二人の子羊(3)
楓はとりあえず、先程の聡の母親が住んでいる家へと向かった。
家に着くと、相変わらず陽気な鼻歌が聞こえてくる。
(何してるんだろ……)
庭から聞こえてくる鼻歌が気になった楓は、塀から顔を出して女性の様子を伺う。すると……
「あら?」
目があってしまった。
「あなた、さっき男の子と一緒に居た子よね?」
花壇をいじっていたのか土のついた手をパンパンと掃い、塀の向こうから楓と同じように顔を覗かせながら「えへへー」と眩しい笑顔を向けられた。
(……なんというか、可愛い女性だなー)
思わず本当にあの聡の母親なのか少し疑ってしまう。
「ねぇねぇ、お時間あるかしら?一緒にお茶でも飲みましょ?」
楓の事を不審に思うどころか、お茶を勧める無垢な笑顔に戸惑ったが、楓はこれをチャンスだと思い玄関から家の中へお邪魔した。
家の中は予想以上に広く、広い廊下に様々な絵画や骨董品がピカピカとオーラを放ちながら飾られている。
(さ、聡母何者……?)
たじたじと女性の後ろをついて行くと、一つの客室に案内された。その部屋の大きな窓からは、先程の花壇が見える。
「うわぁ、綺麗ー」
塀の向こうからでは見えなかった景色が目の前に広がる。
「うふふ、特等席よ。待ってて、今お茶とお菓子を持ってくるから」
「あ、お、お構いなく」
その間どうしていいか分からず身を小さくしながら突っ立っていると、ほんの数分で彼女は戻ってきた。
「どうぞ座って」
「あっありがとうございます」
勧められた位置に座ると、ふっかふかのソファーに思わず声を出して驚いてしまう。
「ふふ。私ね、こう見えて社長令嬢なの」
どう見てもそんな感じですが、と心の中でツッコんだが顔に出すのは我慢した。
女性は紅茶とチョコレートケーキを楓の前へと差し出した。紅茶から花のようないい香りが部屋を包む。その香りだけで、一般人の楓にも高級さが分かった。
楓が紅茶を啜っていると、目の前の彼女の左手の薬指に指輪がはめられている事に気が付いた。
「あの、あ……」
彼女のことをなんと呼べばいいのか一瞬迷った。
「あら、そういえば名前をまだ言ってなかったわね。私は大山 玲奈よ」
「私は野崎 楓です。その……結婚されてるんですね」
楓が指輪を見ていると、玲奈は指からそれを外し楓に手渡して見せてくれた。
「まだ籍は入れてないの。しかも、婚約を交わした男性は父が勝手に決めた人なのよ?酷い話よねぇ」
まるで他人事のように話す玲奈に、楓は驚きを隠せなかった。
「えっ、どうしてそんな人と結婚するんですか!」
「んー……まぁ、社長さんの娘に生まれちゃったから仕方ないかなって。私の夫になるということは、お父様の会社を継ぐってことだから、私一人の問題では済まないしね」
玲奈の抱える責任の重さを、楓は想像もつかない。ただ、納得いかないような顔で玲奈を見つめる。
「そんな顔しないで。私これでも幸せなの。真面目で責任感のある素敵な人だし、私のことも会社のことも大事にしようとしてくれているし。このガーデニングも良いと思うよって褒めてくれたのよ、仏頂面だったけどね」
後半の惚気話を幸せそうな笑顔で話す玲奈を見て、楓もつられて笑みをこぼす。
話に出てくるその婚約者の人が、なんとなく聡と重なった気がした。
「……玲奈さんは、やっぱり子供とか欲しいんですか?」
「もちろん。まぁ、立場上生まなければいけないのだけれど」
もしもこのまま玲奈さんの運命を変えなければ、数年後に聡を生み、殺されてしまう未来が待っている。
楓は自分の手の中にある婚約指輪を、ギュッと握りしめた。この手のひらの中に、目の前にいる人たちの運命がかかっているんだと思うと、どうしようもなく不安な気持ちで溢れそうになる。
「……私ね、将来子供が出来たらやりたいことがたくさんあるの」
「え?」
突然の呟きに、楓は驚いたように顔を上げた。
「ほら、私小さい頃から厳しく育てられて、どこにも遊びに行かせて貰えなかったし、友達も少なかったから……子供にはそんな思いしてほしくないの。小さい間はめいいっぱい遊んで、友達と駆け回って、色んなことを経験して、そして人の上に立つ立派な人間になってほしい」
けれどそんな未来は来ないと、楓は知っている。
(何があったのかは分からないけど、聡さんは次期社長にはなれなかったんだ)
今までの聡を思い返して、なんとなくそう思った。
「もしも……自分の思うような未来にならなかったら?」
玲奈は少し考えてから言った。
「それはそれで、いいんじゃないかしら」
思ったよりもあっさりとした回答に、楓は思わず肩の力が抜ける。
「どうしてそう思えるんですか?」
「だって、人生ってそんなものでしょ?それでも頑張って生きて、最後に良い人生だったって思えればそれでいいのよ。少なくとも私はどんな人生でも受け入れるし、自分の人生を絶対に悲観したりしない」
玲奈の強い意志に、楓は胸の奥のモヤモヤが晴れていくような感覚だった。
「そう……ですよね」
(私は、やってはいけないことをしようとしたんだ。玲奈さんが強い意志を持って生きた人生を、私が……ううん、誰も変える権利なんかないよ)
楓は握っていた婚約指輪を玲奈に返した。
「ありがとうございました!私、自分の進むべき道が分かったような気がします!」
「……? それは良かったわ」
楓が部屋を出ようと背を向けた瞬間、背後から短い悲鳴が聞こえた。
「え?」
楓がゆっくり振り向くと、現実ではあり得ないような光景が目の前で起こっていた。
楓の足下から伸びる影。その影が触手のように何本にも枝分かれしていき、玲奈に巻き付いていた。
「ふ……ぁ」
首に巻き付いている触手のせいで息が出来ないのか、目が虚ろになっている。
「玲奈さん!!」
楓が慌てて玲奈の元へ駆け寄ろうとすると、誰かに肩を掴まれ後ろへ引き戻される。その瞬間、見覚えのある黒い髪が横切った。
「……っ、シンさん!?」
シンの手には死神のような白銀の大きな鎌が握られていた。その鎌が振り下ろされると、真っ黒な触手が弾け飛んだ。そして、シンは崩れ落ちる玲奈を抱き留めてから楓のほうに振り向いた。
「大丈夫か?」
「え、うん。一体なにが起こったの?」
シンはソファーの上に気を失ったままの玲奈を寝かせると、楓の手を引いて歩き出した。
「とりあえず、ここに留まるのは良くない。場所を変えるぞ」
「わっ、ちょっと!」
半ば強引に手を引かれ、やってきたのは先程まで聡と話をしていた公園だった。
「それで、さっきのコーズについてなんだが……」
「こーず?」
聞きなれない言葉に、楓は首を傾げる。
「さっきの影。あれは、迷いこんできた子羊の心の闇が具現化したモノなんだ。お前の心の闇の部分が、玲奈の運命を変えなければいけないと認識し、形となって姿を現した。あのまま玲奈の近くに居るとまたコーズが現れかねないからな」
「私の心が弱かったから?」
シンは一瞬気まずそうにこちらを見て、すぐに目を逸らした。
「……誰にだって心の闇はある。それはどうしようもないし、心が強ければそもそもこの世界に来ていない」
全うなシンの応えに、楓はそれ以上何も言わなかった。
「まあ、コーズが現れても俺がさっきみたいに倒すから、何も心配するな」
「どうして?シンさんからしたら、コーズの手で私たちが消えちゃった方が楽じゃないの?」
「え、別にっ、それは……それより!」
シンが慌ててその場の話の流れを変えようとすると、手が滑ったのか持っていた鎌を落としてしまう。すると、その鎌が地面に落ちた頃には、すでに先程シンの肩に乗っていた白猫の姿だった。
「あれ?え?」
見間違いかと何度も瞬きを繰り返して凝視してみるが、目の前に居るのは白猫……リリィだ。
「一体なにがどうなって……」
さっきから現実にはあり得ないことが次々と起こり、思考が追い付かなくなってしまったのか、楓は眩暈を起こしてその場に座り込んでしまう。
「おい!大丈夫か!」
シンが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫、ちょっと眩暈がしただけだから……」
ふいに、楓は自分の手に違和感があることに気が付いた。
(あれ…………?)
必死に思考を回転させながら、自分の手の甲で見えないはずのシンの顔を見つめていた。そして、ようやくまとまった一つの答え。
「なんで、私透けてるの?」