参謀長はちゃんと護衛もします(前編)
使節団到着から4日目。
朝から内苑に来訪者があった。
「これはほんとにすごいね。
どうりでカルが入り浸って出てこないわけだ」
きょろきょろと周囲を見回して内苑を散策しながら、何故か至極ご機嫌なルシアン王太子である。内苑が見てみたいというルシアンの要望を、ナザレの意向もあり特別に通して貰ったのだ。
さきほどまで地下に居た竜達と、竜鱗体のテスとダナン(本物)もいるから、内苑は現在いつになく賑やかな状態である。
「ここなら、カルもゆっくり休め……はしないか。もうここぞとばかりにひたすら研究に没頭してそう……まぁ、仕事は離れて息抜きはできてるの、かな」
「護衛もしてますけど?」
カルセドニクスの返答に、してましたっけ?という疑問は浮かんだがひとまずそれは飲み込んで、レイリアは別の質問をした。
「ルー義兄様はカルス様のことを『カル』と呼んでおられるの?」
「うん、昔から」
「そう、昔からコイツだけ変なんです」
「コイツ言うな、あと指を差すな」
いま思い切り『変』って言ったけどそれは咎めないのかしら、と思う。たが、ぞんざいな感じの遣り取りをしながらも遊んでいるかのように見えるから不思議だ。レイリアを覗き込むようにしながら、カルセドニクスが訊ねてくる。
「身体は?大丈夫ですか?」
「はい、落ち着いています」
「時々『石』を触っておられるようですが」
「あ………」
レイリアは、カルセドニクスからあらためて首飾り用の銀の細い鎖を渡され、預かった原石をそれに付け替えて首に下げている。
卵の魄動は、頻繁というほどではないが、目に見えて回数が増えてきた。その度、カルセドニクスから預かっている原石の魔力に助けられていた。
原石から染み出す魔力は暖かく、どことなく安心を与えてくれるため、無意識のうちの衣服の上から押さえる癖がついてしまった。
「大丈夫です」
「辛くなったら、すぐ私におっしゃってください」
「はい」
ふわりと微笑み合うその光景に、この場にいる約二名がびくりと肩を震わせる。
「ぅわ、ほんとにカルが微笑んでる…」
「何か?」
「何かって…えぇえ~………」
「……な?言ったとおりだろ?」
「いやぁ、ナザレにから聞いてはいたけど、実際見ると……えぇえ~」
どうやら、ナザレが内苑におけるカルセドニクスの様子をルシアンに伝え、真偽のほどを確かめに来たというのが来訪の主目的らしい。ただ笑わない男の笑顔が物珍しくて面白がっているだけなのかと思いきや、ルシアンはとても嬉しそうな様子だ。
「だって君、エアッドとか、他の誰かに魔道具で”化けてる”ときは自然な演技で笑うけど、普段はほぼ表情筋使わないじゃない。なにその緩んだ顔」
「? そうですか?」
「えぇえ~」
「五月蠅いですよ、殿下」
まだ「えぇえ~」と繰り返しながらナザレと共に歩いていくルシアンの後に続きながら、レイリアは隣に立つカルセドニクスの横顔を見上げる。
ルシアンと会話している間、確かにカルセドニクスに表情は無い。
レイリアから見てカルセドニクスが怒っているなどの感情は感じない。むしろ楽しそうにしている、ように見えなくもない。
だが表情の方は、それはもう、きれいさっぱり『無』であった。
(なるほど、これが普段の素の状態だというなら、ナザレ様が驚かれるのも無理はないかもしれないわね)
見られているのに気づいて、「どうしました?」と訊いてくるその顔は、いつもレイリアに向けてくれる柔和な笑顔。レイリアにとってはこちらが通常、だがナザレやルシアンには異常事態らしいとあらためて知らされた。
瞬間、レイリアの脳裏にひとつの可能性が浮かび上がった。
ナザレやルシアンがよく知るカルセドニクスが本当の彼だったとするなら、内苑でレイリアが一緒にいるときの彼は…?
(でしたらこれは………演技、ということ?)
耳が拾う音が急に遠くなったような、酷く現実感を欠いた世界に無理矢理引き摺り込まれたような、不快な感じがして後退りそうになった。あぁそりゃそうですよね、と、心のどこかですぐさま納得してしまったことが、自分自身で物凄く嫌だった。
「レイリア様?」
見つめてくる灰青の瞳には心配の色がありありと浮かんでいるように見えるのに、確かに先ほどまではそのように感じられていたのに、今はそれが正しいか判らなくなった。
たかが数日いっしょに過ごしただけで目の前の男のいったい何を判ったつもりになっていたのかと、心の中で別の自分が嘲笑う。
駄々をこねるように暴れる気持ちを抑え込み、レイリアは自身の顔にも作り物の笑みを貼り付けた。
「………この後、公務があり内苑を出ます。
護衛をお願いしてよろしいですか?」
「ご公務、ですか?」
「月に一度の、定例の公務ですわ」
まだ何か言いたげなカルセドニクスに「お願いしますね」とだけ言いおいて、テスに支度を手伝ってもらうよう頼み、急ぎその場を離れた。
レイリア自身はカルセドニクスといる時、すっかり普段の自分になっている。だからこそ、相手が感情を抑えて装った表情を作っているのは居心地が悪いと思う。
だがしようがない。カルセドニクスは竜使としてここに来て、他でもない竜からの頼みで護衛の任を引き受けてくれたにすぎないのだ。護衛を引き受けた以上、対象が安心して過ごせるように振る舞うのも仕事のうちなのだろう。
それでも、思ってしまった。
(カロッサにいらっしゃる間ずっと、私の前でカルス様がご自分を偽って居られるのは、嫌…だな)
一方、内苑を出たルシアンは、上機嫌なまま愛しのアリスティア第二王女とお茶を飲んでいた。
鼻歌でも歌いそうな機嫌のよさに、アリスティアまで笑顔になる。
「内苑は、お気に召しまして?」
「うん、とても素晴らしいところだった。
ほら、今回使節団に同行している、例の年上の甥がね。
植物についてすごく詳しく研究をしていて、珍しい内苑の植物に夢中になって入り浸っているようだったから、無理をお願いして様子を見に行ってきたんだ」
「ザクト南方辺境伯子息様、でしたか?」
「うん。亡くなった僕の姉の一人息子だ。親族でもあり、幼い頃からずっと一緒の大切な友人でもある。」
ルシアンよりうんと年上の姉は、ルシアンがフェアノスティ王家の第四子として生まれるよりも前に、当時第三師団長だったパイライト・ザクトに嫁いでカルセドニクスを産んだ。
ルシアンの上には姉の他に二人の兄もいたのだがやはり齢が離れていたため、カルセドニクスは親族の中でも一番歳の近い子として幼少から王宮に頻繁に連れてこられ、ルシアンと多くの時間を共有しながら大きくなった。
感情を表に出すのはあまり得意ではない彼が、珍しく笑っているんだとナザレから聞かされ、内苑の様子を見に行った。
(無理を言って内苑に入らせていただいた甲斐があったな)
あんな風に笑うやつだったのかと思う一方で、よく似た笑顔を見た覚えがあるのを思い出した。
在りし日の姉キャロラインを愛しそうに見つめていた、自国の総騎士団長の横顔を。
それに、カルセドニクスが愛称呼びを許しているのにも驚いた。自分の名前が長いのはよく彼自身ぼやいているが、部下には呼びにくいからと役職名のみで参謀長と呼ばせている。親族以外、とくに女性に愛称呼びを許したのはたぶん初めてだ。そのくらい、レイリアを別格に扱っている。
「カルのやつ、随分とレイと仲良くなったみたいでさ。このまま進展して姉妹でフェアノスティに来てくれたら嬉しいなぁ、なんて思ってね」
ふふ、と一人悦に入るルシアンだったが、向かいに座るアリスティア王女はその花の顔を曇らせた。
「それは、難しいと思います」
「? どうして?」
「ザクト南方辺境伯子息様は、たしかザクト家唯一のご嫡子でしたよね?
レイリアは……あの子にしかできない、特別な務めを担っております。カロッサを離れることはできないのです。
ですから、あの子には他国から婿に入ってもらう予定の方が内々に決まっていて。」
「ちょっと待って。もしかしてその相手って、スファルトード公子?」
「よくご存じですね。スファルトード公国第三公子、マルス・スファルトード様です。
ちょうど今、毎月定例の顔合わせのお茶会が行われているところですよ」
「なん…だって……?」
そういえばさきほど内苑にいたとき、レイリアがこの後公務だと言っていたのを思い出した。
だから、今から魔道具でダナンに変装して同席すると、カルセドニクスが話していた。
「……まずい…………」
「ルー?」
「いろんな意味ですごくまずいよ、これは」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
後編も近々投稿します。




