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七日目 全てを知ってしまったら

 暗い廊下を懐中電灯の一筋の光を頼りに二つの影が歩いている。その光は正面から近づいてくる一つの影を捕らえた。


「天羽くーん。その子、返してくれない?」

「橘くん!?」

「やぁ柏井さん。こっちへおいで」


 柏井が目を丸くする。橘は人の良い笑みを整った顔に浮かべたまま両手を広げている。右手には懐中電灯の光に反射して何かが鋭くチラチラと光っている。天羽はその手にあるものを素早く認識すると、一瞬で表情が消えた。そして柏井に懐中電灯を押し付けた。


「柏井さん、逃げて。図書室からこちらと反対側に行ったところに階段がある。急いで」

「天羽くん?」

「いいから。……君はもしかしたら今とても危ない状況にいるのかもしれない。走って、外へ」


 柏井は困惑した表情を浮かべたが、真剣な顔をした天羽の迫力に押され、懐中電灯を握り締めて走り出した。彼女の姿が見えなくなると、橘は心底不満気に表情を歪めた。天羽も柏井には見せることのなかった、人を馬鹿にしたかのような嘲笑を浮かべている。


「橘くん、強引過ぎる凶暴な男は嫌われるよ」

「天羽くんみたいなただの優しいだけの男よりかは好かれるよ。それに俺、嫌われてもいいよ。好きな子が手に入るのなら」

「流石、絵の中に人を閉じ込める悪趣味な人は訳のわからない考え方をするね」

「悪趣味? はは、本ばかり愛でている奴に俺の愛情表現を馬鹿にされたくないかな」


 二人は同時にケラケラと笑う。喧嘩腰の穏やかな会話が途切れると天羽はじっと彼を見据えた。


「悪いけど、僕あの子は守りたいんだ。邪魔させてもらうよ」

「じゃあ、遠慮なくいかせてもらうね。俺らはあの子が欲しいんだ」


 橘はニタリと笑って手の中のカッターを振りかぶった。天羽も微笑んだまま、来いよ、と手招きをした。

 一方、柏井はパタパタと階段を駆け降りている。もうあと二階から一階への階段を降りてしまえば土間に辿り着くというのに、その階段は崩れ落とされていた。二階の廊下を渡って、また反対側の階段から降りないといけないか、と柏井が考えていたときだった。


「柏井ちゃん、柏井ちゃん」


 声の方に目を向けると、そこには白装束を着た鏡子が立っていた。腕には桜色の羽織を持っている。問答無用で頭から顔や服装を隠すように被せる。柏井は何か言いたげに彼女を見上げた。


「水月のを借りてきたの。これで隠れながら向こう側に行こうか」

「でも……」

「ほら、私の後ろに隠れてついて来て。他の人に顔を見せちゃ駄目よ」


 ね、と言って目を細める。柏井は彼女の背中にぴたりとしがみついた。彼女が自分にくっついたことを確認すると、鏡子は安心したように微笑み、そうよ良い子ね、と面倒見の良い姉のように言った。

 二つの影はくっついたまま廊下を歩く。しん静かではあるが、時々パタパタと足音を立てて学生服の人たちが駆け抜けていく。一つの影は鏡子の前で足を止め、彼女を見上げた。


「ねぇ鏡子さん、柏井さん知らない? 皆が探しているの」

「見ていないわ。この鬼の子しか今日は見ていないもの」

「そっか……見つけたら教えてね」


 影はそれだけ言うと二人の隣を走り抜けて行った。鏡子は行きましょ、と言うと、また歩き出した。反対側の階段の踊り場に辿り着くと、鏡子は柏井の頭に掛けていた羽織を取った。


「さ、気をつけて行くのよ。此処まで来ればもう少しだから」

「ねぇ、どうして私を探し回っているの?」


 柏井がそう問うと、鏡子は一瞬苦い顔をして彼女から目を逸らした。


「たぶんね、貴方を隠そうとしているのよ」

「え……?」

「好かれているからね。好きだから、きっと手元に置きたいのでしょうよ」


 鏡子が哀しそうな声で言う。柏井は目を丸くしたままだが、目の奥にはちらちらと怯えが見えた。それを感じ取ったのか、白く半透明な手は彼女の頭を優しく撫でる。大丈夫大丈夫、と心地良い優しく甘い声で彼女の耳に言葉を吹き込んだ。


「……そうだ、私が奴らを惹きつけておくよ。その間にお逃げ」


 鏡子の姿が鏡で写しとったかのように柏井そっくりに変わる。ひらりとスカートを揺らして笑顔を浮かべた。じゃあね、と走り去る彼女の背中を止めようと柏井は手を伸ばすが、あっという間にその影は暗い廊下へと消えてしまった。

 彼女の言い残した通りに柏井は逃げ出した。怪談を降り切って走り出すと背中に気配を感じて振り返った。そのにはにこにこと微笑みを浮かべる樋之口が立っていた。手には武器のつもりなのだろう、鉄製の譜面台が握られている。


「柏井ちゃん、帰っちゃうの? 行かないで、私たちとずっと一緒にいよう?」


 じりじりと歩み寄って来る彼女から逃げようと後退るが、白い手にがっしりと足首を握られて逃げる手段を失った。柏井がもがき逃げようとする間にも樋之口は近づいてくる。譜面台が柏井の頭目がけて振り下ろされる瞬間だった。


「おい」

「あっ、やっと会いに来てくれたのね!」


 一つの声が聞こえると、樋之口の手から譜面台が滑り落ち、柏井を捕らえていた白い手も拘束を解いた。柏井が声の先に目を向けると、首に包帯を巻いた男子生徒が立っていた。目は殺意をはらんで樋之口を睨み付けている。しかし樋之口は満面の笑みを浮かべて彼に駆け寄った。


「嬉しいよ、ずーっと君のことを探していたの。君の好きな曲いっぱい練習して、君のことずっと待っていたんだよ」

「柏井、こんなの放っておいて早く逃げろ! 僕の二の舞になる前に、早く!」


 その声で我に返った彼女は二人に背を向けて走り出した。樋之口は少し悲しそうな顔をして柏井の背中を目で追う。しかしその視線はすぐに包帯の彼へと向けられた。


「ねぇどうして友達を奪うの? 折角仲良くなれると思ったのに、君ってばひどいね」

「ひどいのはどっちだか」

「でもいいや。君さえ居てくれればどうでもいいよ」


 狂気に染まった笑顔を浮かべながら彼に言う。彼は一つ息を吐き、手を差し出した。


「僕がいればあの子を逃がしてあげてもいいのでしょ」

「うん、私はね。じゃあまた一緒に遊ぼうよ。お散歩もして連弾もしよう」

「あの子を逃がしてくれるのなら、僕は何だって付き合うよ」


 彼の言葉に樋之口は目を輝かせ、恍惚とした表情を浮かべる。そして彼の手を小さな両手で握り、子供のように無邪気に笑った。こっちこっちと彼の手を引いて彼女は彼を音楽室に引き込んだ。最後に見えた彼の目はひどく虚ろであった。



 音楽室から土間まで走り抜ける。いつもより何倍も廊下が長く感じる。警鐘はカンカンと鳴り響き続けている。下駄箱が並んでいるのが見えた。やった、これで帰れる!


「柏井!」


 背中から聞き慣れた声を掛けられ振り返る。見慣れた彼女はパタパタと駆け寄ってきて私に抱き付いた。


「花子ちゃん?」

「柏井、私ね、頑張ったんだよ。一生懸命、邪魔されないように」


 花子ちゃんは息を切らしたまま笑顔を浮かべている。鏡子さんや天羽くんたちのように、花子ちゃんもどこかで手助けしてくれていたのだろうか。ありがとう、と礼を言おうと口を開いたとき、花子ちゃんは笑顔のまま言った。


「先に過保護な骸骨さんをバラバラにしておいたり、柏井を何日もここに縛りつけて私たちに近づけたり。あとはその体がなくなれば、ずっと一緒だよ!」


 明るい声に狂気が見え隠れする。花子ちゃん、と声を掛ける前に腹の辺りに奇妙な冷たさが刺さった。直後激痛が駆け抜け、腹の辺りに手を当てて座り込んだ。真っ赤な血が溢れ出ており、花子ちゃんは血塗れの包丁を握って私を見下ろしている。掠れた声で何で、と問うと花子ちゃんは今まで見た中で一番幸せそうな笑顔を見せた。


「だって柏井は今まであった誰よりも優しくて一緒に居て楽しくて。大好きなんだもん、一緒にいたいんだもん」

「でも、だからって……」

「人間はいつか私たちを忘れるでしょ? そうなったら悲しいから、ずっと居て欲しいから」


 だから、と言いながら花子ちゃんは私の目の前に膝を付いて包丁を振り上げた。


「ごめんね。許して、柏井」


 私の胸元へ向けて、まっすぐに包丁が振り下ろされた。

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