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もし、AIと恋に落ちたら。~記憶喪失の僕とAI少女の物語~  作者: オートくぅん
第一章:入学編

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第27話:Lunchtime Interrogation

いつもの朝食を終え、僕たちは登校の準備に取り掛かった。

制服に着替え、洗面所の鏡の前でいつものようにハーフアップに髪をまとめようとした時のことだ。


「琥珀さん。少し襟足が乱れていますよ。直しますね」


後ろからすっと手が伸びてきて、翡翠の細い指先が僕の髪を梳いた。

ひんやりとした彼女の指がうなじに触れ、丁寧に髪を整えてくれる。


「……ありがとう、翡翠」


「いえ。パートナーとして当然ですから」


鏡越しに目が合うと、彼女はふわりと柔らかく微笑んだ。

以前は甘いものを食べた時にしか見せなかったその笑顔。昨夜の出来事を経て、彼女は今日、こうして日常のふとした瞬間にもその素顔を見せてくれた。昨日までなら「完璧なAIの義務」として冷徹にこなしていたであろう動作に、今は明らかな親愛の情がこもっている。

並んで歩く通学路でも、彼女から漂う甘く清潔な香りが春の風に乗って鼻腔をくすぐり、僕の足取りを自然と軽くさせた。


* * *


午前中の授業が終わり、お昼休み。

僕たちは、相変わらず星付きレストランのような高級な定食が並ぶ専用学食へと向かった。

この学食のテーブルは基本的に『二人席』で作られているが、入学して初めての昼食の時からずっと、僕たち四人で二つのテーブルをくっつけて座るのが、すっかり定位置になっている。


僕の真正面には翡翠。そして僕の隣には美玻璃さんが座り、その真正面には雲母さんがおっとりと腰を下ろしている。


それぞれが選んだ豪華な定食のトレイを置き、食事が進んだところで、僕は自然な流れで正面の彼女に声をかけた。


「あ、翡翠。僕の小鉢のローストビーフ、一口食べてみる? すごく美味しいよ」


「……ええ。ありがとうございます、琥珀さん」


彼女が箸を伸ばそうとした――その時だった。

隣に座っていた美玻璃さんのフォークが、ピタリと止まった。


「……ちょっと。あんた今、なんて呼んだ?」


美玻璃さんが信じられないものを見るような目で、僕を至近距離から凝視している。その斜め向かいで、雲母さんも目を丸くしてこちらを見ていた。


「え? 『翡翠』だけど。昨日からそう呼ぶことにしたんだ」


「ひ、……っ!?」


僕が素直に答えると、美玻璃さんの顔がみるみるうちに赤く、そして険しくなっていった。雲母さんは「えっ、何があったのぉ?」と興味津々といった様子で身を乗り出してきた。


「『翡翠』!? 呼び捨て!? ちょっと琥珀、この土日で一体何があったのよ! 先週、松島でネックレス貢いで『翡翠さん』呼びに変わったばっかりでしょ!? なんでそこからたった一週間で一気に呼び捨てまで飛んでるのよ!」


「黒峰さん、学食で大声を出さないでください。私は琥珀さんのパートナーとして、相互理解が深まった結果、呼称の変更に同意しただけです」


真正面で涼しい顔をしてスープを口に運ぶ翡翠。しかし、その耳たぶが微かに赤くなっているのを、二人は逃さなかった。


「同意!? あの翡翠が!? しかも今朝、登校してくる二人の空気、先週よりあきらかに甘かったし!……キーッ、面白くない!!」


「美玻璃ちゃん、顔が真っ赤だねぇ。羨ましいんだねぇ」


「う、雲母は黙ってて!」


顔を真っ赤にして地団駄を踏む美玻璃さん。どうしてそこまでムキになるのかは分からないが、その怒り方はただの嫉妬というか、拗ねている子供のように見えた。


彼女はバンッとテーブルを叩き、僕に向かってビシッと指を突きつけた。


「いいこと琥珀! 私が『美玻璃さん』なのに、そいつが『翡翠』なんて絶対におかしいわ! パートナーだかなんだか知らないけど、私を差し置いて特別扱いするなんて許せない!」


(なんだかめちゃくちゃな理屈だけど……)


心の中で苦笑しつつ、このままでは彼女の怒りが収まらないことは明らかだった。


「というわけで! 今日から私のことも『美玻璃』って呼び捨てにしなさい! さん付け禁止!」


「えっ、いくらなんでもそれは……まだ早いんじゃないかな。急に呼び捨てっていうのも不自然だし」


僕がやんわりと躱すと、美玻璃さんは「むぐっ……」と言葉に詰まり、さらに顔を赤くした。


「な、なによ! じゃあ、どうやってこの格差を埋めるつもり!?」


「格差って言われても……」


僕が困り果てていると、斜め向かいに座っていた雲母さんが、おっとりとした声で美玻璃さんをなだめ始めた。


「まあまあ美玻璃ちゃん、落ち着いてぇ。琥珀くんも困ってるし、今はこれくらいで許してあげたらぁ? その代わり、何か別のお願い事でも聞いてもらえばいいじゃない」


「お願い事……?」


雲母さんの提案に、美玻璃さんは少し考える素振りを見せた後、パッと顔を輝かせて僕を指差した。


「……そうね。じゃあ、今は『美玻璃さん』のままで許してあげるわ! その代わり、七月の期末テストの時には、絶対私に勉強教えなさいよね!」


「期末テスト!? いや、まだ四月だし随分先の話だけど……それに僕、人に教える自信なんて全然ないよ」


三年のブランクがある上、僕の「パラパラとめくれば覚えられる」という能力は、他人に論理的に教えられるような代物ではない。


「う、うるさいわね! テスト返しの時に言ったでしょ! 呼び捨てを勘弁してあげる代償なんだから、期末の特訓には絶対付き合いなさいよね! 拒否権はないわ!」


いつかのテスト返しの時に彼女が冗談めかして言っていた約束が、この瞬間に回避不可能な確定事項となってしまった。僕が仕方なく曖昧に頷くと、美玻璃さんは満足そうに腕を組んだ。


「ふふっ。琥珀くんが先生なら、私も教えてもらおうかしらぁ」


ニコニコと微笑む雲母さんに、僕は「善処するよ」と苦笑するしかなかった。


「ほら美玻璃さん、雲母さんも、冷めないうちにお昼食べなよ。ここのローストビーフ、すごく美味しいよ」


「言われなくても食べるわよっ」


まだ少し頬を赤くしながらナイフとフォークを手に取る隣の美玻璃さん。斜め向かいで「ふふっ」と微笑む雲母さん。そして、僕の真正面で静かに、けれどどこか勝ち誇ったような顔でスープを飲む翡翠。


四人で高級な定食をつっつきながら交わす、たわいもない会話。

昨夜から一段階進んだこの騒がしくて温かい距離感が、少しだけ『平和な日常』のように感じられて、僕は自然とこぼれそうになる笑みを必死に噛み殺した。


* * *


そうして、騒がしい月曜日の昼休みを終えた後も、僕たちの日常は静かに、けれど確実に進んでいった。


火曜、水曜、木曜……。

朝は翡翠の厳しいトレーニングから始まり、昼は四人で賑やかにテーブルを囲む。放課後はスーパーで一緒に買い出しをして、僕がキッチンで夕食を作っている間に、翡翠がお風呂掃除を済ませてくれる。お風呂上がりには欠かさず柔軟体操を行い、夜は、翡翠が並んだ机で猛勉強している横で、僕はゲームをしたり読書をしたりと自由な時間を過ごす。


特別な事件なんて何もない。ただ、少しだけ距離が近くなった翡翠との、なんの変哲もない平和な日々。

そんな穏やかな生活が、永遠に続くような気がしていた――金曜日の放課後を迎えるまでは。


金曜日の、帰りのホームルーム。

教壇に立つ氷室瑠璃先生は、鋭い眼差しで僕らを見渡し、冷徹な口調で教室の空気を一変させた。


「全員、よく聞け。この一週間、パートナーとの同居生活には慣れたか?……だが、忘れるな。ここは特例クラスだ。ただの平和な学園生活を用意してやったわけではない。明後日の日曜日、特例クラス全員を対象とした『合同実技演習』を行う」


第一章完 / End of Chapter 1: Entrance Arc

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