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五日目 鳴り続けるピアノ

 もうすっかり慣れてきたこの学校に今日も足を踏み入れる。下駄箱にはいくつかの靴が入っている。昨日、一昨日はボロボロで見えなかった掲示板に貼られた紙が、少し古ぼけてはいるが読めるようになっていた。持ち物検査の日程が書いてある。……この学校でもあるのか、持ち物検査。

 今日も花子ちゃんがいない。しかも昨日、鏡子さんから七不思議のことを聞くのを忘れていた。どうしようか、とりあえず校内をうろつこうか。そう思っていると、どこかからピアノの音が聞こえてきた。


「……怖い話といえば、音楽室だよね」


 ぱっと思いつくだけでもいくつかある。血の涙を流す作曲家の写真、勝手に曲を奏でるピアノ。……行ってみてもいいかもしれない。きっと何かあるだろう。

 音のする方へ足を進める。意外と土間から近い場所にあったようで、すぐに音楽室が見つかった。……でも、戸を開けるのはやっぱり少し怖い。キツく目を閉じながら、そっと戸を開けた。ぴたり、とピアノの音が止まる。薄めでちらりと見ると、ピアノの椅子に腰掛けているセーラー服の少女がこちらを見ていた。


「君が柏井ちゃん? 七不思議を探しているっていう……」

「えっ、うん。そうだよ」

「本当? 嬉しい、ずーっと会いたかったの。いつかは会えると思っていたけど」


 穏やかで優しく、落ち着いた声で言いながら彼女は私に近寄って来る。スカーフのえんじの落ち着いた色が彼女によく似合っている。女の私でも見惚れてしまうくらい、綺麗で可愛らしい。


「私も七不思議の一つなんだよ。樋之口(ひのぐち)って言うの、よろしくね」


 柔和な笑みを浮かべながら彼女は自己紹介をしてくれた。私も、よろしく、と言って笑顔を見せた。

 樋之口さんって、骸骨さんが会わない方がいいって言っていた人だったような気がする。この子のことだろうか。……でもこんなに優しそうで大人しそうな人が危険だとはとても思わない。


「ピアノ、好きなの?」

「うん。あとね、ピアノ弾いているときが、彼一番幸せそうにしたんだ」

「彼?」

「私の好きな人。とても優しくて格好良くて素敵な人」


 頬を桜色に染めながら照れたようにふにゃりと笑っている。今の樋之口さんも相当幸せそうな顔をしている。純粋そうで可愛らしい表情だ。幸せそうな笑顔のまま、彼女は私に視線を向けた。


「柏井ちゃんは好きな人いるの?」

「えっ、いないよ?」

「そうなの? 残念、恋バナ聞きたかったのになー」


 柔らかそうな頬を膨らませている。何だか本当にただの女子中高生みたいだ。


「……ねぇ柏井ちゃん。ピアノ弾ける?」

「少しだけなら弾けるよ」

「本当? じゃあちょっとお手伝いして欲しいんだけど、いい?」


 いいよ、と言うと彼女はパッと目を輝かせて私の手を取った。そしてグイグイと手を引いてピアノの前まで引っ張って行く。ここに座って、と二つ並んだ椅子の片方をポンポンと叩く。そこに腰を降ろすと楽譜が目に入った。


「ちょっと連弾してほしいんだ。簡単なものだから。お願い」

「いいよ」


 楽譜に目を通して鍵盤に指を乗せる。樋之口さんのメロディーに合わせるように伴奏を弾く。ちらりと彼女に目を向けると、彼女は楽しそうな、でもどこか悲しげな顔をしていた。思い入れのある曲なのだろうか。

 ほんの短い曲を終えると、樋之口さんは穏やかに微笑みながら、ありがとう、と言った。しかしすぐに暗い顔になり、俯いて深い溜息を吐いた。


「何か、思い入れのある曲だったの?」

「さっき話した彼とよく弾いたの。……でももう今は全く弾いてくれないんだ」


 ひどく悲しそうな声で呟く。そしてぽろぽろと涙を流し始めた。


「私のこと、嫌いになっちゃったのかなぁ」


 大粒の涙を白い手で拭っている。だけど次から次へと涙が溢れて意味を成していない。しゃくり上げている彼女の小さな背中を撫でると、彼女はより泣き出してしまった。子供のように泣く彼女は途切れ途切れに話した。


「私、あの人と折角一緒になれたのに……なのに、ずっと私と顔も合わせてくれないし、どこを探しても見当

たらないし……」

「大丈夫だよ。きっと少し忙しくて会えないだけだよ。この学校にいるの?」

「そうだよ。……柏井ちゃん、見つけたら教えてね」

「うん。どんな見た目の人なの?」


 そう言うと彼女は潤んだ赤い目でこちらを捕らえた。えっと、と言いながら視線を宙に彷徨わせる。ぽっと顔を思い浮かべることすら難しくなってしまうほど会っていないのか。ちょっとひどい彼氏さんだ。


「最後に会った時は黒いジャージに、黒い髪で……ちょっと目つきが悪い人」

「名前は?」

「知らないよ?」


 きょとん、とした顔で彼女が言う。えっ、と聞き返すと、彼女は首を傾げた。


「だって必要ないでしょ、名前なんて。私も彼も、お互いが好き合っていれば充分じゃない?」


 潤んだ赤い目の奥に妙な気味悪さを感じる。橘くんのときと同じ、謎の恐怖が沸き上がる。骸骨さんが言っていたのは、この気味悪さのことだろうか。……話を、話を何とかして変えないと。


「うん、わかった、探しておくよ。ところで樋之口さん、七不思議何か一つ知らない?」

「知ってるよ。本好きの幽霊の噂。図書室に入り浸っているんだって」

「図書室……」

「三階にあるよ。また明日行ってみたらどうかな」


 気味悪い狂気は消え失せ、元の穏やかで明るい笑顔を浮かべて言った。私も微笑みを浮かべて、ありがとう、と一つ礼を言った。樋之口さんは潤みのすっかり消えた目でこちらを見ている。


「すごいね、柏井ちゃん。もう五つも見たの?」

「皆に教えてもらったお蔭でね。明日で六つ制覇だよ」

「そっかそっか。柏井ちゃんは六つ知ったらもう来なくなっちゃうの?」

「毎日は来れないかもしれないけど、全く来なくなることはないかな」

「本当? それなら嬉しいな」


 樋之口さんが嬉しそうに素直に微笑む。花子ちゃんも前同じようなことを聞いてきたけれど、どうしてこうも、ここに居てほしがるのだろう。別にもう慣れてきたから、別に定期的にここへ来てもいいんだけども。

 優しい笑顔を浮かべながら彼女は優しい曲を奏でる。彼女の人柄によく似合った曲調だ。


「私の噂、どんなものだと思う?」

「えー? どんなの?」

「毎晩、想い人が好きだった曲を奏でる死んだ女子生徒。音楽室の幽霊の噂にしては変わっているでしょ?」


 確かに、作曲家の写真が血の涙を流したりピアノが勝手に演奏を始めたりするようなありきたりな噂とは全く違う。初めて聞いた、と言うと彼女は得意げに笑ってみせた。そういえば、花子ちゃんもありきたりは嫌だって話していたなぁ。……やっぱり、物珍しいものの方が良いのだろうか。

 一曲終えると、すぐにまた新しい曲を弾き始める。きっと沢山練習したのだろう、随分複雑そうな曲なのにつっかえることもなく流れるように演奏している。一体どれだけの時間弾き続けていたのだろう。


「……柏井ちゃんも、今度好きな曲を教えてよ。どんな曲でも弾いてあげる」

「いいの?」

「勿論。……あれ、そろそろ時間じゃないかな」

「あっ、本当だ。沢山聴かせてくれてありがとう、またね」


 椅子から降り、扉に向かう。曲の邪魔をしないように静かに音楽室を出ると、一つの影が壁にもたれ掛かっているのが見えた。その人はじっと私を見ると、つかつか歩み寄って来る。さっきまでは暗くてよく見えなかったが、近づいてくると首元の包帯がはっきりと見えてきた。


「包帯の……」

「あいつに会っていたの?」

「あいつ?」

「そこの、女」


 彼は鋭く冷え切った声で言い、音楽室を指差す。きっと樋之口さんのことだろう。素直に頷くと、彼はバツ悪そうに床を睨み付けた。キッと鋭い視線を私に戻して両肩を掴む。彼は冷たい表情のまま、口を開いた。


「あいつには本当に気をつけろ。できればもう、会わない方がいい」

「どうして? とても優しい人なのに」

「……そうだよ、そうだから危ないんだ。気をつけるんだよ、君は相当好かれやすい子みたいだから」


 そう言い残して彼は消えてしまった。樋之口さんはちょっと恋愛面の考え方が怖いだけで、他の面ではただの穏やかで優しい女の子な気がするのだけど。……でも骸骨さんも包帯の彼も、何度も言ってくるということは、本当は恐ろしい子なのかもしれない。一応、気をつけておこう。



 今日はとても気分が良い。花子ちゃんの話していた柏井ちゃんともようやく会えたし、あの人とよく一緒に連弾した曲を演奏することもできた。更に柏井ちゃんはあの人を一緒に探してくれるって約束までしてくれた。これが何よりもうれしい。やっとあの人に会えるのかもしれないのだから。


「随分幸せそうだね、樋之口」


 戸が開いたと思うと一つの声が聞こえた。演奏を止めて顔をあげるとそこには橘くんが立っていた。


「うん、柏井ちゃんと会えてね。とっても気分が良いの」

「へぇ、よかったね。気に入った?」

「とても。優しくて良い子で……是非友達になりたいな」

「そうだね、俺もだよ。あっ、ねぇ樋之口、これも弾いてよ」


 橘くんは一枚の楽譜を渡す。それほど難しいものではなさそうだ。練習しておくね、と言うと橘くんは、よろしく、と言って去って行った。


「……あの人の好きな曲もいっぱい練習しないと」


 またピアノに向き直り、あの人が好きだと言ってくれた曲を奏でる。いつか会いに来てくれるだろうか。丁度、去年のこの頃のように。

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