参謀長は訪問先にて魔王と呼ばれます(前編)
長くなったので2つに分けました。
雲海の上を翼をもつ二つの影が南に向かって飛翔していく。
勿忘草色の揃いの翼を煌めかせた彼らは風の魔法で身を切るような強風と冷気を防ぎながら超高速で飛行している。
やがて目的の地点の上空まで到達すると、小さい方の個体が連れ立って飛んでいた巨大な個体に合図を送り二体は揃って移動速度を落とした。
小さな個体が巨体を覆い隠すように隠形魔法を発動した後、勿忘草色の鱗にとんと軽く触れた。
それを合図に、彼らはぴったりと寄り添いながら地上に向け大気を切り裂き一直線に降下を開始した。
南大陸の沿岸から馬車で6日ほどのところにあるスファルトード公国は、交易都市国家を名乗るにふさわしい賑わいを見せていた。
早朝から立ち並ぶ市場通りに加え、市街の各所で様々な店が一番活気付く時間帯。
どーん、という地響きのような音を、一部の住民が聞いた。
「なんか、今、すげえ音しなかったか?」
「なんだよまだ寝ぼけてやがんな?
音なんかしてねぇよ」
「いや、確かに今……気のせいかな?」
「気のせいだろ?
ほら、もっとしっかり荷車を押せ。早く店に着かねぇと旦那に怒られちまう」
「お、おう……」
そんな会話を市場の片隅で住民が交わしていた頃、公王の居城に珍しい客があった。
公城の中には公王自慢の広大な大庭園があり、庭園内の各所に設けられた四阿などで交易に訪れた各国の使者や商人たちが公国側の人間と会談をすることも多かった。
その日も許可を得て庭園内にいた人々がそこかしこで商談を行っていたのだが、その最中、突如耳鳴りのような甲高い風切り音が届いた。気づいた者たちがきょろきょろと辺りを見回した次の瞬間、突如庭園中央にあった有名建築家が作ったという大噴水に巨大な水柱が上がるとともに立っていられないほどの地響きが起きた。
「な……な? なんだ……?」
地響きと共に濛々と立ち上がったのは噴水が破壊された際の水柱と土煙だけではなく、冷気の白い靄。その中に、何か巨大な生き物の影が蹲っているのを多くの者が目撃した。
水色よりも少しだけ青味を濃くした煌めく鱗に覆われた巨大な身体。同じ色の皮膜の巨大な翼と太い四肢の先には人など簡単に引き裂けるだろう銀の鈎爪、一振りで一個師団ぐらいは粉砕されそうな太い尾。
「あ、あれは、もしや…」
「竜……?? でもまさか…」
「? 誰か居るぞ!」
居合わせた貴族や商人たちは、完全に晴れた視界に現れた巨体のすぐ傍に、人影があるのを見つけた。
ソラン海の色をそのまま写し取ったような青を基調とした騎士服を身に着け、暗銀色の髪を高く結い上げたすらりとした男だった。
砕け散った噴水の残骸を閉じ込めた氷塊を背にして見下ろしてくる竜の勿忘草色の鱗を愛おしそうに撫でながら微笑みを浮かべた姿は神々しく、見ている者達が息をするのも忘れるほどに美しかった。
動けずにいる者たちの方をゆっくりと振り向いた男が灰青の瞳を細めてにこりと朗らかそうな笑みを浮かべた。
「突然の訪問、失礼いたします。
この度、マルス・スファルトード第三公子殿のお招きにより、こちらに参りました。
こちらのお庭は大きいから、私の連れが降りても問題ないであろうとおっしゃるので」
「は……連れ? いや、たしかに庭園は広いが……?」
「ここに至るまでの間は雲海の上を飛んでまいりましたので、貴国民の皆様には姿はまず見られていないと思いますのでご安心ください。
驚かせては申し訳ないですからね」
「それは……お気遣いいただきまして?」
微妙に会話は噛み合わないもののあまりにも自然体な男の様子に、本来闖入者に厳格に対処をするのが仕事のはずの衛兵も、彼に釣られてヘラりと笑みを返してしまいそうになる。
だがそのうちの一人が我に返って叫んだ。
「何してるっ!侵入者だぞ!
取り押さえろ!」
背後に控えている巨体に注意を払いつつ、衛兵たちは海色の騎士服の男を包囲しながら次々に剣を抜いた。囲まれている方の男は腰に佩いた剣を取ることもなく、依然として笑みを浮かべて立っているだけだ。
「このっ……!!」
緊張感に耐えかねた若い衛兵が、距離を詰め上段から切り込んだが――――――
キンッ!!
男は顔色一つ変えぬまま軽く上げた片手に小さな光る盾のようなものを展開して軽々と剣を受け止めた。若い衛兵は剣を持つ手に力を込めて押し込もうとするが、まったく歯が立たない。
「若い割には太刀筋はいい。
だが、相手の力量を図る目を養うこと、それともう少し慎重に行動するということを学んだ方がいい」
「な…!? ぅわぁ!」
騎士服の男が諭すように告げた瞬間、防御魔法陣に防がれていた剣から突如炎が噴出し、その熱に焙られた若い衛兵は剣を手放した。
同時に、取り囲む他の衛兵達の剣も同じように炎に包まれ、魔法陣に吸い寄せられた。
男が何かを潰すように手を握ると、魔方陣に集まった剣がまるで紙を丸めるようにぐにゃりと形を歪めて1つに丸まりごとりと地面に落ちた。
「あまり派手なことはしたくないのですよ。
連れに噛まれたくはないのでね」
「噛まれ……?」
言われた言葉の意味も分からないまま、衛兵たちは地面に転がる原形を留めていない剣と、柔らかく微笑み佇む男を見比べた。
この時点でようやく、その場にいた者たちは竜を連れたこの侵入者が『魔法使い』と呼ばれる存在である可能性に思い至った。それが本当なら、普通の剣など役に立たないだろうに、それすらも一瞬で奪われてしまった。
囲んでいた衛兵たちの足が、男からじわっと遠ざかる。
その時、若い男二人が城内からかけ出てきた。彼によく似たその男たちは、この国の第一公子と第二公子だ。
「こ、これは、何事か…!」
異変に気付いて出てきてみれば庭園が巨大な闖入者により破壊されていたのだから驚くのは当たり前だろう。しかし、騒動の中心に居る竜と、衛兵に囲まれている男の容姿を見るや、二人の困惑顔にわずかに期待の色が混じる。
「お初にお目にかかります。
フェアノスティ王国ザクト南方辺境伯家嫡男、カルセドニクス・ザクトと申します。」
衛兵に取り囲まれながら片手を胸に当てて丁寧な礼を取る男に、固まっていた二人の公子は満面の笑みを浮かべた。
「やはり……!ザクトのご嫡男、ということは、次期竜伯の…?」
「す、素晴らしい!」
「兄上!マルスの奴、まんまとやり遂げてくれましたね!」
「して、マルスはどこに? 氷竜の化身の王女は?」
氷竜の化身の王女という表現に、銀髪の男の顔に冷たい笑みが浮かぶ。
「カロッサ王国第三王女殿下でしたらここにはいらっしゃいません。
それから、貴国第三公子殿はほら、こちらに」
男が腰に付けた小さな物入れから箱型の何かを取り出した。
怪訝な顔の公子たちの前で解錠術式を起動すると、魔道具の中に捕らえられていた人物が一人、まさに吐き出されるように転がり出てきた。
「マルス!?」
「あれはマルス第三公子…?」
手脚を氷で拘束され顔面蒼白で震える自国の第三公子に、スファルトードの人々から怒りと困惑の声が上がった。
「ザクト卿!これは、どういうことですか!?」
カルセドニクスは胸元から取り出した記録用魔道具により、声を荒げ詰め寄る二人の公子の眼前に二つの通告書を投影した。
「此度、私カルセドニクス・ザクトは、フェアノスティ王国王太子殿下ならびに我が国と友好関係にあるカロッサ王国の国王アルドノーヴァ陛下より要請を受け、貴国第三公子マルス・スファルトード殿に対し、即刻国外退去および今後一切の入国禁止が通達されたこととその経緯の説明をするために参上いたしました次第です。」
「国外退去に入国禁止令…だと!?」
「現在、スファルトード第三公子殿には、カロッサ王国において密入国およびカロッサ王国首都への武力侵攻を主導したという嫌疑が掛けられておりまして。」
「なっ……!?」
「なお、公子殿と一緒に行動されていた方々については、武器の密輸入とカロッサ王国内での侵略行為、およびフェアノスティ王国王太子殿下一行に狼藉を働いた疑いでこちらで残らず拘束しております。拘束した方の中には、貴国の軍部の副将軍と思しき方もいらっしゃったように記憶しております。
貴国第三公子殿におかれましては身柄を拘束後、即刻国外退去を申し渡されたのに帰国するための船も見つからないとお困りだったので、こうして私が友人として帰国をお手伝いいたしました」
公国軍副将軍も関与してのフェアノスティ王国王太子襲撃という知らせに、場に居合わせた者達に動揺が走った。
王太子襲撃が事実ならスファルトード公国はフェアノスティと即刻開戦となってもおかしくない。
国力と武力の両方面からみても、フェアノスティに比肩する国は南北大陸合わせても皆無である。機を見るに敏な商人のこと、これ以上関わるべきではないと商談半ばで去っていく者が続出するのも無理はないだろう。
騒つく庭園内の様子など知らぬげに、カルセドニクスは言葉を続けた。
「幸いにしてカロッサ国民の命及び財産への被害はほぼ無かったですし、ルシアン王太子殿下にいたっては多少視察予定の遅延や変更が必要になったことは遺憾ではあるがそれ以上でも以下でもないと思し召しで」
「は…?」
つまるところ、年若い連中が起こした騒動など両国にはなんの痛痒も感じないほどの些事でしかなかったと言ったも同然である。それで済んで良かったと安堵すべきか、副将軍まで動いたのに全く相手にもされない程度かと落胆すべきか、浮かべる表情はそれぞれだが複雑そうなのはみな同じだった。
「今回の一連の事態が貴国首脳陣の総意で行われたものであった場合には、カロッサ王国ならびにフェアノスティ王国は遺憾ながら国として厳重に抗議し、しかるべき措置を取らざるをえません。
ただ先ほど言いました通り被害らしき被害はとくにありませんので、もしもこれがマルス第三公子の独断と軍の一部の暴走であったということなら、拘束した彼らの身柄を貴国に返し処分はそちらに任せ、今回の事態については不問に付すと。」
「……それはっ…しかしそれでは……!」
ここは城内の会議室などの閉じられた場所ではなく、広い庭園の真ん中である。
ここまでのやり取りを見て、カロッサで起きたという一連の事件はマルス第三公子の独断ではなかったということだと、その場に居合わせた大半の者は察していた。
今回の企みを知らないスファルトード公国の貴族や官吏、城内の兵士、少数だが逃げ出さずにまだ残っている国内外の商人たちまでが、公子二人の様子を固唾を飲んで見守っていた。
この場から逃げ出した商人たちも、自分たちの独自の情報網を使って事の真偽を把握しに掛かっていることだろう。その過程で、今回の事は枯野を野火が燃え広がるようにどこまでも伝わっていくに違いない。
(わざと人目を集めたのか!?)
公子たちは睨め付けるが、目の前の美貌の貴公子からは氷の如き冷たく澄んだ微笑みが返ってくるばかりだ。
国益を優先するなら、第三公子達を切り捨て、カロッサとの友好関係を今後も続けた方がいいのかもしれない。ただそうすれば、公子と臣下を見捨てた国という汚名を背負うことになる。
一方、首脳陣が今回の一連の作戦を主導していたとなれば、カロッサ王国とともに北の大国フェアノスティ王国までも敵に回すことになる。なんといっても、フェアノスティの王太子訪問を利用して作戦を行い、しかも王太子一行にも実際手を出してしまっているのだから。
全部踏まえた上で、国として第三公子とその一団を見捨てるか否かを敢えて問うているのだ。
提示された選択肢のどちらを選んだところで希望などほとんど残されていない。
友好国相手に小規模とはいえ武力侵攻した国と、今後どれだけの相手が交易をしてくれるというのか。
しかも、北の大国フェアノスティに睨まれた国など、交易どころか国交を断たれても不思議ではない。
この場にそんな重い決断を下せる者などいない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
後編も、近々。




