第20回
久しぶりにあの夢を見た。隊長とサービスエリアで話した後だった。とりあえずだけど,考えがまとまったからかもしれない。車が走り出すと,わたしは眠りに落ちた。高速道路を移動する単調な振動が心地よかったのもある。
いつも通りだ。わたしは,白い光に包まれて,宙を漂ってた。やっぱり,ビルの屋上から身体が浮いて…でも,どこなのか場所はわからない。街の輪郭は,ぼやけたままで…
目が覚めたとき,車はもう会場近くまで来てた。と思ったら,すぐに駐車場に到着。それから,隊長とは出演者用入口前で別れた。場内を一緒に歩くのはまずい。タキモトさんが執念深く狙ってる可能性もある。
『気楽にやればいいよ。後に出るアイドルの場所取りしかいないと思うとか。もう開き直って,炎上商法頑張ってます,って言っちゃうとか。』
笑いながら,隊長は一般向けゲートに向かった。1人で現れたわたしに,スタッフは戸惑ってた。でも,とりあえず訊かれなかった。マネージャーはいないんですか,って。わたしの事情を知って,気を遣ってたわけじゃないと思うけど。
で,プレハブの楽屋に案内されて,ひと通り挨拶を済ませた。プロデューサーのライターさんとか,スタッフとか,他のアイドルとか。
その後は,簡単なリハーサル。初めての経験ってわけじゃない。誰もいないフロアを見下ろすのは。「異種格闘技」でも同じようなことをやったから。でも,やっぱり居心地が悪かった。繰り返し問いかけずにいられなかった。自分はここに立つ資格があるのか,って。アイドルは,バンドと違って,細かいサウンドチェックは要らない。短時間で終わったことが,すごくありがたかった。
そして…わたしは,場内を歩き回ってる。あてもなく,ふらふらと。他のアイドルと一緒の楽屋にはいたくなかった。だから,とりあえず,人がたくさんいる場所で気を紛らわせようと決めた。でも…
広いフェスの会場。そのどこにも居場所がなかった。同じ場所でも,気分によって全然違って見える。そんな経験は誰にでもある。だけど,今回はレベルが違った。
去年のこの日。今日みたいに人波に流されながら歩いてた。同じように晴れてて,こんな風に心地いい風が吹いてた。でも,1人じゃなかった。わたしの横には圭司がいた。タイムテーブルを広げて,次に見るアーティストについて話したりしてた。買ったばかりのグッズのタオルで何度も汗をぬぐいながら。
圭司とフェスに来たのは1度だけだった。高校生が県外のフェスに参加するのって,結構たいへんだったりする。チケット代,交通費,それからグッズを買うのに…。金銭面だけでも,いろいろ問題がある。だから,冬のうちから無駄遣いしないようにお互い注意し合ったりもした。出演アーティストがちょっとずつ発表になるたびに,わくわくも高まった。思い出せば,準備から当日まで全部が楽しかった。
『来年は無理かな。受験あるし。次は,大学入ってからだな。』
圭司が言ってた。わたしは,ふつうにまた来る気だったけど。圭司だって,そんなこと言いながら,きっと一緒に来る。そう思ってた。だけど,結局わたしは1人で歩いてる。1人で来たんじゃないけど。
気づくと,わたしは一番小さいステージの前にいた。正確には,わたしが出るテント型のステージが最小で,それ以外では,ってことになる。
ライブ開始までまだ数時間ある。ステージには,何人かスタッフがいて,サウンドチェックをしてた。中年の男性がマイク越しに声を出すたび,持ってるペットボトルがビリビリと震える。わたしの周りに,まだ人は少なくて,居心地は悪くなかった。少しほっとして,ここで時間をつぶすことにする。登場予定のアーティストの熱心なファンにまぎれて。わたしは,前から2番目の柵にもたれた。出演者用のリストバンドは,タオルで隠しておく。
まだ朝なのに,体中からじわじわ汗が吹き出す。だからずっと夏が嫌いだった。でも,去年気づいた。嫌いなのは夏じゃない。暑いなかで授業を受けたり,つまらない行事にかり出されるのが嫌いなんだ,って。去年のフェスは,開放感と期待感と高揚感と…とにかくプラスの感情しかなかったから。今年だって,伯父さんのことがなければ…
でも,夏のドラマは,嫌いだ。始まりは,「夏だからはじけよう」ってテンションが高い。それが,最終回が近づくと,決まってさみしい展開になる。季節だけじゃなくて,青春が終わってしまうような…。
青春って…思わず口元が緩む。らしくないことを考えてる。そういえば,伯父さんも,青春って口にして吹き出したっけ。両親を説得に来て…
「あっ!」
思わず大きな声がもれた。何かが耳元をかすめたからだ。視線で追うと,それは足下にあった。不快な音を発して,わたしの影のなかで,ジタバタもがいてる。ちょっと後ずさって,こわごわ観察する。セミだ。
このステージは林のなかにあって,周囲を木で囲まれてる。木から飛び立ったのか,どこかから来たのか,わからない。とにかく力尽きたセミが落ちてきた。そう気づくのに数秒かかった。いつの間にか意識の外だったけど,ずっと鳴き声がサラウンドで聞こえてたのに。
地上での寿命は1週間。よくそう言われる。もう期限が迫ってるんだろう。サウンドチェックはまだ続いてる。そのすき間に,羽根の音が耳に届く。耳障りなはずなのに,ひどくさみしく響いてくる。
思わず後ずさった。悲しいのか,怖くなったのか,それとも…言葉にならない。わかってるのは,ただひとつ。どんなことにも期限がある。セミだけじゃない。誰にとっても,夏には終わりがある。
最後の最後まで迷った。そして,たどり着いたのは,シンプルな答えだった。これまでと同じ。目の前のイベントをやり切ったとき,何かが見えるかもしれない。それだけだった。それだけでなんとか乗り越えてきたんだから。
でも,今回は違った。いちばん恐れていたこと。わたしの身に起こってるのは,最悪の事態だ。思えば,ずっと強がってた。でも,それが通じない。それほど特別の場所なんだ,って思い知った。わかったときには,もう遅いかったけど。
会場は,半分くらいの客入りだった。それでもよく集まったほうだと思う。プロデューサーの独断で選ばれたロコドルが1曲ずつ歌うだけ。申し訳ないけど,選考基準がまったくわからない。で,知名度の高い子はゼロ。だから,大きいステージに出る有名バンドを観ないでこっちに来るとか,それだけで奇特な人たちだ。もちろん,「失格」のわたしに言う権利なんてないけど。とにかく,こんな観察ができたのは開演前のこと。今,目の前のフロアは,ざわめき始めてる。
そう。わたしは,完全フリーズ状態。とりあえず,マイクスタンドの前まで来た。でも,そのあと…身体は強張って,言葉が出ない。口が動かないのもある。でも,それ以前に話すべきことが頭に浮かばない。違う。別に何も話す必要なんかない。「美宙祈です。よろしくお願いします。」普通にあいさつして,しれっと歌って,引っ込む。それだけでいいのに,それができない。頭ではわかってる。けど,何かがそれを許さない。わたしはどうしたいんだろう?こんなところで謝罪とか?そんな大げさなもんじゃない。それでも,何か言わなくちゃいけないような…
フロアに視線を泳がせる。伯父さんの失踪で「BOYZ」は自然消滅した。いつもの最前に隊長の姿もない。会場は,テントと言っても,三方から外の光が入ってくる。そんな構造だから,顔の認識はしやすい。見つけた。中央付近,PA機材の前あたりだ。隊長が手のひらで空気を押さえるような仕草をしてる。その口は「落ち着いて」って,動いてた。わかってる。けど,どうにもできない。それから,視線を滑らせて…
『奈津!!まどかさん!!』
入口近くの柵の前。2人が大きな口を開けて,こっちを見てる。「頑張って」って言ってる。両手の拳を強く握りしめて。ごめん。それも,やっぱり声にならない。そして…スタッフの様子は…怖くてステージそでが見られない。音を出すタイミングがわからなくて困ってるに決まってる。
「ちょっと,君…」
上手のそでから声が飛んだ。慌てるスタッフを押しのけて,誰かがこっちに…何かを引きずって来る。ガラガラと音を立ててるのは…車椅子だ。
『莉世さん…!!』
心で叫んでた。莉世さんは,スタッフに向かって何か毒づいてる。プロデューサーが駆け寄って…制止したのは,莉世さん…じゃなくてスタッフのほうだ。ざわめきがどよめきに変わる。
「何やってるんですか!?」
莉世さんが怒鳴った。でも,怒ってるように見えない。口元が笑いをこらえるみたいに歪んでる。車椅子には,いつものお爺さんがいる。こっちは,半笑いを隠そうともしてない。2人は,わたしのすぐそばで止まった。
「それ借りますね。」
莉世さんが,マイクスタンドを引き寄せた。余計に居心地が悪くなった気がする。わたしとお客さんの間に何もなくなったから。そんなの莉世さんには全然関係ないけど。
「ちょっとお時間いただきます。わたしですか?失礼しました。ご存じの方もいるかもしれませんが,彼女に『異種格闘技』決勝で敗れた古川莉世です。」
莉世さんは丁寧に頭を下げる。会場が静まった。予定外の展開に,誰もが戸惑ってる。莉世さんは,「福祉アイドル」の設定に戻ってた。っていうか,あの姿を知ってるのは,わたしだけかもしれない。
「言いにくいんですが,美宙さん,ちょっと問題を起こしまして…」
莉世さんが,わたしに視線を送った。思わずうつむいてしまう。公開処刑?それとも,ライブ乗っ取り?一瞬そう思った。でも,莉世さんの声は,なんだか優しい。あの攻撃的な響きはカケラも感じられない。
「でも,みなさんにもありますよね。ひとつやふたつ,人には言えないことが。」
「ある!ある!もう数えきれないほど。」
聞き覚えのある声が聞こえた。隊長だった。莉世さんの意図を読み取ったみたいだ。でも,後に続く人はいない。笑い声も起こらなかった。ゆっくりとフロアを見回す莉世さん。どう反応したらいいのか,誰もわからない。気まずい沈黙が場を支配してる。
「そうですか…まあ予想はしてたけど…」
一瞬,莉世さんの瞳が輝いて見えた。あのとき,あの物販コーナーで見た危険な光がまた…
『行くよ。』
そう聞こえた。お爺さん向けた言葉だと気づく。莉世さんは,車椅子のハンドルを握り直すと,両手に力を込めた。
「ほらよっ!!」
車椅子が客席に向けて滑り出す。フロアから悲鳴が上がった。柵の前で背中を向けてた警備員が異変に気づく。振り向いて,受け止めようと身構えた。落ちる!そう思ったら,車椅子が倒れて…お爺さんが投げ出された。また悲鳴が聞こえて…すぐに場内が静まり返る。
「いててて…」
沈黙を破ったのは,お爺さんの声だった。
「何するんじゃ,このアマ!!」
お爺さんは,腰を押さえながら立ち上がった。そう。立った。と思うと,そのままこっちに歩いてくる。これって,どういう…?お爺さんがウインクした。すれ違うとき,ささやき声が聞こえる。
『好きにやりな。』
お爺さんは,上手そでに消えてく。スタッフたちは,声をかけるのも忘れてた。あっけにとられたまま見送るだけだ。ただ1人,プロデューサーだけが笑ってた。
「驚かせちゃったよね。見ればわかるだろうけど,爺さん,あの通りピンピンしてんだよ。」
莉世さんは,「やさぐれモード」を解禁した。お爺さんが歩いただけじゃない。莉世さんを知ってる人には,二重の驚きだ。思考が追い付かなくて,言葉を失ってるだろう。
「それから,あたしが介護士の資格持ってるってのもウソ。医療にもボランティアにも興味なんてないよ。ただの設定。」
正しいリアクションを教えてほしい。みんなそう思ってるみたいだ。だって,めったにないことだから。乱入者からのカミングアウト。フェスでこんな経験をするなんて,レアすぎる。
「というわけで,じゃあ,あとはよろしく。美宙ちゃん。」
莉世さんが,スタンドを元の位置に戻す。棒立ちのわたしに,肩をがぶつかった。思わずよろけて,なんとか踏みとどまる。それでやっと身体に力が戻ってきた。莉世さんは,そでまで戻ると,プロデューサーの隣に立った。腕組みをして,うなずくのが見える。
「え…あの…」
やっと出たのは…自分ながら,間の抜けた声だった。身体中から汗が吹き出してくる。会場特有の湿気を帯びた熱。それが,蘇ったみたいに,全身にまとわりつく。忘れてた感覚が,次々に戻ってくる。
「わ…わたし,テレビで,ニュースは見ません。見るのは…ドラマとか音楽番組とか,あ,あとアニメとか。」
今度は,ふつうに声が出た。少しほっとする。お客さんは,戸惑ったままだけど。当然だ。わたしの話は,唐突すぎた。頭のなかにあることが,うまくつながらない。すごくもどかしい。けど,もう後戻りはできない。
「よく姉にバカにされるんです。あんたが興味があるのは,作り物ばかりだって。で,でも,そんなに大事なんでしょうか,本当のことだけが。」
隊長を見た。笑顔で何度もうなずいてる。それで思えた。1人でも2人でもいい。わかってくれる人がいるなら,伝えようとすればいいんだって。
「『アイドル異種格闘技』が始まる前に,アキバのメイドカフェに行きました。そして,準決勝で,そのお店のメイドさんたちと戦いました。メイドカフェって,設定の世界ですよね。本当に主人とメイドの関係じゃないし。それで…そのお店は,もうすぐ閉店します。だから,ライブでは,メイドさんもお客さんも泣いてました。ライブの後で思ったんです。あのときは,きっともう設定はどうでもよくて,あの涙にうそはなかった,って。そこには,設定を超えた絆があるんだって。そ,そう。さっき,莉世さんも言いました,設定だったって。でも,やっぱり,莉世さんとファンの方も,同じような関係だと思うんです。」
莉世さんを見る。否定するみたいに手を振ってる。こんな莉世さんを見るのは初めてだ。照れ笑いを浮かべて,視線をそらしてる。
「それで,考えました。わたしはどうだろう,って。応援してくれる人たちと…そんな関係を築けてたのかな,って。あの…言い訳をしたいんじゃないんです。わたしがダメだったことを否定するつもりは,全然ありません。実際,わたしは,ファン第1号だって言ってくれた人がわたしに求めてることさえわかりませんでした。」
地元駅前でのライブを思い出す。こんなことになったけど,タキモトさんがいなかったら,次のライブはなかったかもしれない。考えてみれば,ちゃんとお礼を言った記憶がない。せめてこの話を…って,会場を見回すけど,やっぱり姿は見えない。
「ファンの方だけじゃありません。ほんと,わたし自分のことばかりで,近くにいた人の気持ちもわからないまま離れることになったり…」
声がかすれた。ステージに上がる前,最低限決めてた。絶対に泣かない,って。でも,ダメだ。頬を涙が伝うのがわかる。だったら,下は向かない。せめて視線だけは前に…
「ごめんなさい。話がまとまらなくて。もう終わります。」
わたしは,袖で涙をぬぐう。何度も着た天使をイメージした衣装。よく見ると,ところどころ糸がほつれたりしてる。
「アイドルは設定が多い世界です。設定を面白がるのもいいし,設定を超えたところにも本当のことがあって…楽しみ方はいろいろあると思います。わたしは,っていうと,雑な設定で,思い出すと恥ずかしいことも多いんですけど…でも,本当のことがあるとすれば…会場の人と一緒に笑ったり,叫んだり,暴れたり…そのときは,ほんとに楽しくて,みんなに楽しんでほしかったし…その気持ちにうそはありません。」
もう一度フロアを見回した。また涙がこぼれそうになる。完全なアウェイを覚悟してた。でも,気づけば,全然ヤジが飛んでない。それどころか,怒った表情をしてる人も見当たらない。
「正直に言うと,ここに来るか迷いました,本当にギリギリまで。でも,思ったんです。逃げてしまったら,全部がうそになっちゃう気がして。だから,話させてもらいました。最後まで聞いていただき,ありがとうございました。」
わたしは,一歩後ずさって,頭を下げた。額がひざにつくくらい精一杯。顔を上げて,マイクを引き寄せて,そでを見た。
「スタッフのみなさん。これから出る出演者のみなさん。時間オーバーしてすみませんでした。」
もう一度頭を下げる。そして,ゆっくりとフロアに向き直る。これで最後だ。わたしは,またお辞儀しようと…
『えっ!?』
わたしは自分の耳を疑う。拍手が起こった。始めたのは,3人に決まってる。それが,だんだん大きくなって…
「本当にありがとうございました。」
目を閉じて,限界まで腰を曲げる。感謝以外何もなかった。ありふれた言葉だけど,他に思いつかない。頭を上げようとして…
「えっ!?」
今度は声が出た。拍手と入れ代わるように曲が流れ始める。熱をはらんだ空気を,ピアノの音がゆっくりと満たしてく。話し始めたときから思ってた。もう歌うつもりはなかった。もともとそんな資格なんてないし。そでに目をやった。莉世さんとプロデューサーが並んで笑ってる。はじめから2人は,きっと…こみあげてくるものがあって,思わず目を閉じた。そして,フロアを見たら…
「……」
言葉を失った。目の前にあったのは,光の海だった。たくさんの人が手にしたサイリウムが,白い光を放ってる。奈津とまどかさんを見た。2人ともドヤ顔になってる。汗をかきながら走り回って配る姿が浮かんできた。
やっぱり思いつかない。どんな言葉も足りない気がする。気持ちに応えるためにできること。それは,精一杯歌うことしかない。なぜだかわからない。気づくと,わたしは,背中に手を回してた。一気にジッパーを下ろすと,ドレスが床に落ちる。足を抜いて,一歩前に出た。
タンクトップとショートパンツになったわたしに,見てる人たちの表情が変わる。ツインテールを束ねるゴムに手をかけた。引き抜こうとして,手を止める。そして,わたしは,大きく息を吸って,最初の一音に思いを託す。
『何ひとつわからないまま/ひっそりと歌い始めた/抱えてた不安とはうらはらに弾む心』
ちょっとかすれ気味だけど,音は外さずに済んだ。選曲についても迷った。選んだのは,バラードだった。カフェでのカバーライブ以外でバラードを歌うのは初めてだ。もちろん,暴れられる曲をやることも考えた。そのほうが,わたしらしい。それはわかってた。でも,「BOYZ」が解散した今,先導する人数が足りない。それも大きい。けど,だけじゃなくて,最終的に歌いたい曲を優先した。最後になるかもしれないから。
『思い描いた形とは違う日々のなかで/心のなかにいつも抱えてた想い』
伯父さんが残していったデモテープにあった曲。メロディーが気に入って,勝手に歌詞をつけた。それで,いつか歌う機会があったら,なんて思って,浅岡さんにアレンジをお願いした。完成したデータが届いたのは,3日前だった。だから,練習してる時間も気力もなかった。それを気持ちでカバーしよう,って,思えば無茶な選択をした。
『気まぐれな熱に巻かれて渦のなかにひとり/光と音が交差する舞台に立って/生まれたばかりのメロディー口ずさんでいる/ぎこちなく微笑んで/前へ』
歌詞には,自分の気持ちをストレートに乗せた。できるだけ思いついた言葉をそのまま使うようにした。歌ってみると,これまでのいろんな場面が,次々に浮かぶ。地味で暗かった幼少の頃…莉世さんのライブを観た地元のショッピングモール…マスターの店で圭治や奈津と出たライブ…伯父さんに声をかけられた商店街…鮮やかによみがえっては,残像を置き去りに,一瞬で消える
『揺れている遠くのあかり/眠れずに眺めている/物語思い浮かべ/窓越しに手を伸ばして』
サイリウムは揺れ続けてる。実はもうひとつあった,ここに立つことに決めた理由が。車で見たあの夢。これまでも「夢診断」のサイトで調べたことがあった。多いのは,「空を飛ぶ夢は,コンプレックスの現れ」っていう解釈だ。それが,今朝たまたま,変わったサイトを見つけた。夢の内容を文章で入力する,っていうシステムだ。試してみると,こんな回答が現れた。
「心の奥に願望があるが,まだあやふやな状態で,実現する方法がわからなくて,行動が伴っていない。」そこには,こんなアドバイスが添えられてた。「漠然とした思いのままだとチャンスを遠ざけることになるから,自分は何を望んでるか明確にすべきだ。」読んで,眠気が一気に覚めた。すべてがつながった気がしたから。
『決して触れることはなくて/交わることもない/そこにあることそれだけで/救いに感じて』
だって,幼い頃から何度も見てきた夢だ。それが,伯父さんに会って,アイドルを始めてから見なくなった。だけど,アイドルをやめるかも,って思ったら,すぐにまた夢を見た。偶然なんて思えない。わたしの願望は変わってない,莉世さんのライブを観るずっと前から。こうして人前で歌うこと。それも,バンドじゃなくて,アイドルとして…
『夢の終わりをいつからか考え始めてた/失くしたものと手にした希望のあいだで/耳をふさいでもどこかで鳴ってるメロディーに/導かれて歩いてる/今も』
目の前の光景が夢と重なる。なぜだろう。いつからか,わたしは,あの光を人造ダイヤだと思うようになった。検索したことがある。ジルコニアっていうんだっけ。たいした価値はない,って書いてあった。
サイリウムが放つ光。良識的な大人からみたら,くだらないことだと思う。いい歳した人がアイドルのライブで,サイリウムを振るなんて。でも,わたしは知ってる。その一つひとつにそれぞれの想いがある。それは,その場だけのことかもしれない。けど,やっぱり,一時的かもしれないけど,本当の気持ちがある。
また景色がにじみ始めた。気づくと,曲はもう落ちサビになってる。
『加速し始めた季節は誰も待たずに/輝きだけを刻みつけてく/つかの間の夏駆け抜けて/残るものは何』
わたしにできるのは,最後まで歌うことだけ。わたしが願うことも,ただひとつ。この情景を見続けていたい。それだけだ。もう音程とかどうでもいい。最後のサビにすべての気持ちを込めよう。
『夢から覚めても昨日の自分に戻れない/さびしさ宿した瞳は知ってるけど/それでもわたしは歌いつづけてく/重いまぶたこじあけて/前へ』
午後の光のなかを,特急列車が遠ざかる。線路を揺らす音が,ペースを上げながら小さくなっていく。
『一足先に行って,待ってるよ。』
ドアが閉まる前,隊長が言った。電話があったのは,3日前だった。東京に行くことにした,って。急だったけど,ずっと考えてたみたいだ。生まれてから一度も出たことがない町を出て行く。隊長にも,何かきっかけがあった。そういうことだと思う。それは,きっと伯父さんと無関係じゃない。わたしは,黙ってうなずいた。
電車が視界から消えるのを待って,ホームを歩き出す。日曜日の昼下がりは人が少ない。駅は,通学する時と別の表情をしてる。でも,違和感は時間帯のせいだけじゃない。貼られてるポスターも,初めて見るものが多い。
階段を上り始めて,気づく。わたしは,全然息切れしてない。夏のあいだライブをしたことで,少し体力がついたのかもしれない。そう。たくさんのことが変わった。改めて考えなくたって,わかってる。でも,ちょっとしたことで思い知る。しばらくそんなことを繰り返してた。
改札を抜け,出口に向かって…すぐに立ち止まる。帰宅するには,こっちのほうが近い。でも…わたしの足は,別の出口に向く。足早に階段を降りると,薄暗い構内から外に出た。思わずまぶしさに目を細めてしまう。ロータリーは,強い日差しに包まれてる。
すべてはここから始まった。わたしが,初めてライブをした場所。足を止めて思った。見た目は,あのときと何も変わらない。けど,肌が教えてくれる。吹き抜ける風が違う,って。生ぬるいのは同じなのに,含まれてる熱が違う。こうして夏の名残りは消えていく。
わたしは考える。どんなことにも終わりがある。いつまで歌っていられるのか。アイドルブームもいつまで続くのか。ダメだ。ブームって言いたくない。ブームで終わらせないために,みんな頑張ってる。周りの状況のせいにしてたら,何もできない。わたしがどうするか。それだけだ。
視界を高い壁が遮ってる。わたしは,無意識のうちに振り向いてた。駅ビルのウインドーに映る自分と向かい合う。髪を軽くなでて思う。ツインテールをほどくまでは,まだ少し時間がありそうだ。
自動ドアが開き,人が出てきた。同時に,流行のアイドルソングの音量が大きくなる。アイドル。それを支えるスタッフ,ファン。この熱は,これからどこへ向かうのか。わたしがいつまでアイドルと名乗れるかは,わからない。でも,少なくとも,行き先を見届けたい。
だから,わたしは,限りある夏を駆け抜ける。見つけた熱を追いかけて。
最後まで読んでいただき,ありがとうございます。
完結までに4年以上がかかってしまいました。その間,何度か中断がありました。だから,「完結しない可能性があります」と書かれた作品に最後までつき合っていただいたことには,感謝の気持ちしかありません。
次回作については,すぐに取りかかる予定です。舞台は,今作の主人公美宙祈が去った地方都市になります。よろしければ,またおつき合いください。
ありがとうございました。




