第9回
藤崎さんの推薦で地方のイベントに出た数日後。わたしは地元のライブハウスにいた。
平日の夜ライブハウスに来るなんて久しぶりだった。地方って言っても,週末は東京から来るバンドが出ることもあるから,人を呼べないアマチュア・バンドは,必然的に平日に回される。軽音にいた頃は,時々ここのステージに上がってた。
でも,この日見たライブは,同じステージで自分が歌ってたことを忘れるほど異質だった。普通に生活してたら,絶対に縁のないもの,って言っても言い過ぎじゃないと思う。
ステージには何枚もブルーシートが敷かれてた。その上で,上半身裸の男の子たちが大暴れしてる。みんないちおう楽器は持ってるんだけど,それを「曲」と呼んでいいのか,わたしにはわからなかった。っていうのも,演奏よりも,持ち込んだ物の破壊やばらまきに夢中みたいだったからだ。ゴミ捨て場にあったような電化製品が床に叩きつけられてバラバラになった,と思ったら,今度はバケツに入ったドロドロした液体がぶちまけられる。
ノイズ。
ネットで検索してみたけど,いまいちコンセプトが理解できなかった。メロディーやリズムという概念はほぼ皆無,とか,絶叫とか,破壊とか…動画を見ても,「暴動」にしか見えないものが多かった。
ちょっと前に,その世界では有名なバンドがアイドルとコラボした,って知って,「これだ!」って思って聞いてみた。聞いてみたんだけど,ちょっと変わったリミックス?って感じでつかみどころがなかった。そんな状況だから,プロじゃないバンドが,目の前で繰り広げてる光景が,本当に「ノイズ」なのか,わたしにはわからなかった。
ぼーっとしてたわたしの心臓が突然大きく脈打つ。思わず目を背けてしまった。ステージから何かが,客席に放り投げられた。床を転がって,止まったら…豚の頭だった。
チラガーっていったかな。修学旅行の自由時間に立ち寄った沖縄の市場で豚の顔の皮を見た。グロいと思ったけど,加工されてないと,もっときつい。
修学旅行。もう半年前の話だ。あの頃は,自分がアイドルになるなんて,ほんと夢にも思ってなかった。学校生活最大の行事が終わることで,「あとはもう受験が近づくだけ」なんて思ってた。当たり前の退屈な生活を繰り返しながら。それが…
ふと我に返って,こわごわ視線を戻した。豚の頭は,もう見向きもされず床の上に放置されてた。なんだか不気味というより寂しい感じだった。
そう。観てる人は,決して少なくなかった。初めてふれるジャンルに好奇心を刺激されたんだと思う。軽音の部員はほとんど集結してた。それに,初めて見る顔も多かった。メンバーも人脈をフル稼働させて人を呼んだみたいだった。だから,その辺りにも,最初は人がいたんだけど,ライブが始まると少しずつ後ずさりし始めて…気づくと,一番後ろの壁にもたれて観てるわたしと奈津のすぐ目の前まで来てた。
ライブを観てこんな辛い気持ちになるのは,初めてだった。軽音1年生の「デビュー」ライブなら,グダグダな演奏でもほほえましく観られる。友達につきあって観る興味のないバンドなら,別のことを考えてやり過ごせばいい。でも,目の前の光景はスルーすることができない。
空回りってのは,こういう状態のことをいうんだ。とか,ふだんのわたしなら,ずっと冷めた目で見られたはずだ。でも,これが元カレの最後のライブだっていうんだから,全然意味が違う。
週明け,掲示板に貼られたポスターが校内でちょっと話題になった。圭治のバンドのライブ告知だったけど,圭治たちは学園祭の出演をキャンセルしてた。それが学祭直前にライブハウス?ってみんな不思議に思った。
それだけじゃない。教室とか廊下とか,校内のあちこちで圭治が友達をライブに誘ってるのを見かけた。「今までとは違う」なんて,とにかく熱く語ってた。もちろんチケットのノルマのせいもある。でも,それだけとは思えない熱が感じられた。
奈津は,わたしが気にしてる,って気づいて,メンバーからいろいろ情報を聞き出してくれた。「ノイズバンドとして解散する」とか「学園祭じゃ絶対に観れないライブになる」とか。もちろん,人がよすぎる奈津のことだ。しっかりチケットを売りつけられたのは言うまでもないけど。
それで,ノイズについて「予習」をしたんだけど,ムダだった。「まあ,実物を見れば,わかるから。」なんて思ったけど,見てもわからないものはわからない。
音楽性が理解できない。パフォーマンスも意味不明。客はひいてる。つっこみを入れ始めたらきりがないけど,それはまだよかった。いちばん痛いのは,圭治たちの態度だ。ぎこちない,というか,恐る恐るやってるように見えた。メンバーがアイコンタクトをするたび「これ壊していいかな?」「いいんじゃねえの,たぶん。」とか言い合ってるみたいに見えた。
こんな自信のない圭治を見るのは初めてだった。学校じゃあんなに熱く語ってたのに,これで最後なのに,それなのに…
そう。熱さ,だ。圭治たちは,あちこち動き回って,大きな音をまき散らしてた。でも,そこには熱量というものが全然ない気がした。
もう限界だった。わたしは,奈津の耳に口を寄せて,轟音のなかでささやく。
「ごめん。ちょっと外の空気吸ってくる。」
奈津は,笑みを浮かべて,うなずいた。『大丈夫。わたしが代わりに見てるから。』って言ってるみたいだった。『ありがとう。』心の中でそう返した。
軽く手を振ると,わたしはドアを押し開けて外に出た。建て付けの悪いドアは,予想以上に重かった。大きく息を吐いて,呼吸を整えていると,背後からの視線を感じた。
振り返ると,受付にマスターがいた。マスターは,ここのオーナー兼店長で,40代後半になる男性だった。昔は,東京でバンドを組んでたけど,メジャーデビュー直前でトラブルがあって解散した,って誰かが言ってた。
「よお。彼氏,大活躍だな。」
マスターは,そう言ってにやっと笑う。タバコのせいで色がくすんだ歯がむき出しになった。わたしは,むっとして乱暴に答える。
「もう別れました。ほっといてください。」
「へえ。で,それでも気になって,こっそり後ろで観てる,ってわけだ。」
「もう!なんなんですか?わたし,何か悪いことでも…」
わたしは,マスターに詰め寄るように近づいた。でも,マスターは,もうわたしを見てなかった。視線の先には,ステージを固定カメラでとらえたモニターがある。
「マスター,あの…」
画面には,床に転がって叫んでいる圭治が映ってた。それを見つめるマスターの表情に気づいて,わたしの足が止まる。なんていうか,子どもを見守る父親みたいっていうか…
「ねえ,マスター。もしかして,あれを認めるんですか?」
「ん?認める?…そうだな…」
マスターは,モニターを見たままで,ちょっと間を取る。それから,こっちを見たとき,マスターは笑ってた。ちょっと前の嫌みな感じじゃなくて,いたずらをする時の高校生のような…
「おじさんちょっと語るけど,いい?」
「…どうぞ。」
断る理由はなかった。だって,どんなつまらない話でも,あの痛いライブよりマシだ。このまま帰ろうか,とも思ったけど,それだと奈津が心配するし,ちょうどいい時間つぶしに思えた。
「最近,若いバンドに興味が持てなくてな。」
言いながら,マスターは,紙コップのコーヒーを差し出した。わたしは,軽く頭を下げて受け取る。
「別に,曲とか,演奏の技術がどうこうってわけじゃなくて,なんかハマれないんだよな。何年か前までは,毎月読んでた雑誌のレビューにあるCDを半分以上買ってたりしたんだが。」
マスターは,なんか遠い目になってた。何を言いたいのかわからなくて,あいまいに相づちを打つことにする。
「はい。」
「で,よく言うだろ?迷ったら原点に返れ,って。」
「原点,ですか?」
「ああ。それで思い出したんだが,学生時代に見て衝撃を受けたバイオレンス映画があってさ。あの頃は,レンタルビデオだったけど,DVDになってるから,買ってまた見たんだよ。あ。これだ。」
マスターは,カウンターの下から,手探りでDVDを取り出した。わたしに向けられたジャケットは,粒子が粗いモノクロの写真だった。そこには,バンドなのか暴走族なのかわからない人たちが,何人か写ってる。
「この映画のクライマックスはさ,いろんなヤツが入り乱れて,街がカオスになるんだ。もう破壊と暴力のオンパレード。みんなやりたい放題だ。ほんと,くすぶってた熱が一気に放出するみたいにさ。で,ラストで,主人公が近づいてくる警官を殴り倒して叫ぶ。『なめんじゃねえ』ってな。」
そこで,マスターはにやっと笑った。なんとなくだけど映像が浮かんだ。廃墟みたいな建物が燃えてて,その前で若い男の人が,中指を突き立ててる。片足で倒れた警官を踏みつけながら。違うかもしれないけど,そんなにハズれてない気がした。
「見ててさ,胸がたぎるっていうの?あの頃と同じように,熱い気持ちになって。で,思ったんだ。俺は,変わっちゃいないって。」
そういえば,藤崎さんが,メイドカフェで話してくれた。確か80年代のアイドルに興味があるって言った時だと思う。その頃は,都会ではバブルに浮かれた華やかな時代だったけど,その裏側では地方でヘイソクカン…っていうんだっけ,すごく生きにくさを感じてた人もいたって。ノイズってジャンルが台頭したのは,そんな頃だったみたいだ。マスターも,地方でくすぶってた若者の1人だったことがわかった。
「で,気づいたんだ。その後,バンドブームとかあって,ロックが普通に認められるようになって,いろいろ変わっちまった。もちろん,活動がしやすくなった,ってのはある。だって,俺が高校の頃なんて,ギター持ってるってだけで,『ろくなもんじゃない』とか言う大人がいっぱいいたからな。でも,皮肉なことに,それが時間が経ってみると,いいことだけじゃないってわかった。感じ方は人によって違うだろうが,少なくとも,俺にとっては。」
ほんと語る。このままだと,もし「オヤジ」の定義を訊かれたら,「女子高生相手に語りたがる生き物」って答えることになりそうだ。マスターは,わたしの視線も気にせず,コーヒーを一口すすって続けた。
「必要なくなったんだな。『なめんじゃねえ。』って叫ぶ必要が,今の時代の若いヤツらは。ほら,あれだろ?最近,クレーマーっていうのか,学校に子どものことでしつこいくらいクレームする親がいるって聞くけどな。昔じゃ考えられないんだよ。親が,いちいち子どもの不満聞いて,学校に電話したりするなんて。」
確かに,そういう話は,時々聞く。今の親子は,昔より仲がいい,とか。
学祭の発表を母親が見に来て,男子が笑って手を振ってるのを見たりすると,わたしも,なんか違和感を感じたりする。マザコンとまで言わないけど,ちょっと…
「いいのか悪いのかわからないが,受け入れられてる,ってことだろ?まあ,今は引きこもるヤツが多いみたいだけど,俺たちの若い頃は,そんな話ほとんど聞かなかった。まっすぐ育たないヤツは,バンドやるか,族に入るか,そのくらいだ。ため込んだものを吐き出して暴れるだけさ。そういう意味じゃ,俺には,あいつらのほうが,わかりやすいんだよ。」
マスターの視線は,またモニターに注がれてた。圭治は,自分を奮い立たせるように叫び続けてる。ときどきマイクに前歯が当たって,顔をしかめたりしながら。
「まあ,痛く見えるけど,ぎこちないのは,ため込んだ熱が足りないだけってことだろ。たまる鬱憤が少ないわけだから,それに越したことはないだろうが,こういう音楽をやる時は,それが幸せか不幸か,わからないけどな。」
気づいた。マスターは,いつもの乱暴な口調だけど,どこか歯切れが悪い,っていうか。「わからない」とか「俺にとっては」なんて,ちょっといつもと違ってた。照れもあると思う。でも,マスターも迷ってる。マスターは,「ロック仙人」とか呼んでる軽音部員がいるくらいタッカンした雰囲気を持ってる。それでも,迷ってる。迷いながら,わたしに何か伝えようとしてくれてる。
語られるのも悪くない気がした。何か言わなきゃ。わたしは,マスターの気持ちに応えようと口を開こうとした。そしたら…
「音楽の悲しみはやめられないこと。」
マスターは,わたしを真っ直ぐに見て,言葉を切った。半開きだったわたしの口が閉じるのを見て,続ける。
「…って言ったミュージシャンがいたけど,ほんとだと思うよ。実際俺もそうだ。まあ,俺みたいなおっさんより関わってる年数はちっと短いけど,あいつは自分なりに,音楽にケリをつけようとしてる。必死に自分の気持ちを押しつぶそうとして,もがいてる。」
そうかもしれない。わたしは,素直にうなずいた。
「恥ずかしい表現になるが,自分の夢に別れを告げようとしてると言っていいのかもしれない。まあ,葬式みたいなもんだ。ずいぶんうるさくてはた迷惑な葬儀だけどな。冠婚葬祭には,つきあっても罰は当たらないんじゃねえの?元カノとして。」
マスターがまた笑う。ちょっとドヤ顔が混じった表情だった。わたしは,わざとだるそうに言う。
「わかりましたよ。今回は,マスターの『親心』に免じて,最後まで見守ることにします。じゃ。」
軽く頭を下げて,わたしは歩き出した。2,3歩踏み出して,わたしの足が止まる。
「あ。そういえば,マスター。いいんですか?ステージの周り,かなり荒れてますけど。物が壊れたり,床が汚れたり。」
思い出して言うと,マスターは,またカウンターの下から何か取り出す。封筒だった。
「実は,あいつの伯父さんって人が来て,こっそり金を置いてってくれたんだ。あいつには言うなよ。ここだけの話だからな。」
わたしの口から大きく息がもれた。
「…あきれた。周りの大人が,そんなに甘やかしてどうするんですか。」
「まあそう言うな。そうそう何度もあるもんじゃない。とにかく葬式は金がかかるんだ。」
マスターは,今度は豪快に笑った。その声を背中で聞きながら,わたしはドアを押した。
まだ半開きのうちから,轟音が耳を襲ってくる。
「やっぱきついな…」
独りごとを言いながら見回すと,奈津は元の場所にいた。わたしに気づいて,気遣うような視線を向けてくる。
「ありがとう。もう大丈夫。」
聞こえないのをわかってて,そう言ってみる。気持ちは通じたみたいだ。奈津が微笑み返してきた。その隣に立って,壁にもたれてステージを見る。
ライブは,もう終盤だった。大量にあった「破壊用グッズ」はもうほとんどなかった。叫び声もかなり涸れてて,動きも鈍い。圭治にもメンバーに明らかに疲れが見えた。
早く終わってほしかった。マスターの言葉でずいぶん楽になったけど,改めて見ると,きついものはきつい。
わたしは思った。圭治はどうなんだろう。こんな痛いライブは早く終わらせたいんだろうか。それとも,音楽をやめる瞬間を迎えるのは,やっぱりさみしいのか,なんて。
「あ。」
奈津と同時につぶやいた。垂れ流されてた音が,突然小さくなった。圭治が右手を突き上げるのが見える。
「じゃあ,クライマックスいくぞ!!」
「よっしゃ。ラストォー!」
「おーっ!!」
口々に叫ぶと,メンバーたちは手にした楽器を高く振りかざした。思わず耳を覆いたくなってしまう。一段と耳障りな音が響きわたったからだ。
キラキラ光りながら何かが飛び散った。ギターやベースのパーツだった。叩きつけられ,変わり果てた姿になっても,楽器たちは,抵抗するように音を吐き出し続けた。ドラムだけは破壊を逃れたけど,皮が破れそうなほど力任せに連打されてる。
ダンマツマのような音の渦が,わたしたちを飲み込んでた。そのなかで,圭治は,とりつかれたみたいに,ネックだけになったギターをアンプにこすりつけてる。表情は,汗で張りついた髪でよく見えない。それに,何か叫んでたけど,その声は,もちろんわたしの耳には届かない。
ギター。そうだ。マスターの言うとおり,これはやっぱりお葬式なんだと思った。というより,処刑って言葉のほうがしっくりくるかも。
圭治と一緒にバイトした時のことを思い出す。駅前での英会話教室のティッシュ配りだ。あれは,圭治が「新しいギターがほしい。」って言い出して,始めたんだった。バイト代だけじゃない。圭治は,昼休みに購買で買うパンを減らしたりして,節約して。
あんなに苦労して買ったギターだ。それを壊すことは,音楽をやめることを宣言する一番わかりやすい方法かもしれない。周りに対して,そして,何より自分に対して。そこまでしないと,きっと圭治は…
「危ないっ!!」
わたしの思考は,そこで遮られた。突然,奈津が大声を上げたからだ。
「え?」
スローモーションみたいだった。
ベースの甲田君がよろけて…そこに圭治がいて…ぶつかって…もつれ合って…視界からフェードアウトして…前にいた人の頭で見えなくなって…
「聡ちゃん,行こっ。」
奈津がわたしの手を引いて,ステージに近づいていく。目の前の人を強引にかきわけながら。小柄な身体に似合わない強い力だった。
まだ音は響いてたはずだ。なのに,わたしには自分の鼓動しか聞こえてなかった。もどかしい気持ちで,前に回り込んだ。視界が開けた時,圭治が立ち上がるのが見えた。
次の瞬間,軽音部の女子たちが一斉に悲鳴を上げる。
圭治は,左手で右腕を押さえてた。赤く染まった指のすきまから,滴がこぼれ落ちてる。思わず目ををそらしてしまった。
視線の先には,呆然と立ち尽くす甲田君がいた。震える手には,折れて尖ったベースのネックが…
「さ,聡ちゃん!聡ちゃんっ!!」
耳鳴りなのか,ハウリングなのか…わからない。押し寄せ続ける音の波に揺られ,奈津の声が遠ざかっていく…