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亡霊学校  作者: 魚の涙
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鈴木三郎:国家公務員

 早朝、まだ朝日が昇る前。

 丈の長い草の中で浅い眠りから覚めると同時に、俺は周囲の気配を伺った。

 周囲には無数の気配と子猿の様な耳障りな鳴き声。

 俺は保護服の中で静かに溜息を漏らす。

 対巨人用保護服は汚染防止の為に外部からは完全に隔絶されている。

 その為、じっとしていれば異常生物共に見つかる恐れは低い。

 但しそれは電力が底を突くまでの限りの話だ。

 出力を最低限まで抑えているこの状態であれば一ヶ月程電力は持つ筈なのだが、前衛として巨人と戦闘した俺の保護服にそこまでの残電量を期待するなんて高望みだろう。

 残弾も少しはある筈なのだが、自律支援機も無しに単身で放棄区域から帰還するのは無理だ。

 仮に装備に余裕があったとしても、今の俺には逆立ちしても不可能だろう。

 そもそも逆立ち自体が出来ない。

 利き腕である右腕が折れているからだ。それも恐らく複雑骨折。

 強化薬のお蔭で痛みは感じられないが、右腕が全く動かない。

 この腕で利用可能な装備は造影剤と炸薬缶くらいだろう。

 造影剤を使えば耳障りな鳴き声の主、ほぼ透明な四足歩行の異常生物体共の位置を特定出来るのだが、同時に奴らに俺の位置を知らせる事になる。

 同様の理由で炸薬缶の使用なんてもっての外だ。

 救難信号は何度か発信してみた。

 でもそれには期待していない。

 指定地域八・一番の内部で全ての通信が無効となるのは、作戦開始前に教えられていたからだ。

 幸い四日分の非常用食料と水が保護服内に備蓄されていたが、取り残されてからもう百八十時間近くが経過している。

 要するに食糧すら底を突きつつある。これでもかなり節約しているのに。

 これ以上はジリ貧だ。

 発見して貰う為の手段は一つある。

 保護服を脱げばいいのだ。

 保護服を脱げば俺の生体反応が自律探査機から検出可能になる。過去の事例を鑑みる限り、指定地域八・一番は生体反応までは隠蔽出来ていないからだ。

 だが、GEの異常値が観測されない限り無人探索機が飛ぶ事は無いだろう。

 一ヶ月に一度のペースで発生する継続八番に指定される事案に合わせるのは食糧と残電量が十分でも難しい。

 だから俺は、ここ数日間考えていたある仮説に頼る事にした。

 校舎の中は安全だとする仮説だ。

 過去三度の事例を見る限り、保護された三人は校舎の中において異常生物体からの襲撃を受けていない。

 造影剤が使えない現状で確かめる術は無いのだが、姿の見えない異常生物体は校舎の中には侵入していない様に思える。

 校舎が見える方からは鳴き声が聞こえないのだ。

 校舎の中に異常生物体をも忌避させる危険な存在がある可能性は否定出来ないが、ここで息を潜めて生き長らえても数日後には餓死するだろう。

 それに強化薬の効果もそろそろ切れつつある。

 昨日から右腕が痺れる様に痛み始めた。

 激痛の中では校舎の中まで逃げ込む事も出来ないだろう。

 校舎の位置は今日までに何度も確かめた。

 作戦前に叩き込んだ旧群馬県立小学校の資料から、現在地と最適な侵入口を予測した。

 空を仰ぐ視界は丈の長い草に遮られている為視界の隅に見える校舎しか指標が無いのが不安だが、今の俺は恐らく正面玄関側に広がる校庭の真ん中くらいに居るだろう。

 校舎との距離は少なくとも二百メートルはある。

 全力で走れば数秒程度だろう。

 動く時は決めていた。

 日の出。

 暗闇に光が刺す時。

 姿の見えない異常生物体が、朝靄の中に微かに視認出来るその瞬間。

 既に辺りは微かに明るい。

 俺はじっと待つ。

 異常生物体が視認可能になるその瞬間を。

 それが日の出と呼ばれる瞬間なのかは分からない。

 日の出前から当たりは明るくなるのだから。

 日が出た後も地形によっては光が差し込まないのだから。

 それがどんな瞬間なのかは問題では無い。

 辺りが、照らされた。

 即座に異常生物体共の位置を把握。

 俺は飛び撥ねる様に起きた。

 その衝撃で右腕が痛む。

 幸い校舎と俺との間に異常生物体はいなさそうだ。

 校舎付近にも居ない。

 校舎の中により危険な何かが居る可能性が少し上がった気もしたが、今更気にしても仕方がない。

 もう俺は走り出してしまったのだから。

 校舎との距離を目測で測る。

 彼我の距離は二百五十メートル程。

 背中に突き刺さる無数の視線を感じながら走った。

 異常生物体共が追って来るのを感じる。

 間近で聞こえた甲高い鳴き声と同時に背中に衝撃を感じた。

 つんのめりながらも速度を緩めずに走る。

 幸い奴らには保護服を一撃で破る力は無い様だ。

 続く二度目の衝撃も無視して走る。

 正面の入口は破壊されていて障害物は存在しない。

 最後は飛び込む様にして、俺は校舎の中へと逃げ込んだ。

 飛び込んだ瞬間無意識に右腕で身体を庇い、骨の折れた腕が有り得ない方向を向くのが分かった。

 出血があれば致命的だが、俺はそんな事よりも背後が気になって振り返った。

 振り返って……何だ?

「……どこだよここ」

 そこには硝子越しに見える校庭があった。

 先程までとは違い、丈の長い草は生えていない。

 それに、俺が飛び込んだのは木製の下駄箱が横倒しに倒れていた空間だった筈だ。

 それなのに今俺の左右には金属製のロッカーが並んでいる。

 ロッカーには名前が張られており、その内の一つに俺の名前があった。

 右手を付いて立ち上がり、骨折が治っている事にも驚く。

 いや、治っているのではない。

 無かった事になっていると、直感的にそう思った。

 立ち上がって辺りを見回すと壁面に貼り付けられた大鏡が目に付いた。

 大鏡には国立栃木小学校の制服を着た少年が写っていた。

 これは俺だ。

 妙に天井が高く感じるが、きっとそれは体格が縮んでいるからだろう。

 俺は持続事案八番を体験している。いや、巻き込まれた。

「こんにちは」

 声は後ろから掛けられた。

 大鏡には何も写っていない。

 直ぐに動けるように身体に力を籠めて、意を決して振り返る。

 奇妙な何かが、そこに居た。

 人の様な形状をしている。

 眼は二つ。こちらを見据える左目に対して右目は真横を見ている。

 鼻は一つ。斜めに歪んでいたが、周囲の皮膚は引き攣っていない。

 口は一つ。但し縦に裂けて。裂け目には鋸状の歯が無数に埋まっていた。

 耳は四つ。これは……その内の二つは猫耳か。

 髪は長くも無く短くも無く。何故紫に染めているのかは不明だが。

 身体は裸なのだろうか、灰褐色で粘土細工の様な質感が見て取れた。

 異常な形状と表現すべきか、粗雑な形状と表現すべきか。

 じっと見ていると、耳は全て引っ込み、口が九十度回り、鼻は四十五度回って正しい向きに修正された。

 俺を参考にしたのだろうか? 右目は真横を向いたままだったが。

「ああ、やはり難しいな」

 兎耳を生やしながら呟いたその言葉は独り言の様で、俺に聞かせている雰囲気では無かった。

 その耳は間違えてますよとは言えなかったが、何か言葉を発すべきだと思った。

「貴様は、異常生物体か?」

 いや、違う。異常生物体は総じて大きくなる。

 巨人の幼生とも考えられるが、こいつは違うと思っていた。

「俺は学校です」

 兎耳はそう言った。

「学校?」

 俺はそう聞き返した。

「うーん。学校? 楽しかった? 記憶?」

 疑問形で聞き返された。俺が知るかそんな事。

「だから俺は学校でないと存在出来ないし、人間が居ないと存在出来ない。人間が居るからこそ俺は存在して、人間が居ないと俺は存在しない」

 良く分からない事を言い出した。

 そう言った事は研究員が扱う範疇だろう。

「ん? 存在するのに人間が必要って事は、引き込み現象の原因は貴様か?」

 半歩引いて身構えると、兎耳は悩ましげな唸り声を上げてちょっと違うんだよなと言って否定した。

「ここに人間が居ないと俺は存在しないから、ちょっと違う。貴様等が言う所の引き込み現象って事象に限れば、俺は関与していない。ここに呼ばれた人間に干渉はしているけどね」

 肩を竦めて小難しい事を朗々と語ってから、兎耳は着いて来いと言って歩き始めた。

 少しだけ迷ったが、俺は兎耳に着いて行くことにした。

 兎耳は校舎の奥へと歩きながら、周りを見回していた。

「今貴様が見ている学校は、貴様が知っている学校だ。俺は本来は群馬公立小学校しか再現出来ないんだが、今回はちょっと特別。だから力の減りが危険」

 兎耳の顔は見えない。俺はゆらゆら揺れる耳を後ろから見ていた。

「早い話、俺は貴様を助けた。ここでは現実世界での怪我は影響しないし、ここに居る限り現実時間での貴様は一時的に存在しない。つまり失血死も餓死もしない」

 職員室。放送室。校長室。視聴覚室。視界の端に様々な札が映る。

 様々な教室の横を通り過ぎながら、兎耳は朗々と語る。

「助けたと言っても無償の愛的な物じゃなくてね、ちょっとばかり協力してほしいからでもあるんだが」

 廊下の突き当たりで兎耳は立ち止まって振り返る。

 俺は眉を顰めた。兎耳の顔は判然としなくなっていた。

 目も鼻も口も無く、まるでモザイクが掛かったようにぼやけていた。

「学校は楽しくあるべきだけど彼女がそれを邪魔する。ここに呼んだ人を危険に晒す。俺では抵抗しきれないから、貴様を利用したい。貴様は彼女の知らない存在だから、多分影響を受けない。ここは貴様が知っていて彼女は知らない教室だから、彼女の影響を受けない」

 廊下の突き当たりには特進学級と札が付いた部屋があった。

 俺は国立栃木小学校の特進学級に所属していた事を思いだした。

 これは俺が知っている教室だ。では彼女とは誰なのだろうか。

「俺は何をすればいい?」

 聞きたい事は沢山あった。この得体の知れない何かを信用する事は出来ない。

「呼ばれて来る人を、生きて帰れるように補助して欲しい。皆無関係だから」

 それでも、この得体の知れない何かは、邪悪ではないとも思っていた。

「どうやって?」

 俺の問いに答える事は無く、それは消えた。

 ぞくりと、背中に冷たい線が引かれた。

 気付かれた。何にかは分からないが、気付かれた。

 俺は咄嗟に特進学級の扉を押し開き、中へと飛び込んだ。

 そこには一人の男が居た。






・事例報告書

06/09  04:48:21

 観測装置が異常なGEを観測。


06/09  04:54:09

 発生源は旧群馬県太田市である事を特定。


06/09  05:01:30

 無人探査機一機が高高度より探査開始。


06/10  04:00:05

 無人探査機は何等異常を検知出来ずに帰投。最高司令が事例の終息を宣言した。



・補記

 特筆すべき事柄は無し。


・持続事案研究八班補記

 情報が少な過ぎる為、この事例が持続事案八番に該当するかは判断出来ない。

 この事例に関連した消失現象は確認されていません。


・最高司令補記

 取り敢えず持続例案八番関連として記録する。これまでの周期とは異なるが、GE異常が確認された場所が場所だけに、計器の異常や普遍的なGE異常として処理する事は出来ない。

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