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9話 近衛の本懐

───


 その少し前。近衛ギアドール大隊格納庫。

 整備完了の書類を携えた陸軍兵器局の作業員たちが、レギウスⅢ型一機を格納庫へ搬入したのは、蹶起開始予定の一時間前のことだった。


「こちらが今回の整備記録になります」


「ご苦労。確認する」


 格納庫の当直曹長が書類に目を通す。整備記録、部品交換履歴、試運転データ。全て正規の書式で整っていた。

 その後ろでは兵器局の作業員が機体に乗り込み、トレーラーの荷台から所定の区画へと移動させていた。


「書類は問題無さそうだな。納期もこちらの要望通りだし、珍しい事もあるもんだな」


 嫌味であるが事実ではあった。

 ギアドールを運搬してきたトレーラーの運転手は苦笑を浮かべる。


「ははは……。まぁ、否定はしませんよ。じゃあ、私はこれで」


「? おい待て、書類にまだ引き渡しの受領印は押してないぞ。それに、ギアドールに乗り込んでいるあのちっちゃな(・・・・・・)なアンタの相棒も」


 降りてきていないぞ。と、曹長が口ずさみながら移動中の後ろのレギウスⅢを見た瞬間、格納庫の床を踏み砕くような重い足音と共に、八メートルの鋼鉄の巨体が突如として、別の機体の方向へと歩みを変える。


「な、なんだ!!」


「止まれ! 止まれぇぇ!!」


 近衛の整備員たちが怒声をあげながら、阻止しようとするが機体は止まらなかった。

 暴走機の右腕が臨戦待機中のギアドールのエーテル炉冷却ユニットを狙い、正確に穿つ。続けて左腕が別の一機の同じ箇所を叩き潰す。見た目は暴走しているように見える。だが、その動きには確かな意図があった。人間は傷つけない。機体だけを、精密に、確実に無力化していく。


 一機、また一機と、格納庫内の機体が沈黙していく。


「お、おい! 今すぐ、機体を止めさせろ!!」


 曹長は怒鳴りながら振り返った。

 だが運転手はもういなかった。トレーラーの運転席に飛び乗り、エンジンをかけているところだった。

 曹長は数歩追いかけたが、すぐに足を止めた。格納庫の奥では今もギアドールが別の機体を破壊し続けており、轟音と爆風が次々と背後を揺さぶってくる。


「……くそっ」


 低く、絞り出すように呟いた。

 頭の中で速足に状況を整理する。整備記録は兵器局の正式なもので、偽装された形跡はない。つまり、これは事故を装った謀略の可能性が高い。

 自分らがこれから起こそうとするクーデターを察知した、国家憲兵隊か中央軍からの差し金……。


 どちらにしろ、一下士官にどうこうできる事柄ではなく、彼は部下や待機中のパイロットに総員撤退を命じると、グレームらがいる士官室に緊急の電話を飛ばした。



 ────


『兵器局の作業員が乗った機体が暴走してるだと! トチ狂ったのか!?』


『それにしてもタイミングが良すぎる。いや、悪すぎるぞ』


『まさか中央軍が我々の義挙を予測し、部隊を差し向けたのでは……』


「総員、落ち着けぇ!!」


 非常事態に動揺する部下らに向かって、グレームは一喝する。


 部屋が静まり返った。


「状況を整理する」


 グレームは地図を広げ、機体が確認された格納庫の位置を指で叩いた。


「格納庫内の機体が全滅したとしても、哨戒任務中の五機はまだ動いている。そして今、帝宮の敷地内に正体不明のギアドールが一体。……これは侵入だ」


 彼は顔を上げ、部下たちを見渡した。


「蹶起は一時中断する。近衛の本分は帝宮の守護だ。今この瞬間、皇帝陛下が侵入者の脅威に晒されている。我々がやるべきことは、まずその排除だ」


 部下たちの間に、安堵と戸惑いが入り混じった空気が流れた。


「哨戒中の五機を中庭に集結させろ。侵入機を包囲し、コックピットを制圧する。パイロットは生かして捕らえよ。殺すな」


「はっ!」


 中隊長たちが動き始めた。

 その時だった。


「少佐」


 低い声が、部屋に残った。

 大隊参謀のイリーナ・ゼーフェルト。二十代後半、鋭い目元の女性将校だ。グレームの信頼が厚く、今回の蹶起計画にも当初から関わっていた。


「何だ、ゼーフェルト」


「蹶起を中断するのは、反対です」


 グレームは眉を寄せた。


「今は侵入者の排除が優先だ。蹶起はその後で──」


「時間がありません」


 ゼーフェルトは一歩踏み出した。その目に、グレームがこれまで見たことのない光が宿っていた。焦りとも、怒りとも違う。もっと冷たい、計算された光だ。


「クローディ以下重臣たちは今、謁見の間にいます。この機を逃せば、次はいつ全員が揃うか分からない。少佐、今すぐ動かなければ──」


「ゼーフェルト、聞こえなかったか。陛下が危険に晒されている可能性がある」


「侵入機一体で陛下は危険ではありません。それより義挙を──」


「義挙だと?」


 グレームの声が低くなった。


「帝宮に侵入者がいる状況で、俺たちが重臣に刃を向けるのか。それを陛下はどう思われる。近衛が陛下を見捨てて政治的行動に走ったと、そう見えるだろうが」


「見え方など、結果が出れば関係ありません」


 ゼーフェルトは静かに、しかしはっきりと言った。

 グレームは彼女を見つめた。長い付き合いの中で、これほど噛み合わない会話は初めてだった。


「……ゼーフェルト。お前は今日の蹶起を、何のためだと思っている」


「帝国の改革のためです」


「違う」


 グレームは首を振った。


「民草を救うためだ。陛下に真実を届けるためだ。そのためなら俺は死んでもいいと思っている。だが、陛下を危険に晒す行動は取れない。それが近衛だ」


 ゼーフェルトの目が、細くなった。


「……少佐も、お甘い」


「なんだと」


「甘すぎます」


 彼女は上着の内側に手を差し入れた。

 グレームはその動きを見た。反射的に手が軍刀に伸びかけた。

 だが、遅かった。

 乾いた銃声が、士官室に響いた。

 一発だけ。

 グレームは一歩後退り、机の端に手をついた。腹部を押さえた指の間から、暗い赤が滲んでいく。


「……ゼーフェルト、何の真似だ。俺が倒れれば祖国の民草らは……」


 彼の掠れた声は、冷たい声に押しつぶされる。


「申し訳ありません、少佐。ここは私の祖国では無いので」


 ゼーフェルトの声に感情はなかった。


「あなたは優秀でした。誠実でした。だからこそ、使いやすかった。私の思惑通り動いてくれれば、英雄として死なせてあげたのに」


 グレームの膝が折れた。床に手をつき、それでも彼は顔を上げた。その目に、怒りはなかった。ただ、深い疲労と、何かを悟ったような静けさがあった。


「……クソっ、そういう事か。どおりで貴様経由で、重臣らの不正の証拠が転がり込んで来る。お前は、共和国のスパイなんだな……」


 ゼーフェルトは答えなかった。

 それが、答えだった。


 グレームは小さく笑った。血の滲んだ唇で、力の抜けた笑いだった。それは自らの運命を自嘲する様だった。


「……そうか」


 それが、最後の言葉だった。

 グレームの身体が床に倒れ、士官室に静寂が戻った。

 ゼーフェルトは銃を仕舞い、扉を開けた。廊下では、爆発音に動揺した兵士たちがまだ右往左往している。

 彼女はその中を、静かに歩いていった。


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