彼らの心に強く響いてしまったのは、教訓より執着の方だったわけだが。
「此度の件につき、竜王ナザレは大変ご立腹です。
そして竜に関わる家の者として、私個人も思うところが多々あります。
この地を焦土にするも大海に沈めるも一瞬。
ただ、再三申し上げているように強大な竜の力を軽々に振るうのは、竜の側にとっても忌避すべきこと。
よって、今回については竜王ナザレは直接貴国に対して処罰を行うことはせず、本件の全容を速やかに調査した上で例の魔道具を持ち込み計画を主導した者達と、直接王女殿下に危害を加えた者のみを厳しく処すると仰せです。」
『次はない』と示唆され、第一公子が地面に膝をつく。
為政者としての道は断たれたも同然。交易者としての信用も無くし、この世における最強の存在たる竜王には最後通告を受けてしまった。
「もう、おしまいだ…………」
『手段はどうあれ、とにかく原初の氷竜の力さえ手に入れてしまえば、スファルトードの大地は富み栄える。
しかも竜の力を得た強国ならば今後周辺国との交易は思うがままになる』
「あのような怪しげな輩の口車に乗せられてしまったばかりに……」
茫然自失となった公子たちに、海色の騎士服の男が歩み寄る。一歩、また一歩と男が近づく度に、気のせいではなく周囲の温度が下がっていった。
パキパキと硬質な音を立てて凍てついていく地面を冷気が這い進み、男との話の最中に顔色を変えた公族や貴族、公国政府高官達を足元から薄氷が覆っていく。
俯く第一公子以外の者達は見ていた―――背後に佇む竜のもつものと同じ色の皮膜の翼が、青い騎士服の背中に氷柱が伸びるように徐々に形を顕していくのを。
冷たい笑みを讃えた美しい男の頬に、輝く鱗が薄く浮き出るのを。
「ま、魔王…」
誰かが掠れ声で呟いたのを耳に拾いながらも、男は歩みを止めることなくゆっくり第一公子の方に近づいた。
地べたにぺたりと力なくしゃがみ込んだ第一公子の耳元に男は屈み込み、恐ろしいほど整ったその顔を寄せる。
「今後、貴国と対等な関係を結んでくれる相手がどれだけいるかは、これまで築いてきた関係性の信用度によりますでしょう。ですが……
真に裁かれるべき者はまだ別にいるのではないですか?」
最後の一言は、第一公子の耳にのみなんとか届くほどの音量だった。優し気な笑みを浮かべた男から発せられたその言葉は、本当に救いの手だろうか。
美しい銀髪が男の肩からさらりと滑り落ちて揺れるその様を呆然となった目に映しながら、第一公子は言われた言葉を繰り返す。
「真に……裁かれるべき者…?」
「竜についての情報や、竜の力を引き出すというあの怪しげな魔道具を、貴国に持ち込んだ者がいたはずです。
スファルトードという国を守るためには、その者達をこそ、裁くべきではありませんか?」
「そ、その通りだ………!」
「今回の事態を引き起こしたのは、いったい何処の誰だったのですか?」
「宰相が、カロッサに赴いた副将軍の兄にあたる者だ……
其奴が中心となり北大陸から秘密裏に魔導士達を呼び寄せた…竜の力を奪う策も、あの黒い魔道具も、宰相経由でその魔導士達から……!」
「兄上っ」
「第一公子閣下!!」
真っ青になって叫び声を上げた第二公子と最高政務責任者たる宰相の身体が首から上を残して一瞬で氷柱と化した。他にも数名、その場から走って逃走しようとした者が同様に拘束され、場に悲鳴とざわめきが拡がった。
それと同時に、銀髪の男が虚空にすっと手を翳す。忽然と現れた魔法陣が光を放ち、そこから黒いローブの人物が3人、蔦に似た黒い植物にまとめて縛り上げられた状態でどさどさと地面に落ちてきた。
広域展開していた探索魔法により、公城内の庭園から遠い区画において例の香の残滓と転移魔法陣の起動を感知したカルセドニクスが、脱出を図った者どもが使った転移陣を書き換え逆にこの場へと呼び寄せたのだ。
竜壁山脈の北方にあるマルタラ帝国の言語で何か叫ぶ魔導士達に、カルセドニクスは笑みを浮かべたままですぐさま声封じの風魔法と魔力封じの呪を重ねてかけた。
口は動くのに一切音を発することができなくなった彼らを指差して、第一公子に確認する。
「先ほどのお話に出てきた魔導士とは、彼らのことで間違いございませんか?」
「あ、ああ……間違いない!!
我らはそいつらと、宰相らの言ったとおりにしただけで……!」
「そんな!公子……!
違います、ザクト卿!私は公国のため、竜の力を得たいという公子方の願いを叶えるためにっ」
「貴様、黙らぬかっっ!」
「見苦しい真似は止めよ!!!!」
第一公子たちが言い争いをし始めたとき、城内から一人の人物が現れ大音声で一喝した。
庭園へと続く階段を急ぎ降りてくる初老の男性の手には、公王の証の錫杖が握られていた。
(この方が、現スファルトード公王)
さほど近くはないとはいえ姻戚関係にある証左か、皺の刻まれたその顔はどことなくカロッサ国王アルドノーヴァに似ていた。
竜使による調査でも判明していたが、公王自身は今回の件に関わってはおらず、息子達の独断であったようだ。
苦悩の表情を浮かべ二人の息子に歩み寄った公王は、その手の錫杖を振り上げ息子たちの頬を打った。
「この、馬鹿者どもが!!」
「ち、父上……っ」
「自らの愚行により竜の恩恵を受けていた島を沈めた祖先の行いを繰り返さぬためにも、生き延びた我らは軽々に竜の力に関わるのも、ましてや求めるのも絶対にならんと、あれほど諭したものを……!」
続く言葉を飲み込んだ公王は、カルセドニクスに向き直るとその場に膝をつき首を垂れ錫杖を差し出した。
「ザクト辺境伯子息カルセドニクス殿とお見受けいたす。
此度のことは、息子たちと部下を止められなんだ私の失態。
フェアノスティおよびカロッサの両王国、ならびに竜王ナザレのご判断に全て委ね、如何様な処罰も受ける所存」
「父上!?なにを……」
「黙るがよい。
畏れ多くも竜の力に手を出そうとした時点で、スファルトードの命運は尽きていたのだ。
我が公室と、今回の事に関与した官僚や軍部の者は処罰していただいて構わぬ。
が、それ以外は…この地で交易者として真っ当に生きる多くの民には罪はない。どうか、温情を賜りたい」
公王の言葉に、ひとり、またひとりと、スファルトード公国の者たちが膝を折っていく。
迷い苦悩していた第一公子たちも、ついには公王に倣って首を垂れた。
その様を前にしても、魔王と呼ばれた男の顔には、変わらず美しくも冷たい笑みが浮かんだままだ。
「公王陛下ならびに皆様方の誠意はよく分かりました。
ただ、竜王からの命以外では、私が貴国に来た理由はカロッサとフェアノスティ両王国の意向を伝えマルス公子を送り届けるためのみ。
今後行われるであろう、人間の治める国同士の話し合いについては、私はなんの権限も持ち合わせておりません。
ただ、公王陛下に話し合いの席に着く御意志がおありならお連れするようにと、カロッサ国王アルドノーヴァ陛下より仰せつかっております」
「願ってもない。可能であるならば、私自らが息子や部下を伴い、両国に赴いて謝罪をさせていただきたい。
ザクト卿、連れて行っていただけようか?」
「畏まりました。
今回の件では、我が国の第三王子にして王太子たるルシアン殿下の身にも、わずかとはいえ危害が及んでおります。
畏れ多くも殿下は私の親族でもあり、かけがえのない友人でもありますので。
それに―――私の命より大切な方も、とてもつらい思いをされました。
フェアノスティ王国に仕える貴族としても、竜と深く関わる家の者としても、それに私個人としても、此度の騒動を主導した者どもを許すことができないのです。」
そう告げるカルセドニクスの顔から笑みが剥がれ落ちた。
抑えるのをやめた魔力が溢れ出て、黒い蔦で拘束されている3人の魔導士が見えない力に押し潰されるようにその場に這いつくばってくぐもった声で喘ぐ。無表情にそれを見下ろすカルセドニクスの瞳は濃い金色の竜の目に変じていた。
大気を震わすほどの彼の怒りの大きさを間近に感じ、スファルトード公王は膝をついてしまいそうな恐怖になんとか耐えた。
「………かの者共は我が国の民にあらず。
こちらとしても処しきれぬゆえ、貴殿にお任せしたい」
「承りました。
ではこの者達の身柄は預かり、竜王ナザレに判断を仰ぐことといたします」
恭しく答えたカルセドニクスに無言で頷き返し、拘束されていない官吏たちに後の事を指示すると、スファルトード公王は自らマルス公子が先ほどまで捕らえられていた箱型魔道具の中に入った。その姿に、第一公子達も諦めたのかそれ以上騒ぐことなく公王のあとに続いた。
ただ一人、ずっと沈黙したままだった第三公子だけが、カルセドニクスの前で足を止めて憎々しげに睨んできた。
「貴様さえ、貴様さえ現れなければ……!
そうしたら、彼女は私の……!」
第三公子の顔からは定例茶会で会ったときの柔和な笑顔は消え去っていた。あるのは、レイリアの私室で対峙したときに垣間見えた、嫉妬や苛立ち。彼女に対する歪んだ想い。
竜の力に縛られた彼女を救うなど不遜なことを言うと思っていたが、手段はどうあれ、マルスの中ではある意味本気でレイリアを救おうとしていたのかもしれない。
だが、マルスの真意がどこにあったにしろ、今となってはもう何ひとつ元には戻らない。
カルセドニクスは、睨むマルスの目を正面から見据え、淡々とした口調で答えた。
「どこで生きるも、誰と生きるも、すべて彼女の自由。
ただ―――」
一旦言葉を切ったカルセドニクスがマルスの胸倉を掴んで額がぶつかるほど引き寄せた。
「その運命を受け入れ、竜と共に生きると決めた彼女の決意を、『可哀想』などという陳腐な言葉で侮辱するな」
先程までの声音とは別人のような冷たい怒りの滲む低い声で、カルセドニクスはそう告げた。
至近距離で視線を合わせたカルセドニクスの瞳が灰青から金色に変わっているのにあらためて気づき一瞬驚きを見せたマルスだったが、すぐにそれを消して歪んだ笑みを浮かべた。
「……どう表現しようと、王女がカロッサの檻の中から出られないのは変わらんよ。
竜伯にはならずとも、ザクト伯を継ぐのは間違いなかろう?
貴様は、フェアノスティからは離れられまい」
「…………」
「あの国に縛られる貴様が、檻の中に自らの意志で籠る彼女に選ばれることはない………!」
吐き捨てるようにそう言い残し、マルス第三公子は公王達とは別に用意された箱型魔道具内へと、魔導士たちとともに姿を消した。
公王が後を託した官吏に短く辞去の挨拶をし、後に別の者が魔導士達の痕跡を調査しに訪れるまで彼らの使っていた区画を結界で封鎖しておくことも伝えた。
噴水の瓦礫の前に佇む守護竜の方へと戻っていくカルセドニクスの背には、いまだ透き通る竜の翼が顕れたままだ。
その彼を、周囲の者は遠巻きにしながら無言で、目で追う。
集まる視線に、カルセドニクスはこんな場面にも関わらず何処か懐かしさを感じていた。
幼くして強大な力に目覚めた彼を、周りの者達はさまざまな目で見ていた。
賞賛、尊崇、畏怖、そして微かに混じる疎外。
常に視線に晒されながら、お前は普通と違うと刷り込まれ続けるような感覚。
いつしかそれが当たり前になり、父やルシアンたち数名を除き、自ら周囲との間に壁を作ってきた。
(それでも、あの閉ざされた楽園で過ごした数日間は、唯人になれた気がした)
高く築いた壁を内側から突き崩して自分から手を伸ばしていた、初めての存在を想う。
父は幼い母に心奪われて以降、それまで迷いがあった竜伯としての力を受け入れられるようになったというが、それでも、母に竜の力で変化した姿を見せるのには躊躇いがあったと話していた。
母に怖れられたり、気味悪がられたりしないかと不安だったのだと。
静かに守護竜の名を呼ぶカルセドニクスの背で、青く透き通る翼が陽光に当たり煌いた。自分では見えはしないが、瞳は変容し、頬には鱗も浮き出ているはずだ。
(彼女は、この姿を見てなんと仰るだろう)
不安がないとすれば嘘になる。
だが、それでも委ねるしかない。
「何を選ぶも、すべては彼女の自由だ」
彫像のように動かなかった勿忘草色の竜が、男に呼応して翼を広げた。
その姿に恐れ慄く人々を残し、二体の翼持つ者たちは連れ立って北に向け飛び去っていった。
カルスの父母のお話が、同シリーズの『そのひと月、王女殿下は賭けをしました』になります。
ちっさいカルスくんもちらっと出てきます。




