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第19回

「まったく誰かと思ったよ。こんな時間に。」

 わたしを招き入れると,マスターはあきれ顔で言った。深夜のライブハウス。明かりを落としたロビーは,いつもと別の場所みたいだ。

「理由はともかく,柿沼…親父さんは知ってるのか?」

突然の訪問に,マスターも戸惑い気味だ。わたしは,力なくうなずいた。

「父さんには言ってきた。」

 母さんは知らない。後でわかったら,壮絶な夫婦げんかに発展しそうだ。マスターは,コーヒーをいれようとして,背を向けた。わたしは,声を絞り出すように言う。

「伯父さん…マネージャーがいなくなった。」

 あの夜から5日経ってた。昼間,隊長から電話があった。伯父さんに連絡できないけど,何か知ってるか,って。それと,わたしのブログが炎上してる,って。わたしの,っていっても,管理してたのは伯父さんだけど。マスターが,振り向いて見つめる。

「いなくなった?って,なんで?」

 わたしは,無言でスマホを取り出す。マスターに近づいて,画面を見せた。

「この人がマネージャー?」

 黙ってうなずく。写ってるのは,わたしたち2人。きれいな夜景をバックに,どう見ても言い訳できない状況になってる。インスタ映えが完全にあだになった。

「この男は…どこかで会ったような…」

「圭治の伯父さん。この店の修理代を払いに来た,って…」

マスターが,腕組みをしてうなった。断片だった思考がつながったみたいだ。

「そうか。ヤツの伯父さんか。なるほど。それで,これがネットにバラまかれたってことか。誰がそんなことを?」

 隊長が言ってた。

『タキモっちゃんだと思って間違いないと思うよ。SNSの更新が止まってるから。それまでは,あんなに頻繁に,祈様の話題を上げてたのに。もし,そうじゃないなら,あの人のことだから,何かの間違いだって,聞いてくると思うし。たぶん,あの夜,ライブの会場から後をつけてたんじゃないかな。』

 崩れるみたいに,ベンチに身体をあずけた。スマホを操作して,タキモトさんのブログを開く。大きな息がもれた。やっぱり更新は止まったままだ。

「ファン第1号…だった人。中年のおじさん…普通の。」

「ふうん。かわいさ余ってなんとかってヤツか。」

「どうかな。こんなふうになると思わなかったんだけどね。わたしって,アイドルっぽくないし,バカなことやるのを面白がってくれてるんだって思ってた。」

 思い出した。アイドルフェスのときだ。隊長は,気づいてたのかもしれない。それで,話に割って入ってきた。タキモトさんと長時間接触させないために。

「よくわからんが,第1号なんて言われて,自分は特別だと思ったのかもしれないな。男ってバカだから。」

 少し自嘲的に笑って,マスターがコーヒーを差し出す。

「そんなもんなのかな。」

 軽く頭を下げて,カップを受け取る。マスターが一口すすって言う。

「で,俺に何してほしいんだ?そいつをつかまえて,ボコボコにするとか?」

「そんなんじゃないよ。ただ…」

「ん?人探しなら無理だぞ。いろいろバイトもやったが,探偵の経験はないからな。それに,興信所にも知り合いはいないぞ。」

 わたしも,コーヒーに口をつける。やっぱりブラックは苦手だ。でも,なぜか苦さが心地よく感じる。

「それも違う。知りたいんだ,どうして黙っていなくなったのか。」

 あの時の様子でわかる。遅いか早いかの違いだけ。きっともう会えないのは同じだ。でも,少しでもいいから最後に話をしたかった。うまくしゃべれるかわからないけど。

「理由か。そう言われてもなあ。一度しか会ったことないからな。それも,金置いてすぐ帰っちまったし。まあ,聞いた話じゃ,その人と俺との共通点って,バンドでプロ目指したことがある,ってくらいだろ?」

「それと,ダメ人間。」

「うるせえ。って,そんなつっこみができるようじゃ大丈夫だろ?それに,いつの間にかタメ口になってるし。」

「あ!」

 口に手を当てて,息を止めた。もう少しでカップを落とすところだった。心が折れてるとはいえ,こんな年上の人にタメ口って…

「ごめんなさ…」

「いや。構わんよ。さすがに,親父さんには話せないだろうからな。やっぱり恋愛がらみは気まずいよな。だから,同じ年の俺に話をしにきた,ってことだろ?」

 うなずくしかない。さすがマスターだ。しっかり読まれてる。あれから父さんとの会話は,ウソみたいに増えた。でも,今回だけは詳しく話せない。

「そうだな…もしも,俺がヤツの伯父さんだとすれば…」

 マスターは,一気にコーヒーを飲みほした。膝をかばいながら,わたしの隣に腰を下ろす。

「若い彼女ができれば,きっと考えるんだろうな。いろいろと先のことを。」

「先のこと,って?」

「ああ。年の差が30とかだろ?最近じゃ,『歳の差カップル』も珍しくないらしいが,30はでかいからな。」

 考えてもみなかった。伯父さんとも,いつの間にかタメ口になってた。話してて,歳の差を感じることもなかった。マスターは,ちょっと間をあける。それから,言葉が見つかったみたいに,また口を開く。

「そうだな。つき合ってくうちに,思うんだろうな。結婚するとか現実的じゃないし,自分とつき合うことが,相手に遠回りをさせることになるって。」

「気にしない子もいるよ。だって,交際相手は50代でもいい,って言ってたアイドルもいるし。マスター,ギリ40代でしょ?」

 少しずついつもの調子に戻ってきた。マスターにも,ほっとした様子が見える。

「まあな。アラフィフってヤツだが。それに,夢のない話になって悪いが,たとえ結婚したって,20年後には介護なんてことになる。そんな重荷を背負わせるわけにはいかないって考えても,おかしくない。」

「でも,同年代とつき合っても,事故にあえば後遺症が残ったり,若年性アルツハイマー?になるかもしれないよ。」

「おい,おい。いきなりそんな…」

 マスターが吹き出した。わたしは,むきになって反論したくなる。

「真面目に話してるんだけど。実際,そういう人もいるでしょ?」

「そりゃそうかもしれんが,そんな低い確率のことなんて,普通は考えないだろ?ほんとよくわからんな。ポジティブなんだか,ネガティブなんだか。」

 やっぱり柿沼の娘だな。マスターはそう言いたかったんだと思う。そんなこと言われなくても…って,違う。話をそらせてる場合じゃない。

「ネガティブっていえば,伯父さんもわたしが好き,っていう前提で話してもダメかも,って思うんだけど。ほら。わたしの気持ちに気づいて,面倒になって逃げたくなったとか。」

「うーん。ゼロとは言えんが,それならむしろ,そのファン第1号に会って,これ以上騒ぎ立てないのを条件に,もう聡子に会わないって約束したってほうが,俺には説得力あるけどな。」

「そうかな。それも,あるかもだけど,わたしなんてアイドルっていっても,まだ…」

 言いかけて思い出す。隊長が言ってた。一部でわたしの知名度が上がってるらしい。「異種格闘技」の優勝とフェス出演権獲得。それから…伯父さんの「拡散作戦」…全部裏目に出た。

「あーあ。皮肉だよね。今までは,少しでも多くの人に知ってもらいたい,って思ってたのに。こんなことになるなんて。」

「まあ,今さら言っても遅いさ。ところで,フェスって,明日だよな?」

 いい頃合いで話題を替えてくれた。そう。もうひとつ話したいことがある。わたしは,壁の時計に目をやって答える。

「うん。っていうか,もう今日。」

「いいのか?こんなとこにいて。」

 マスターの視線が宙をさまよってる。頭のなかで,会場までの移動時間を計算してるみたいだ。わたしは,目線を下げて,つぶやく。

「うん。もういいかな,って,出なくても。」

「はあ!?お前,何言ってんだよ!?」

 暗いロビーに声が反響する。こんなに慌てたマスターは初めてだ。わたしは,床を見つめたまま答える。

「だって,こんな状況で出るなんて,思ってなかったからね。だって,考えてみれば,今まで一度もヤジとか経験してないんだよ。」

 アイドルが運営とつき合うのは「大罪」だ。アイドルファンの見る目は厳しい。それに,ファンじゃない人が,乗っかってひどいことを叫ぶかもしれない。

「ヤジか。まあ,確かに最近じゃ,ロックのライブより,アイドルのほうが観てる側が荒れることがあるとか聞くからな。でも…なるほど。俺にもうひとつ訊きたいのは,それか。フェスに出るべきかどうかってことだな。」

 わたしは,黙ってうなずく。そしたら,笑うみたいに息がもれる音がした。と思うと,マスターがゆっくりと立ち上がる。

「残念だが,どうやら時間切れだな。」

 時間切れ?わたしは,驚いて視線を上げる。マスターは,窓の外に目を凝らしてた。視線に気づいて,笑いながら振り返って言う。

「その質問には,他のヤツが答えてくれるよ。」



「タイムトラベラーって,さすがにそれは…」

 隊長の笑い声が朝の空気に溶けてく。早朝は空気が澄んでる。そう言われるけど,ここはそうでもない。高速のパーキングエリア。行き交う車の排気ガスが,風に乗って運ばれてくる。

「笑わない,って言ったのに。だって,そう思っちゃったんだから,しょうがないでしょ。」

 最後の部分は,エンジン音にかき消された。わたしたちは,駐車場近くのベンチで休んでる。まだ夜明け前なのに,車は少なくない。空は,東と思われるあたりだけ,少し色が薄まってる。

「それにしても,あまりにそれはね。あの人が未来人って言われても…」

「だから,可能性があるって言っただけで…」

 伯父さんがいなくなった理由。いろいろつじつまの合う解釈を探してみた。それで,マスターには話さなかった一番現実味がないもの。隊長には,それを話してみた。待っていたのは,予想通りのリアクションだった。

「祈様の元カレが未来から来て,アイドル活動を始めるきっかけをくれたって?どうしてそう思ったの?」

「だって,家を追い出された伯父さんが戻って来て,圭治と別れたタイミングでわたしに会いに来る,なんて出来すぎでしょ?それだけじゃないよ。腕の,圭治と同じ場所に,傷があったり。それから,奈津とも会って,すぐふつうに話してたんだよ。『なっちゃん』って呼んだりして。」

 そう。なんとなく感じてたけど,打ち消してきた。でも,圭治の最後のライブ以来,それができなくなってる。

「でも,聞いた話じゃ,元カレはアイドルが嫌いだったんだよね?それなのに,どうして手伝ったりするの?」

「それは…わたしがアイドル活動をしないと,将来後悔するから。そう考えれば,わたしはいちおう納得できる。」

 両親を説得したときだ。伯父さんは確信を持って言った。わたしは,後悔して,こじらせた人生を送る,って。今度は,わたしが訊く。

「ねえ。隊長は,何か気づかなかった?わたしのいないところで,いろいろ打ち合わせとかしてたわけでしょ。だから,わたしの知らない伯父さんの一面,っていうのかな。どこか引っかかることとかあるかも,なんて。」

「そう言われてもね…次から次へとアイディアを出してくる,話好きのおっさん。最初からずっとそんな印象だけど。それ以外だと…」

 隊長は,ちょっと考え込む。視線は,走り去る車のテールランプを追ってる。1台…2台…3台…それ以上の答えは望めない感じだ。

「ごめん。わからないよね。わたしだって,いろいろ話してたのに,大事なことには気づいてなかったんだから。」

「こっちもごめん。ちなみに,確かめる方法はあるの?実際に元カレに,そういう伯父さんがいるかどうかとか。」

 解放されたみたいに隊長の声が軽くなる。確認。もちろんわたしも考えた。けど…

「難しいよね。伯父さんは,圭治は自分の存在を知らない,って言ってた。そこには矛盾はないんじゃないかな。だって,あんな音楽好きでおもしろい伯父さんがいれば,絶対話題になってたと思うから。あとは,圭治のお母さんだけど…」

「うん。何か理由をつけて訊いたりとか…」

「絶対無理だと思う。あのお母さんって,ほんと世間体ばっかり気にしてるから。わたしの母さんといい勝負だよ。あの人が本物の兄さんだとしても,家族の恥になるような存在のこと認めるわけないよ。」 

それだけじゃない。三者懇談のときだ。脈絡なくいきなり嫌味を言ってしまった。

「じゃあ。あの人の友達とか同級生とか探すのはどうかな?他に写真とか残ってない?問題の写真だと暗くて顔がはっきりわからないし。」

 もちろん,それだって考えた。でも…あのカフェでのライブを思い出す。

「写真って言っても,きっと覆面姿しかないよ。他に持ってる可能性があるとしたら,タキモトさんだけど…」

「そうか。あの写真をバラまいたってことは,あれ以上はっきり写ってるものはないってことになる。」

 隊長は冷静だ。いつもなら,「さすがパートナー!」なんて言って,ふざけるところなのに。その代わりに,わたしは話を進めるのを選ぶ。

「そう。もしかしたら,なんだけど,その写真が原因なんじゃないかって。伯父さんが急にいなくなったことの。」

「写ってはいけない人間が写真に撮られた,とか。タイムトラベラー説だと,そうなるのかな?」

「わからないよ。タイムトラベルとか,ドラマの世界だから。でも,過去にいられる時間は,限られてるとか言うよね。」

「そう。時間には,『異物』を排除する作用があるとか。まあ,どこにいても,あの人は,異物感だだもれだけどね。時代の問題じゃなくない?」

 久しぶりに大声で笑った。通り過ぎる人が振り返って見てる。はたから見たら,幸せなカップルに見えるかもしれない。わたしは,座り直して,大きく伸びをする。

「あーあ。あんなことがなければ,今頃,楽しくて仕方なかったんだろうな。きっと3人で,フェスの会場で何を食べようかとか言って,盛り上がってたんじゃないかな。」

「うん。くだらないゲームでもやって,誰がおごるか決めたりして。で,あの人が,大人げなく勝負にこだわって…」

 隊長がまた黙り込む。わかってる。何を話しても,結局さみしくなるだけだ。

「ごめんね。全部わたしがぶち壊しにしちゃって。今まではね,テレビとかネットで恋愛禁止のルールを破ったアイドルを見て,正直バカだって思ってたんだ。なぜこんなに軽率なのか,って。でも,自分がこんなことになるなんて。しかも,運営って,ほんと最悪だ。」

「自分がどうなるかなんてわからないよ。特に,今回は急にマネージャーを辞めるって言われて,不安定な状態だったんだし。」

 隊長は優しい。いつもの人を食った雰囲気はかけらもない。だからなんだ。余計に自分が嫌になる。

「仕方なくないよ。しかも,こんな中二病みたいな発想持ち出して,自分を正当化してるのか,って言われても,言い訳できないし。ほんと恥ずかしい。」

 頭を抱えたくなる。これ以上話しても,隊長を困らせるだけだ。わたしは,話題を替えようとした。気づくと,隊長が真顔になってる。

「正直言うとさ…どっちでもいいと思うよ。あの人が,未来人でも,ただのおせっかいなおっさんでも。っていうのはね,俺にとって,大事なのは…」

「うん。」

「この夏は,おもしろいおっさんに会えた。それだけで十分なんだよ。」

 夏。なぜかわからない。でも,季節のなかで特別視する人が多い。だから,夏が充実してないとさみしい人生だと思うことがある。隊長も,ずっとそんな夏を繰り返してきたんだ。

「ちょっと前にあの人が言ってた。どんな流れだったかは忘れたけど,俺が,自分は全然成長してない,って言ったんだ。どんどんアイドルらしくなる祈様と比べるとね。」

「そんなこと絶対ないよ。わたし,ネットに『アイドル不適格』って書かれてるんだよ。」

「まあ,それはおいといて…そしたら,あの人が言ったんだ。成長って,誰かに何か教えられてするものじゃないんじゃないかって。かっこいいとかおもしろいとか思える大人に出会ったとき,変われるってことなんだって。で,あの人が言ってくれた。俺は,たまたまそういう人に会えなかっただけだって。」

 目に浮かんでくる。伯父さんと隊長の姿が。いつもそうだった。気づくと,すぐ近くにいて,言葉をかけてくれた。

「そうか。時々いいこと言うんだよね,くやしいけど。もしかして,伯父さんに会って,成長できたと思った?」

「そうだな…」

 言葉を切って,照れくさそうに視線をそらした。こんな隊長を見るのは初めてだ。

「そうかもしれないな,くやしいけど。だって,今だってそうだよ。これまでの俺だったら,祈様にこんな話されても困るだけで,きっとまともに対応できてないと思う。もともと人の相談にのるようなタイプじゃないし。」

「わたしを迎えにこようと思わなかった?」

「そうだよ。こんなおせっかいなことしなかったよ。それにしても,お父さんにフォローされてるなんて思わなかったけどね。ただの新規の『信者さま』だって思ってた。」

本当に驚いた。父さんが,ツイッターにメッセージを送ってたなんて。でも,そうでなければ,隊長でも,わたしの居場所なんてわからない。改めて思う。わたしは,たくさんの人に支えられてここまで来たんだ,って。

「隊長には,ほんと助けられてばっかりだね。あのフェスのときも,本当は気づいてたんでしょ?タキモトさんが『ガチ恋』モードに入ってた,って。」

「確信はなかったんだ。でも,もしかしたらとは思ったから,様子を見に行かせてもらった。」

「ありがとう。いつも助けてもらって…」

 それ以上言葉が出ない。感謝とか,そんな言葉も軽く感じるほどだ。それなのに…

「なのに,ごめんなさい。わたし…」

「まだ迷ってる?フェスに出るかどうか。」

 やっぱり気づかれてた。でも,不思議じゃない。ここまで来る車のなかで,ほとんど黙ったままだったから。素直に答えるしかない。

「うん。せっかく来てもらって…いまさらなんだけど…やっぱり…」

「無理もないよ。ネットが,あんなことになってたらね。」

「正直わからないんだ。意味があるのかな,って。わたしがフェスに出るのに。」

 わたしは,スカートのポケットを手で探る。柔らかな感触が,指先に伝わってきた。まどかさんからもらったリボンだ。

「もちろん,わかってるんだよ。わたしに負けて出られない人のこと考えたら,棄権なんて絶対ダメだって。『異種格闘技』が最後のチャンスだって決めて,勝負してた人だっている。そうなんだけど…」

「うん。難しいよね。気持ちが入らない状態で出ることも,いろんな人に対して失礼になるし。」

 また隊長を困らせてる。でも,この質問に答えられるのは,きっと隊長だけだ。マスターもそう言ってた。わたしは,思い切って口を開いた。

「あのね,隊長。伯父さんだったら,こんな時なんて言うと思う?」

「…あの人なら…」

 隊長は遠い目をしてる。たぶん,いろんな場面がフラッシュバックしてるんだろう。わたしの知らない伯父さんとのやり取りのすべてが…

「そうだな。祈様も知ってるとおり,あの人『銭ゲバ』って言われるくらい金をネタにすることが多かったよね。だから…」

 隊長は,ちょっとだけ笑って見せる。ふざけた答えだから,あまり期待しないように。そう前置きしたみたいだ。

「あの人は,こう言うかもしれない。いろいろな人が,祈様の活動のために金を使ってきたって。」

「もう。またお金って。」

「うん。アイドルのライブに通う人,特に社会人でそれなりの歳の人は,仕事とか日常の生活で満たされてないから,そうしてるんだと思うんだ。なかには,日常と『逆転』しちゃって,現場に通うために働いてるなんて人もいるんじゃないかな。仕事はつらくてつまらないけど,週末のことを考えたら我慢できるって。」

「あ…」

 言いたいことがわかってきた。アイドルや運営側だけじゃない。非日常を求めてるのは,ファンだって同じだ。

「仕事でたいへんな思いをして稼いだ金を,人によって金額は違うけど,つぎ込んでるんだよ。だから,1人でも楽しみにしてくれてる人がいるんなら,歌うべきだ。って,こんなところかな。」

 隊長は,空になった紙コップを握りつぶす。ちらっと時計を見て,ゆっくりと立ち上がる。

「それから,ここからは俺の言葉。祈様は,自分はきっかけをもらえないと何もできない,って言ってた。でも,祈様は,ファンにとって暴れるきっかけになってる。いい歳して,女子高生にきっかけをもらわないと,やりたいことができない人もいるんだからさ。気にしなくてもいいんじゃない。今日だって,嫌なことがあって暴れたい人もいるかもしれない。きっかけをあげるのには,意味はあると思うよ。」

そう。きっかけ。伯父さんとの話にも出てきた。みんなきっかけを与え合って生きてる。それはわかる。けど…

「でも,ステージに立っても,フリーズしちゃうかも。」

「何も歌わないで引っ込んだら,ある意味伝説になるよ。」

 隊長が歯を見せて笑う。すっかりいつもの隊長に戻ってる。

「それに,不登校の子みたいに,ゲートのところで引き返しちゃうかも。」

「それなら,『不倫じゃありません。でも,やっぱり気まずくて,逃亡しちゃいました!』って,代わりにツイートしてあげるよ。」

わたしは,視線をずらした。群青色からオレンジに。空の色は,すっかり朝の彩りになってる。隊長は,一瞬背を向けて,振り返る。

「とにかく行くだけ行こう。迷ってるときってさ,1分後に自分がどう考えてるかなんてわからないものだよ。会場に着いてから決めたっていい。」

 大きく息を吐いて立ち上がる。フェスのライブは,言ってみれば集大成だ。だったら,一緒にやってきたパートナーを信じるしかない。とりあえず行こう。数時間後の自分にすべて任せればいい。そう決めたら…少し眠くなってきた。

読んでいただき,ありがとうございます。

気づけば,何度か中断しながら,4年間続けてきました。次回で最終回になります。

よろしくお願いします。

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