6話 不完全な青写真
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一度目の人生において、コーデル・ヴァンツは「紅い水曜日」事件の最大の受益者だった。
グレームの蹶起が鎮圧され、貴族派閥が一掃された後の権力の空白。その混乱に乗じて、コーデルは官房九課内の粛清人事を主導した。
かつて寵愛を受けていた上司らを次々に嵌め、あるいは排除し、自らの息のかかった人間を要職に据えていく。
その手腕は見事なまでに鮮やかで、どの公的機関も貴族官僚を失い機能不全に陥る中。コーデル率いる官房九課は、軍事政権主導による貴族や反体制派の弾圧にいち早く協力した結果、帝国内の一情報機関に過ぎなかった組織は帝国全土を監視する秘密警察になり仰せた。
やがてその長であるコーデル・ヴァンツは混迷極まる帝政中枢の階段を猛烈な勢いで駆け上り、三十代半ばには歴代最年少で宰相に就任。
広大な諜報網と軍部の支持を背景に、その権勢を極めるのであった。
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ユーリは彼が知っている未来で起こった事を話した。「紅い水曜日」事件の顛末とそれに続く軍部台頭、帝国の暴走とコーデルの栄達、そして大諸国民大戦の勃発と終結。そして自分が処刑され、再びこの時代に戻ってきた事まで、全てを。
語り終えるまでの間、コーデルは一度も口を挟まなかった。
子供の戯言と嘲りも、笑い飛ばしもしない。ただ、続きを待つように黙っていた。
しばらく書斎の暗がりの中で腕を組み、目を閉じ、彫像のように動かなかった。
長い沈黙の後、ユーリが問う。
「信じてくれるか」
「信じるかどうかより、辻褄が合うかどうかで考える癖がある。少なかれ、密告文の件はそれで整合性がとれるしな。それに」
コーデルはユーリの方を改めて見る。
「なるほど、子供の君の目に、戦場が宿っているワケだ。そうか未来か……。流石に私でも想定できなかったな」
コーデルは低く呟き、天井を仰いだ。その横顔には初めて人間らしい動揺が滲んだ。
「しかし大戦に祖国の敗戦……。どうやら、未来の私はとんだドジを踏んだらしい」
「なにも恥じることないさ。開戦が不可避になった頃には、アンタはこの世にいなかったからな」
「ドジには変わらんよ。失脚か? それとも毒殺?」
「胃の腫瘍の悪化が原因だ。早めに有休でもとって病院に行くんだな。今なら、一週間程度の入院で済むぞ」
一拍の間があった。
それからコーデルは、肩を震わせた。
こらえようとしたのかもしれない。だが無理だった。堰を切ったように、低い笑い声が漏れ出し、それがやがて書斎中に響き渡るほどの大笑いへと変わった。
「……っははは! 胃の腫瘍!!」
腹を抱え、机に片手をついて、コーデルは心底おかしそうに笑い続けた。
「毒殺でも銃弾でもなく、胃の腫瘍か! 世界に冠たる帝国の頂点に登り詰め、自由気ままに天下を差配しようとた男の最後が胃の腫瘍とは!」
「笑うところか、そこは」
ユーリは呆れながら聞く。
「笑うところだとも!」
コーデルは目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、ようやく呼吸を整えた。
「……ふっ。それが神が与えた運命と言うのなら、所詮は私も、それ程度の人間だったということか」
「だが、その運命も今日の出来事で変わる」
ユーリは話を続ける。
「コーデル・ヴァンツ。俺の父親を嵌め、一家を帝国から追放するのに一役買ったアンタは一度目の人生の俺にとって仇だ。それと同時に、アンタの能力を俺は買っている。もし、持病が悪化せずにアンタが生きていたなら、帝国はあそこまで酷い状態にはならなかったと、俺は思っている」
コーデルの笑いの余韻が、すうっと引いた。
「褒めているのか、それとも皮肉か」
「事実を言っている」
とユーリは答え、続ける。
「それを見越して、俺はアンタに真実を話したんだ。聡明なアンタなら、俺の話を信じ、手を組めるとな」
「悪いが、グレームの企みを阻止するのには協力できんぞ」
コーデルは牽制するようにそう言った。
「獅子身中の虫を討てと義憤に駆られるグレーム。それを裏から支援し、帝国内を政治的混乱に陥らせようと画策する『共和国情報局』。知っていると思うが、私はこの両者の動きを把握しているだけで直接な繋がりはない。それと君が送った密告文で御父上を始めとした官房九課も警戒はするだろうが、軍と揉めるの嫌がり誰も阻止には動かんだろうよ」
彼は一息おき、話を続ける。
「それに、私にとって事件が史実通りに起きた方が良いのは変わらない。彼らの過激な主義主張には賛同できんが、今の帝国凋落の原因が既得権益を貪る貴族勢力なのには変わりなく、そんな彼が消えてくれた方が、私自身が望む栄達にも改革にも都合が良いからな」
「そして持病の件も、俺が教えてやったおかげで解決できる」
「ああ」
とコーデルはあっさり認めた。
「おかげで私は道半ばで死なずに済み、一度目より遥かに有利な条件で、帝国改革を進められる。むしろ止める理由が、正直なところ見当たらないぐらいだ」
書斎に沈黙が落ちた。
コーデルはユーリを見下ろした。その目はもはや隠す気のない、剥き出しの計算の色をしていた。
「つまり、私からすれば君の協力も不要だ。この後の帝国の立て直しも、未曾有の大戦を防ぐのも私が一人でやる。それが、今の私の結論だ」




