第64話 万事塞翁が馬
結局、新宿で車だけは買えたが、篤志家から寄付を募ることもできず、手に入れたのは、再生医療研究用の試料が一つだけだ。
置き土産的なイタズラをちょっとだけしたのだが、何かの手違いで、消防車が多数集まってきてしまった。そこにいてはあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれないと思った俺は、予定通り白鳥麗子のアパートの鍵を開けてやるため赤羽に向った。
そうしたところ、赤羽にも多数の消防車が集まっていた。消防車の先には炎上中の白鳥麗子の住んでいたアパートが。それはもう盛大に燃えていた。
鍵を開けるドアも燃えてなくなっているだろう。何が何やらの状態になってしまったので、恵比寿の拠点に白鳥麗子を連れて戻ることにした。
新宿に相当の数の消防車が集まっていたが、赤羽にも相当な数の消防車が集まっていた。日本は消防車大国なのだと実感してしまった。
タクシーを降りて、アズランがマンションの住人用の出入り口にある呼び出し機にピッポパパパと番号を入れたらガラスの内ドアが開いた。呼び出したり、鍵を使わなくても番号だけでドアが開くのは便利なのだろうが、番号を忘れてしまったら悲惨だな。まあ、こういったことを考えてしまうのは俺ぐらいのものだろう。
1階でちゃんと待っていたエレベーターに乗って最上階の涼音のマンションに戻った。白鳥麗子は帰りのタクシーからずっと黙ったままだ。心中察するに余りある状態だ。可哀そうではあるが、どうもこの白鳥麗子はトラブル体質のようだ。
ドアのチャイムを鳴らして、カメラに向かって「俺たちだ」というとすぐに涼音がドアを開けてくれた。
「ただいま」
自宅に戻ったはずの白鳥麗子がいたので、
「麗子さんはうちに帰ったんじゃ?」
「いろいろ事情があって、連れ帰ってきた」
本人には話す元気もないようなので俺が答えておいた。そういえば、俺のエクスキューショナーを見たいと言っていたが、その元気もなさそうだ。
「まだ全部ではないようですが、電気屋さんからだいぶ荷物が届いたので、トルシェさんは奥の方で花子さんたちと作業中です。
今日の都内は火事で大変でしたね。
ダークンさんたちは新宿にいたのでしょうけど消防車は見ませんでしたか?
新宿の高層ビルはボヤで収まったようですが、ビルの中の人が大勢避難してました。階段で降りる時、急いだせいか、10人ほどが階段から転げて軽いケガをしたみたいです」
「ケガ人が出たのか。それは知らなかった」
ひとえに俺のせいなのだろうが、普段運動をしていないからこういった避難訓練でケガをするようになるのだ。やはり健全な肉体が日本国民にはどうしても必要なのだ。
「それと、赤羽ではアパート一棟全焼した大火事があったようです。
それからダークンさん、バイザーさんから電話がありました。後日悪魔の対価として1千万ドル、14億円ほど振り込まれるそうです。口座番号などはトルシェさんが教えました」
「昨日の今日でずいぶん手回しが良いことだ。
食べてもエグミばかりでマズい悪魔だったが、ずいぶん役に立ったな。今度悪魔を捕まえても14億にはならないだろうが、一応捕まえておけば何かの役には立ちそうだな。そうだ、今回は篤志家から寄付を募ることはできなかったが、いいお土産を持ち帰ったんだ。再生医療の研究に役立ちそうだと思ったんだがどうかな?」
「何を持ち帰ったんですか?」
「悪魔の『恩恵』を受けた男の頭が一つだ。頭一つになっても生きていたので、どこまで小さくしたら死んでしまうか調べたかったが、生きていた方が試料価値が高いだろうと思ってそれ以上小さくせずに持ち帰ってきた。興味があるなら見せるが、あまり見たくはないだろ?」
「見たくないです」と涼音。
「わたしは、ちょっとだけ興味はありますが、やっぱり見たくはありません」
あのエグイ悪魔のコンニャクが平気だと言っていた白鳥麗子だから、何らかの素質があるのかもしれない。名まえもいいし、容姿もそこそこの白鳥麗子を国会議員にしてしまうのも手だな。
俺たちがリビングの窓際に置いてあるソファーの上で話していたら、トルシェが花子を連れて奥から現れた。
「ダークンさん、アズラン、お帰りなさい」
「おう。ただいま」「ただいま」
「白鳥麗子が戻ってきてるけど、なにかあった?」
「そうそう、さっき言った白鳥麗子を連れ帰った事情なんだが、涼音の言っていた赤羽の火事のニュース。燃えていたのは白鳥麗子の住んでいたアパートだったんだ。誰が見ても全焼。それはもう盛大に燃えていた」
俺の身も蓋もない言葉に、白鳥麗子がうつむいてしまった。
燃えてしまったものは仕方がないのだから、明日に向かって生きていこうじゃないか、なあ、白鳥麗子。
口に出すと口元が笑ってしまいそうだったので、心の中でだけエールを送ってやった。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだ。
しかし、ここでよーく考えてみよう。
生贄にされかかったところは運が悪い話。たまたま、俺たちがいたので助かった。これは運がいい話。そして、自宅のアパートが燃えてしまったのは運が悪い話。自宅の鍵をなくして自宅にいなかったので火事に巻き込まれなかったことは運のいい話。こう考えたらどうだ。
俺の考えもまとまった。
「白鳥麗子、いつまでもくよくよしても仕方ないぞ。落ち着くまで俺たちの拠点に置いてやるから衣食住は心配ない。
大家に後から確認することになったが、白鳥麗子をここに置いてもいいよな?」
「それはもちろんです」
「だそうだ」
そのあと俺は笑いながら、
「それに、よーく考えてみろ。
お前が攫われてカギをなくしていなかったら、今頃あのアパートの中で焼け死んでいたかもしれないんだぞ」
「実は私は運がよかった?」
「そういうことだ。これぞまさに塞翁が馬だ。ワッハッハ!」
「そうですよね。アハハハ」
俺の言葉に、白鳥麗子もやっと笑顔を取り戻した。




