【証拠はいらない】何年もの片想いは、無駄じゃなかった
相談者は、三十代後半の女性だった。
服装は地味だが、清潔感はある。
視線は落ち着いているのに、手だけが落ち着かなかった。
「……長い片想いの相談です」
「相手は?」
少し間があって、彼女は言った。
「既婚者です」
それだけで、説明は十分だった。
「最初から、分かってました」
「選ばれないことも」
「報われないことも」
声は冷静だった。
「期待もしてません」
「奪う気もないし」
「何かしてほしいわけでもない」
少し息を吸ってから、続ける。
「ただ……」
「好きでいるのが、無駄だって分かってるのに」
「やめられなくて」
俺は、何も書かずに聞いていた。
「何年?」
「六年です」
「長いな」
「ですよね」
自嘲でも、悲壮でもない笑いだった。
「頭では、ずっと分かってるんです」
「この時間に意味はないって」
「未来もないって」
「でも?」
「それでも、消えない」
沈黙。
「何が一番、怖い」
彼女は、すぐには答えなかった。
「……この時間が」
「全部、無駄だったって思われることです」
来たな、と思った。
「誰に?」
「……自分に」
俺は、椅子にもたれた。
「聞くぞ」
彼女は、うなずく。
「その人を好きでいた時間」
「幸せだったか」
迷いはなかった。
「はい」
「苦しかった?」
「はい」
「両方か」
「……両方です」
「なら、失敗じゃない」
彼女が顔を上げる。
「でも、何も得てません」
「違う」
即答だった。
「好きでい続けた」
「逃げなかった」
「自分の気持ちを、裏切らなかった」
「それは――」
「結果じゃない」
「生き方だ」
彼女は、唇を噛んだ。
「諦めた方が、楽ですよね」
「楽だ」
「……」
「でもな」
「諦める理由を、今ここで作る必要はない」
「え?」
「続けろとも言わない」
「終われとも言わない」
俺は、指で机を軽く叩く。
「ただ」
「“意味がなかった”って判決だけは」
「出すな」
彼女の目が、潤んだ。
「それは……許されますか」
「誰に許可を取る気だ」
小さく、笑う。
「その時間を生きたのは、あんただ」
長い沈黙のあと、彼女は息を吐いた。
「……証拠」
「いりませんでしたね」
「ああ」
「好きだった、で」
「もう、十分だったみたいです」
立ち上がり、深く頭を下げる。
「まだ、好きでいてもいいですか」
「好きでいるかどうかは」
「相談じゃない」
彼女は、少し驚いてから、笑った。
ドアが閉まる。
事務所に静けさが戻る。
相棒が、ぽつりと言う。
「……長い片想いって、残酷だね」
「綺麗だろ」
「どうして?」
「真っ直ぐだから」
それだけだった。
片想いは、
叶わなくても、嘘にはならない。
その時間を生きた事実だけで――
もう、証拠はいらない。




