参謀長は考察します
「安定してきたか?」
「そうじゃな。だがまだ目覚めてはおらぬ。寝坊助なままじゃ」
「うーん」
「きゅぅう?」
四阿の長椅子に座るレイリアを上から覗き込むように三体の竜が囲んでいた。囲まれている側の第三王女は、座ったまま上目遣いに右へ左へと視線を投げかける。なんだかいたたまれない。
竜達の言うとおり、昨日以来、ネリーの卵の魄動はゆっくりと安定した状態で続いていた。
最初の頃のように一度に大きく吸われるわけではないが、じわじわとは魔力を吸い取られる感覚はあるので、以前にもましてカルセドニクスから預かった原石が手放せなくなった。
大丈夫だとは言っていたが、こんな風にずっと魔力を吸われ続けていてはそのうち原石内の魔力が枯渇しないか心配になる。
「そんなに囲い込んで迫っても、卵の状態は変わりませんよ」
反対側の長椅子に座っているカルセドニクスが、拡げた地図から目も上げずに言う。
「そういう竜使殿も、レイリアの傍を片時も離れんではないか」
「護衛ですから。」
「護衛ってか保護者だよなぁ、しかも過保護。」
「まったくじゃ」
「きゅーーぅ」
「なんとでもおっしゃい。」
竜達と話すカルセドニクスの耳元で、通信魔道具が鳴った。
彼は朝からずっと、カロッサ島内に配置した竜使達からの報告を受けたり、指示を出したりしていた。
大事な話をしているのかもと、レイリアは席を外すことも提案したが、即座に却下された。
植物の調査と違って竜使の仕事は手伝うことはできず、かと言ってのんびり本を読む気にもなれず、おかげでとても手持無沙汰な状態である。
通信が終わったカルセドニクスがひとつ息を吐いた。
「カルス様、お茶にしますか?」
「……いただきます」
とりあえず一段落したかな、とレイリアが自分を囲む竜達の脇からひょいと覗きながら声を掛けてみた。
目元を綻ばせて頷いた彼に笑みを返し、テスと二人で竜達の分も茶器の用意をする。
フェアノスティ王国友好使節団到着から、今日で5日目。
この穏やかな時間も、予定通りに行くならあと3日ほどだ。そう思うと、最初から分かっていたこととはいえやはり、胸の奥にきゅっと痛みが走る。
それに解決していない問題もある。
首都クルデを覆う結界の外側については、竜使達からの連絡が急に密になったことから、事態が動きつつあるのを察することができるのだが。
魄動を続ける竜の卵を、どうすればいいのか。
「そもそもの話、竜の卵はレイリア様の中でどういう状態なのです?
このように愛らしくも可憐で華奢な方の中に実体としての竜卵があるとは思えません」
「サラッとなんか言い出したぞコイツ」という目で見てくるナザレのことは綺麗に無視して、カルセドニクスはシシティバルムに問いかけた。
「無論、卵本体は別にある。
揺籠の中に護られておるのは卵の精髄、魂魄じゃ」
「代父や代母になれるかやってみてたとき、俺とシシーは拒まれ、その場にいたカロッサの女首長の中に精髄だけが移っちまったんだ」
「その方がシシティバルム様の加護を受けていたという、最初の揺籠ですね。
では、竜の卵自らが人間を揺籠として選んだと。
貴方がたがどうこうして移したわけではなく?」
「あたりまえであろ」
「んなことするか!」
上位竜が二体もいる中で人間に庇護を求めたのは、あくまで竜卵自身の意志だったようだ。
それに、揺籠の代がわりの際も特別な儀式をするわけではないらしい。
「お祖母様は、卵の声を聴いた気がするとおっしゃっていました。
その上で、卵が次の揺籠に選んだ私に、引き受けるかどうかをたずねてくださって。
私が承諾の返事をしたら光る玉のようなものがお祖母様からふわっと出てきて、私の中に」
「盟約と似ていると思ったんですが、どっちかというと憑きものみたいですね、それじゃ。」
「竜を悪霊みたいに言うなよ…これだからザクトの連中は」
「失言でした。
では、揺籠の継承も卵が主体になって行ってきたというわけですね。
シシティバルム様の加護を受けた魔力の高い者が代々努めてきたということは、カロッサ以外の民が揺籠に選ばれたことはないのですか?」
「カロッサ出身以外の者に加護を与えたこともあったが、揺籠になったものはおらぬ。」
「それにしても、どうしてここに至るまで卵が目覚めていないのでしょう。
原因に心当たりはないのですか?」
カルセドニクスは問いかけたが、竜王は眉間に皺を寄せ黙り込み、美女の姿をした氷竜も「うーむ」と悩まし気に唸った。
「竜は番を見つけると卵を産む、と、言ったであろう?」
「はい。」
「ネリーには、番の竜はおらぬのよ」
「…………はい?」
「竜使殿はこの島に伝わる昔話をご存じかの?」
「昔話、ですか?竜にまつわる伝承の類についてはいろいろと調べていますが……」
「それは、竜の女の子のお話のことですか?」
お茶の準備が終わったレイリアが問いかけると、シシティバルムは頷いた。
「覚えがあるような気もしますが、それは有名なお話なのですか?」
「はい。カロッサの子供なら、絵本にもなったりしていて、たいていの子は知っていると思います」
まだピンときていない様子のカルセドニクスの前に茶器を置きながら、レイリアが説明した。そのやり取りを聴いていたナザレがぐいっとお茶をあおって飲み干すと立ち上がった。
「ちょっと、ネリーのとこ行ってくるわ」
「ナザレ様?」
「……アイツは待ってるんだ。約束した者が生まれる、その時を」
背中を向けたままそう言い残し、ナザレは内苑の奥へと向かった。圧倒的に説明が足りないと、カルセドニクスは立ち去るナザレの背中を溜め息混じりに見遣る。
(約束した者…?
アイツというのはネリーか、それとも卵のことか?)
「……なにか、お気に障ったのでしょうか?」
「其方は気にせずともよい。話を持ち出したのは我だ。
どれ、我もネリーの様子を見てくるとしよう」
いつものように腕にリトニスを抱いてスタスタと歩き去るシシティバルムの後ろ姿を見送って、レイリアは不安そうにする。
「シシティバルム様もおっしゃっていたでしょう。
気にしなくていいと思いますよ」
「そう、でしょうか……」
「ええ、それより私にその昔話のことを教えてくださいませんか?
卵の意志が何処にあるかを知るというか、何か解決の糸口があるかもしれませんので」
「でしたら、図書室にある本をお持ちしましょう」
「いえ、貴女の声で、聴きたいです」
「……は?」
「レイリア様の中にある物語を、貴女の声で、聞かせて貰いたいです」
言いながらもカルセドニクスの手が伸びて、竜達を見送るために立ち上がっていたレイリアの右手を引いて隣に座らせる。
垂れ目がちな灰青を少しだけ細めた笑みは、近くで見るとより一層美しく優しい。彼の母のキャロライン元王女が絶世の美女だったというのも頷ける。
(それに、昨日からなんというか、すごく距離を詰めてこられている気がするのよね)
それはもう、物理的にも、精神的にも。
しかも、困ったことにそれを嬉しいと思ってしまっていて、レイリア自身困惑している。
こんな簡単に篭絡されるなんてどうなんだろ自分、と思わないでもないのだが。
(こういうの、チョロいって言うんだっけ。
護衛だからって言ってらっしゃったじゃない。もしくは、保護者……)
「お願いできませんか?」
瞳を覗き込むようにしながら駄目押しでそう言われて、ぐぅと眉間に皺が寄るものの、断れない。カルセドニクスは絶対わかってやっている。悔しい。
(もうすぐ、カロッサからいなくなってしまうくせに)
「………やっぱり、カルス様は悪い大人ですね」
にこりと笑う美貌の男をひと睨みし、深呼吸して物語を思い出しながら言葉を紡ぎだした。
―――むかしむかし、神様に恋をした、竜の女の子がいました
神様は、世界のもとをかき混ぜては
ひとつ、またひとつと、新しい世界を創り出していました
神様は優しくて、皆に平等でした
竜の女の子はそんな神様が大好きでした
でもやがて、神様と自分との間にだけの、何か特別なものがあればいいと、願うようになってしまいました
竜の女の子は、神様のことを想って、決して孵ることのない卵を産みました
このまま神様のそばで孵らない卵を抱えているのが辛くなった竜の女の子は、命よりも大切なその卵を抱え、大好きな神様の傍を離れました
そして、神様がずっと前に創ったまま忘れていた、小さな世界に身を隠したのです―――
「それが、ネリー? ではネリーの番?と言っていいのかな…卵の父にあたるのは?」
「物語によると、神様、ということになりますね」
「でも、その話の通りなら、卵は孵らないはずでは…?
それに、なんていうか、すごく中途半端な感じがしますけど」
「これは冒頭部分ですので。このあとに続くお話が何通りかあるのですよ。
神様が追いかけてきて卵を育ててくれるとか、卵から大妖精が産まれたとか、卵がやがてこの島になったなどというものもあります。
ただ、どの話でも、逃げ込んだ先の世界で独り卵を抱いていたネリーは、卵を奪われたあと嘆きの竜と化してしまい、神様自身の手で封印されるのです」
「シシー様が語ってくれたお話と照らし合わせても、物語の中にもいくらか真実が含まれていそうですね。ナザレは全部知っていそうですが、あの様子では何も教えてくれなそうですし。
それにしても、世界を創った神様…ですか」
ネリーが卵を抱いて逃げ込んだ世界がここだというなら、神様というのは、妖精たちに王と呼ばれる至高の存在と同じと考えられるだろうか。
王を想ってネリーが産んだ卵にはいつしか命が宿り、カロッサで代々の揺籠に守られてきた。
つまり、今レイリアの中にあってゆっくり魄動する竜の卵は、妖精王の子ということになる。
(ヒトの中に竜の魂魄が宿ってるだけでも特異な状態だというのに、妖精王の御子とか。
それがよりにもよって、彼女に…)
さしものカルセドニクスも頭を抱えたくなった。
それでも、レイリアは卵を護ると決め、カルセドニクスはその彼女を卵ごと護り支えると誓ったのだ。諦める気は毛頭ない。
これからどうすべきか。
このまま揺籠の中に留めるか、取り出し実体の卵に戻す方法を探るのか。
そもそも、ネリーの竜卵は目覚めて産まれる可能性があるのか。
ここに至るまでも卵自身の意志が過分に働いてきたようだから、上位竜たちの言う通り卵次第なのがもどかしい。
「孵らぬはずだった卵が生きている。そうなった経緯に、何か鍵がある気はするんですが。カミサマが関わってるとなると、まさに人知を超えちゃってますよね。
いっそのこと、これからどうしたいのか卵と直接話ができれば手っ取り早いんでしょうけど」
カルセドニクスが言うことにそうですねと素直に返しかけて、レイリアが固まった。弟を身籠もっていたときの母のお腹に耳を当てていた父の姿を思い出し、一瞬カルセドニクスが自分に寄り添う図を想像してしまった。ふるふると頭を振って急いでその像を追い出した。
動揺を隠そうとするレイリアの隣で、カルセドニクスは少し別のことを考えていた。
神様、妖精たちの王、すなわち世界を創った至高の存在について。
「魔法を学ぶものは、最初に環廻という概念を理解するところから始めます」
「妖精が世界を廻るという、環廻ですか。妖精王がこの世界に竜と妖精と友に降り立ち、環廻により調和をもたらしたという」
「そうです。
竜と妖精たちをこの世界に導いてきた存在が、もともとこの世界そのものも創ったのだといわれています。先ほどの昔話の、神様にあたるのが、その存在でしょう。
そして、環廻により魔素の流れを調えるよう、不安定だったこの世界の理を一度創り変えた。
でもね、私はこう思うのです。
世界を創ったり、その理を創り変えたりすることができるなら―――――この世界そのものを一から創り直すことすら、できてしまうのではないかと」
「え……」
「竜壁山脈の北側で妖精狩りが行われたとき、その至高の存在は、その地を一度見放しています。
もしかしたらその時、北の大地そのものを滅して、創り直そうとも考えたのではないでしょうか。
だが結局、北の大地から妖精たちを遠ざけるに留めた。
世界の一部を創り直すことは、安定しかけた世界全体の均衡を乱す行為に他ならないから。
そうなれば、一部ではなく、世界そのものをすべて、一から創り直すしかない」
「創り直す…では、そのとき、この世界に在るものは…」
「綺麗さっぱり、消されるでしょうね」
「そんな…!」
「竜宮の存在理由は、この世界の理の歪みを防ぐことです。
ですが、代々の竜伯と竜使たちは、世界の歪みを取り除くことは即ち、創造の手を持つ至高の存在がこの世界そのものを見放してしまうのを防ぐことにつながっていると、そう考えてきました。
だからこそ、竜宮はどの国家にも属さず、誰かの思惑にも従うことなく、世界を見守り続けてきたのです。
竜王ナザレがどう思っているかは、正直判りませんでした。
でも、ネリーがナザレの妹竜だと聞いて、もしかしたらナザレも私達と志は同じであるのかもしれないと思いました。
ネリーが眠るこの世界を護るため、我々の側に近い目で見ていてくれたのではないかと」
「………そうかもしれませんね」
(とてつもなく恐ろしい話を聞いてしまった気がするのに、なぜかしら。怖くない)
トクリトクリと脈打つのはレイリア自身の動悸でも、もちろん胸の高鳴りなどでもなく、すっかり馴染んでしまった卵の魄動。こうしてカルセドニクスがすぐ傍にいるときは、より一層感じる気がする。
引き寄せられた時のまま繋いだ手は、話をしている間にすっかり同じ温度になっていた。
姉の本棚にあった恋愛小説の主人公たちのように、こんな風に時間と場所を共有する相手ができたならきっと胸が高鳴って苦しくなったりするんだろうと思っていた。でも、今二人の間にあるのは卵の魄動と、ただただ平穏で透明な、空気のようなものだけ。なのにそれがこんなにも温かく心地よい。護衛としてはもちろん、互いに未婚の男女としてもこの距離感は異常だとわかってはいるのに。
(今だけだと思っているから、こんな感傷が浮かんでくるのかしらね)
繋いだ手をするりと解き立ちあがれば、内苑を緩やかに吹き渡る風が掌に馴染んだ体温をさらってくれた。
沈みかけた気持ちを吹き飛ばすように、レイリアは口角を上げて笑顔を作った。そんな彼女をカルセドニクスが少し不満気な顔で見ていた。作り笑いがバレたからだろうが、今は許して欲しいと思う。
視線を躱すように空になった茶器を片付けながら、レイリアがふと素朴な疑問を口にした。
「それにしても、本当にいらっしゃるのでしょうかね」
「誰のことです?」
「妖精王とか、神様と呼ばれる方のことです」
「ああ。」
どうなんでしょうね、とかいう曖昧な言葉が返ってくるものとばかり思っていたのに。
「私自身はお会いしたことはありませんが。
貴女は、お会いになったことがあるのではないですか?」
真顔のカルセドニクスがさらっと告げたのは予想外の言葉だった。
「え?」
「8年前の茶会で」
「え??」
「ルシアンはあまり詳しく語ってはくれませんが、第二王女殿下に出会った茶会に現れた、とだけ」
「え!??」
ぼんやりとした記憶の中で、姉二人と交わした会話が耳に蘇った。
『レイちゃん、今日はアーニーの膝に乗らなかったわね』
『そういえばそうだったね。それに、やけに丁寧な礼をしていたな』
『だって、今日のアーニーはいつもとちがったもの』
レイリアが幼い頃に姉妹で何度か参加した、不思議なお茶会。
いつも同席してくれたのは黒髪のエルフのイズファと、銀の髪の優しいお兄さんアーニーのことは、なんとなく覚えている。特にアーニーにはよく纏わりついては膝に乗せてもらったりした。ただ、ルシアンと出会ったあの時だけ、どこか近寄り難い雰囲気があって……
「あのとき、の……?」
8年越しに、伝説やら御伽噺やらの住人の中でも最高峰に位置する方に実際に自分が会っていたと自覚して。
「えぇええぇ〜〜〜っっっ!!??」
レイリアは歓声とも悲鳴ともとれる奇声を上げ、ちょうど戻ってきたシシティバルムにはしたないと叱られたのだった。
「うるせぇな、あいつら…」
地下の封印の場所に佇む竜王は地上から響いて来たレイリアの声に苦笑する。
「あの二人が揃っていると、魄動が頻発する。偶然じゃないんだろう…?」
封印の中で眠る、黒き大地の竜。
もう開くことがないだろう美しい赤い瞳を、竜王は今も覚えている。
その瞳が、誰を見つめていたのかも。
『……会っていかないのか』
『ごめん…今は、会えない。今ネリーの前に立ったら、あの子をこんな風にしてしまったこの世界ごと、私諸共、全部消してしまいそうだから』
時がくれば、と告げこの世界から去って行った彼の方の哀しそうな顔も。
「…………まだ、お前の中には、あの方に対する想いが消えずにあるんだろうな」
少年の姿の竜王は、小さくなって消えつつある妹竜に静かに語りかけた。
「このまま環廻して生まれ変われば……お前はもうその想いから解き放たれ、自由になれるのか?
なあ、ネリー……」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
8年前のお茶会のお話が、拙作同シリーズの『妖精王の茶会』になります。
(長くて申し訳ないですがルシアンとアリスティアの出会いのお話です)




