8話 運命の日
五月初旬、雲一つない晴れやかな日。帝宮には今年の政策を皇帝フリードリヒ四世に上奏すべく、クーロディア宰相以下大臣十名が参内していた。
厳かな上奏の雰囲気は、見る者全てに皇帝の神聖さを再認識させるような錯覚を覚えさせるが、所詮幻想に過ぎない。
フリードリヒ四世の姿は実に威風堂々とした偉丈夫に見るえるが、その実態は強面の外見とは正反対の、優柔不断な人物であった。
臣下が何を上奏しようと「うむ、よきにはからえ」と頷くだけ。宰相が提示する書類に机上の花押を押すだけ。三十年の治世で、皇帝自らの意思で政策を決定したためしが、側近ですら記憶にないほどだ。
それゆえ帝国は「皇帝が支配する国」ではなく、「皇帝という権威を使って重臣たちが支配する国」となって久しかった。
今日もそんな形ばかりの上奏が粛々と進んでいた裏で、帝宮を護る近衛兵たちは着々と行動に移っていた。
───
「第一、第二小隊配置に着きました。ギアドール部隊も帝宮哨戒任務中の5機、及び格納庫で臨戦待機中の10機。命令があれば、いつでも帝宮を封鎖できます」
「ああ。分かった」
大隊参謀の報告にグレームは頷くと、部屋に集めて各小中隊長らに向き直す。
「我々近衛は、これより畏れ多くも皇帝陛下がおわすこの帝宮を占拠すべく行動を開始する」
静まり返った部屋の中、隊長たちの顔に緊張と覚悟が入り混じった色が浮かんでいる。グレームは一人一人の顔を確かめるように見渡してから、静かに続けた。
「しかし、諸君に重ねて確認しておく。今回の行動の目的は、あくまで陛下への直訴だ」
彼は腰の軍刀に手を触れず、ただ両手を背中で組んだまま、真っ直ぐに部下たちを見た。
「宰相クーロディア以下、本日参内している大臣十名を捕らえる。だが、傷一つつけてはならない。諸君の部下が血気に逸り、誰かの命を奪うようなことがあれば、それは我々の義挙ではなく、ただの反乱になり下がる」
誰も口を開かなかった。
「我々がやることは単純だ。重臣どもを謁見の間に縛り付け、その場で彼らの罪状と、確たる証拠を読み上げる。臣民赤子の惨状。横行する収賄。民草の血と涙の上に積み上げられた彼らの私腹。それを陛下自らの耳でお聞き頂く。陛下はきっと、真実をご存じないのだ」
グレームの声に確かな信念が宿っていた。怒りではなく、悲しみに近い、しかし揺るぎない光だった。
「陛下が真実をお知りになれば、必ずや御自ら政をお執りになる。腐りきった重臣貴族どもを罰し、飢えた民草を救って下さる。……私はそう信じている」
部屋の隅で若い少尉が唇を噛んだ。彼の故郷は東部の地方都市だ。妹の旦那が昨今の不況で失職し、幼い子供たち食うものにも困ってると、手紙に書いてきていた。
彼だけではない。ここにいる多くの地方出身の平民将校の身内は、大なり小なり同じ苦境に陥っている。
グレームを始めとする貴族将校も数人いるが、彼らも|ノブリス・オブリージュ《高い地位には義務が伴う》とは真逆の行動をとる重臣貴族らに怒りを募らせていた。
「陛下への上奏が終わった後、我々は武装を解く。そして陛下がいかなる沙汰を下されようとも、甘んじて受け入れる。処罰でも、投獄でも、死罪でも構わない」
グレームは一度、深く息を吸った。
「諸君を道連れにすることを、私は申し訳なく思っている。だが、他に道がなかった。正規の手続きで上奏しようとした者が、どうなったかは諸君も知っている通りだ」
前年末、平民の窮状を訴えようとした平民出身の近衛将校が書類を握り潰され、辺境への左遷で黙らされた。その男は一ヶ月前に左遷先で自殺した。
その将校を知る多くの人々は、彼が自殺するような男では無いこと硬く信じていた。そして、彼は上層部の謀略によって殺されたとも。
「だから私は、力を持って扉をこじ開ける。だが、その力は人を傷つけるためではない。……諸君、いいな」
「はっ!!」
応えた声は、揃っていた。
グレームは頷き、時計を確認した。
謁見の間での上奏が終わり、重臣たちが退出する前に動く。時間は十分にある。
そのはずだった。
轟音が、帝宮の空気を震わせた。
一度ではなかった。二度、三度と続けざまに、腹の底まで響く爆発音が帝宮の東側から連続して迸る。
部屋の窓ガラスが、ビリビリと振動した。
「何事だ!」
グレームが窓に駆け寄ると、東の空に黒煙が上がっているのが見えた。近衛のギアドールがある格納庫の方向だ。
それとほぼ同時に、部屋にある電話の呼び鈴がなる。受け取った将校は、その内容に顔面を蒼白にさせながら叫んだ。
「少佐! 格納庫から報告です! 陸軍兵器局からの整備に戻ってきた一機が突然暴れだし、格納庫の他のギアドールを破壊しているとの事です!!」




