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お向かいのアパートには人食いされこうべが住んでいる

作者: 坂上周二

お向かいのアパートの二階には人食いされこうべが住んでいる。正式には部屋は空き家ということらしいが、彼はそこに住んでいた。


人食いされこうべの三ヶ上さんと私が出会ったのは三年前、三月上旬のことだった。ちょうど桜の咲く頃で、見た目には春らしいがまだまだ冷えるころである。その日三ヶ上さんはオフで、宛もなくぶらぶらと散歩していたそうだ。そこで御近所名物公園の桜を発見した。

三ヶ上さんは桜に見とれていたらしく、マフラーが風に吹かれて落ちたのに気付かなかった。それを私が拾ったわけである。


「近頃仕事が忙しくて」

と三ヶ上さんは我が家の炬燵で唸った。時刻はおそくもう0時過ぎである。11時ごろに帰ってきてからお風呂に入って、ようやく人心地についたのだ。うちで。

「三ヶ上さん、疲れているのはわかるんですが、じぶんちに帰ってくださいよ、じぶんちに」

「金曜ロードショーなんだった?邦画じゃないよね?」

無視である。三年前のあの日以来、三ヶ上さんは気候が悪くなると我が家に移住するようになっていた。なんでも向かいの家は無断で住み着いているだけなので電気もガスも通っていないらしい。滅茶苦茶だ。冬や夏になるとエアコンが恋しくなってついつい我が家で長居してしまうそうだ。どう考えても長居の域を越えている。

「夕飯は食べたんですか」

私が聞く。

「食べました。駅前の蕎麦屋で」

せつねー、と三ヶ上さんが笑う。この人が笑うとカチカチと全体の骨が当たり、からだ全部で笑っているようだった。

その笑い声にのるようにして、私は軽口を叩く。

「だったらうちで食べればいいじゃないですか。作りますよ」

「100円の鍋焼きうどんをか!大差ねー」

「実家の野菜もつけますよ」

「いまさら健康に気を使ってどーすんのよ」

死んでんのに。そう言って、また三ヶ上さんは笑った。

その顔に皮膚はない。表情筋はない。眼球すらない。私には彼が怒っているのか笑っているのかもわからなかった。

踏み込み過ぎただろうか。人食いされこうべに相手に。

そう一人で背筋に冷たいものを走らせていると、三ヶ上さんが、ぽつりと呟いた。

「そんなことになったら、ここに住んじゃうじゃない?」

「…………」

重苦しい沈黙が続いた。

軽薄に、さも冗談のように言ったつもりだったのか、小声で呟かれた声は、声音のわりに深刻さをもって私の部屋に響き渡った。

その言葉を、頭のなかで反芻する。誠実な発音だった。軽口でコーティングしようとして、失敗したように滲んだ切実さだった。だったら、相手がなんと望んでいようと、私も誠実に返答しなければいけない。

舞い上がった誇りが沈殿するような、長い沈黙が落ちていた。


「住んでるじゃないですか」


されこうべが顎を外した。

くちをぱっかりと開けている。さすがの私もこれは驚いているのだとわかる。三ヶ上さんは、笑っている時以外は実に表情豊かなのだ。

「そうだね、うん、それもそうだ」

三ヶ上さんは頷いた。白い頭が、こくりこくりと前後していた。

「じゃあ春になっても出ていかなくていいかな」

「いいんじゃないですか」

「そりゃいいや」

三ヶ上さんは、ばんざーいと両手を上げた。へらへらカチカチと笑っている。その顔はやはり読めないと思いながら、私は半纏を取り出して相変わらず炬燵に陣取る彼に羽織らせた。


お向かいのアパートには人食いされこうべが住んでいた。今は私の家に住んでいる。

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