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第5回

以前のわたしだったら,地元で街頭ライブなんて絶対に断ってただろう。そんなのありえなかった。

でも,いろいろあって,何もかもうんざりだった。学校も,受験も,近所とのつきあいとかも。だから,「別枠」で扱ってほしいと思うようになった。「あの子は普通じゃないから」みたいに。だから,「痛い子」って思われても仕方ない。

視線を上げてみた。そこには,ちょっと傾いた陽射しを受けて大手予備校の看板が光ってる。瑠璃たちが行ったのは,きっとそこだった。ちょっと前まで同じような生活をしてたのに,この差はなんだろう。1ヶ月前には,アイドルなんて,完全に他人事だったんだから。

 ていうか,そんなカンガイにひたってる場合じゃなかった。

ガラにもなく気合い入れてみたけど,ライブが始まるとすぐに,わたしはソロの孤独を味わった。考えてみれば,この辺りじゃ,アコギ1本で歌う人ならたまに見かけたけど,わたしの姿は明らかに異質だった。

「アイドル?誰?」

「知らねえ。」

そんなやりとりが耳に届いた。

視線が痛い。なんて,よく口にするけど,ほんとに刺さる感じだった。すっかり鈍感になってると思ってたのに,けっこうきつい。

グループのアイドルだったら,つらさも割り算できるんだろうか。「大丈夫。名前だけでも覚えてもらえるように頑張ろう。」とか。それは,わたしにはわからなかった。運良くバンドのライブだと,こういう経験はなかったから。

でも,バンドと違うのはそれだけじゃない。いちばんの敵は,明るさだった。体育館でのライブだって,暗くしてステージにライト当てれば,なんとなく格好がつく。それが,昼過ぎの屋根もない場所だから,たまったもんじゃない。太陽を「アンチ第2号」に認定してやりたい気持ちだった。

どうしようもなくて,音楽について考えることに意識を集中させようとした。

 歌ってたのは,有名なアイドルのカバー曲だった。伯父さんは,ネットで活動しているミュージシャンに編曲を依頼していた。歪んだギターの音と,「手数の多い」ドラミングは,サンプラーと打ち込みだったけど,わたし好みの感じになってた。悪くないアレンジだと思った。安いスピーカーを通してもかなりクリアに聞こえる音質も…

 って。違う。そんな上から目線で評価できる立場じゃなかった。問題はわたしの歌唱力

のほうだった。これが,もう思った以上にショボい。バンド演奏と違って,爆音でごまかせないから,どうにもならなかった。明るさから意識をそらしたのは,思い切り逆効果だと気づいた。だったら,いっそのこと伯父さんに頼んで,最大限スピーカーの音量を…って思ったときだ。

 何かがわたしの顔に向かって近づいてきた。反射的にのけぞったわたしは,自分の目を疑う。目の前にあるのは,人の手だった。いつの間に足を止めたんだろうか。男の人が,ケチャの体勢に入ってた。目が合ったわたしは,とりあえず軽く頭を下げた。

 無名アイドルとマンツーマン。この状況でオタ芸,って結構きついだろうな,なんて思ってたら,1曲目が終わった。固まったわたしの前で,男の人が拍手してる。

「あ,ありがとうございます。はじめまして。わ,わたし,美宙祈っていいます。」

絵に描いたようなキョドり方で,思い切り噛んだ。記念すべき最初のMCなのに。とにかく笑わなきゃ。そう言い聞かせて,目一杯微笑んだけど,顔がこわばるのが自分でもわかった。

「じゃあ。次の曲,いきます。よろしくお願いします。」

 わたしがペコリと頭を下げると,2曲目のイントロが始まった。目の前の男の人が,大きなアクションで手をたたき始める。あらためて見ると,オタクって感じじゃなくて,ごく普通の学生って雰囲気だった。体育会の部活に入ってて,彼女がいてもおかしくないような。

 気づくと,パラパラと手拍子が起こって,少しずつ音が大きくなってきた。驚いて,見回してみると,なんだか男の人が増えてる。

 もちろん,ダンスなんていうほどのもんじゃないけど,いちおう踊ってた。でも,フリが乱れるのがわかっても,どうしても見入ってしまう。男の人たちの年齢はバラバラ。たぶん20代から40代で,暇な学生や休日のサラリーマンっていう感じだ。最初は,お互い様子をうかがうようにして,かみ合ってなかった。それが,曲が進むにつれて,どんどんシンクロして…

わたしは,関心してた。こんなさびれた地方都市にも,スキルの高いオタさんがいたんだ,なんて。 ケチャで一斉に手が差し伸べられたときには,もう感動と言ってもいいくらいだった。後ろから見たことがある光景は,正面から見ると全然別ものだって思った。

 オタさん以外にも,足を止めた人が多くなって,わたしは完全に囲まれた形になった。精一杯背伸びして,握った右手を思い切り突き上げてみた。オタさんたちの後ろにいる人にも見えるように,って。ダンスは,さらにグダグダになったけど,構ってられない。わたしは,左右に移動して,手を振って見ている人たちをあおった。

「ありがとうございました。」

曲が終わると,大きな拍手が起こった。お辞儀した顔を上げると,ちょっと息が上がってた。無理もない。バンドでは,ギター弾きながらスタンドマイクで歌うことが多くて,ダンスなんてしてなかったから。体育会の血が一滴も流れてない身体ではつらいものがあった。

それに,首筋やおでこにうっすらと汗をかいてるのがわかった。でも,悪い気は全然しない。あんなに身体を動かすのは嫌いだったのに。

「ありがとうございます。こんなに集まってくれるなんて,ほんとびっくりです。」

呼吸を整えながらゆっくりと話した。伯父さんの「拡散作戦」は,十分効果があったみたいだ。この情報社会で頼れるのは,やっぱりネットだ,なんて考えてたら,「設定」を思い出した。

「みなさんのおかげで楽しい時間になりましたが,次で最後の曲になります。」

「ええーっ!!」

 オタさんたちがお約束で返してくれる。わたしは,左右の手のひらを合わせて,ぺこりとお辞儀した。

「じゃあ,みなさん。一緒に祈りましょう。くちびるをまあーるくして。レッツ・プレイ・トゥギャザー!!」

両手を握ってから,右の拳を高く上げた。たくさんの拳がそれに続いた。

「レッツ・プレイ・トゥギャザー!!」

わたしは,うれしくなって,顔がにやけるのが止められなかった。もう一度丁寧に頭を下げてから言う。

「ありがとうございます。それでは,聞いてください。最後の曲…」

「あ。ちょっと待ってください。」

 最初にケチャを始めた人が遮った。驚いたわたしに,すまなさそうに訊く。

「すいません。イントロは何小節ですか?」

「え。あ。えーと…」

予想もしなかった質問にわたしは固まった。すると,背後から声が飛んだ。

「16小節です。」

伯父さんだった。

 わたしは,ほっとして振り向くと,伯父さんに舌を見せた。「テヘペロ」ってやつだ。バンド女子として情けなかったけど,やっぱりまだ余裕がなかった。

「はい。だ,そうです。」

 わたしの言い方がおかしかったのか,笑いが起こった。ライブが始まったときには想像もできなかったなごみ方だ。

 笑い声が収まると,伯父さんがラジカセのボタンを押した。そしたら…次の瞬間,全身に鳥肌が立った。

「あー!よっしゃ行くぞー!タイガー!ファイヤー!サイバー!」

そう。MIXが起こった。わたしの歌でMIXって…上半身から力が抜けていくのに気づかないまま,棒立ちになってた。

「ファイバー!ダイバー!バイバー!」

いけない。我に返ったわたしは,慌てて手足を動かした。

「ジャージャー!!」

遅れたフリを取り戻すと,うわずりそうな声を抑えて歌い始めた。すると,今度は気持ちが先に走って,テンポが遅く思えてもどかしくなるくらいだった。

Aメロが終わる頃,やっと音程が定まった。周りを見回すと,目に映ったのは,みんなの笑顔だった。

別の世界に迷い込んだような気持ちになって,一瞬めまいがした。

 小さい頃から人と同じことが苦手で,素直になれない。自分の周りに壁を作って,意地を張ってるうちに,みんなが離れていく。その繰り返しだった。人に愛されるキャラからは,ほど遠い。

 でも,そんなわたしの歌を聞いて喜ぶ人がいる。それは単純にうれしかった。

曲は,サビ前にさしかかってた。

「跳ぶよっ!」

思わず叫んでた。

 そう。一度やってみたかったんだ。キメのジャンプっていうのを。もちろん全然高く跳べてなかったけど,みんなついて来てくれた。

 客観的に見たりしたら,それは痛いシーンだったと思う。不細工なジャンプも,乱れた着地でもつれた足も,また狂い始めた音程も。

ちょっと照れながら歌に戻る。フリルだらけの衣装とか,元気なシャウトとか…全部キャラじゃないけど,それでいいと思った。身体に湧き上がってきた熱に突き動かされた,ってことにしておこう。

「ラストォ!もっかい跳ぶよっ!!」

わたしは,両脚にめいっぱい力をこめた。


タオルで顔の汗をぬぐった。メイクが崩れないようにそっと。

 振り向くと,伯父さんが地面に段ボールを敷いてた。CD−Rとか,生写真とか,グッズを並べるためだった。なかには,いつの間に作ったのか,タオルまである。

 そんなのあるんなら,先にくれてれば使えたのに。なんて言おうとしたら,ケチャを始めた人が,伯父さんを呼び止めた。

「これ,どういうシステムですか?」

そうだ。無理もない。グッズには値札がなくて,「お布施」って書かれた箱が置いてあるだけ。箱は木で出来てて,貯金箱みたいに上にお金を入れるところがあった。

「ああ。特に値段は決めてないので,ライブを見て,このくらいは払ってもいい,と思える金額をお願いします。」

 やっぱりうさんくさい。こんなんじゃ誰も買わない,って思ったら…

「CD−Rは何曲入りですか?」

男の人は財布を取り出して訊いた。伯父さんが営業スマイルになって答える。

「2曲プラスカラオケです。おまけもついてますよ。ぜひ。」

「じゃあ,これで。あ。消費税はサービスしてください。」

「もちろんです。税金を気にしなくていいのが宗教ですから。」

千円札をめぐる2人のやりとり。それを見て,なんだか周りにいる人たちもなごんでた。わたしは,男の人に近づいて,丁寧にお辞儀した。

「ありがとうございます。では,信者さまの幸せを祈らせていただきます。」

「設定」では,ファンを「信者さま」と呼ぶことになってた。わたしは,両手の親指と人差し指でハートを作った。それを相手の顔にかざすようにして言う。

「はっぴーにな〜れ!」

人が減って通行人から丸見えなのが恥ずかしかった。どう考えても,このサービスは逆効果だ。子どもだましを通り越した低クオリティー,っていうか,メイドカフェのパクリだし。それでも,オタ芸に加わった人たちは,グッズを買うために残ってくれた。

「では,次の信者さま。参ります。はいっ!はっぴーにな〜れ!」

「ありがとうございます。」

「こちらの信者さまも,はっぴーにな〜れ!」

「どうもありがとう。楽しかったです。」

繰り返すうちに,なんだか楽しくなってきた。最後の1人になると,片足を後ろに跳ね上げる,なんていうアドリブを見せるようになってた。

「みなさん,本当にありがとうございました。次回のライブも,よろしくお願いします。」

わたしは,両手を力いっぱい振って,オタさんたちを見送った。

 駅前がいつものさびれた空気を取り戻すと,また汗をかいてるのに気づいた。わたしはラジカセにかけてあったタオルを取りに戻った。これまで生きてきて一番,なんて言葉が大げさじゃないくらいの達成感が,わたしを包んでた。

でも,幸せな気分は長く続かなかった。見なくてもいいものを見てしまう。世の中には,そういう種類の人間がいるみたいだ。わたしも,間違いなくその1人だと思う。

グッズの片づけを手伝おうと伯父さんのほうを見たときだった。少し離れたところに,「信者さま第1号」がいて,こっちを見てるのに気づいた。そして,2人が目配せするのにも…まさか…

わたしは,反射的に思ったことを口にしてた。

「ちょっと!まさか今の人たちって…仕込みだったの!?」

「あ?うん。バレた?」

伯父さんは,悪びれる様子もなかった。手際よく売れ残ったグッズを箱に戻していく。

わたしは,怒りが抑えられなくなってた。高く上るほど,落ちたときのダメージは大きい。

「誰がそんなこと頼んだのよ!?」

「まあ悪く思わないでよ。大事なのは,『初ライブ大成功』ってネットに流せるってことなんだから。わかるよね?」

間違ってない。盛り上がってる写真とか動画が必要ってことは。でも,わかりたくない。認めたくない,そんなの。

「でも,なんにも知らないで喜んでたなんて,バカみたいじゃ…」

「もちろんしたくなかったよ,こんなこと。でも,先に言ってたら,絶対反対しただろ?それに,彼らがいなかったら,どうなってた?宣伝に使えないどころか,寂しいライブの様子を同級生に写メされて,恥をかくことになってたかもしれないよ。」

「それは…でも,こんなのって…」

くやしかった。まともに反論できないのも,何も知らないで浮かれちゃったのも,笑いものにされるのを怖いと思ったことも。

「とにかく後でちゃんと謝るよ。でも,今は,ブログやツイッターの更新が先だろ?時間がないんだから。」

わかってる。このアイドル人気だってブームなんだ。いつかは終わる。だから,今のうちに少しでも話題にならないと…でも,それでも…

 涙が浮かんできた。泣き顔を見られたくなくて,伯父さんに背を向けた。

「あのぉ…」

「はい。何か?」

誰かに声をかけられて,伯父さんが答えた。振り向くと,中年のおじさんが立ってた。歳はたぶん伯父さんと同じくらいだけど,全然印象が違う。ポロシャツにチノパンっていう落ち着いた姿だった。

「よかった。ちょっと用事があって,ライブ最後まで観られなかったんだけど,間に合ったみたいで。」

男の人は,ハンカチで額の汗を拭きながら言った。わたしは,ため息をついて,伯父さんをにらみつけた。しょうこりもなく,またこんな…

でも,伯父さんは,大げさに首を振ってた。全力で否定してるみたいだった。思わず声がもれた。

「え?あ,えーと,ってことは?」

「はい?あ,あの,握手してもらってもいいですか?」

男の人が両手を伸ばしてきた。わたしは,じっとその手を見つめた。

伯父さんの申し出を受け入れてから考えたことがあった。アイドルになれたらやってみたいこと,それから,やりたくないこと。

わたしは,ゆっくりと自分の両手を,差し出された手と重ねていく。

 やりたくないことの第1位が握手会だった。だって,知らないおっさんと手を握り合うなんて苦痛としか思えなかったし。

でも,それは間違いだと気づいた。だって,男の人の手から伝わる体温は,なぜか不快に思えなかったから。

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