第2章一
『よくもまぁ、これだけ手懐けたものだな…。』
弁は呟いた。
ここに整列している人間の中に、同じ心を宿している人間はいないだろう。
尤も、いてもらっても困るのだが…。
日の巫女は死んだ。
いや、死んでいた。
何年も、その事実を伏せていたのだ。
先王だけが巫女に直接謁見出来た。
それが幸いした。
今上王でさえ、生前の日の巫女には拝謁しなかった。
いや、出来なかった。
先王が身罷った。
だが、拝謁は叶わなかった。
倭国中の人々が制止したのだ。
そもそも、「奴国王に反対する。」それだけで死を賜る大罪。
にも関わらず、人々は止めた。
それだけ、倭国では日の巫女は神聖不可侵なのだ。
人々は、日の巫女の霊力を恐れた。
正確には、霊力が無くなるのを。
先の大乱は、それだけの痕跡を残した。
倭国誕生以来、これだけの悲惨な戦いはあっただろうか。
それも、いつ終わるともしれない長い戦乱…。
国中に「死」が蔓延していた。
身分の貴賤を問わず、「死」だけは平等に降り注いだ。
戦は勝っても負けても悲惨だ。
兵は、その都度、国中から徴用する。
一時的な戦ならまだ良い。
だが、長い戦となれば、それだけ労働力が減る。
また、兵には食糧がいる。
これも、国中から徴用する。
時には強引に。
戦が長引けば長引くほど、貯えはなくなる。
生産力は落ちたまま…。
食糧難に陥るのは、いつも弱小国だ。
だが、先の大乱では大国も長くはなかった。
ここからは悲惨な持久戦だった。
元々は領土の争いだけだったが、気がつけば、食糧の争奪戦になっていた。
足りないなら奪う。
だが、元々無いのだ。
なければ領主から奪う。
力が無い者は奪われる側だ。
食えぬがゆえに子を殺した。
それでも足りなければ、隣の子供を喰った。
その向こうで、他国の兵に、村娘が汚されていた。
隣には、その婿であったろう男子の躯…。
次の日の出が拝める。これだけで僥倖だった。
ある日、日の巫女が現れた。
その霊力を以て、戦乱を終わらせた。
陰惨でな大乱は終わった。
日の巫女の霊力を失わせてはならない。
倭国中の人々の心に刻まれた事実だった。
人々の心には、先の大乱が鮮明に刻まれている。