野宮寿思:学校用務員
授業中の廊下と言う物は、何度歩いても特別な場所であるかの様な錯覚を齎す。
少なくとも俺はそう感じる。
教室の中から漏れ出る授業の声はまるで隔離された別世界から漏れ出る音の様に感じられて、どこか現実味が無い。
実際は十中八九教室も廊下も現実世界ではないのだろう。
部屋でごろごろしていた筈なのに、ここはどこだ?
俺はこの廊下を掃除する。
木製の古い廊下を、水を含ませたモップでごしごしと擦り、日々積もる汚れをこそぎ落として行く。
昨今見られない木製の廊下は、ここが現実では無い事を意味しているとしか思えない。
群馬公立小学校の廊下は確かこんな感じだったが、埼玉第十五小学校は合成樹脂の廊下だ。
木製の廊下は趣があって良いと思うのだが、合成樹脂の廊下の方が手間要らずで掃除が楽だ。
「良く考えたら、掃除する意味も無いか」
俺はふと思い至ってそう声にした。
どうせここは現実世界ではないのだ。馬鹿馬鹿しい。
汚水の溜まったバケツを蹴り倒すと、黒く濁った水が廊下に流れ出た。
汚水は木と木の隙間からゆっくりと床下へと流れ落ちて行く。
木製だし、乾くのは速いだろう。
教室の中を見てやろうとモップ片手に教室の扉を開けようとして、思い留まった。
ここが現実世界ではないとすると、中から聞こえてくる声は人のそれである保証は無いのだ。
俺はこの得体の知れない学校を散策する事にした。
教室は七つ。
その全てから声が漏れ出る。
窓ガラスは磨り硝子で中の様子を伺う事は出来ない。
校庭側は普通の硝子なのだから、この磨り硝子は一体何に対して教室の中身を隠しているのだろうか。
左右を見渡すと教室は七つあって、その全てに人が居る気配がした。
教室が七つあってその全てに生徒が収容されているとなると、ここは群馬公立小学校を正確に再現した場所ではないのかも知れない。
俺の知るあの学校にこんな数の生徒は居なかったからだ。
そして、その一人を俺は。俺は。
いや、それを考えるのは止めよう。もう済んだ事だ。
頭の中を切り替えて、俺は廊下を歩き始めた。
歩きながらふと忘れている事に思い至る。
「名前何だったっけ、あいつ」
歩きながら不鮮明な記憶を引きずり出す。
確か、湯浅なんとかって名前だった筈。
俺の処分した最後の一つ。
ああ、考えるのは止めよう。もう済んだ事だ。
今は焼却炉を探しているんだ。特に意味は無いけれども。
あの匂いを思い出しながら、渡り廊下へ続く扉を開ける。
もし群馬公立小学校と同じ構造だったとしたら、この向こうにある筈だ。
渡り廊下に出て左側に、それはあった。
GE式焼却炉。
一基だけ作成された試作品が群馬公立小学校に設置されていた、旧群馬県内でしか使用出来ない焼却炉。
KEやOEでは十分な出力が確保出来ず、GEでのみ実働可能だった技術。
ゴミ処理施設に流用する予定で開発された技術の試験運用だったらしい。
象牙色の特殊セラミックス製焼却炉は、俺がガキの頃にあった焼却炉とは違い丸い印象のフォルムをしていた。
それは今俺の目の前にある焼却炉も同じだった。
実質無尽蔵とも言われるGEを利用したその焼却炉の具体的な仕組みは知らない。
しかし、性能は知っている。
圧倒的な焼却力。
何を入れても出て来るのは少量の灰だけだ。
何とか焼却とか言ったその方式は、本来であれば大掛かりな施設で導入される技術だったらしい。
旧群馬県においてそれは手軽で安価な技術になる筈だった。
結局旧群馬県がGEを動力源とした道具を普及させる前に、爆繁現象によって旧群馬県は放棄区域と名前を変えてしまった訳だが。
その短い期間の俺がこの焼却炉で処分した死体は湯浅なんとかを含めて七つ。
旧群馬県が放棄された後、俺は政府の特別支援によって埼玉第十五小学校に雇われる事になった。
埼玉第十五小学校に焼却炉は無かった。
当たり前だ。
そもそも俺がガキの頃から環境問題やら何やらで殆どの焼却炉は使用されていなかったからな。
例外は俺の通っていた群馬公立第四小学校くらいだったか。
ああ、あの時代はまだ群馬県内にも七つもの小学校があったのだ。
そして思い出す。
最初の一人、あれは俺の意思では無かったが、焼却炉で燃えた級友を思い出す。
既に名前も忘れた級友が燃える過程は良く覚えていない。
かくれんぼの最中にそこに隠れて、結果燃やされた不幸な事故だったとしか記憶していない。
でも、その後の焼却炉の匂いは覚えている。
俺はあの匂いを嗅ぎたかっただけなのだ。あの、香ばしくて鼻の奥に刺さる匂いを。
死体は七つ燃やしたが、俺は誰一人殺してはいない。
湯浅なんとかだって、誰だっけ? 確か、山崎なんとかが殺してしまったのを隠蔽してやっただけだ。
それだって不幸な事故だ。雨の日に突き飛ばしてしまっただけなのだから。
あれ? 事故か? どうでもいいか。
他の六つだって、それを依頼して来たヤクザからは随分と感謝された物だ。
そう、俺はただ死体を燃やしただけだ。
悪い事ではあるのだが、罪悪感は無い。
ただ、後悔はしている。
焼却炉の蓋を開け――
「――!!?」
――勢い良く閉めた。
なんだ? なんだなんだなんだ?
焼却炉の中には人が詰まっていた。
恐る恐るもう一度蓋を開ける。
やはり人が詰まっていた。
十歳くらいのガキだ。
俺は他人の顔なんざ覚えないから、知っている奴かどうかは分からない。
そっと手を伸ばして、ガキの頬を触ってみる。
冷たい。
死んでいた。
ゆっくりと手を引き戻して、数歩後ずさった。
何が起きているんだと言う俺の声は、燃え盛る炎の音に遮られた。
俺は何も操作していないのに、焼却炉が起動して開け放たれた投入口から真っ赤な炎が俺を誘惑する様に揺らめいていた。
いや、それ自体がおかしい。
あの焼却炉は蓋を開けたまま起動出来ない仕組みになっていたし、こんな色の炎が上がる筈は無いのだ。
俺は何とか焼却と言われるその焼却方法に関して国からの研修を受けた。
その時に見せられた焼却中の光景では、炎は色が無かった筈だ。
困惑する俺の元に、あの匂いが漂って来た。
香ばしくて、鼻の奥に刺さる様な匂いが。
ああ、あの匂いだ。
ずっと、記憶の中にしかなかった匂いだ。
GE式焼却炉では匂いすら燃やし尽くされる。
だから、嗅ぐ事の叶わなかった匂いだ。
ヤクザから死体の処理を持ちかけられた時には、この匂いの為だけに引き受けた。
でもその匂いを嗅ぐ事は叶わず、その後も死体だけが運び込まれた。
やらなけりゃよかった。
俺は後悔した。
湯浅何とかの死体を山崎なんとかの為に処分してやったのは、その罪悪感を少しでも軽くしたかったのだろう。
ヤクザに感謝されて喜んでいたのもそうだ。
死体を燃やすのは悪い事では無いと、そう思いたかったのだろう。
死体の燃える匂いを胸一杯に吸い込んで、俺は決意した。
現実に帰れるのかは分からないが、帰ったら自首しよう。
俺のやった事は悪い事だ。
そう、群馬県が放棄区域になってから十年近く、ずっと俺の心に引っかかっていたのだ。
「死体を燃やすのは、楽しい?」
声がした。
俺はきょろきょろと辺りを伺う。
誰も居ない。
どこから声がしたのか分からず怯えていると、もう一度声がした。
「ねえ、楽しい?」
焼却炉の投入口から、燃え盛るガキが這い出て来た。
俺は悲鳴を上げて尻餅を着いた。
「……そんなに驚かれたのは初めてだ」
どこか残念そうな声音で、燃え盛るガキがそう言った。
そして、一歩こっちへと踏み出した。
「寄るなあっっー!」
俺は尻餅を着いたその姿勢のまま、両手と足をめちゃくちゃに動かしながら後ろへ逃げた。
腰が抜けていて立ち上がれない。
これは俺が犯した罪への罰だろうか?
泣き叫びながら頭を抱えて許しを請う俺に、燃え盛るガキが何かを言った気がした。
気が付くと、俺は暗くて狭い場所に居た。
直感的に分かった。
ここは焼却炉の中だ。
俺は、燃やされるのだ。
「燃やされる。燃やされる」
罪を償う為に、燃やされるのだ。
「燃やされる。燃やされる」
俺はどこかで、安堵していた。
「燃やされる。燃やされる」
・事例報告書
06/01 21:07:16
観測装置が異常なGE値を観測。
06/01 21:14:11
発生源は旧群馬県太田市である事を特定。
06/01 21:16:01
無人探査機一機が高高度より探査開始。
06/01 23:11:05
無人探査機が人間の生体反応を検知。超常現象対応課に自動的に稼働命令。
06/02 03:19:00
特殊探索部隊θがレベルⅡ装備にて放棄区域に侵入。
06/02 06:00:58
特殊探索部隊θとの通信が途絶。
06/02 08:45:32
特殊探索部隊θとの通信が復活。巨人発生の報告とそれに伴う専用装備特殊探索部隊の増援を要求。最高司令判断により特殊探索部隊θの撤退が決定。
06/02 09:11:12
特殊探索部隊θが撤退を開始する。
06/02 09:19:49
特殊探索部隊Ωが対巨人装備で放棄区域に侵入。
06/02 09:19:49
有人支援機赤城山及び武尊山が特殊探索部隊Ω及びθを支援する為に発進。
06/02 10:22:31
特殊探索部隊Ω及び低空にて支援中の有人支援機赤城山との通信が途絶。
06/02 12:30:05
特殊探索部隊θが帰還。有人支援機武尊山が帰投。
06/02 13:55:42
特殊探索部隊Ω及び有人支援機赤城山との通信が復活。巨人の幼生を処分との報告。
06/02 14:15:12
有人支援機赤城山が帰投。
06/02 12:30:05
特殊探索部隊Ωが帰還。
06/01 20:59:51
無人探査機が帰投。最高司令が事例の終息を宣言。
・損耗状況
一、特殊探索部隊θ
喪失者0名。死者一名、失血死、収容済み。負傷者六名、軽傷者二名、重症者四名。
通常弾三千七百二十五発、拡散弾百二十五発、忌避剤百五十五本消費。
自律支援機九機喪失。二機中破。
装備品の損耗は標準範囲を大きく上回ったが、巨人の発生を鑑みれば許容範囲内であった。
二、特殊探索部隊Ω
喪失者一名、生死不明。負傷者五名、皆軽傷。
通常弾五千二百五発、炸裂弾千二十一発、拡散弾二百発、忌避剤七百三十本、造影剤五十二本、炸薬缶六十本消費。
誘導ミサイル四発。高速弾二千二百二十九発消費。
装備品の損耗は標準範囲内であったが、喪失者の発生は問題。
特殊探索部隊θ全員の特殊洗浄及び二十四時間の経過観察の結果、一名の汚染が判明。規則に則り処分された。これによって特殊探索部隊θの死者は二名となった。
重症者の内一名は任務継続不可能と判断。
死者を含む三名が欠員、二名が長期除名となった。
上記五名を除く十名は全員が任務継続可能と判断された。
特殊探索部隊Ω全員の特殊洗浄及び二十四時間の経過観察の結果、汚染が無い事が判明。
喪失者認定された一名を除く生還した十四名が任務継続可能と判断された。
・回収品目
巨人の肉片、破れた上着一着、財布。
・補記
特殊探索部隊θの報告と回収された財布の中にあった免許証から、今回巨人化したのは野宮寿思だったと推測される。
野宮寿思は群馬県立小学校が廃校になる五年前から廃校になった年まで同校の学校用務員として勤務。現在は埼玉第十五小学校で学校用務員として勤務していた。
野宮寿思の消失現象に関する有益な記録はありません。
野宮寿思の消失現象は自宅で発生していた為観察班は特別な介入を行いませんでした。
後日無断欠勤に対応した埼玉第十五小学校から失踪者として警察に届け出が成され、通常処理されています。
特殊探索部隊θは焼却炉の中で野宮寿思を発見しました。
発見時野宮寿思は汚染されていたと推測されますが、まだ人間の容姿を保っており、特殊探索部隊θは野宮寿思の保護を試みました。
野宮寿思はそれに強く抵抗し、その際に大きな顎と鋭利な爪を持つ姿に変態し、特殊探索部隊θの隊員一名の左腕の肘から先を噛み千切りました。
特殊探索部隊θは撤退に際して更に一名が頸部切断、一名が大腿骨を複雑骨折、一名が脊椎損傷、一名が右上腕部単純骨折しました。
・持続事案研究八班補記
根拠としては不十分ではあるが、総合的に判断して今回の一件は持続事案八番に指定されるべきものと推測される。
生徒だった者以外が影響を受けた事を鑑みて、持続事案八番の影響範囲を最悪の事態を想定し大幅に広げる必要性がある。
また、群馬公立小学校跡地及びその周辺における原因不明の通信障害に関しても持続事案八番の影響である可能性が極めて高く、この影響は無人探索機を用いた高高度からの観測にも影響を与えている可能性を排除出来ない。
以上を鑑みて可能であれば群馬公立小学校跡地及びその周辺を一度徹底的に探索する必要性がある。
これらの探索は事案発生後半月以内に行われるのが望ましい。
持続事案研究八班は上記の理由から最高司令に群馬公立小学校跡地及びその周辺の探索を要請する。
・最高司令補記
持続事案研究八班の要請の有用性は十分に理解したが、今回発生した喪失者が巨人化している可能性を排除出来ない為現時点では容認出来ない。最悪の場合静止衛星不二洞を使用する事を検討する。また、観察対象の拡大とそれに伴う観察班の増員を行う。




