『彼』はその人を護ります
カルセドニクスは,今回の作戦立案にあたり様々な予測を立て予防線を張っていた。
外の集団の対処はルシアンとフラシオンに任せた。その上でフラシオンには魔道具の予備を渡して自分の姿に変装し、出発時点からルシアンの警護についてもらった。ルシアン自身、ああ見えてフェアノスティ内でも屈指の魔法使いである。その彼に、王国最強の剣フラシオン・ダカス他竜使6名をつけたのだから、そちらはまず問題なかろう。
首都に繋がる門に仕掛けた魔方陣は、幻妖を持つ者にはすり抜けられる可能性があった。その先で侵入者が目指すのは第三王女の身柄確保だろう。レイリアは普段内苑に入り浸りなのだが、実はそのことは王族他ほんの一部しか知らない。警護と身の回りの世話は竜鱗体たちがしており余人は第三王女とはほとんど関わらないようにしていた。王宮に勤める一般の奉公人達は皆、病弱な第三王女は自室から出る事なく過ごしていると思っているし、もちろんマルス公子にもそのように伝えてあった。そのため、些か小柄ではあるがクラリッサに影武者を頼み、自分はダナンとしていっしょに王女の部屋で彼女を拉致しようとする輩を迎え撃つことにした。竜使見習いのクラリッサはナザレから魔力をもらえる。王女たちに変装してもらったミュラー兄弟には辛かろうが、クラリッサなら魔道具に魔力を吸われて昏倒したりせず、剣も使える。
国王他のカロッサの王族達には定例茶会が行われていたのとは別の離宮に秘密裏に移っていただき、本物のレイリアは内苑に籠ってもらう。そこに張られた強固な竜の結界領域ならば、いかに邪法の香を使われたとしても彼女を護るとこができるだろうと考えたからだ。
ただ、想定外のことは起きるものだ。
痛手だったのは、持ち込まれた幻妖に対して竜の結界が予測したよりずっと強く反応してしまったこと。竜が張った結界に侵入を許し、かつ傍にいたはずの竜麟体達が侵入者を制止できなかったとなると、よほど強く影響を受けたのだろう。内苑の地下、ネリーの封印場所にいたはずのシシティバルム自身が捕らえられていないことはまだ幸いだった。彼等がレイリアこそ原初の氷竜の化身と勘違いしていると報告があったが、どうやら本当のようだ。万が一、原初の氷竜が幻妖で操られでもしたら、流石に人間の身ではどうしようもない。
そして、一番最悪の想定外だったのが、幻妖が装身具の形状のものに使われ、しかもレイリアが既に身につけさせられていることだ。
(この状態では幻妖のみを結界に封じることができない。
しかも、あれは呪具の類か…?)
対象の心身に悪影響を及ぼす目的で人や獣に用いる魔道具は呪具と呼んで区別される。
レイリアの首にあるのもおそらく呪具。罪を犯した魔法使いの魔力を封じたり吸い出したりする拘束用呪具の魔法陣に、更に手を加えて再構築した気配がする。その特有の歪んだ魔力の流れ具合には覚えがあった。北の帝国に暗躍する魔導師集団が使う、癖のある術式だ。正面に赤い鉱物のような物体が嵌まっており、そこからは強くあの禁じられた香の臭いがが漂ってきていた。事前に耐性訓練をしてきたカルセドニクスですら軽い酩酊感に襲われるほどだ。
(スファルトードの後ろにはやはり彼の国がいる。
こんなことになるなら、影武者など立てず傍で護るべきだった。
もしくは、小細工などせずに城郭の門で侵入するものを悉く氷漬けにしてしまえばよかったのだ)
表に出ることなく策を弄して解決しようとした己の臆病さを、カルセドニクスは心底悔やんだ。
だが、背後関係の推測も、自分の判断の甘さに対する後悔も、今は無理矢理押し込める。
カルセドニクスは集中し、冷静になれと自分に念じながらレイリアを苛む呪具の術式を読み解き、その働きと解除方法を探る。魔力の流れからして、魔力を封じ込めるものではなく吸い上げる類のものだ。
こうしている間にもゆっくりと魄動は続き、レイリアの魔力は卵に吸われているのに、カルセドニクスが渡した原石は奪い取られて今は離宮の侍女の手に握られている。
その上、あの呪具によりさらに魔力を奪われては相当苦しいはずだ。実際、離宮の侍女に支えられているレイリアの額には玉の汗が浮かんで息も上がっている。そう長くは保たない。
「そろそろ、放していただけませんか?王女に化けた小さいお嬢さん?」
そういえばダナンの姿でいるときに王宮の回廊で会ったときも喧嘩を吹っ掛けられたのだったとカルセドニクスは思い出す。『小さい』をわざと強調するあたりなかなかいい性格をした男のようだ。
クラリッサは暗器を持つ手を放さず、無言のまま少女らしからぬ厳しい目を向ける。
「……貴方と王女殿下の身柄を交換するという手もありますが?」
呪具の術式の解析を試みながらカルセドニクスが問いかける。
だが、暗器を突きつけられながらもマルス公子は強気を崩さない。
「王女殿下が身に着けておられる装身具は、特殊な手順を踏まないと解除できませんよ?
この影武者の彼女のような幼子や、文官の貴殿にはおわかりにならないかもしれませんが、王女殿下の中の竜の力を抑え込んで取り込む特別製の魔道具なのです。こうして身につけていれば、やがて彼女の中の竜の力は全て魔道具が吸い上げ、王女殿下は竜の化身たる役目を終えてただの人間に戻る。解除方法は私しか伝えられておりませんから、もしここで私が死ねば外し方は解らない。無理やり引きはがせば、王女殿下の御身も無事ではすみますまい」
「見た目同様、実に悪趣味な装身具ですね」
「こんな可憐な王女の中に隠れ潜む化け物の方がよほど悪趣味でしょう?
彼女は竜の化身。その身に我らが故郷の島を沈めた狂竜の仲間、原初の氷竜が潜んでいる。
私は竜に囚われたお可哀想な女性を解放したい、それだけなんですよ?」
フラシオンから報告がきたとおり、竜についての情報がずいぶん間違って伝わっているようだ。だが、呪具の働きを正確には知らされていない様子からして、呪具を渡した何者かが竜についての誤った情報をわざと教えた可能性もある。
クラリッサは脅しになど屈しないと無言の圧力を保ったまま、公子の首に暗器を押し当てる手を緩めようとはしない。まだ七歳とはいえ、伊達に剣鬼を父に、竜伯を師匠に持ってはいない。だが、公子の言う通り、残念ながら現状ではこちらが分が悪い。
視線で是非を問うてきたクラリッサにカルセドニクスが小さく頷くと、渋面をつくったままに公子の首から暗器を離して拘束を解いた。
「実に見事な身のこなしですね、小さいお嬢さん。
貴女にも是非、我が国に来てもらいたい。どうです?我が妻レイリアの侍女として、スファルトードに来ませんか?これから我が国は竜の加護を得てどんどん豊かになる」
「他人から掠め取った力で得られるものなど、たかが知れている。」
「交渉の余地無し、ですか。残念ですね。
ですが、ザクトの御令息には来ていただきますよ?
貴方が継ぐ竜伯位ごと、我がスファルトード公国に帰属していただく。
その方が貴女も心強いでしょう?レイリア」
ずっと見てきたマルス公子の柔和な笑顔が、その 裡に秘めた思惑を知った今ではこの上なく恐ろしく見えた。
名を呼ばれたレイリアは問いかける男を睨みながら、苦しい息の中でゆっくりと、だがはっきりとした声で答えた。
「………貴方にそのような呼び方を許した覚えはありません、スファルトード第三公子」
「私は貴女の夫になる男ですよ?」
「…そのような約束も、した覚えはありません。」
笑って聞いていたマルス公子の眉が、ぴくりと動いた。
笑顔を作ったまま、その口元が歪む。
「なら、そこで護衛の真似事をしている美しいだけの優男と共に生きるとでも?
私からは何の贈り物も、受け取る気はないとばかりの態度だったのに……」
ゆっくりとレイリアの前まで近づくと、マルス公子は味方に引き込んだ離宮の侍女に向けて右手を差し出した。
その手の上に奪い取られた白い布包みがついた銀の鎖が乗せられると、その首飾りをレイリアに示しながら苦々し気に包みを開いていく。
「これは、護符のようなものとおっしゃっていましたね?
十中八九、その男に貰ったものなのでしょう?忌々しい!
いったい、何が入っているというので………なんだ、これは…石?」
ドクン
「っ! 返してください!!!」
「レイリア様!いけませんっ」
先ほどまでよりも真っ青になった王女の顔色に、カルセドニクスも叫んだ。レイリアが感情を高ぶらせることで、ここに至るまで落ち着いていた卵の魄動が再び大きくなれば彼女の魔力が一気に枯渇する恐れがある。
だが、レイリア自身は大きくなりつつある魄動に気づいていないのか、開いた布から出てきた原石をマルス公子の指先が摘まみ上げたのを見て、飛びつかんばかりに必死にそれに向かって手を伸ばした。
「返してください!」
「こんな石っころがなんだというのです!?」
「それは、とても大切なものなのです…!」
「離しなさい!!」
「きゃぁっっ!」
縋るレイリアを振り払うようにしたマルス公子の手が彼女の頬を打ち、レイリアが床に倒れ込んだ。
「レイリア様!」
「っ…こんなもの、何の役にも立ちませんよ!!!」
彼女の名を呼ぶカルセドニクスに更に苛立ったように、マルス公子が手にしていた原石を壁際に向かって投げ捨てた。
「貴女はこのまま竜の力を明け渡し、我が国に来て大人しく私の妻になればいいんです!!」
マルス公子の言葉は、魔力欠乏に陥りかけているレイリアの耳にはすでに入っていなかった。
レイリアが倒れ込んだと同時に竜騎士の力を解放したカルセドニクスが片手で公子の顔を掴んでそのまま床に打ち付けるようにして倒しながら、素早くその両腕と両脚を凍結させて拘束したのも、その背に白銀の翼が生えているのも、おそらく見えてはいても理解はしていない。
床に倒れ込んだまま見開かれたレイリアの瞳はーーー
投げ捨てられた大切な原石が床を転がっていき、カルセドニクスが彼女のためにと用意してくれた銀の鎖が目の前で踏みつけられた様を映したまま、止まってしまっていた。
(大切な、ものなのに………あれは、彼の、私の、大切な……)
ドクン
―――マモラナキャ
「っ!? 魄動が強く…! レイリア様!」
「この声は、竜……?」
「なんだ、お前達何を言っている!? 」
危険な状況にカルセドニクスが必死で呼びかける。
竜使見習いのクラリッサにも聞こえたらしいが、当然、マルス公子には魄動も声も聞こえない。
何が起こっているのかわからないままどさくさに紛れ這って逃亡しようとした侍女を、クラリッサが拘束した。
「クラリッサ!2名を拘束したまま部屋の外へ!!
決して自決などさせないよう監視しろ!!!」
「了解」
未だ王女の姿のままのクラリッサがそのほっそりした両の手で2人を掴んで外へと引き摺り出す横をすり抜け、カルセドニクスがレイリアに向かって駆け寄る。
その間にも、どんどん魄動は大きくなっていく。
ドクン
―――ズットマモッテクレタコノヒトヲ
ドクン
―――コンドハボクガ
ドクン
「レイリア様、いけません!」
傍に寄ろうにも、火花でも出そうなほどの衝撃で跳ね返された。
それは、初めて魄動を見たときに受けたよりもずっと強い、拒絶だった。
―――マモルンダ
ドクンッ
「レイリア!!!」
卵が張ったすべてを拒絶する結界の力に掌を焼かれながらも必死に呼びかけるカルセドニクスの方を、レイリアがゆっくりと見た。
ようやく彼の姿を映したその大きな青い瞳から、真珠のような涙が一粒、零れ落ちた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




