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切美  作者: 桝田空気
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一目惚れ

洗面所の鏡に、見知らぬ女が映っていた。



剛はおどろきの声をあげてあとずさった。すると同時に、鏡の中の女も口をひらいてあとずさった。



「あれ?」



いぶかしげに思って、鏡に顔を近づけてみた。女も同じ表情で、こちらに顔を近づけてきた。



その女は、自分だった。



剛の顔には、化粧がほどこされていた。



思い出した。昨晩部屋で仲間と飲んでいたときに、酔っ払った女友達にいたずらされたのだ。そのとき剛は深酔いして動けなかったため、抵抗できなかった。



どうやらそのまま眠ってしまったらしい。さっき目をさますと、部屋に仲間はいなかった。剛が寝たあと、みんな帰ったのだろう。



「それにしてもなあ」



剛は鏡に映った自分を見て苦笑した。まるで本物の女のようだ。もとの顔がわからないくらい、濃く化粧をされていたので、一瞬自分だとわからなかった。



男らしい名前に反して、剛は小さい頃から、女性のような顔立ちをしていた。



幼少時代には、実際に女の子と間違えられることが多かった。



本人はそれがいやだったので、できるだけ男らしい外見になろうと努力した。毎日外で遊んで、日に焼けようとした。中学、高校と柔道部に入って体を鍛えた。しかし二十歳になった現在でも、外見の女性らしさは薄まらなかった。肌はなかなか黒くならず、やわらかくて綺麗なままだった。体も柔道で鍛えたわりには、細くひきしまっており、まるで舞踏家のようだった。



さすがに女と間違えられることはなくなったが、化粧をしてみるとこの有り様だ。



早く顔を洗おうと思って、剛は水道の蛇口をひねった。流れだす水を両手にためながら、何となくもう一度鏡を見てみた。そして、また苦笑した。



「うわ、やべえ。おれ、すげえ美人じゃん」



つい、そのまま見とれてしまった。



上を向いた睫毛、アイシャドウを塗って、際立った瞳、小さな鼻、桃色の口紅をつけた可愛らしい唇。やがてその頬がほんのりと染まった。



そのとき、水が一滴顔に散って、剛は我にかえった。



「何やってんだ、おれ」



あわてて顔を洗い、化粧を落とした。手のひらで溶けてゆく口紅やアイシャドウを見て、剛はもったいなさそうな顔をした。





数日後、こんな夢を見た。



ぼんやりとした街の風景の中で、剛は女と歩いていた。ふたりは腕を組んで密着していた。女は笑っていた。剛も笑っていた。場面が変わって、夜の港。剛はその女と口づけをかわしていた。さらに場面が変わって、ふたりは布団の中で抱き合っていた。剛は荒く呼吸し、女は小さく喘いでいた。ふと、女の声がやけに低いことに気がつく。



剛は女の顔を見た。



その顔は、化粧をした自分である。



しかし、剛はあまり驚かない。それどころか、いっそう強く女を抱きしめる。




そこで、目を覚ました。体が熱い。胸の鼓動が激しかった。剛は、頭を抱えた。



「何してた、おれ?」声が震える。「夢の中で、何してた?」



何かの間違いだと思いこもうとした。だが、その感情は、すでに勢いよくあふれだしていた。





毎日、あの女のことを思うようになった。あれは化粧をした自分だと頭ではわかっているのに、心の中では「あの女」と呼んでいた。剛は自己嫌悪におちいった。



「これじゃあ、変態じゃないか」



化粧をした自分の姿に欲情する。確かにまともではない。



毎晩、布団の中で妄想にとりつかれた。最初の夢と同じ、化粧をした自分とまぐわう妄想だ。胸がしめつけられる。思わず火照ったうめき声をあげてしまう。やがてその妄想は昼間もつきまとうようになった。大学で授業を受けているときも、アルバイトをしているときも、切なく苦しい状態がつづく。



あの女に会いたい。妄想ではなく、現実の世界で抱きしめたい。



しかしそれは無理だ。あの女は自分なのだ。自分をどうやって抱きしめろというのか。



何度も己に言い聞かせた。「あの女」なんていない。あれはあくまで自分なのであって、この世に存在する女性ではないのだ。しかし感情は、赤子のように会いたい、と駄々をこねる。



数日の葛藤の末、理性は感情に負けた。



そして剛は、一線を超えることを決意した。



会えないのなら、この世に存在しないのなら、生みだしてしまえばいい。





翌日、剛はデパートへ行って、化粧品と女物の洋服を買った。店員がいぶかしげな顔をしたので、あわてて恋人へのプレゼントだと嘘をついた。代金を支払うときに、指先が震えた。



帰り道、ずっと下を向きながら歩いた。すれちがうひとと目があうだけで、自分のやろうとしていることがばれてしまいそうな気がした。



アパートにもどると、すぐに鍵をかけた。部屋のカーテンをしっかりと閉め、携帯電話の電源を切った。



デパートの紙袋をひらいて中を見つめながら、剛は、もうもどれないぞ、とつぶやいた。






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