幼馴染なので遠慮のない王子殿下との日常
「よお、ルステリア。起きてるか? 今日はいい天気だぞ」
光り輝く金髪に、王家の証である鮮やかな琥珀色の瞳。どこに出しても恥ずかしくない、いやむしろ国宝指定レベルの美貌を持つ我が国の第一王子、カルディアン殿下は──現在、我が公爵邸の二階にある、私の部屋の窓枠に腰掛けていた。
「……カルディ。そこ、地上から何メートルあると思っているの?」
私はベッドの中から、完全に死んだ目で幼馴染を見上げた。まだ朝の六時である。
「たかが五メートルだろ。庭の木を伝えば余裕さ」
「王族の余裕の基準を、泥棒のスキルに合わせないでくださる? あと、普通に玄関から入ってちょうだい」
「だって、お前の親父殿に見つかると『カルディアン殿下! 我が娘への夜這い(朝だけど)は、たとえ王子であっても万死に値しますぞ!』って剣を抜かれるから面倒なんだよ」
「お父様の反応は一億点満点で正しいわ。というか、早く降りなさい。私、まだ寝巻きなんだけど」
あきれ果てて布団をはぎ、ベッドから足を下ろす。白のシンプルなネグリジェ姿の私を見て、カルディは驚く風でもなく、ふっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「知ってる。……お前、相変わらず寝相が悪いな。髪が鳥の巣みたいになってるぞ」
「なっ……!」
慌てて頭に手をやると、確かにひどい寝癖がついている。淑女として致命的な姿を見られた羞恥心で顔がカッと熱くなった。私は枕をひっつかみ、全力で王子殿下の顔面に投げつけた。
「デリカシー皆無の筋肉バカ王子! 視力を永久に失いなさい!」
「おっと、ナイスサーブ。だが、そんなふくれた顔も可愛いから無罪」
カルディは飛んできた枕を片手で軽々とキャッチし、窓からするりと室内に着地した。そして、当然のような顔で私のドレッサーの前に歩み寄り、引き出しからヘアブラシを取り出す。
「ほら、こっち来い。直してやるから」
「……結構です。侍女を呼びます」
「いいから。ほら」
ぐい、と腕を引かれ、ドレッサーの椅子に座らされる。カルディは慣れた手つきで、私の癖のある栗色の髪をすくい上げ、優しくブラシを通し始めた。
「……本当に、遠慮がないわね」
「幼馴染だからな。お前が三歳の時、泥んこになって泣いてた頃からの付き合いだぞ? 今更だろ」
「それはそれ、これはこれよ。私たちはもう十七歳。一応、世間では婚約者候補筆頭って言われてるんだから、もう少し緊張感を持ってほしいわ」
鏡越しに視線が交差する。カルディは少しだけブラシを止め、ふっと目を細めて微笑んだ。その、不意に見せる男の顔に、心臓がトクンと跳ねる。
「緊張感、ねぇ。……じゃあ、こういうのはどうだ?」
カルディの顔が、鏡の中で私の耳元まで近づいてくる。低い声が鼓膜を揺らした。
「俺が、ただの幼馴染の距離感で髪を触ってると思うか? ルステリア」
「っ……!」
「お前が他の男に髪一本触られたら、俺がその男を物理的に消し飛ばすくらいには、緊張感持って触ってるんだけどな」
耳にかかる吐息が熱い。鏡の中のカルディの瞳は、冗談のそれではなく、ひどく独占欲に満ちていた。
──ずるい。
コメディみたいなノリから、急にこういう王子様モードに入るのは、本当に心臓に悪いからやめてほしい。
「……、……ばか」
私は真っ赤になった顔を隠すように、カルディの手からブラシをひったくった。
◇ ◇ ◇
数時間後。身支度を整え、王宮の庭園で行われる公式なお茶会に出席した私は、優雅に紅茶をすすっていた。
対面に座るカルディは、仕立ての良い礼服に身を包み、完璧な外面のいい王子様を演じている。周囲の貴族令嬢たちが、遠巻きにカルディを見ては黄色い悲鳴をあげていた。
「ルステリア嬢、今日のドレスも大変によくお似合いだ。まるで春の妖精のようだね」
「恐れ入ります、カルディアン殿下。殿下のその素晴らしいお言葉だけで、胸がいっぱいでございますわ(棒読み)」
周囲に人がいるため、私たちは完璧な敬語で会話している。だが、テーブルの下では熾烈な戦いが繰り広げられていた。
──グリッ!
(いたっ……!?)
カルディが、私の靴の先を自分の靴で軽く踏んできたのだ。私は笑顔を貼り付けたまま、カルディを睨みつける。
(何するのよ、このバカ王子!)
(いや、お前がさっきからマカロンばっかり食べて、俺と目を合わせないからだろ)
視線だけでそんな会話を交わす。私は負けじと、カルディの足の甲をヒールで踏み返してやった。
「ふぐっ……!?」
カルディが一瞬、完璧な美貌を歪める。勝った。私は内心でガッツポーズをしながら、にっこりと微笑んだ。
「殿下、どうかなさいましたか? お顔色が優れないようですが」
「……いや、何でもない。ルステリア嬢の、あまりの愛らしさに胸が痛んだだけだよ」
「まぁ、お上手ですこと」
そんな私たちのやり取りを、遠くから見ていた令嬢たちが「まぁ、なんて絵になるお二人かしら!」「まるで愛を囁き合っているようだわ!」と身悶えしている。
……いや、違います。これ、ただの物理的な小競り合いです。
しかし、カルディは私の反撃に懲りるどころか、楽しそうに目を細めると、おもむろにフォークで小さなチョコレートケーキをすくい上げた。
「ルステリア。……あーん、しろ」
「……は?」
あまりの急な展開に、素のトーンで聞き返してしまった。周囲の令嬢たちから「キャーッ!」という悲鳴が上がる。
「ほら、あーん。お前、これが大好物だろ?」
「で、殿下、周囲の目が……」
「関係ない。俺が婚約者候補に菓子を食わせたいだけだ。ほら、口を開けないと、このままお前の唇にジャムをつけるぞ」
この男は本気だ。断ればさらに面倒なことになる。私は覚悟を決め、顔がトマトのように赤くなるのを感じながら、小さく口を開けた。
「……あ、ん」
ぱくり、とケーキが口に運ばれる。濃厚な甘さが広がるのと同時に、カルディの親指が、私の口元にほんの少し残ったクリームをそっと拭った。
そして、その指を──あろうことか、カルディは自分の口元に運び、ペロリと舐めたのだ。
「うん、甘くて美味いな」
「~~~~~~っ!!!」
脳のキャパシティが限界を迎えた。私はお茶会の席であることを忘れ、立ち上がって叫びそうになった。
「カルディ、あんたって人はーーーっ!」
「ははっ、ごちそうさま、ルステリア」
悪戯が成功した少年のように笑うカルディを見て、私は「この男の婚約者候補なんて、絶対に辞退してやる!」と心に誓ったのだった──通算九十九回目──。
◇ ◇ ◇
お茶会の喧騒から逃れるように、私は王宮の奥にある古びた図書室にこもっていた。お茶会でのカルディのせいで、心臓のバクバクが未だに収まらない。
おまけに、周囲の令嬢たちからの嫉妬の視線が痛かった。
「はあ……。あいつ、私のことなんだと思ってるわけ?」
大きな窓から差し込む夕日が、静かな図書室を茜色に染めている。山積みにした本に突っ伏してため息をついていると、背後から気配がした。
振り返るより早く、背中からすっぽりと大きな体温に包み込まれる。
「……ここにいたのか。探したぞ、ルスタ」
「カ、カルディ!? 離して、誰かに見られたら……」
「見られないように、騎士たちを遠ざけてきた。だから、いいだろ」
カルディは私の肩に顎を乗せ、後ろから抱きしめる腕に少し力を込めた。いつもはふざけてばかりなのに、その腕は驚くほど男らしくて力強い。
「お茶会、嫌だったか? 令嬢たちがうるさかったろ。ごめんな」
耳元で、少ししおれたような声が聞こえた。普段の俺様っぷりはどこへやら、今のカルディは捨てられた大型犬のようだ。
そのギャップに、私の怒りは一瞬で霧散してしまう。
──本当に、ずるい男。
「嫌、じゃなかったわよ。ただ……恥ずかしかっただけ。あんな大勢の前で、あんなことするなんて」
「あんなことって?」
「ケーキを食べさせたり、指を舐めたり……っ! 思い出させないで!」
私がもがくと、カルディはクスクスと笑いながら、私をくるりと反転させて、本棚の壁へと私を追い詰めた。いわゆる壁ドンというやつだ。
「だって、お前が他の男と楽しそうに話してるの、イライラしたんだよ」
「え? 私、お茶会であなた以外の男の人と話してないわよ?」
「隣のテーブルの、アミール伯爵令息がお前をチラチラ見てただろ。あいつ、お前のドレス姿を見て『可愛い』って呟いてたんだ。だから見せつけてやった」
カルディの琥珀色の瞳が、夕日を浴びて怪しくきらめく。
「……そんなの、ただの言いがかりじゃない。カルディは心配しすぎよ」
「心配するだろ。お前は自分がどれだけ無防備で、男を惹きつけるか分かってない。幼馴染なんて便利な肩書き、俺だって早く捨てたいんだ」
カルディの手が、私の頬に触れる。親指が私の唇を優しくなぞった。
「ルステリア。俺は、お前を他の誰にも渡す気はない。公爵令嬢としてじゃなく、ただのルスタとして、俺の隣にいろ」
「カルディ……」
いつになく真剣な表情。まっすぐな眼差し。
心臓がうるさいくらいに高鳴る。私はもう、カルディから目を逸らすことができなかった。
「……本当に、遠慮がないのね。私の気持ちも聞かずに、そんなこと言って」
「お前の気持ち? 聞かなくても分かるさ」
カルディはニヤリと笑うと、私の顔をさらに覗き込んできた。
「だって、お前の顔、今めちゃくちゃ赤い。心臓の音も、ここまで聞こえそうなくらいバクバク言ってるぞ」
「な、ななな……!」
「それに、嫌ならとっくに俺の股間でも蹴り上げて逃げてるだろ? お前ならそれくらいやる」
……前言撤回。やっぱりこの男は、一言余計な台詞を言わなきゃ気が済まないらしい。
「——そうね。じゃあ、お望み通りにしてあげるわ!」
「ぶふぉっ……!? お、おい、待て、本当に蹴るな! 冗談、冗談だから! 待って、ルスタ、顔がマジだ、おいやめ──」
ドン、という鈍い音と共に、王宮の図書室に王子の悲鳴が響き渡った。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「よお、ルスタ。昨日はよくもやってくれたな。おかげで内腿がまだ青アザになってるぞ」
昨日と全く同じ時間、全く同じ窓から、金髪の王子殿下が不法侵入してきた。
「あら、生きてたのね。お祝いに、今度は窓から突き落としてあげましょうか?」
「勘弁してくれ。それより、ほら、これ。お前の大好物の、街のパン屋のアップルパイ。お詫びに買ってきた」
「……」
差し出された紙袋からは、焼き立ての甘い香りが漂っている。私はジト目でカルディを見つめ、それからふっと息を吐いて、紙袋を受け取った。
「……今回だけは、アップルパイに免じて許してあげるわ」
「お、チョロいなルスタ」
「もう一発蹴られたい?」
「嘘です、ごめんなさい」
私たちは顔を見合わせて、同時に吹き出した。
遠慮がなくて、デリカシーがなくて、でも、誰よりも私を真っ直ぐに愛してくれる私の王子様。
私たちの、騒がしくて少しだけ甘い日常は、これからもきっと、ずっと続いていくのだろう。
おしまい
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