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第3回

 宗教アイドル…

 完全にイロモノだ。

 そりゃそうだよね。こんなわたしがアイドルになるには,バカなことやって目立つしかない。もしかしたら自分では気づいてないだけで,何か光るものがあったりして,なんて一瞬でも思ったわたしは,ほんとバカだ。

やりたいことを犠牲にして…

 三者懇談では,怒りと勢いにまかせてああ言ったけど,わたしがやりたいことって,何だろう?

 いい大学行って,将来有望な男と結婚して,優秀な子どもを育てて,安定した老後を…。少なくともそんなことじゃない。

それぐらいはわかるから,うっかり誘いに乗って,小さい頃の夢に逃げようとしたんだ。

じゃあ,芸能人とか現実的じゃないもの以外なら,何がしたいのか,っていうと,もうわからない。

 でも,好きなことじゃないと続かない,ってことは,なんとなくわかる。

 また圭治のことを思い出してた。目の前では,グラスのなかでカフェラテの氷がほとんどなくなっていた。

 考えてみれば,圭治とした話は,ほとんど音楽のことか,そうじゃないとただのバカ話だった。音楽以外で圭治が好きなもの,ってほとんど覚えてない。音楽だって,実はそれほど趣味が合ってたわけじゃない。圭治はアイドルが嫌いで,わたしはブルース寄りのロックが苦手だった。

 2人が最初に親近感を感じたのは,きっと教育熱心な親を嫌ってることがわかったときだ。いろいろと親のグチを聞いたり,聞いてもらったりしたっけ。でも,嫌いなことが同じだけじゃ,うまくいかないときが来るのかもしれない。

わたしのネガティブな思考は,そこで断ち切られた。

 誰かに肩をたたかれて,振り返ってみたら,アイスティーを持った美佳が立ってた。

「よかった会えて。何度も携帯に電話したけど,全然つながらなくて。」

 美佳は,バンドのメンバーでドラムを叩いていた。このカフェは,練習帰りに立ち寄るようになった場所だった。

「ほんとにごめん。進路のことで,親とモメて…」

 謝ってから携帯の履歴を見ると,何件も着信があった。でも,気まずそうなのは,わたしの前に座った美佳のほうだった。黙ったまま,ストローでグラスの中をかき回している。

携帯にはメールも届いていて,開くと,「話したいことがある」って書いてあった。

「美佳。話って何?」

 切り出したわたしに,美佳は目を合わせずに答えた。

「ごめん。わたしね,バ…バンドやめようかな,って…」

「えっ?やめるって,そんな急に…」

 ふいをつかれて,言葉がうまく出てこなかった。わたしとは逆に,美佳のほうは,決心がついたみたいだった。わたしをまっすぐに見て言った。

「前から考えてたの。わたしは,みんなほど音楽が好きじゃないし。クラスの友達に誘われて軽音に入っただけだから。みんなとは,温度差?っていうのかな,ずっと感じてたんだよ。」

気づかなかった。確かに,部で知り合ってから,「じゃあ,一緒にバンドを」ってなって,美佳が余ったドラムをやってくれることになったんだけど。悩んでいるのはわからなかった。他のメンバーも,きっと同じだ。

言葉が見つからないけど,沈黙は避けたい。わたしは,とりあえず感じていた疑問を口にしてつなごうとした。

「あの,なんで今日はそんな…スポーティーな服なの?」

美佳は,制服でも,普段着でもなく,トレーニングウエアを着てた。ためらうような表情に戻って答える。

「ああ。うん。これね,これは…バスケ部のマネージャーを頼まれて。ほら,良美がバイクで事故ったでしょ。だから,大会も近いしね,手伝おうと思って。」

全部わかった。

 マネージャーがケガして,バスケ部が困ってるのは本当だ。でも,それよりも大きい理由があった。最近美佳は,バスケ部のキャプテンとつき合い始めた。最後の大会を間近で応援したい,というのが本音に決まってる。

「わかった。みんなにはわたしから伝える。」

 自分でも驚くほど冷たい声だった。美佳はうつむいたまま,グラスを手に取って,立ち上がった。

「ほんとにごめんね。じゃあね。」

 わたしはもう美佳を見ていなかった。これ以上話したら,ひどいことを言ってしまいそうだったから。

 美佳の服の趣味が変わったのは気づいてた。ロリータが入ったガーリーな服が好きだったのに,かなりカジュアルでシンプルになった。

 彼氏の影響って,そんなに大きいんだろうか。少し前まで一緒になって『体育会系の男子って暑苦しくて嫌だよね。』なんて言ってたのに。それが,好きなものが変わってしまうほど…

 視線を戻すと,もう美佳の姿はなかった。

そうだ。美佳には,はじめから,それほどこだわりがなかったんだ,バンドも,音楽も,服も。ただそれだけのことだ。

そんな気まぐれのために,最後の学園祭でバンド演奏ができなくなった。今から代わりのメンバーを探すのも難しいし,美佳がやめれば,他のメンバーのテンションも,だだ下がりに決まってる。

 腹が立った。

 自分はブレないでいよう。わたしは,音を立てて,ぬるくなったラテを飲み干した。

 そこで気づいた。わたしだって,胸を張ってやりたいって言えることがないんだから,ブレるも何もないんだ,って。 



それから2時間後。

わたしは,別のカフェにいた。すっかり暗くなって,窓から見下ろす街角は,人通りも

まばらだった。東京じゃまだヨイノクチだけど,地方は違う。暗くなると,居酒屋か一部のカフェくらいしか開いてない。まあ,まだ進出してない県があるというカフェがあるだけマシかもしれない。

家に帰ってまたモメた。

 先に帰っていた母さんは,驚くほど穏やかだった。もしかして,ちょっとはわかってくれたのかな。一瞬でもそんな風に考えた自分を呪いたい気持ちになっていた。

「好きにしていいよ。」

 夕食の支度をしていた母さんは,なんだかすっきりした表情だった。でも,裏腹に,出てきた言葉は破壊力抜群だった。

「あんたの頭じゃ,そこそこ頑張ったって,たいした大学に行けそうにないし。将来一流企業に入れるわけでも,公務員試験に受かるわけでもない。だったら,いっそのこと好きにしてみたら?その代わりお金は一切出さないけどね。」

わかってる。母さんは,わたしを挑発したんだ。本気で見捨てたわけじゃない。これまで似たようなことをされるたび,わたしは意地で勉強した。でも,もうそんな気にはなれなかった。

 圭治と同じ大学に行く。わたしが進学する理由はそれだけだった。とりあえず地元の国公立を目指すふりして,適当に勉強して落ちて,圭治と同じ東京の私立に行く。そんな安っぽいシナリオも,もう不要になった。

彼氏だけじゃない。友達。バンド。次から次へと,わたしからいろいろなものが離れていく。残ったのは…

「また待たせたね。でも,意外だな。こんなに早く連絡くれるなんて。」

圭治の伯父さんが,アイスコーヒーとケーキがのったトレーをテーブルに置いた。好きこのんで1日2回も会うわけじゃない。わたしは,あいさつもなしで,本題に入った。

「どうにかなりませんかね,あのコンセプト。」

「ああ。宗教?」

 椅子に腰掛けて,脚を組むと,伯父さんは,驚く様子も見せずに答えた。サンダルからはみ出た足の指にまで指輪,って,やっぱりうさんくさい。

「心配しなくていいよ。宗教って言っても,本格的なもんじゃない。俺は,無神論者だからね。あ,ケーキどう?」

イライラするほどのマイペース。都合が悪くなったときの圭治を思い出した。やっぱり似てる。圭治のママが存在を伏せてる,っていうのもわかる気がした。この人に会ったら,圭治のダメ人間ぶりは加速するだろう。

「そういうことじゃ…」

「高校生が宗教って聞くと,小難しいとか気味悪いとか思うのは無理ないと思うよ。でもね,宗教とアイドルって,意外と近かったりするんだよ。ほら,ケチャって,知ってるだろ?」

ケチャは,曲の演奏が静かになった部分とかで,両手を捧げるように差し出して,サイリウムを大きく振ることだ。わたしはうなずいた。

「あれも,もともとは,バリ島の呪術的儀式とポーズが似ているからだよね。」

 言われてみれば,どこかで聞いたことがあった。でも,呪術って…

「まあ,呪術なんて言うと,ますます怪しいって思われそうだけど,1人とか少数の人に対して,大勢の人が同じことをしたり言ったりするのって,それだけで宗教的な要素があるのは否定できないと思うんだよ。もちろん,それは,ロックだって同じかもしれないけど。聡子ちゃんは,音楽に救われたって思ったことはある?」

目が泳いだ。なんだかすべて見透かされてるような気がして。だって,わたしは地味な自分を隠すためにロックを始めて,姉さんへのコンプレックスからアイドルに憧れたんだ。だから…救い,っていうより,音楽に逃げてきた。そう言うのがきっと正しい。

「いいよ。無理して答えなくても。」

伯父さんは,笑って,テーブルの上でケーキの皿をわたしのほうに滑らせた。

「誰だって,多かれ少なかれ,音楽を聴いて気持ちが楽になったことがあると思うんだ。救いって,そんな大げさなものばかりじゃないんだよ。その救いの部分を多少デフォルメして,特徴というか売りにしようって考えてるだけだから。」

確かにそうかも。って,ペースに飲まれ始めてる。危ない,危ない。ただでさえ弱ってるんだから,気をつけないと。そう気づいて,わたしは,いったん話題を変えることにした。

「あの。ところで,素朴な疑問,ていうか,根本的なことなんですけど,あなたは,今までどんなアイドルをプロデュースしてきたんですか?」

「今まで,って?初めてだよ,君が。」

 あっさり言う。とりあえず自分のペースに持ち込みたい。わたしは,すかさず訊いた。

「じゃあ,新人バンドの発掘とかを?」

「いや。それもないよ。興味はあるけど。」

「そうすると,もしかして演歌,だったりして…」

「何もないよ。プロデュースやマネージメントの経験はないんだ。」

 頭を抱えたくなった。まさかノープランでこんなことを?嫌な予感に動かされて,もうひとつ訊く。

「それで,事務所は?」

「ああ。事務所ね。まあ,個人事務所,というか,オフィスもなくて,携帯でやり取りしてるだけなんだけど。」

こっちもソロかよ?つっこみを入れたくなった。

あきれ果てたおっさんだ。わたしの顔に,思い切りそう書いてあったと思う。でも,まったく気にしないのが,この人だ。もうわかってたけど。

「とにかく,音楽の救いの部分が伝わりやすいのがアイドルなんだ。ちょっとそれを確かめに行こうよ。」

 何事もなかったように,伯父さんは笑顔で言った。



週末。わたしたちは特急に乗って上京した。

「やっぱり人多いなあ。もっと早く出発すればよかったね。」

伯父さんが,人込みの後ろに場所を確保しながら言った。

 外資系CDショップのイベントスペースには,ずいぶん多くの人が集まってた。インストアライブで,登場するのは,1000人規模の会場を完売にできるグループだったから,混雑も無理のないことだった。わたしは,つま先立ちになって,前にいる客たちのあいだからステージをのぞき見ようとした。

「見える?肩車しようか?」

「結構です。」

軽い口調で言った伯父さんに,わたしは冷たく答える。でも,顔は笑ってかもしれない。

実は,けっこうこのライブを楽しみにしてた。久しぶりのアイドルのライブだし,中学生の頃とは違った視点で見られそう。というのはもちろん,単純に地元を離れて気分転換したかった,っていうのもあった。

そもそも地元には,こういった外資系CDショップなんてなくて,ほしいCDを買うにもオンラインで…

 とか考えてたら,大きな歓声が上がって,後ろから思い切り押された。少しでも前へ出ようとする気持ちが圧力となって,わたしの背中に伝わる。音楽が大音量で流れ始め,男性客の野太い掛け声がそれにからんでいく。なんとか踏みとどまると,わずかに見えるステージでは,女の子たちが笑顔を振りまいていた。

あの時と同じだった。

 小さいステージだけど,アイドルは,全力で歌って,踊って,スマイル全開で客たちをあおる。客席も,それに応えて,拳を突き上げたり,両手を差し出したりして,大声でコールする。時には,ステージ上の動きに合わせて,集団で左右に移動したりもする。

上京すると何度か来たことがある場所だったけど,全然違う空間だった。キラキラと輝くステージを前にして,わたしはすごい熱量に包まれてた。いつのまにかわたしも,一緒になって,手を上げたり,MIXに参加したりしていた。声が涸れそうになっても,全然気にならなかった。

それから…

しばらくして,わたしは,肩をたたかれた。楽しんでたのを邪魔されて,ちょっとムッとして,伯父さんを見た。

伯父さんは,ステージを見ていなかった。その視線の先をたどってみると,中年の男性がいた。その人は,周りの動きにまったく関係なく,イッシンフランにヲタ芸に打ち込んでた。ちょっと見回してみると,他にもそんな人がいた。そういう人たちは,ほとんどステージを見ずに,身体のキレだけに神経を集中させてるみたいだった。

わたしは,客席の最前列に視線を戻した。ステージとの一体感を作り出している人。自分の身体で何かを表現しようとしている人。みんな同じように必死に見えた。

非日常,という言葉が浮かんだ。ああやって必死になればなるほど,日常から離れられるのかもしれない。わたしだって,伯父さんに肩をたたかれるまで,大声を出して夢中で手を振ってた。将来のことも,圭治のことも,家族のことも忘れて。

 ここにいる人は,アイドルのライブで救われてる?

 それを救いというのかわからない。でも,こういう場を必要としている人が確かにいる。それぞれ何か理由があって,ここに集まって来る。そして,自分なりのやり方で,ライブに参加する。そう。観る,というより,参加。そう言ったほうがしっくりくる。

 わたしがいたのは,それぞれの想いが熱となって生み出した特別な空間だった。何よりも,そんなに暑い日じゃないのに汗ばんだ身体が,それを知ってる気がした。

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