笹ノ内詩節:工場勤務
給食の牛乳は瓶詰だった。
当時、生徒数の減少した学校では紙パック式への切り替えが進んでいたが、群馬公立小学校では三重先生の詭弁と屁理屈によって閉校の年まで瓶牛乳による供給が継続されていた。
月に一度、乳造粉が付随する日は僕達にとってささやかな楽しみでもあった。
紙パック式になるとあの粉末を搔き混ぜる作業は無く、最初から味付けされた物が支給される。
三重先生を筆頭に皆がそれを嫌がったのだ。
いや、風間君だけはそっちの方が手っ取り早いと言っていたか。
本日の主食はパン。それも食パンだ。
コッペパンやバターロールパンも好きだが、個人的には食パンの耳を千切って牛乳に浸して食べるのが好きだ。
パンよりもご飯が好きなのだが、生徒数の減少した群馬公立小学校でそれは希少なメニューだった。
おかずは鮭フライと野菜炒め。
汁物はトマトスープだ。
クリーム色のトレイに皿が二枚とお椀が一つ。
一枚の皿には食パンが乗っていた。
僕はそこに添えられた中折れ式のプラスチック容器を折る。
容器は左右にマーガリンとイチゴジャムが封入されて、折った容器を絞る事によって薄黄色と赤の線がパンの上に描かれた。
湯浅さんは毎回これをパンの中央に全部絞り出していたが、僕は端から中央へ渦を描く様に均等に落としていく。
容器から綺麗に落ちなかった残滓を食パンで拭って、空の容器はトレイの上へ乗せる。
続いて取り掛かるのはもう一枚の皿だ。
皿の中央に仕切りが作られたその皿には鮭のフライと野菜炒めが乗っている。
鮭フライに添えられたタルタルソースが封入された袋を手に取り、上部を斜めに千切る。
これもまた均等を意識して鮭のフライへと掛ける。
最後に牛乳の飲み口を覆うビニールを毟り取り、紙製の蓋を取る。
大杉君は毎回箸で突き破る様に開封していたが、僕は蓋の端を爪で引っ掻き僅かに剥がすと、そこを爪先で摘み、慎重に、慎重に。
ああっ!!
薄皮一枚剥がれてしまった…。
失敗すると必ず山崎君からメンコとして使えない事を指摘されていたな。
僕は後からボンドで接着すればいいと思っていたのだが、山崎君に言わせればそれは反則なのだそうだ。
諦めずにもう一度。そして今度は成功。
小学生以来だからな。腕が鈍っている。
ジャムマーガリンとタルタルソースの空容器並びに牛乳瓶の封、これらのゴミは全てトレイの右上にまとめる。
町田さんは何故かこれらのゴミを机の上に散乱させていたな。
準備が終わり、落ち着いて箸を取る。
手を合わせて。
「いただきます」
本来であれば先生の号令が最初にある筈なのだが、ここはそうでは無い様だ。
最初に野菜炒めに手を付ける。
僕は苦手なメニューから先に食べる主義だ。
味付けは醤油ベース。具は玉葱、人参、そして、これは、セロリか……。セロリか……。
三分の一程食べてからトマトスープに口を付ける。
噛みだまりになったセロリをスープで無理矢理喉の奥へと押し流す。
一旦箸を置き、食パンを二つに折って、白い部分から齧り付く。
二口程食べてから再び箸を取り鮭フライを一口齧り、残りの野菜炒めを一気に平らげる。
そしてトマトスープによる流し込み、そのまま汁が半分程無くなったトマトスープの具を片付ける。
玉葱、トマト、ベーコン……は完全に味が抜けている。まあ仕方ないか。
しかし何故私は普通のトマトは平気なのにプチトマトは苦手なのだろうか?
箸で掬えない具を残りのスープと一緒に口の中に流し込みながら疑問に思う。
大人になってからもそれは変わらなかった。
三重先生は大人になれば好き嫌いは無くなると言っていたな。
確かに味の好みは少し変わったが、プチトマトが苦手なのは相変わらずだ。
そして牛乳を三分の一程飲み干す。
一息着いて、鮭フライへ。
パンの白い部分と交互に食べながら、味わう。
鮭フライが食べ終わる頃にはパンは耳だけになる。
端を手前に揃えて置いた私は、残りの牛乳を半分程空のお椀へ注ぐ。
そこにパンの耳を浸しながらふやけた部分を齧る。
パンの耳を食べ終わり、お椀に残った牛乳を飲み干す。
最後に牛乳瓶を手に取り、落ち着いて周りの様子を伺う。
二十人程の生徒が給食を食べていた。
四人か五人で一組班を作り、机を寄せて向かい合わせで食べていた。
窓際の机では先生が一人で給食を食べている。
その中に誰一人として僕の知っている人はいない。
ゆっくりと牛乳を飲み干し、牛乳瓶はトレイの奥へと置く。
食事の余韻をじっくりと味わってから、手を合わせて。
「ごちそう様でした」
身体が子供になっているせいか、少なく見えた分量でもお腹は満たされていた。
「で、ここは何だい?」
取り敢えず目の前に居る女の子に話し掛ける。
「……食べ終わってから聞くんだね」
若干呆れた声でそう言われた。
「食事は何よりも優先されるよ。僕の中ではね」
美味しかったか言われればそれ程でも無かったが、こんなにも穏やかな気分になれた食事は久し振りだ。
「まあ、いいけど」
女の子は肩を竦めてから箸を置いた。
「ああ、ごめん、まだ食事中だった?」
僕がそう言うと女の子はそれは気にしなくてもいいよとやはり呆れた声でそう言って、微笑んだ。
「久しぶりの給食は、楽しかった?」
ふむ。
私は考え込んでしまった。
楽しかったか。
どうなんだろうか。
今の心情を表現するには穏やかが一番適切だと思う。
食事を思い起こして、楽しさを探す。
うん。
そんな要素は無いな。
「楽しい、とは違うかな。でも、ありがとう」
僕がお礼を言うと、女の子は少し驚いた様な顔をした。
「そう……」
女の子は言葉を探す様に黙り込み、その表情を微笑みへと戻した。
「残念だけど」
少し嬉しいかな。
歪む情景の中で女の子の唇がそう言っていたが、声は聞こえなかった。
気が付くと、古びた部屋に居た。
置かれている器材は全て錆びだらけだったが、それらは全大型の調理器具だ。
ここは給食調理室だと、一目で分かった。
僕は腰に下げた水筒から一口水を口に含んだ。
舌癌で舌の大半と唾液腺を切除してからもう半年になる。
久々に取ったまともな食事に僕は満足していたが、腹は空いていた。
ぐるるるると、腹の虫が泣いた。
幸せな夢から覚めた事に気が付いて悲しみに、独り泣いた。
・事例報告書
04/25 10:01:46
観測装置が異常なGE値を観測。
04/25 10:06:50
発生源は旧群馬県太田市である事を特定。
04/25 10:08:09
無人探査機一機が高高度より探査開始。
04/25 12:30:10
無人探査機が人間の生体反応を検知。超常現象対応課に自動的に稼働命令。
04/25 16:37:00
特殊探索部隊αがレベルⅡ装備にて放棄区域に侵入。
04/25 18:38:14
特殊探索部隊αとの通信が途絶。
04/25 20:09:12
特殊探索部隊αとの通信が復活。男性一名を保護との連絡。
04/25 22:02:05
特殊探索部隊αが保護した男性を連れて帰還。
04/26 09:45:44
無人探査機が帰投。最高司令が事例の終息を宣言。
・損耗状況
喪失者0名。負傷者0名。
通常弾千百三十一発、拡散弾五発、忌避剤七本消費。
自律支援機一機中破。
装備品の損耗は標準範囲内。
特殊探索部隊α全員の特殊洗浄及び二十四時間の経過観察の結果、汚染が無い事が判明。
全員が任務継続可能と判断された。
・回収品目
建材片、割れた瓶、鼠の死骸、異常生物体の体組織。
男性一名。水の入った水筒を所持。
後の調査の結果長野県在住、笹ノ内詩節と判明。
特殊洗浄及び二十四時間の経過観察の結果、汚染が無い事が判明。水筒は安全の為に高熱処理にて破棄された。
各種予備試験によって危険性が無い事が判明した後、尋問を行った。
・尋問禄
尋問担当者:結城慶介
注)対象は事例以前に行われた口腔内の手術により発話する事が不可能な為、回答は筆談或いはジェスチャーによるものです。「」で覆われた物は筆談、【】で覆われた物はジェスチャーによって表現された回答です。
結城:事前に説明されていると思いますが、私は超常現象対策課の鈴木と言います。笹ノ内さんがあの場所で保護された経緯を報告しなければなりませんので、事実のみを素直に話して下さい。
笹ノ内:【肯定】
結城:では、あの場所に居た経緯を教えて下さい。
笹ノ内:「わからない」
結城:気が付いたらあの場所に居たと言う事ですか?
笹ノ内:【肯定】
結城:何か特殊な体験はしましたか?
笹ノ内:「給食 食べた」
結城:(沈黙三秒)それは実際に物を食べたと考えて構いませんか?
笹ノ内:(沈黙三秒)「まんぷく感あった でもお腹空いていた」
結城;(沈黙四秒)詰まり、食べた感覚ははっきりとあったが、現実的に何かを食した訳では無いと?
笹ノ内:【肯定】
結城:給食はどの様な状況で食べましたか?
笹ノ内:「教室 生徒二十人くらい 先生一人」※机を向かい合わせにして食べている状況を示唆する絵(図1参照)
結城:(沈黙五秒)笹ノ内さんが保護されたのは給食調理室跡でしたが、旧校舎内を移動しましたか?
笹ノ内:【否定】
結城:教室で給食を食べていた人物の中に、見覚えのある人物はいましたか?
笹ノ内:【否定】
結城:その中の誰かと意思の疎通はありましたか?
笹ノ内:「向かいの席 女の子 話した」
結城:話した?(沈黙三秒)筆談では無く?
笹ノ内:「舌 持っていた そこでは」
結城:(沈黙七秒)笹ノ内さんとその女の子の会話内容の詳細を教えて下さい。出来るだけ正確に。
笹ノ内:(沈黙十秒)「女『よく食べるね』自分『食べるのが好きだから。ここはどこ?』」(沈黙六秒)女『給食、楽しかった?』(沈黙七秒)後は良く覚えていない」
結城:(沈黙十五秒)女の、楽しかったかと言う問いかけに何か回答はしましたか?
笹ノ内:(肯定)「内容は何と無くしか覚えてない」
結城:(沈黙七秒)それは肯定ですか? 否定ですか?
笹ノ内:(沈黙九秒)「中間 ?」
結城:(沈黙八秒)えっと、曖昧な回答と言う事ですか?
笹ノ内:(沈黙三秒)「おそらく きっと」
結城:(沈黙五秒)最後に、その女の子の絵を描く事は出来ますか?
笹ノ内:【肯定】
結城:では、後ほど個室に画材を届けさせて頂きます。御協力感謝致します。
・補記
四時間後に提出された絵には八歳―十歳程度と思しき女の子の絵が描かれていました。収集した群馬公立小学校関係者のどの顔とも明確な一致はしませんでした。最も一致率の高い対象でも六十五%でしたが、これは偶然と判断されました。
絵の提出から二十四時間の経過観察を経てから行った各種心理テストにおいて若干の抑鬱傾向が見られましたが、許容範囲内と判断されました。
笹ノ内詩節の消失現象は観察班の死角において発生した為、有益な記録はありません。
笹ノ内詩節の消失現象に際して観察班は警察を装って介入し、犯罪の二次被害を防ぐ為の隔離をしたと言う偽装情報が流布されました。この介入により今後はより公然と観察を行える様になりました。
笹ノ内詩節が終始従順な態度を取った事と観察班から周囲の人間との関わりが少ないとの報告があった事を考慮し、金銭による報酬を提示して情報封鎖依頼を行いました。笹ノ内詩節はこれに同意しました。また、笹ノ内詩節の要望によりこれらの報酬とは別に水筒が一つ与えられました。
・最高司令補記
類似した事例が約一ヶ月間隔で三度発生した事を受け、今後群馬公立小学校跡に関する事例を持続事案八番と指定して情報を集約し、研究員五名による研究八班を編成した。




