第48話 解剖学(アナトミー)教室
コロに悪魔の右腕を試食させたところ、うまかったそうだ。
俺ははやる気持ちを抑え、
「まずはお前の名まえからだ」
「……」
悪魔が返事をしない。
「ひょっとして、お前、名まえもないような低級悪魔だったか?」
「……」
よく見ると悪魔は赤い目を閉じている。まさかたかだか腕1本食べられたくらいで、意気消沈してるんじゃないよな? まさかな。
「ダークンさん」
「どうした、メッシーナ」
「この悪魔もそうだけど、名まえのあるのは上級以上の悪魔だけ」
「おっと、そいつは気付かぬうちに俺がこいつを言葉でイジメたってことか?」
「その悪魔が気にしているならそうかも」
「許せ、悪魔。
そしたら、今度は普通の質問だ。
どうして悪魔は呼び出された祭壇から遠くに移動できないんだ。というか、お前、呼び出されてもいないのに勝手に出てきてたよな?」
「祭壇の近くで魂が無駄に失われて行くのが惜しくてここにこうやって現れました。
祭壇は依り代なので生き物に憑依する以外ここから遠くまでいけません」
「ほう。なるほど。また一つ賢くなった。
そしたら、次の質問だ。上級悪魔は人に憑依しないそうだが、どうしてだか知ってるか?」
「上級悪魔は依り代がなくてもこの世界で活動できます。下等な人間の姿になりたくはないのだと思います」
「一理あるな。だいたいのことは分かった。
バイザーたちはこいつに聞きたいことは他にあるか?」
「いえ、ありません」「ない」
「俺もないから、それじゃあお待ちかね、解剖ターイム!」
「わたしを冗談でなく本当に解剖するんですか?」
「これからな」
「解剖されたら、わたし死んじゃいますけど?」
「お前、悪魔なんだからその程度じゃ死なないだろ?」
「分かりません」
「分からないということは、万が一死ななかったら、超ラッキーと思えてよかったじゃないか。ものは考えようだぞ。
それと、俺は悪魔の生理など知らんから麻酔はなしだ。従って麻酔事故だけは起こらない。安心していいぞ」
「そ、そうですね。ハハ、ハハハハ」
悪魔も、俺の親心を理解したようで朗らかに笑っている。善き哉、善き哉。
「まずは、檻を横にして、祭壇の上に乗っける。……、ヨイショっと」
祭壇の上に檻を横にして乗っけたら、少し台に余裕があった。台の上には用具を置かなくてはならないのでちょうどいい長さだった。
「それから、もう少し檻を平べったくして、……、こんなもんかな。一応ダークサンダーは収納して。
あと、メスの代わりに、たしかキューブに包丁が有ったはず」
メッシーナたちは祭壇の周りを囲むようにして、執刀医である俺の一挙手一投足を見守っている。その中で、白鳥麗子だけは俺ではなく食い入るように悪魔を見ている。
キューブから出刃包丁と刺身包丁と菜切り包丁を順に取り出して、祭壇の横に並べておいた。
取り出した3本の包丁だが、長いこと使っていなかったわりに見た目だけだが良く切れそうだ。切れ味が少々悪くても俺の力で押し切ればたいていのものは切れるはず。
執刀するにあたり俺はキューブからタオルとしては性能のよくない異世界産のタオルを取り出して、包丁の刃先に息を吹きかけて丁寧に拭っておいた。
「ハー、ハー、ハー、……」
「ダークンさん、それ、包丁ですよね?」
「メスには見えないだろ」
バイザーが俺に当たり前のことを聞いてくる。
「それで、悪魔を生きたまま解剖するんですか?」
「そうだが。味見もするつもりだから、包丁の方が便利だろ?」
確かに菜切り包丁は使わないかもしれない。枯れ木も山の賑わいなので刺身包丁の隣に出したままにしておく。
俺はバイザーに返事をしながらキューブから小皿を1つ取り出し、醤油とワサビを入れて祭壇の隅に置いておいた。味見だし醤油はちょっとつけるだけでいいだろうから醤油用の小皿はそれ一個でいいだろう。それに箸を二膳と箸が使えないだろう連中のために小型のフォークを5、6本、取り皿と一緒に取り出しておいた。
「フラックス、お前は俺の助手だ。俺の横に控えて、俺が言った刃物を渡すよううに」
フラックスが俺の横に控えたところで、そろそろ始めるとするか。
「バイザー、時間を記録しておいてくれ」
「現在の時刻は14時ちょうどです」
ゴツイ腕時計をしていたバイザーに時刻を聞いた。俺の体内時計も14時ちょうどを示している。誤差はないようだ。
さて、悪魔解剖術の執刀開始だ。
「それでは執刀する。
フラックス、出刃」
フラックスが、なぜか慣れた手つきで柄の方を俺に向けて出刃包丁を俺に手渡す。
献体が目を見開いて俺の方を見ている。執刀に慣れていない若手なら献体が目を見開いていると解剖しづらいかもしれないが、若手を導く俺のような立場の者は献体がどこを見ていようが全く関係ない。えーと、あれってなんていったけなー? そうそう指導医だ。俺は指導医どころか医者でもないが、気分は指導医だ。
見習いたちの見守る中、右手で出刃包丁の柄をそれらしく持って、仰向けに寝ている悪魔の腹に檻越しに出刃包丁の刃先を突き立てた。けっこう表皮は硬い感じがしたので力を込めたら思った以上に出刃包丁が腹の中に突き刺さり、背中を貫通して祭壇まで届いてしまった。ドンマイ。
感心なことに、献体はおとなしくしている。顔を見たら、目は開いてはいるが明後日の方向を向いていた。本人も自分の体の中がどうなっているか興味があるだろうから、今度悪魔を解剖する機会があれば、カーブミラーでも用意して天井に取り付けておいてやろう。
まずは、腹部の皮膚の厚さを知らなければならないので、ざっくりと出刃の刃先を4分の1まで引っこ抜き、それから鋸で木を切るような感じで悪魔の腹を縦に裂いていった。
ただ縦に1本切れ目を入れただけだと中の様子が全く分からないので、縦の切れ目の上下に真横に切れ目を入れて観音開きできるようにしてやった。
いったん出刃をフラックスに持たせた俺は、横に置いていた皿の上のフォークを左右の手に持って慎重に腹の皮を開いたのだが、結構弾力があったこととフォークが茶菓子用の小型のフォークだったため、腹の皮が滑って元に戻ってしまった。
どうせ相手は悪魔だ。チマチマやるのが面倒になったので、悪魔の腹の中に両手を突っ込んで皮の部分を左右に広げてやった。指先で直接触った感じは何だかぐにゅぐにゅして弾力がある。思っていたとおり、悪魔の体の中には体液などないようで、俺の指先も綺麗なものだ。これから試食するんだから指先くらいは洗っておけばよかったがまあいいや。
「バイザーとメッシーナ、腹の皮膚を左右に開くから、そこの皿の上に乗ってるフォークを使って、元に戻らないように押さえておいてくれるか?」
「はい」「こうかな」
「それでいい」
目は虚ろだが、悪魔はまだ生きているようだ。こいつ、何気に生命力あるな。
5センチほどの厚さの腹の皮と筋肉?を左右に開いて、悪魔の腹の中をのぞき込んだのだが、腹の中にはおなじみの肝臓や胃腸などの臓器はどこにもなく、中にあったのは黒くて弾力性のあるゼリー状の何かだった。
悪魔がそこらの生き物同様、何かを口から食べるのなら消化器官を持っていてもおかしくないが、こいつらいつも魂を欲しがっているだけだから、実際のところ消化器官なんか不要なわけだ。俺が以前鳥かごの中で飼っていたサティアス・レーヴァにも一度もエサをやらなかったが何ともなかったしな。腹の中がまるっきし空だと、スケルトンになってしまうから見栄で何かを詰めていると見た。
これは悪魔解剖学上の貴重な知見だ。バイザーもメッシーナも悪魔の腹の中をのぞき込んで驚いている。その脇から大柄な運転手がのぞき込んだ。
ところで、白鳥麗子は何をしてるんだ?
檻に手を突っ込んで、悪魔の腰布だかフンドシを引っ張ろうとしている。
「おい、白鳥麗子。お前何してるんだ?」
「え、えーと。中がどうなっているのか、なんだか気になって」
「執刀中にいらんことをするな。献体が動いたらマズいだろ」
「すみません」
そういった白鳥麗子だが、手は悪魔の腰布だかフンドシを握ったままだった。




