私はあの町が嫌い
小さい頃から、雪は聞き分けのいい子だね、と言われてきた。
聞き分けが良ければ、お父さんもお母さんも私に優しかったし、学校の先生も優しくしてくれた。
私だけが我慢すれば、みんなが私を好きになってくれた。
あれは小学六年生の時、クラスに馴染めない子がいた。私と彼女はそんなに仲良くはなくて、ただ、クラスメイトというだけの関係だった。
ある日、彼女がいきなりクラスで無視されるようになった。理由は彼女のことではなく、彼女の中学生になるお兄さんのことで、彼が万引きで捕まったことから始まった。
運が悪いことに彼が万引きした書店はクラスメイトの親が経営していた本屋だった。
そんな兄を持った妹は、たちまち皆から罵られ、避けられ、蔑まれた。
私は何もしなかった。関係なかったし、関わりたくなかったからだ。
その子は別の小学校に逃げるように転校していった。
高校の時、私はその子と再会したが、何もしなかった。彼女だって自分の忌まわしい過去を知る人たちと関わりたくなかっただろう。
彼女も私も順風満帆に高校生活を送っていたはずだった。
なのに、心無いクラスメイトがある日、彼女の秘密をつきとめた。
その子は、私と同じ小学校を卒業した女の子と、学校は違うが友達だったらしい。
たかだか、兄の犯した万引きで。
そう思う人もいるかもしれない。
だけど、私の住む町は、いつも誰かをスケープゴートにしたがっていた。
弱い者を弱いとしたがる風土があった。
彼女は直ぐに学校に来なくなり、そのまま、転校していった。
私は何もしなかったし、何も感じなかった。感じないつもりだった。
だって、それくらいこの町に馴染んでいたし、何より私は聞き分けがいい子として評判だったからだ。
結婚したのは29歳の時。同じ職場の人だった。
私はこの町を、終の住処に決めたはずだったのに.........
「お久しぶりです」
高校の同窓会。
こない筈の会場に、誰からのつてだったのか、彼女はやってきた。
スラリと美しい長身の彼女は、過去の面影はなく、圧倒するような華やかさでその場にいた。
あぁ、彼女は昔から綺麗な子だったのだ。
そんなことに今更気づく。
彼女は都会に出て、ファッションデザイナーとして生活していると言っていた。結婚はしていないが、同棲相手はいるらしい。
誰かがそんな彼女を見て、影でぼそりとと呟いた。
「万引き犯と血縁の癖して」
今更それを言うのか、と私はそのことに驚いた。そして、それを言ったその相手の顔を見て、ゾッとした。
言った子は、良くも悪くも、この町によくいるタイプの主婦の女の子だった。
いつか私もそれに染まる様な気がした。
美作雪という女が、いつの間にか、
○○さんの奥さん、○○さんになっていた。
誰かが私のことを言うとき、△町に住んでいる、とつけるようになっていた。
私は聞き分けのいい子供だった。
そして、それはこれからも変わらない筈だった。
あの日、あの瞬間、
自分がこの町に染まることを、嫌悪するまでは。
「それじゃ、お世話になりました」
「二度とこの町に帰ってくるな!」
実の父親の罵声に、私は笑いたくなる。
二度と帰りたくなるものか。
私は男と離婚した。
同窓会で知り合った都会に行った同級生と偽りの恋に落ち、彼の元に今から行く。
そんな私をこの町の人間はきっと面白可笑しく語るのだろう。
まるでそれが最悪のことみたいに。
潔癖だったのは、誰だったのか。
この町か。
それとも私か。
それでも電車に乗って向かう先が、私には楽しみで仕方ない。
きっとこの町の人間は、私なんか幸せになれないと罵るだろう。
幸せになりにいくのではない。
しがらみを捨てたかったのだ。
万引き犯を兄に持つ彼女とは、都会に行っても会わないだろう。
彼女は何のしがらみもなく、彼女自身で生きている。
私も私自身で生きたい。
都会に出て、少ししたら同級生とは別れる気がした。
何もなく放り出されたとき、私は何を思うだろう。
きっと、それでも笑いながら言うのだ。
「あの町より、ずっとマシ」
あの町に住んでいて、どうしても言えなかったことがある。住んでいるからには、そう思ってしまう自分がおかしいと思っていたから。
だけど、今なら言える。
私はあの町が嫌い。