第6回
ソデとか,カミテとか,シモテとか,そういう概念はなくて,とりあえずステージがあって。そこに照明が当たってて,お客さんがいて…そんな空間がわたしの目の前にあった。
街頭ライブの1週間後。わたしたちは東京にいた。
ライブハウス,というかスタジオ?っていうのか,よくわからない。いずれにしても,地元じゃ目にしない種類の建物だ。しかも,あやしいホテル街を抜けてきた,と思ったら,住宅が立ち並ぶ中にあって…軽くカルチャーショックだった。
入口のボードには,たくさんライブのポスターが貼られてた。そして,出演者の地下アイドルのなかに,わたしの名前があった。
いつの間にブッキングしたんだろう。伯父さんのことだから,もう慣れてきたけど。それでも,無名の地方アイドルがいきなり東京,ってアウェイ感がハンパない。控え室では,顔見知りの女の子同士がはしゃいでたりして,なんだか居心地が悪かった。それで,出番を待つあいだ,手持ちぶさたになって,他のアイドルのライブを観ることにした。
とりあえず,ホールのいちばん後ろの壁に寄りかかって,腕を組んでお客さんたちの背中をながめる。色とりどりのTシャツには,「推し」のアイドルの名前が書いてあって,誰が目当てなのかわかりやすい。それから,首にかかってるタオルも個性豊かなデザイン,っていうか「現場」以外じゃ使いにくいものが多い。
自分のと比べてみた。Tシャツは,デフォルメされた天使が祈ってるイラストで,まあ,かわいいと言えなくもない。でも,「お布施上等」って殴り書きされたようなタオルは,正直どうかと思う。『Tシャツ脱ぐの面倒だけど,タオルはすぐ外せるからね。』伯父さんは,つまんない言い訳してた。単純にふざけたものが好きなだけだと思う。
なんて考えてたら,歓声が上がって我に返った。最初に出てきたのは,司会の女の子で,地下アイドルのベテラン?らしい雰囲気だったけど,いちいち絡んでくるヲタさんをうまくあしらってた。慣れた感じのやり取りが続いて,みんな場になじんでて,アウェイ感が割り増しした。でも,地元で知り合いに会ったことに比べれば,なんてことない。伯父さんが,そこまで計算してたのかは,ちょっとわからないけど。
ともかく,和やかな空気で始まったけど,予想以上に激しいライブが多かった。もともと高くないステージだったけど,すぐに客席との境なんて,あってないようなものになった。客に分け入って歌う子もいれば,左右の移動を要求する子もいる。みんな,正味15分くらいの持ち時間で,1秒もムダにしたくない,って表情でパフォーマンスしてた。
アイドルにはいろんな意味で時間がない。「全力」って言葉をよく耳にするけど,短時間で勝負しなければならないんだから,必然的にそうなるのかもしれない。最近,フェスでバンドよりアイドルのほうがおもしろい,という人がいるのも,わかる気がする。フェスは,ワンマンより持ち時間が少ないから。
場内は熱気がすごくて,立っているだけでも,身体がほてってじっとりと汗ばんできた。決して広くない空間には,大きすぎるスピーカーがあって,重低音が容赦なく襲ってきて,持っていたペットボトルがビリビリ震えた。あおられたお客さんが飛び跳ねるたびに,振動が足下から伝わってきて,時々ふらふらとバランスを崩しそうになる。
体感温度だけじゃない。ライブが終わった子に,事務所の社長らしき人が近づいて,コメントしてるのが聞こえてくることがあった。女の子のなかには,正直クラスの男子がかわいいと思う女子を挙げていけば名前が出ないレベルの子もいた。でも,みんな真剣だった。世間的に有名な子は1人もいないけど,アイドル文化が放つ熱気が,確かにそこにもあった,とか,生意気に批評してるあいだにわたしの出番が来た。
「まあ,適当に頑張ってきな。」
伯父さんに背中を押されて,壁づたいにステージに近づく。予想はしてたけど,それまでに歌ったアイドルに比べると,歓声は小さい。それで,かえって開き直ることができた気がする。ちょっと立ち止まって,大きく息を吐いてからステージに上がった。
そこでわたしを迎えたのは,想像以上にまぶしい照明だった。街頭で歌ったときはああ思ったけど,これはこれでつらかった。四方からライトで照らされると,なんか逃げ場のない感じだ。演劇部から借りたショボいスポットを使う高校の学園祭とは違う。目を細めて歌い出したら,最初に目に入ったのは,「サクラBOYZ」だった。
「サクラBOYZ」ってわたしが勝手に命名したんだけど,伯父さんが仕込んだ男の人たちが,この日も最前に陣取ってた。グッズのTシャツを着てタオルを巻いてるから,ふつうにファンに見える。彼らは,街頭ライブを上回る息のあったヲタ芸を披露していた。
その存在をありがたく思う自分にちょっと腹が立った。ほんと勝手だ。あんなに嫌がってたはずなのに,こういう状況になると,心強く思ったりする。伯父さんがどこで見てるのか分からないけど,あえて探さなかった。ドヤ顔とかされてたら,余計にヘコみそうだったから。
1曲目が終わった。わたしは,丁寧に頭を下げて,マイクを握り直した。
「こんにちは。初めまして,の方がほとんどだと思います。美宙祈です。よろしくお願いします。」
やっぱり笑顔はまだぎこちなくて,もう少し笑う練習をしておけばよかった…なんて思ったりした。
「知らない方のためにちょっとお話しますと,わたしはファンの方を『信者さま』って呼んでるんですけど…あ,前に何人か来てくれてますね。」
わたしは,「BOYZ」たちが手を振ってるのに気づいて,大げさに振り返す。茶番なんだけど,なんとなくそれっぽいやり取りに見えたと思う。
「はい。それで,今日は,みなさんを,『信者さま予備軍』と思って,精一杯頑張って歌います。で,だから,次の曲で,みなさんとひとつになりたいと思うんですけど,あの,一緒にタオル回してくれますか?」
そう言うと,会場が拍手で包まれた。かなり「BOYZ」に引きずられてる感じだったけど。わたしは,両手を合わせると,もう一度お辞儀した。くちびるを軽く突き出すのも忘れなかった。「設定」はいちおう守らないと。
「ありがとうございます。もちろん,他のアイドルさんのタオルでも大丈夫ですよ。だって…」
わたしは自分のタオルを広げて見せた。
「どんなタオルでも,これより素敵だと思います。これ,マネージャーがデザインしたんですけど,どうかしてますよね。」
「BOYZ」の1人が,ライブ前にわたしがいたあたりを振り返った。わたしの背じゃ見えなかったけど,そこに伯父さんがいたみたいだった。
「よっ!銭ゲバマネージャー!」
銭ゲバ,って,普通に生活してたら聞かない。用意されてたヤジに場内,っていうか中年の客が沸いたけど,本音かもしれない。伯父さんの考えるグッズは,とにかくお金に関するものが多かった。
笑いが収まるのを待って,2曲目が始まった。歌ううちに,照明にも慣れてきて,お客さんを観察する余裕が出てきた。わたしのTシャツを着てるのは,見渡してもやっぱり「BOYZ」だけ…と思ったら,もう1人いた。「リアル信者さま」第1号だった。ブログにコメントくれるけど,ハンドルネームは「タキモト」さんになってた。地元から駆けつけるなんて,物好き,いや,熱心すぎる。ネットの動画を見てくれたんだろう。年齢に似合わず,キレキレの動きを披露していた。
彼らの活躍もあって,他のお客さんも見よう見まねでフリマネをしてくれてた。それに,曲が進むにつれて,ちゃんと合いの手も入るようになった。そう。後ろで見ててわかったんだけど,ヲタさんたちは,「推し」によって前後に位置を変えるけど,基本的に誰のライブでも盛り上がってた。それを,さっきまでは「DDかよ。」なんて思ってた。思ってたんだけど,自分の番になったら温かいとか感じたりしてる。ますます都合よく考えてるわたしがいた。
おかしい。ステージに立つたびに自分がゆらぐのがわかった。でも,そんなに嫌な感じじゃなくて,なんていうか…不思議だった。それまでのわたしは,ブレることをすごく恥ずかしいって思ってたのに。まあ,アイドルとしてステージに上がってること自体が不思議なんだけど。で,それは,だから…それ以上考えないことにした。それよりただ単純に楽しくなってきてたんだ。
わたしは「公約」どおり精一杯の声で叫んだ。
「回して,回して!!せーのっ!!!跳ぶよっ!!!」
「大丈夫?やっぱりまっすぐ帰ったほうがよかったかな?」
テーブルに突っ伏したわたしの耳元で伯父さんの声がした。眠りに落ちかけたところを引き戻されて,顔を上げる。
「平気です。具合悪いんじゃなくて,ちょっと眠たいだけなんで。」
ほんとに眠かった。とにかく疲れがたまってた。毎日が慌ただしくて,いろんなことが消化できないうちに過ぎてくみたいで。もちろん,充実感だってあった。でも,緊張感から解放されると…
記念すべき東京での初ライブの後,わたしたちは,秋葉原のメイドカフェに来てた。アイドルをやるうえで参考になるかもしれないから,って伯父さんが言い出して。わたしもちょっと興味があったから,来ることにしたんだけど…
「ほら。起きて。」
今度は肩を揺さぶられて顔を上げた。目をこすって,伯父さんの視線をたどると,オムライスを運んできたメイドさんが立ってた。
ねぼけてたこともあって,ついジロジロ見てしまう。髪は,軽く色を抜いたツインテール。歳は,わたしよりかなり上。上手に化粧してるけど,20代後半に入ってるのはごまかせない。でも,以前見た雑誌に「アラサーのメイドさんもいる」って書いてあったから,別に珍しくもないのかもしれない。
それより違和感を振りまいてたのは,彼女のスタイルのほうだった。モデル体型,ってほどじゃないけど,背が高くて脚も長くて,メイド服というより,もっと大人っぽい服のほうが…って大きなお世話だ。なによりその場で浮きまくってたのは,わたしたちのほうだった。
睡魔に襲われ惨敗中の女子高生と,ガラの悪い中年のオヤジ。それが,店の雰囲気を楽しむでもなく,ただまったりしてる。隙あらばメイドさんと少しでも長くからもうとしてる客たちとはずいぶんな違いだった。
「何をお描きすればよろしいですか?」
メイドさんが,ケチャップのチューブを手に取って言った。わたしは,気のない返事をする。
「あ。適当にお薦めなのを。」
我ながらかわいくない客だ。でも,わるいけど,思考能力が追いついてこなかった。
「じゃあ。初めてお見えになったお客さまなので…」
彼女は,そう言って,チューブを握る指に軽く力を込める。器用なものだった。あっという間に,オムライスの上に赤い文字が現れた。『祝・初来店』で,両脇にハートがあった。
「あの,失礼ですが,どこかのお店のメイドさんですか?」
ちょっと首を傾けて,わたしの顔をのぞきこむようにして,彼女が訊いた。あまりにメイドらしい仕草がさまになってて,ぼーっとしてしまった。
「あ,そんなたいそうなもんじゃないです。ただの田舎の女子高生なんで。」
「失礼しました。とてもかわいらしいから,ついそう思ってしまいました。
確かに,少しアイドルを意識した服を着てた。1対1で客を案内して,アキバを歩き回るメイドがいるのも知ってる。だけど,さすがにこんなやる気ゼロのメイドはいないだろう。それなのに,お世辞とはいえ,全然嫌味がなかった。
気づくと,彼女は,伯父さんが注文したカプチーノにチョコレートソースで絵を描いてるところだった。古いアニメのキャラだけど,うまく特徴をとらえていた。
「では,おいしくなるおまじないをさせていただきますね。」
描き終わると,彼女は,にっこりと微笑んで,わたしたちを見た。
「ご主人さまとお嬢さまも一緒にやっていただけますか?こうしてハートを作って…」
彼女は,胸の前で,両手の親指と人差し指を使ってハートの形を作って見せた。伯父さんとわたしも,ぎこちない手つきでそれをまねる。
「では,お願いします。おいしくな〜れ!」
片足を軽やかに跳ね上げて,彼女は,オムライスとカプチーノの上にハートを近づけた。
完璧だった。最初のメイドっぽくない印象は完全にどこかに消え去っていた。わたしは,指をハートにしたまま,また考え込んでしまう。
そう。これが,「信者さま」の幸せを祈るわたしのパフォーマンスの元ネタだ。でも,このクオリティーの差はなんだろう。彼女に比べたら,わたしは全然演じ切れていなかった。
気まずくなって,逃げ場を探すように店内を見回した。すると,目に入ったのは,レジの脇にあるグッズ売場だった。
「あそこ,グッズとか売ってるんですよね。ちょっと見てきます。」
わたしは,2人と目を合わさず立ち上がって,入口のほうに歩きだした。後ろから彼女の声が聞こえた。
「ごゆっくりどうぞ。」
レジにいたメイドさんと軽く笑みを返して,わたしは,一際カラフルなコーナーをながめた。狭いスペースに,きれいに並べられたグッズは,生写真とかタオルとか缶バッジとかで,アイドルの物販とあまり変わらなかった。
そこには,他のカフェのチラシや,ライブの告知などもあった。地下アイドルとしても活動してるメイドが多いから…なんて思ってたら,すごくインパクトのあるチラシが目にとまった。そこには,『アイドル異種格闘技グランプリ』って書いてあった。キャッチコピーは,『集え!異色アイドルの祭典』だったけど,ミもフタもない言い方をすれば,いちばん壊れてるイロモノアイドルを決めるという趣旨みたいだった。ひどくうさんくさい。だって,そこに描かれてるイラストも,アイドルというより,覆面女子プロレスラーだったから。
振り返ると,彼女はまだわたしたちのテーブルにいて,伯父さんと何か話し込んでた。何も買わないのに,いつまでもそこにいるのも変だ。わたしは,話題作りにチラシを手に取って,席に戻ることにした。
「失礼しました。あの,アイドルの方だったんですね。存知あげなくて…」
彼女は,申し訳なさそうに頭を下げて,わたしを迎えた。
「え。ちょ,ちょっと…」
どうして余計なことを,って,わたしは伯父さんをにらんだ。伯父さんは,気づかないふりで目をそらす。話好きのメイド相手に間がもたなかったらしい。わたしは開き直ることにした。
「全然いいんです。知らなくて当然ですよ。だって,名乗る価値もない無名地下アイドルですから。」
気を遣わせてしまって申し訳なかった。わたしは,もう一度にらみつけようと見下ろした。伯父さんは,携帯をいじってごまかしている。
「今は,アイドルなんて誰だってなれますよ。名乗った瞬間からアイドル,って感じじゃないですか。」
わたしは,持ってきたチラシを彼女に向けて続けた。
「ほら。ブームも行くところまで行ったっていうか…だから,こんなあやしいイベントまで出てくるんですよ。完全イロモノじゃないですか。誰が出るんですかね,こんなの。だから,え…?」
それ以上言葉が出なかった。だって,彼女が視線をそらして,うつむいてしまったから。
まさか…嫌な予感が駆けめぐる。
「あの,もしかして…」
「はい。ごめんなさい。わたし,出ることになってるんです。お店の子たちと…」
地雷を踏んでしまった。まずすぎる。もう全力でフォローするしかない。
「あっ。いえ。よく考えれば,いろいろ他のアイドルと違ったことやってブレイクしたグループだってあるんだし。きっと,メイドさんの…えーと…」
わたしは,彼女のエプロンについてたネームプレートをチラ見した。
「まどかさんのプロデューサー?とかスタッフの方にも,戦略があるんですよ。ねっ。伯父さ…」
フォローくらい手伝ってくれたっていいよね。わたしは伯父さんに同意を求めた。そのとき,この日2度目の嫌な予感に撃ち抜かれた。伯父さんは,何か言いたそうに上目遣いでこっちを見てた。わたしは,恐る恐る訊いてみた。
「まさか,エントリーとか,してないよね?」