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六日目 本好きな幽霊

 今日も下駄箱の中は閑散としている。掲示板には夏休み中の注意事項なんかのプリントが追加されている。……今日も花子ちゃんはいないのだろうか。


「柏井見ーっけ」


 昨日教えてもらった通りに図書館へ行こうと足を進めていると、背中に軽い衝撃があった。驚いて振り返ると花子ちゃんが抱き付いていた。


「花子ちゃん、久しぶりだね」

「うん、会いたかったよ柏井! ねぇ、今日はどこに行くの?」

「図書室に行くんだよ」

「一緒に行く! あっ、でも……」


 花子ちゃんの顔が一瞬にして暗くなる。また何か用事があるのだろう。落ち込んだ顔をして腕を解いた彼女の頭をポンポンと撫でた。


「行っておいで」

「ごめんね、柏井……」


 そう言うと花子ちゃんはパタパタと駆けて行った。私は、彼女の去って行った方とは逆の方向へと歩き出した。

 階段をのぼり、三階に辿り着く。わいわいと楽しそうな話し声といくつかの人影が見える。あちらこちらへとふらつきながら図書室を探し歩く。三階の廊下を端から端まで歩き回ってようやく発見した。そっと戸を開けると古い本の香りが漂ってきた。静かに足を踏み入れると、本棚の近くに一つの影が見えた。それは古い外套を着て、学生帽を被っている。いくつかの本を抱えたまま、その人はこちらを見た。


「……どうしたの、ぼうっとして。僕にご用事?」


 帽子からちらりと覗く色素の薄い髪を揺らして彼が首を傾げる。古い制服の男子生徒に古い図書室。ここの空間だけ一気に時間が巻き戻ったかのような錯覚に襲われた。


「大丈夫?」

「あっ、えっと……」

「体調でも悪い? 少し休んで行ったらどう? 此処は静かだから一寸は落ち着けるよ」


 ほら、と言うと彼は一つの椅子を引いた。ありがとう、と言って腰掛けると、彼はすぐ隣に座った。机の上に埃を被ったいくつかの本を置く。そして私の方に目を向けた。


「……君、霊じゃないね。どうしてこんなところに?」

「七不思議を探しに来たの」

「七不思議。いいね、楽しそう。怪談好きなの?」

「いや、あんまり」

「ふふ、だろうね。いかにも怖がりな顔している。肝試しか何かで来たのだろう? 残念ながら僕は怖くないから安心しておくれ」


 楽しそうに笑いながら彼は言う。思ったことを見事に言い当てる様子は勘の良い名探偵のようだ。

 ふと本の山を見ればどれも古いものだった。文豪のものから聞いたことのない作家のものまで、沢山積み上がっている。……これを全部読むのだろうか。


「君も本が好き?」

「読まなくはないけど……きっと貴方ほどの読書家ではないよ」

「生きている人は自由に使うことのできる時間が少ないからね。僕より読む量が少ないのは当然のことだよ」


 彼は優しく微笑み、柔らかい声で言う。人間は忙しいもんねぇ、とのんびり言いながら笑っている。……幽霊って、ひどく凶暴なものだとばかり思っていたけれど、この人や鏡子さんのような危害を一切加えない、優しい幽霊もいたのか。

 彼は本に手を伸ばすこともなく、私のことをじっと見ている。口元には笑顔を浮かべたままだけれど、目は真剣そのものだ。


「どうしたの、何かついてる?」

「襟のそれ、君の通っている学校の校章か何か?」


 彼が私の襟元を指差して尋ねる。そこには校章が刺繍されている。制服は全く可愛くないくせに校章だけは無駄に格好良い。うん、と頷くと、彼は興味津々に校章を見つめた。


「この辺りでは見たことないなぁ。君、遠い学校に通っているの?」

「隣の市の学校だよ」

「へぇ、そうなんだ。図書室は大きい?」

「うーん、そこそこ」

「じゃあ行ってみようかな。どうせ暇だし」


 彼はキラキラと目を輝かせ、幸せそうに笑っている。いつ行こうかなー、と随分ご機嫌な浮かれた声を上げている。……あれ、でもこの学校に憑いている霊はここから離れてもいいのだろうか。


「ここを出て行っちゃってもいいの?」

「僕は地縛霊じゃなくて浮遊霊だから大丈夫だよ。自由気ままに動けるんだ。そもそも、僕は普段この学校に居ないんだよ」

「え、そうなの?」

「うん。色んな本読みたいし、色んな所を転々とすることが好きだからね」


 ぽんぽんと本の山を叩きながら彼は言う。本当に本が好きなんだろうなぁ。きっと生前も相当な読書家だったのだろう。

 彼はふと何かを思い出したようにこちらを見る。そして外套を揺らしながらふふ、と笑った。


「そういえば、僕たち自己紹介していなかったね。僕は天羽(あまは)って言うの。よろしく」

「私は柏井。よろしくね」

「ふふ、君と話しているのが心地良すぎてすっかり忘れちゃっていたよ。ごめんね、名も名乗らずに話し続けて」

「ううん、私こそ。折角本を読もうとしているのに邪魔しちゃって……」

「構わないよ。僕、こうして誰かと話すの好きなんだ。だから気にしないで」


 人懐こい笑顔を浮かべて彼は言う。もしかしたら生前は読書家だけじゃなくて、人たらしでもあったのかもしれない。きっと男女両方から人気があるような人だったのだろうなぁ。


「君は昔から僕みたいなものが見える人だったの?」

「あんまり。でもここ最近はよく見えるんだ」

「そうなの? 僕も全く見えない人だったんだよ。ねぇ、どんな風に見えるの? 僕とか」


 天羽くんは椅子から降り、外套をひらりと揺らして一回転する。どんな感じどんな感じ、とワクワクと目を輝かせて私に熱い視線を向けてくる。こうして改めてちゃんと見ると、彼はとても幽霊には見えない。鏡子さんのように半透明でもなければ花子ちゃんのように床や天井を貫通もしない。きっとこんな古い制服ではなくて普通の服装をしていれば、何の疑問も持たずに普通の人間だと思うだろう。


「天羽くんは普通の人に見えるよ」

「え、半透明だと思っていたよ。でもその言い方だと、普通の人のように見えないものもいるんだね」

「うん。むしろ半透明じゃないのは天羽くんくらいだよ」


 へぇ、と言って彼は自分の腕を眺めている。透けないねぇ、と少し残念そうだ。……透けていてほしいものなのだろうか。幽霊になったらそう思うようになるのだろうか。今はさっぱり理解できないし共感もできない。

 天羽くんは一つ伸びをする。ふと時計に目を向けて、彼はぽつりと呟いた。


「あぁ、もう帰らないとね。親御さんが心配するだろう」

「うん、もう帰るよ。ありがとう、天羽くん」


 そう言って彼に手を振る。彼も笑顔で手を振った。

 戸に手をかけ、カラカラと開ける。帰ろうと足を踏み出すが、廊下は見慣れたものではなかった。真っ暗で月明かりすらなく何も見えない。立ち止まっていると、柏井さーん、と背後から声を掛けられた。振り返ると案外近くに天羽くんが立っていた。


「あれ、こんな暗くて長い廊下だったっけ」

「違ったと思うのだけど」

「んー……」


 天羽くんは小さく唸って廊下を睨み付けている。しかしすぐに私に視線を向け、笑顔を見せた。


「僕、土間までついて行くよ。一寸気味が悪い」

「ありがとう、助かるよ」

「どういたしまして。じゃあ、行こうか」


 彼は私の少し前を歩き出す。どこからか懐中電灯を取り出した彼は、ずっと続く廊下をゆっくり歩き出した。

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