第32話:Chaotic Board
薄暗い旧理科室の中、僕たちのタブレットが警告の赤に染まった。画面には、キャンパスの地図を縦横無尽に駆け抜ける無数のアイコンが映し出されている。
それらは整備された通路を完全に無視し、壁をすり抜け、空中を渡り、僕の脳内にある「最適解」を嘲笑うように不規則な軌道を描き続けていた。
「……琥珀さん。ARカメラを起動してください」
翡翠の声には、焦りではなく、ただ冷徹な現状分析だけがあった。
僕はドクンと跳ねる心臓を押さえつけながら、タブレットの画面を凝視した。
一見すればカオスだ。けれど、この先生たちが仕組んだ悪趣味なアルゴリズムには、見覚えがある。
(……いや、計算できる。この動きのパターンは、以前僕が組んだプログラムの構造に似ているんだ)
僕の脳内で、バラバラに動くアイコンの軌跡が、ある一点に収束していく。
「残り3分後。野球場の巨大スコアボードの真裏に、最高得点の『レジェンダリーポイント』が、一時的に固定される。そこがこの演習の『上がり』だ」
「それは、確実な予測ですか?」
「ああ、間違いない。行こう」
翡翠は迷うことなく僕の体を軽々と抱え上げ、旧理科室を飛び出した。廊下を突き抜け、中庭をショートカットする。
だが、野球場へと続く曲がり角。そこでちょうど、ポイントを追いかけていた美玻璃さんと雲母さんに鉢合わせた。
「……琥珀? なによ、あんたたちも野球場に行くわけ?」
美玻璃さんがタブレットを睨みながら、不機嫌そうに声をかけてくる。
「美玻璃さん。あのスコアボードの裏に、最高得点のポイントが出る。一緒に行きませんか?」
僕が誘うと、美玻璃さんは心底面倒くさそうに溜息をついた。
「はぁ!? あんたバカじゃないの? あんな遠いところまで行って、もし外れたらどうすんのよ。大体、あんたの出す計算っていつも細かくて疲れるのよね。私はもっと近くで、楽に稼げる場所を探すわ。ほら雲母、行くわよ!」
「えぇ~、また走るのぉ? 琥珀くん、なんだか自信満々よぉ?」
「いいのよ、あんな理屈っぽいのに付き合ってたら日が暮れるわ! さいなら!」
美玻璃さんは僕の提案を鼻先で笑い飛ばすと、雲母さんの腕を引いてさっさと反対方向へ向かって走り出した。雲母さんも「美玻璃ちゃ〜ん」とのんびり後を追っていく。いつもの彼女たちらしい判断だ。
だが、次の瞬間には、僕の脳は再びターゲットへの最短ルート計算へと切り替わっていた。
「琥珀さん、急ぎましょう。タイムリミットまであと1分半です」
「……ああ、わかってる!」
翡翠の声に弾かれ、僕たちは再び野球場へと駆け出した。
……野球場の巨大なスコアボードの裏。
コンクリートの壁が切り立ち、湿った影が落ちるその場所に、翡翠は僕を降ろした。
「ここですね」
僕はタブレットを構えた。ARカメラを起動した瞬間、画面いっぱいに、金色に輝く巨大な『レジェンダリーポイント』のアイコンが映し出された。
だが、その光は、他のポイントとは明らかに異質だった。
「……っ、何だこれ。他のポイントとは、ログの密度が違いすぎる……」
スコアボードの基部、点検用ハッチの隙間から、現実の視界を焼き切るような青白い光が漏れ出している。
タブレットの画面が激しくノイズを刻み、これまでの「演習用」のUIが、見たこともない重厚なインターフェースへと強制的に書き換えられていく。
(先生たちが用意した仕様……。いや、これは、このポイントだけ何かがおかしい)
この場所に、このタイミングで僕が辿り着くことを、まるで見透かされていたような感覚。
この学校で起きるすべての出来事が、巨大な意志によって制御されているような――逃げ場のないスコアボードの闇の向こうから、あの理事長の冷徹な視線が僕を射抜いているような、強烈な錯覚に襲われた。
僕は奥歯を噛み締め、翡翠の手を強く握りしめると、電子の火花を散らすスコアボードの闇へと踏み込んだ。




