第10回
「ありがとうございます。こんなに盛り上がってくれるなんて思ってませんでした。」
圭治のラストライブから数日経った週末。わたしは,東京でステージに立ってた。
ライブハウスで倒れて,3日ほど学校を休んだ。圭治も甲田君も,ライブの翌日は欠席したって聞いた。甲田君は,どうしようもないチャラ男だけど,さすがにダメージがあったみたいだ。その他にも,バンドメンバーや女子部員とか,休みが多かったらしい。だから,校内では,ひそかに「不登校量産ライブ」って呼ばれることになったとか。
どうしようもなく気持ちが落ち着かなかった。それで,ライブもキャンセルしようと思ってたら,奈津からメールが来た。
− わたしたちも『卒業ライブ』しない? −
圭治の影響?あんな痛いライブだったけど,奈津には何か伝わるものがあったのかも。
最初言われた時は,気が進まなかったけど,部のバンド解散から奈津にはずっと「ごめん」って思ってた。だから,後ろめたさに動かされて断れなかった。でも,それだけじゃない。ライブをやれば,少し気分が変わるかもしれない。そんな気持ちもあった。
だって,いろいろ言っても,これまで「やらなければよかった」って思ったライブはひとつもない。藤崎さんが言ってたみたいに,くやしいけど,伯父さんがブッキングしたライブには全部意味があった気がする。
この日も,ステージに出る前は不安もあったけど,歌ってるうちに思った。やっぱりライブっていいな,なんて。
アキバの雑居ビルにあるライブスペース。初めて東京でライブをしたときと同じくらいの規模だ。でも,ステージから見える景色は,かなり違ってた。「BOYZ」だけじゃなくて,見たことないお客さんも,わたしの振りマネをしてくれてる。他のアイドルと違うケチャも,なんかそれっぽくなってる。「決まりごと」が定着すると,ほんと手応えを感じる。
でも…わたしは,苦笑いを浮かべて,MCを続ける。
「なんか増えてますね。お布施タオル。」
そう言って見回す視界には,グッズのタオルを首に巻いた人がちらほら…
「そうそう。わたしのファンの人のブログで見つけたんですけど。このあいだの地方でのライブの時の写真がアップされてて。」
「見た。見た。札束のヤツ。」
すかさず隊長が応える。
「あ。見てない方のために説明しますと,ばらまかれたおもちゃの札束をわたしが見上げてるんですけど。なんていうか,わたしの表情が…」
「お金大好き!」
「じゃないですって。たまたま驚いてるのが,うっとりしてるように見えるだけで…お金は…えーと,嫌いじゃないです。」
ちょっと笑いが起こった。場が和んだところで,わたしはステージの袖を見た。袖というか,照明の当たらない暗がりだけど。とにかく準備はできてるみたいだった。
「気になってる方もいると思うんですけど,これ…」
わたしは,2,3歩動いて,左手を伸ばす。そこには,ベースアンプが置かれてた。
「じゃあ。ここでゲストを紹介しますね。わたしが軽音やってた時のバンドメンバーで,奈津!」
「せーのっ!なっちゃーん!!」
「BOYZ」のコールが響いた。ひるんだみたいに,奈津はゆっくりと近づいてくる。ライトのなかに入ると,照れくさそうにわたしと視線を交わした。
ずるい。小柄な身体に大きなベース。こういう組み合わせって,すごくいじらしい感じで,萌えポイントがめちゃくちゃ高い。
「みなさん,はじめまして。冬野奈津です。」
奈津が,マイクに顔を近づけて言った。 それは,思い切り低い位置にセッティングされてて,またポイントが上がったみたいだった。
「あ。あの,寒いのか暑いのかわからないような名前でごめんなさい。」
ぺこりと頭を下げると,客席がざわついた。「かわいい」なんて声が聞こえてくる。
「今日は,わがまま言って,ステージに上がらせてもらいました。1曲だけ弾かせてください。」
同じだ。
わたしは,思い出す。2年前,初めて軽音の部集会で会ったときのことだ。
『わたし,ベースやってるんだけど,メンバーが見つかるか不安で…』
奈津は,目を伏せてささやくように言った。言葉どおり本当に不安そうに。
『え?じゃあさ,よかったら一緒にやんない?』
考える間もなく,思わずそう言ってた。それから,同じような感じで瑠理と美佳が加わって…。気がつくと,新入生ではいちばん早くバンドを組んでた。
そう。奈津は,いつでも,ふところにすっと入り込んでくる。で,女の子女の子してるんだけど,全然あざとさがない。だから,計算ばかりしてる自分のずるさを感じて居心地が悪くなることもある。そんなことを,美佳と話したことがあったっけ。
「聡…あ…れ,祈ちゃん」
ぼーっとしてた。奈津の声で,状況を理解したわたしは,慌てて言う。
「すいません。プライベートの友達だったりするんで,つい素に戻ってしまって…」
「もう。頼みますよ,教祖様。」
隊長がつっこむ。わたしたちのやり取りも,なんか「あうんの呼吸」って感じになってきた。柔らかな笑いが起こって,舞台が整ったのを感じた。
「はい。もう大丈夫です。では,聞いてください。今日最後の曲,よかったら,コール・アンド・レスポンスお願いします。『気分は上場』!」
「ドル!イェン!ポンド!」
伯父さん考案の「銭ゲバMIX」が起こる。初めて地方で歌ったときとは,声の大きさが明らかに違う。伯父さんの動画拡散は,それなりに効果を上げてるみたいだった。
「ギルダァーッ!!!」
天井のライトを背に札束が降ってくる。その数も増し増しになってた。隣を見ると,声の大きさにおびえながら奈津が見上げてる。小さな身体をより一層小さくさせて。
無理もない。奈津にとっては,アウェイのような場だった。高校生相手のバンドのライブでは,MIXもコールもない。共通してるのは,ケチャくらいだ。もっと打ち合わせができてれば,ライブの雰囲気とか…
でも…そう思ってたのに,驚くのはわたしのほうだった。
違う。奈津の弾き方が今までと全然違う。軽音のライブでは,いつもコードの軸になる音を弾くだけの「ルート弾き」が中心だった。きっと,初心者ばかりのバンドだから,リズムを作ることに専念してたんだと思う。下手なわたしたちに合わせて,演奏しやすくするために。
バックで流れる曲は,アレンジャーさんにお願いして,ベースのトラックだけ抜いたオケになってた。伯父さんが無理を言って,大急ぎで仕上げてもらったものだ。ゆうべ遅くメールでデータが届いて,リハーサルも十分できなかった。だから,音の隙間をうめれば,とりあえずなんとかなる,って思ってたんだけど…
解放されたみたいだった。奈津の左手の指が,フィンガー・ボードを自由に動き回ってる。思わずくぎ付けになってた視線を移すと,はにかんだ顔があった。そこは,いつもと変わらない。
『ごめんね。歌いにくいかな。』
『いいけど。驚いたよ。』
アイコンタクトで会話するのは,軽音のライブと一緒だった。内容は,ちょっと違ったけど。
そして,曲がギターソロに入る直前。奈津は,一歩前に出て,大きく右手を振り上げた。何かが,ライトを浴びてひらひらと舞う。ピックだった。数人の客が慌てて手を伸ばすのが見える。
次の瞬間。ギターの音にからまるように,小気味いい音が響き始めた。少し前までのうねるような低音とは違う。パキパキと弾むみたいにアンプから飛び出してくる。
スラップベース!?わたしには奈津の背中しか見えない。でも,ネットの動画で見たことがあった。弦を,親指ではじいたり,人差し指に引っかけて打ちつけるとこんな音が出るはずだ。
もちろん,生で,しかも高校生の演奏で聞くなんて初めてだった。驚いてばかりだ。あの細い指に,こんな力があったなんて。それだけじゃない。即興にも聞こえる演奏だけど,かなり難しいフレーズが混じってる。
戸惑ったのは,客席も同じだった。コールを忘れて,見入ってる人もいる。でも,それもつかの間で,すぐに歓声が巻き起こった。
ふと思い出す。アイドル好きの中高年は,子どもの頃アイドルを聞いてから,一通りロックに触れて,一回りしてアイドルに戻る人が多い,って。お客さんの反応を見てたら,すごくうなずける気がした。奈津の指が高速移動するたび,熱を帯びたどよめきが起こる。
ちょっとくやしくなった。ライブをすると,いつもこうだ。やっぱり思ってしまう。わたしって,こんなに負けず嫌いだったっけ,って。
「いつもより高く,跳ぶよっ!」
隊長から合図があったわけじゃない。着地を待つのさえもどかしかった。わたしは,自分からお客さんのなかに飛び込んでいった。
「ほんとにごめんなさい。」
ライブが終わって,物販の時間。グッズが並んだ机をはさんで,わたしはタキモトさんと向かい合ってた。
「い,いや。僕が悪いんだ。状況はいつまでも同じじゃないんだから。」
タキモトさんは,キョウシュクしたように頭をかく。
ありがたいことに,ライブをするたび,知名度が上がるみたいで,この日用意したTシャツに売り切れたサイズがあった。
長く話したいからって,タキモトさんは,いつも列の最後に並ぶ。それで,この日は…
「今度は少し考えますね。予約できるようにするとか。」
そう言ってから,わたしは,タキモトさんを机のこっち側に誘った。2人が並んだのを見て,伯父さんがカメラを持って近づく。
わたしは胸の前で両手を合わせた。いつものことだけど,タキモトさんは照れて,なかなかポーズを取らない。
「ちょっと失礼しますね。」
両手で包むようにして,わたしはタキモトさんの手のひらを合わせた。2人が合掌するのを確認して,伯父さんはカメラを構える。わたしは身体を寄せて,精一杯の笑顔を作った。
「じゃあ。いきますよ。はい。チーズ。」
後ろを通る人を気にしながら,伯父さんがシャッターを押す。
「ありがとうございます。ちょっと待ってくださいね。」
わたしは,差し出されたチェキを受け取って,テーブルにあったペンを手に取る。
『いつもありがとうございます』
わたしは視線を落として,まだ白いチェキにメッセージを書き込む。ハートマークを書くことにも,いつの間にか照れがなくなってた。
「はい。どうぞ。」
「あ,ありがとう。」
わたしは,また笑顔を作って,タキモトさんに渡す。フラッシュというヤツには,どうしても慣れない。目のなかに居座る残像を押し出すようにまばたきをした。
「ただいまっ。あれっ。眠いの?」
振り向くと,「アキバ散策」から戻った奈津が立ってた。
「お帰り,っていうか…すっかりハマったね。」
ライブからのテンションをキープしてる奈津の両手は,有名なアニメショップの袋でふさがれてた。
「うん。全然時間が足りないよ。大学生になって東京に来たら,出費がすごいことになりそう。バイトしなきゃね。」
そう言って,奈津はわたしの顔をのぞき込む。まだ目に違和感があった。
「ああ。けっこうきついんだよ。何度もフラッシュ浴びるのって…あっ。」
奈津が相手だから,またすっかり素に戻ってた。わたしは,慌ててタキモトさんのほうを振り返る。「チェキが嫌」っていうのは,アイドルとしてまずい。
大丈夫。タキモトさんは,伯父さんと話してて気づいてない。なんだか変に盛り上がってて,オヤジトーク満開って感じだった。
見回すと,「BOYZ」も,他のお客さんも周りにいない。今だったら…
『あのさ,奈津,話があるんだ。』
そう言おうとした。でも,喉から声が出る前に,奈津から言われた。
「あのね,聡ちゃん。ちょっといいかな。」
「え?う,うん。何?」
「ごめん。ちょっと待ってね。」
奈津は,壁に立て掛けてたベースを手に取る。それから,ケースのポケットを探って,何か取り出した。自転車のタイヤにつけるチェーン状の鍵だった。
「これをね…」
奈津は,ケースの上からネックの細くなってる部分に鎖を巻き付ける。端同士を合わせると,ダイヤルを回して数字をずらした。
「ねえ。それって,何なの?」
わたしの言葉に,奈津が顔を上げる。いつもの上目遣いだけど,ちょっと感じが違った。何か思い詰めてるみたいな…
「え…それって,もしかして,もう弾かないってこと?」
「そう。しばらくベースは封印。」
あの「主張」するベースの意味がわかった気がする。
卒業ライブ。わたしを誘ったとき,奈津はそう言った。やっぱり,奈津も自分の音楽に区切りをつけようとしてた。圭治とはずいぶん違ったやり方だったけど,いつもと違うってところは一緒だった。
「受験に専念するの?」
「うん。知ってるかもしれないけど,うち経済的にあんまり余裕なくて…」
気づいてた。奈津は,学校の事務室に呼び出されることがあった。授業料とか奨学金のことだって,なんとなくわかってた。
「だから,大学に行くなら…東京に出るなら…」
気まずそうだったけど,奈津は,目をそらさないで続ける。
「親が納得するような大学じゃないとね。ほら,地元で済むなら,そうするべきだって思うし,だから県内のどの大学より有名で偏差値とかも高くないと,説得力ないでしょ。そうなるとね…」
言葉が見つからない。奈津は,わたしとそんなに成績が変わらない。東京の一流大学を受験するには,かなりの覚悟が必要なはずだ。
「あ。でも,心配しないで。これで終わりってわけじゃないから。またベースは弾くよ。」
黙り込んだわたしを見上げる奈津は,いつもの気遣うような表情になってた。
「ごめん。わたし…」
適当に受けて,受かった大学に行く。アイドルになる前,わたしはそう考えてた。奈津にも,そう話したことがある。もう過去のことだけど,すごく恥ずかしくなる。
「そんな顔しないでよ。今から楽しみにしてるんだから。大学受かったら,猛練習するんだ。それでね…」
奈津は,そこで言葉を切った。頬をちょっと赤くして口を開く。
「ベース上手くなったら,聡ちゃんのバックバンドで使ってね。」
「えっ…」
言葉が出なかった。思いがけない展開に,わたしはただ成り行きを見守ることしかできない。
そう。わたしは頼みごとをしようとしてた。奈津が,ベースを封印したりしなければ,こう言いたかった。
『奈津。よかったら,2人でユニット組まない?』
認めたくないことだけど,ちょっと弱気になってた。「アイドル異種格闘技」が間近に迫ってたから。予想できたことだけど,組み合わせを見たら,ほとんどがグループ・アイドルだった。
わたしは,また恥ずかしくなる。奈津の都合も考えないで,巻き込もうとしてた。
「ね。来年なんてすぐだから。それまで1人で頑張ってみるよ。とにかく,これは前向きな一時卒業なんだ。」
そう言って,奈津は,照れくさそうに笑った。その顔が,またかわいくて,ほんとにずるい。
「今日は楽しかったよ。じゃあ,また学校でね。」
言葉を探し続けるわたしに気を遣ったんだと思う。奈津は,ベースを担いで,歩き出そうとする。だめだ。やっぱり気の利いた言葉なんか浮かばない。だから…
「うん。またね。ありがとう。」
背中に向かってそう言うのが,精一杯だった。奈津は,振り向かないまま,背伸びするように挙げた手を振る。相変わらずベースは,重そうだった。けど,その後ろ姿はなんだか頼もしく見えた。今までの奈津なら不安そうに何度も振り返ったと思う。それなのに,しっかりした足取りで,立ち止まる気配なんてない。
奈津の姿が見えなくなると,わたしは大きく息を吐いた。
「どうしたの,おおげさにため息ついて。」
気づくと,伯父さんがすぐ後ろに立ってた。わたしは,背を向けたまま,つぶやくように言う。
「ねえ。最近思うんだけど,成長するって,どういうことなんだろう,って。」
「なんか唐突だなあ。どうかした?」
伯父さんは,ペットボトルを手に,面倒そうな顔を見せた。それで,時間をかせぐみたいに一口飲んで,少し考える。
「訊く相手間違えてないか?成長とはかなり無縁の人間だって,見てればわかるはずだけどな。」
「そうなんだけど,他に訊く相手いないし。だって,みんなそれぞれ自分の道を歩き始めてるから。なんかもう取り残された気がして。っていうか,だから,自分だけ成長できてないのかもなんて思っちゃうんだけどね。」
そう。みんなわたしから離れていく。圭治,瑠理,美佳…そして今度は奈津も…
「よくわからないけど,成長なんて,結果でしかわからないし,たいてい自分じゃ気づかないもんだよ。結局さ,いつになるかわからないけど,時間が経ってから,変わらなかったことをブレなかったんだって言えれば,それでいいんじゃないかな。」
くやしいけど,思った。いいこと言う,って。それで,ちょっと意地悪したくなる。
「でも,どれだけ時間が経っても,結局そう思えなかったら?」
「ああ。そんなに時間が過ぎれば,成長がどうとか,もう覚えてないよ。」
あっさり切り返された。でも,それが心地よかった。わかってる,それを期待してたってことを。
「そんなもんなのかな。じゃあさ…」
わたしは,振り向いて,伯父さんを真っ直ぐ見た。
「とりあえず,見守ってよ。後になって,わたしが成長できたかどうか。」




