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3話 再スタート

 ユーリは今日も深く、そして穏やかな眠りから目覚めた。

 戦場の泥濘でも、冷たいコックピットでも、裁判を待つ独房でもない。清潔なリネンの香りと窓から差し込む柔らかな陽光。そこには「死神」と呼ばれた日々には決して得られなかった安らぎがあった。

 鏡に映る自分は、まだ幼い少年だ。だが、その瞳の奥には幾多の命を奪い、自らも死の淵を覗いた男の冷徹な理性が凝縮もされていた。


「おはよう、ユーリ。珍しく寝坊ね」


 食堂へ向かうと、そこには懐かしくも眩しい光景があった。

 亡命先のリーデン共和国で裏切られた祖国への憎悪を募らせ、別人のようにやつれ果てていた両親が、まだ若々しく穏やかな微笑みを湛えて座っている。


「おはようございます。父様、母様」


 喉の奥が熱くなるのを堪え、ユーリは席に着いた。

 温かいスープの湯気。銀食器の触れ合う音。このあまりにも尊い日常を、かつての自分は守り方も知らずに失った。


(二週間後だ。……帝国も、俺たち家族も。すべてが壊れる引き金は)


 ユーリはパンを口に運びながら、記憶の糸を慎重に手繰り寄せる。

 一家が帝国を追われ、共和国へ亡命するきっかけとなった事件。それは、若手将校によるクーデター。「紅い水曜日」事件だ。

 

 首魁は帝国近衛第一ギアドール大隊、大隊長グレーム少佐。最大の犯行理由は帝国全土を覆う経済不況にあった。


 海洋覇権国家リーデン共和国との植民地獲得競争や建艦競争などによる外交の軋轢は、両国の貿易戦争を招き、純然たる資源輸入国であるベルナ帝国経済は苦境に陥っていた。

 特に昨今の魔導機械文明の肝であり、共和国勢力圏下で総流通量の七割を握るとされる「エーテリアル」の貿易制限は、帝国の企業活動を激しく痛打していた。


 企業の賃金未払いや雇い止めも多発すると、特に労働者の多い平民階級の生活を直撃し、その日食うパンを買うのが苦労するほど生活は苦しくなった。

 その状況は平民出身らが大半を占める下級将校や兵卒の心を激しく突き動かし、過激な変革を望む土壌となっていた。


 彼らの多くはこの不況の原因を、貿易制限を仕掛けた共和国、そして皇帝陛下を欺き騙す、重臣貴族たちにあると考えていた。

 重臣貴族らは陛下に嘘の報告をし、弱腰外交に徹し、この不況下でなんら対策を採らず、自らの私腹ばかり肥やしていると。


 世の中はそこまで単純では無いが、一度火がついた「正義感」ほど、厄介なものは無い。

 そしてタチの悪い事に、一部の貴族が不正を犯しながらもその特権で裁かれないのは紛れも無い事実であり、それが彼等の不平不満を加速させた。

 

 グレーム少佐はそんな彼らの不満の受け皿となり、自らの大隊を率いて帝宮で白昼堂々と蹶起。

 帝宮を護る近衛兵らが駆るギアドールで帝宮を封鎖すると、その日皇帝の元に参内していた宰相以下大臣ら十名全員を殺害。


 彼はこれを「義挙」とし正当化。帝宮を占拠し、他部隊にも同様の蹶起を呼びかけるも、そこで立ちはだかったのが、物陰で震える父帝に代わり、当時まだ十代半ばに差し掛かったばかりの皇女、メアリ・テルジナだった。

 彼女は返り血を浴びた兵士たちの前で逃げることも怯えることもなく、ただ静かに、そして深く頭を下げたのだ。


『貴方たちの家族が、故郷で飢えていることを私は知っています。その怒りは本来、私たちが背負うべき罪です。私は一人の帝族として、この問題に全力で取り組むと約束します。それが信用できないなら、どうかその銃で私を撃ってしまい構いません。ただし、どうか血を流すのは私を最期にして頂きたい……!』


 この真摯な行動に、一人、また一人と銃を下ろし、帝宮を包んでいた殺気は彼女の慈愛に満ちた説得によって霧散していった。蹶起が失敗すると分かると、首謀者のグレーム少佐は人知れず自決し、蹶起部隊は武装解除。と、されている(・・・・・)

 ともかく、帝国を揺るがした未曾有の事態は一人の少女の「祈り」によって一度は収束を見せたのである。


 しかし、帝国全土を真に震撼させたのは、その後に発覚した真実(・・)の方であった。


 兵卒たちの義憤に端を発した暴走とされた蹶起。しかしその実態は、現宰相派閥と敵対していた別の貴族派閥が近衛将校をけしかけて政敵を一掃しようと画策した巨大な陰謀であったと、帝国の主要紙が一斉に報道したのである。

 その結果、世論は貴族同士の醜い権力争いに利用された兵士たちへの同情と相まって、特権貴族階級全体に対する猛烈な憎悪へと変貌した。


 新聞各紙が煽る扇情的な論調は、飢えに苦しむ民衆の魂に火をつけた。これまで「伝統」の名の下に甘受されてきた貴族政治の権威は地に堕ち、代わって脚光を浴びたのは、実力でその地位を勝ち取った平民出身の若手軍人たちだった。彼らは「腐敗した旧弊を排し、真に国民に寄り添う新たな帝国」を標榜し、急速に支持を拡大していく。


 だが、その濁流のような「正義」の刃は、陰謀とは無縁であったはずの者たちにまで向けられた。

 

 父、クルーガー男爵もその一人だった。

 皇帝直属の情報機関、「官房九課」の幹部として、陸軍将校団の監視を担当していたが、この過熱した情勢下では「敵対派閥を追い詰めるための政治工作」と歪めて解釈され、いつの間にか彼もまた、蹶起を裏で操った疑いのある「黒幕の一人」として、糾弾のリストに名を連ねていたのである。

 

 皇帝もまたこの世論の動きに追随した。いや、するしか無かった。信任を預けていた宰相大臣全員を一気に失ったことで、彼もまた政治的立場が危うくなり、軍人が主導する新政権に迎合するしかなかった。


 結果、皇帝自らが発布した「五月勅令」により、今回の事件に関与したとされる貴族の称号剥奪と、死罪か国外追放が決定。

 ユーリの家族は私財没収され、国外追放という憂き目にあった。


 そして帝国の中枢からは旧貴族勢力が一掃され、先鋭化。他国とパイプを持つ貴族政治家や外交官もいなくなった結果、凄まじい速度で帝国は「変質」していったのだ。


 当初、この「平民の台頭」は帝国の民主化への第一歩と見られ、国内外とわず楽観視されていた。だが、実態は違った。外交の機微を知る老練な貴族たちが消え、代わりに中枢に座ったのは貧困という逆境を「怒り」に変えて昇り詰めた若き将校たち。彼らにとって、他国との協調は「弱腰」であり、力による解決こそが「正義」なのだ。


 そして、その「正義」の行き着く先が数千万の命を奪った大諸国民大戦(エンドウォー)であった。

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