三重要之助:教師
布団の中から天井を仰ぎ見る。
その視界は徐々に薄暗くなって行く。
僕はもう死ぬのだ。
突然だが、僕は魔法使いだ。
齢三十越えてナニが無いと成れると言われる魔法使いだ。
自虐ネタはさておき、魔法が使えると言うのは大凡真実だ。
旧群馬県住民は居住年数に比例する割合で超常現象を発生させる特質がある。
これは政府公式見解でもある。
僕はそう言った特質を有する人間だ。
それを今日まで隠し通せた、と思う。
何に対して隠し通せたのか。それは政府に対してだ。
この特質が露見した所で酷い目に逢わされる事は無いだろうが、少なくとも教師は続けられないだろう。
露見しなくてもこの様だが。
僕は今死に掛かっている。
何かの病気なのだ。
医者にも行っていないので何の病気かは分からないが。
自分の特質を活用して延命と病気の隠蔽を行って来たが、限界の様だ。
今年度を最後までやり切りたかったのだが、まあ、去年度も同じ事を考えていたのだから、良く持った方なのだろう。
「……」
さて、最期の一仕事だ。
そう言おうとしたのだが、もう声は出なかった。
僕は起き上がる。
僕の身体を捨てて起き上がる。
幽体離脱とか呼ばれる現象だ。
年老いた姿を若き日の姿へ戻す。
おお、腹が凹んだ。
新任教師の様な真新しいスーツを着て、あの場所へと踏み出す。
群馬公立小学校。
ずっと心残りだった場所。
僕の意思に従い空間は易々と裂け、旧群馬県へと繋がる。
途端に強い抵抗を感じる。
「ふははは!大魔法使いである私を止められる者など居ない!」
言ってみて、少し恥ずかしく、やや悲しく。
無理矢理押し通れば僕は、僕の魂は、群馬公立小学校跡へと降り立つ。
「何だおまあああああああああああああ!」
目の前に居た小僧の頭を握った。
「群馬由来じゃないなお前」
異物か。
とりあえず握り潰してしまおうと手に力を込めようとした所で、その手に別の手が重ねられた。
「待って! 待って!」
指の数すら判然としないその手は見覚えがあった。
「なんだ、学校の亡霊。まだ消えてなかったのか」
懐かしい奴だった。
「はあ……。なんでもう三重先生はこう衝動的なんだろうか……」
泡を吹いて意識を飛ばしている小僧を放り投げて、学校の亡霊を摘み上げる。
こいつは学校の亡霊だ。
大体どの学校にも近い存在が居るが、こいつ程はっきりとした存在を私は他に知らない。
こんなにはっきりしているのにもかかわらず、こいつはそれ程悪い感情を吸っていない。
まあ、それには理由があるのだが、今はさて置き。
「何だか随分弱々しくなっちまったな」
学校の亡霊は僕の言葉に少し俯いて唇を噛み締める様な雰囲気を醸し出した。
「……また一人死なせてしまった。学校は楽しい場所であるべきなのに」
学校の亡霊が弱気な発言をするのを、私は鼻で笑った。
「最近死んだのは生徒じゃないから問題あるまい」
学校の亡霊は非難する様な感情の波動を僕にぶつけて来た。
僕はそれを無視しながら、瓶牛乳を生成した。
片手で封を毟って蓋を外し、小指を立てて半分程一気に飲み干す。
「うん、やっぱりこれが一番しっくりくる!パック牛乳等邪道なのだよ!」
笑う僕を見て、学校の亡霊は薄く呆れた様な空気を纏う。
「……変わってないね。ねえ、楽しい?」
「最高に楽しいぞ!」
僕は即答する。
この学校は現状不安定だが、それでも僕の理想とする学校に近い。
これから迷える生徒達をどう指導して行くのか、とても楽しみだ!
僕がそう言うのと同時に学校の亡霊の気配が安定する。
祝福が無ければ弱体化する。これはそう言うモノだからだ。
「……最初から先生を呼べば良かったかなとか、今そんな事を考えたけど、やっぱり、うん、さっさと帰れと思う程度にはうざい」
生徒にうざがられない先生等居る訳が無いのに、学校の亡霊は何を言っているだろうか?
「……うわあ。手遅れか。何がかは分からないけど手遅れだって事が分かってしまった」
「何を言っているのだ! 僕の辞書では手遅れの文字が黒塗りで消されている!」
「本は大切にね!?」
今一学校の亡霊が言っている事の意味が理解出来ないが、その程度の齟齬は教師をしていれば生徒との間にいつだって発生している。
そもそも生徒では無い学校の亡霊の事は重要ではないのだ。
僕は教師だ。
教師は生徒を救い導く存在だ。
そして僕は教師であり魔法使いだ。
だったら、生徒を救うのは朝飯前だ。
ざっと見渡す限り、救わなければならない生徒は三人。
「肩慣らしに、取り敢えず一人救ってみるとするか!」
僕は自分を奮い立たせるために大声でそう宣言した。
そして手を伸ばす。死に掛けの生徒、三浦の元へと。
僕の手は空間の扉をこじ開けて、三浦の体内へと伸びる。
三浦は僕と同じで特質を持つ生徒だ。
だから、今に至るまで辛うじて変質を免れた。
旧群馬県は生命を強化する。
別に旧群馬県だけがその特質を持っている訳では無い。
非常に微弱だが、沖縄と京都でも類似した現象は起きている。
ただ単に群馬県が飛び抜けてその影響が強いと言うだけだ。
その結果群馬県内では生命が強化される。
比較的単純な構造を持つ昆虫はその影響を受け易く、急速な進化とも言える変化を続けている。
植物は成長速度を上げ、群馬県を驚異的な速度で浸食した。
そして、これは恐らく研究者も気が付いていないと思うのだが、ある種の菌類が飛び抜けてその影響を強く受けている。
植物と同じ様に増殖と成長が異常化しているのが普通の菌類なのだが、一種だけ哺乳類に寄生する能力を獲得した厄介な奴がいる。
まあ、そこまで強い種では無いから怪我でもしていない限り寄生される可能性は低いのだが。
でも、運悪く寄生されてしまうと身体を造り替えられてしまう。
通常寄生されてから半日程で後戻り出来ない状態になるのだが、三浦は半月以上耐えている。
政府が三浦を拘束してくれているおかげで二次感染が無さそうなのが救いだ。
僕としては三浦がその菌類に打ち勝つ事に期待していたのだが、現実はそうも上手く行く筈はない。
なのでちょこっとだけ手助けをした。
浸食の酷い肝臓の一部と、体内に蔓延しつつある菌類をこちら側に引っこ抜いた。
あるべき場所に戻ったのだから、群馬県の外に何等影響は無い。
「さて、この調子で残り二人を……と言いたい所だけど」
僕は足元で丸くなる生徒を見下ろした。
次いで視線を遠くへと向ける。
般若の形相の生徒がこちらに敵意を向けている。
「この二人は厄介だよな」
さて困った。
どうするべきかな。
「取り敢えず、山崎君? お話ししようか?」
僕の呼びかけに反応した山崎君が、土色の顔に埋まった濁った眼を僕に向けて、弱々しく震えた。
・事例報告書
07/27 23:16:02
観測装置が尋常ではないGE値を観測。封鎖違反の危険性の為超常現象対応課に自動的に稼働命令。
07/27 23:22:03
最高司令より全探索部隊に待機命令。同時に防衛省を通して防衛隊に協力要請。
07/27 23:22:11
発生源は旧群馬県太田市である事を特定。
07/27 23:25:24
無人探査機二機が高高度より探査開始。
07/27 23:29:51
静止衛星不二洞を第二段階まで起動。
07/27 23:49:36
有人探索機赤城山及び武尊山が緊急発進。
07/27 23:51:00
防衛隊より戦闘機RF-300七機及び爆撃機RV-A五機が緊急発進。
07/28 00:01:40
特殊探索部隊α及びβ及びθ及びζ及びΩによる混成部隊Aを編成し、レベルⅤ装備にて県境に展開完了。
07/28 00:15:19
防衛隊超常現象対策大隊01から09が県境に展開完了。
07/28 01:02:22
所属を隠蔽した中国の戦闘機二機が領空侵犯。本件を感知しての行動ではないと推測されたが、不確定要素を排除する為に航空防衛隊が本土より二十五キロの地点で撃墜。
07/28 22:02:37
無人探索機二機は何等異常を検知出来ずに帰投。最高司令が事例の終息を宣言。
07/28 23:00:00
防衛隊が撤退。
・補記摘要
注)特定情報封鎖法の定める軍事機密並びに国家防衛機密に関連する部分は開示不可。全文の閲覧には甲種保全権限者による事前申告及び監視機構の審査が必要。
この事例で超常現象に関連する事項では特筆するべき事柄はありません。
・持続事案研究八班補記
この事例に関連する消失現象は存在しなかったと思われるが、群馬公立小学校の教員であった三重要之助の死亡が確認されている。
死因は病死であるが、検死の結果死後三ヶ月は経過している事が確認された。その一方で少なくとも死体が発見される前々日の昼頃までは三重要之助が生存していたとされる証拠が多数存在している。
警察より引き渡された三重要之助の死体は腐敗が激しく、死因が全身に転移した癌に起因する多臓器不全である事以外に有用な情報は無かった。
また、この事例の直後に行われた現在保護下にある関係者三浦花素花に対する定期尋問において、三重要之助と会ったと言う趣旨の発言を得ている。
また、特殊尋問が失敗して以降不安定であった三浦花素花のバイタルがこの事例の後に全て正常化している。
今回の事例が持続事案八番に該当するかどうかは不明だが、少なくとも群馬県外に影響を及ぼしている事例ないし事案が関連して可能性が極めて高い。
特殊事例研究八班は総括的な危機対応体制を早期に構築する必要性がある事を警告する。
・最高司令補記
静止衛星不二洞の使用許可が継続している今が好機なのかも知れない。
しかしながら事態は外交問題に関連してしまっている。政府はこの状態を好機と見做している節がある為、恐らく一カ月程度の内に決着するだろう。
しかしながらそれを待っていては不二洞の使用許可が終了されてしまう危険性もある。
慎重に、しかし大胆に封鎖状態を安定させる必要があると判断する。