町田日実宛ての手紙
ああ、死のう。うん、死のう。
浴槽にうなじまで浸った状態でそう思って、妙な既視感に囚われた。
前にもそんな事があった。そう、前にもあった。
「ふははは! 悩み事なら先生に相談してみなさい!」
……。え?
「どうしたのだね? 遠慮はいらないのだよ町田君!」
……。
「あ、先生、お久しぶりです?」
三重先生が居た。え? ここはどこ? 私は町田日実だけど。
ぐるりと辺りを見回す。
どこかの個室の様だった。何となくだけれども、ここは校長室だろうか。
目の前にはダークオーク色の机があり、三重先生が足を机の上で組んで踏ん反り返っていた。行儀が悪い。
三重先生が座っている椅子は所謂社長椅子と言われる物だ。
机の上には羽ペンが立て掛けてある。
ちょっと待って、羽ペン? あんな骨董品私が小学生の頃だって絶滅危惧種だったのに。
羽ペンが本物ならば横にある小瓶はインク壺だろうか。他には薔薇が一厘、細い薄緑色の花瓶に活けられている。
三重先生の背後には甲冑が二組。
……私の知る甲冑の置物は直立不動の姿勢で飾られている物だと思うのだが。
何故ボディービルダーの様なポーズを決めている?
どちらも槍は脇に挟んでいた。
注視しているのが馬鹿馬鹿しい甲冑から視線を逸らして、私の周りを観察する。
私が座るのは黒いソファー。なんだかふわふわしていて座り辛い。
目の前には硝子天板の机と、人をなぐり殺せそうな硝子の灰皿。
そして洋風な家具にそぐわない木製の茶受け皿に載った和菓子と陶器の湯飲み。
湯飲みの中はお茶で満たされていた。
再び視線を三重先生へ向ける。
何故かその得意気な顔を見るとムカつく。
「あの、先生?ここはどこでしょうか?」
悪人の様な子供の様な笑みを湛える三重先生に尋ねてみた。
「ここは教師が入ると自然と威張りたくなる部屋の筆頭たる校長室だよ」
校長室の定義がおかしい。
そもそもそんな事を聞きたかったのではない。
「私は確か、自宅で入浴中だった筈ですが?」
責める様に私が問い掛けると、三重先生はその笑みに挑発的な色を混ぜた。
うわあ……。
思い出した。思い出してしまった。
関わり合いたくない時の三重先生の笑みだ。
校長先生を丸め込む時とか、春風を大人げ無く言い負かす時の三重先生だ。
思わず腰が引ける。
「……色々と申し訳ありません。本当に申し訳ありません」
真横から声が聞こえた。
私は変な声を上げて腰を浮かした。
その声が余りに変だったので恥ずかしくなって頬が熱くなる。
「でも三重先生をどうにかするなんて無理です。諦めて下さい」
いつの間にか隣に美少女が座っていた。
女から見ても美少女だ。将来男に困らなさそうだ。
あれ?また強い既視感が……。
「さて町田君!」
三重先生が立ち上がって叫んだ。
「机の上に立たないで下さい。みっともないので」
私がそう言うと、三重先生は机から飛び降りた。変な掛け声を付けて。
そして仁王立ちした三重先生は、本来ならじっくり話をしたい所だけどもと前置きをしてから、真顔になって屈んだ。
屈んで、視線の高さを私に合わせた。
既視感のある状況。
そう言えば三重先生が真面目に話をする時は大体この姿勢だった。
「死んでもいい事なんて無い」
笑いそうになるくらい、真面目な顔が似合わない。
「町田君の思う死にたいは、どちらかと言えば逃げたいか消えたいだろう?」
……。
「そのどちらも先生なら叶えてあげられる。完全にこの世界から消し去る事も、このままこの世界に閉じ込める事も出来る。望むなら見知らぬ土地に記憶を消して放り出す事も出来る」
そんな事出来るのかと問おうとして、その言葉を飲み込む。
三重先生なら出来る。なぜかそう確信出来た。
「即答出来ないのはそれにすら迷っている証拠なのだよ」
本当に死にたいならとっくの昔に死んでいるのだからと、三重先生が付け加えた一言が私に重く圧し掛かる。
「そこで先生からアドバイスだ!」
急に立ち上がって、ぴんと伸ばした人差し指を天井に向ける三重先生。
その顔にはあの逃げ出したくなるあの笑顔が貼り付けられていた。
「諦めればいい!」
色々と台無しだ。台無しだが。
「……三重先生、私に何かしましたか?例えば洗脳とか」
悟りを開く瞬間と言うのはこんな感じなのだろうか。
そう思うくらい、すっきりと私の頭にその言葉は染み渡った。
言い方は他にもあったのだろう。そう、例えば肩の力を抜けとか。
でも私にとっては諦めろの方がしっくり来る。
「今回はそんな事をしていないな」
今回は……。された事あるのか。あるのだろうな。
「僕がしたのは前回町田君がここに来た時の一部始終を見せてもらっただけだよ」
そして訳の分からない事を言う。
「こんな非常識空間初めて来ますが?」
私がそう言うと隣の美少女が何故か傷付いた顔をして非常識空間……非常識……と弱々しく呟き始めた。
三重先生が私を残念そうな眼で見た。
え?これ私が悪い流れ?
「何にせよだ、気持ちは分かるが、故郷を取り戻そうなんてのは町田君には荷が重い」
背負い込まずに他人を利用しろと言い捨てて三重先生は消えた。
相変わらず、三重先生は三重先生だった。
それはともかく。
「えっと、何か、あの、……ごめんなさい?」
隣の美少女を慰める事にした。
「……いえ、いいんです、どうせ私非常識ですし」
あー、何か手に負えない感じがする。
「それに、私は町田さんを利用する側ですから」
……。厄介事の匂いがする。逃げ出したい。
「利用と言っても大した事じゃないんです。春風に伝言して欲しい事があるだけで」
唐突に懐かしい奴の名前が出て来た。春風、確か今は末堂春と言う名前になって国会議員をしている奴だ。
美少女が手紙を一通差し出した。
凄く見覚えのある手紙だ。確かタイムカプセルに入れた手紙だ。
群馬県が無くなって、取り出す事も叶わなくなったと思っていた。
私はきっと、とても悪い笑みを浮かべているのだろう。
「不二洞を使わせないで欲しいと、伝えて下さい」
美少女の顔が判然としなくなっていた。
目の前に居るのに、私は目が悪い訳でも無いのに、焦点が合わない。
判然としないが、その存在感が増していた。
「逆らうならこれで脅せばいいのね?」
判然としない顔が頷いた。
どんな表情だったのかは分からないが、引かれていない事を信じたい。
私の直感はドン引きされていると確信していたが、信じる事は大事だ。
視界が歪んだ。
強い眩暈と共に浮遊感に包まれ、遠くに三重先生の哄笑を聞いた気がした。
気が付くと私は部屋に倒れ伏していた。全裸で。
右手には古い手紙。
きっとこれを濡らさない為に風呂場には戻されなかったのだろう。
私は手紙をじっと見詰める。
恥ずかしい様な嬉しい様な懐かしい様な楽しい様な、嗜虐心を刺激する様な。
しばらく手紙を見詰めていた私は。
「へぶっ」
身体が完全に冷え切ってしまった。
これはきっと風邪を引くな。
・事例報告書
08/01 22:10:31
観測装置が異常なGE値を観測。
08/01 22:15:12
発生源は旧群馬県太田市である事を特定。
08/01 22:20:55
無人探査機一機が高高度より探査開始。
08/01 23:00:01
観測装置が再び異常なGE値を観測。
08/01 23:06:09
発生源は旧群馬県太田市である事を特定。
08/01 23:10:30
最高司令判断により予備的稼働令が発令。
08/01 23:17:36
二機目の無人探査機が高高度より探査開始。
08/01 23:36:09
最高司令の判断により特殊探索部隊βがレベルⅢ装備にて県境に待機。
08/01 23:59:49
最高司令の判断により静止衛星不二洞が第一段階まで起動。
08/02 22:02:01
最初の無人探査機は何等異常を検知出来ずに帰投。
08/02 22:25:54
整備点検及び充電を終えた無人探査機が再度高高度より探査開始。
08/02 23:17:56
二機目の無人探査機は何等異常を検知出来ずに帰投。
08/03 01:01:23
超常現象対策法に基づき静止衛星不二洞が待機状態へ戻される。
08/03 19:00:20
再探査を行っていた無人探査機が何等異常を検知出来ずに帰投。最高司令が事例の終息を宣言。
・補記
二十四時間以内に複数回、加えてほぼ同一地点でのGE異常は初めての事例。
最高司令の判断によって予備的稼働令を発令し対応に当たったが、特筆すべき事柄は他に無し。
・持続事案研究八班補記
情報が少なすぎる為確証はないが、これまで持続事案八番に関連した情報と比較した場合、この案件もまた持続事案八番に関連すると考えるのが妥当である。
一致点は群馬公立小学校跡付近からのGE異常である一点のみであるが、持続事案研究八班はこの一点の一致のみであっても警戒するのに十分な基準であると判断する。
また、超常現象対策課はその理念から大半の対応が後手に回ってしまう構造的欠陥を内包しているが、これだけの事例が積み重なっている現状、先手を打つ必要性は許容される可能性が高い。
持続事案研究八班は大胆かつ先手を打つ対応を強く要請する。
・最高司令補記
注)全文閲覧には乙種保全権限者による事前申告及び最高司令の許可が必要。
対応は別途指示する。




