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或る一皿  作者: 久慈柚奈


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第七話  招待

 所長たちがはっと目を見張って私の後方を見る。目を見開いたのは私も同じだった。私の斜め後ろから降ってきた声。もしかしてと思う。声の持つまるい響きが物体の輪郭を撫でて伝わり、私たちがまとっていたひりついた雰囲気さえ一声で鈍らせてしまう。私は所長たちの視線を追うように振り向いた。

 長身の青年がゆったりと手すりに手を添えて、音もなく階段を下りてくる。痩せて骨ばった体とそれを覆うサイズの大きい衣服から、どことなく浮世離れした印象を受ける。白いシャツに細かな絵の具の色彩が飛んでいた。彼の存在そのものが、彼が芸術家であることを強烈に物語っている。

 あ。と声を発する間もなかった。彼は滑るように玄関扉へ近づいてくると、扉を大きく開け放って所長たちと向かい合う。彼が私を追い越す時、その静かに澄んだ横顔が私の心を捉えた。

 所長たちにも同じことが起きたようだった。彼を見上げて息を呑み、言葉も、ここへ来た目的も一瞬忘れ去ったように立ち尽くしている。彼は小首を傾げてもう一度言った。

「うちに何かご用ですか?」

 最初に言葉を取り戻したのは同僚だった。

「わ……我々は児童養護施設の者です。こちらにお住まいの沢崎ふうかさんの様子をうかがいに参りました」

「そ、それから。うちの職員たちが……。他にもこちらへ伺っていませんか。こちらへ向かったはずの人たちが行方知れずになっているのですが。すでに4人」

 所長も食らいつくように言葉を重ねる。彼はうんうんと親身そうに耳を傾けてから、穏やかに答えた。

「妹はこちらに見える通り元気です。この方がきちんと面倒を見てくれていますから。それから生憎と、他の職員の方のことは分かりかねます。うちにたどり着くまでは森が深い。どこかで道に迷われているのでは?」

「私道が一本通っているのに? わざわざ道を外れたりするわけ……」

「ともかくうちはあなた方のお力を貸していただかなくても間に合っておりますし、わたしたちがお力になれることもないと思います。ほら、ふうか。この人たちに元気な姿を見せてあげなさい」

 彼がこちらを、私の後ろに隠れたふうかちゃんを振り返る。するとふうかちゃんは私の脇をすり抜けて、人好きのする笑顔で所長の手を引いた。今までにないはきはきした声を出した。

「一緒に遊んでよ! ね、いいでしょう?」

 所長が同僚と困惑した顔を見合わせるより、ふうかちゃんが強い力で所長の手を引く方が早い。二人は初めて見るふうかちゃんの明るい顔に引きつけられるように、庭の方へ回っていった。ほどなくしてプールの水を跳ね上げる音と歓声が響いてきた。今日は秋にしては暖かいから、少しくらい水遊びしても後できちんと温まれば風邪はひくまい。

 ふうかちゃんたちが庭の方へ去るのを見届けて、彼がこちらを振り返る。穏やかそうに細められた目が、今度はまっすぐ私に向けられている。開け放したままの玄関扉から入りこむ白い陽光が彼を縁取り、その端正な姿をより際立って見せていた。私は決まりの悪さを覚え、うつむきがちに喋った。

「あの……。す、すみません。勝手に居着いてしまっていて。ふうかちゃんが可愛らしくて、心配で、その」

「構いませんよ。貴女にはむしろお礼を言わなければね。僕が仕事で忙しくしているあいだ、家をきれいにして住んでくれて。ふうかも貴女に懐いているようだし」

「とんでもないです」

 彼の声はその風貌と同じくらい快かった。

 数週間ののちに初めて顔を合わせた私たちは互いに名乗り合う。彼は「あゆむ」と名乗ったが、すぐに「でも、好きな名前で呼んでいただいて構いません」と小首を傾げて微笑んだ。

「小さい頃から、なぜか名前をちゃんと聞き取ってもらえた経験があまりないんです。何度も違う名前で呼ばれてきました。だからもう名前にこだわるのはやめたんです。呼ばれればどんな名前であろうと、僕のことを呼んでいると分かるものですから」

 あゆむは階段を数段上り、ふと足を止めた。

「今日までふうかを可愛がってくれた、お礼をさせてください。貴女はこの家の二階に興味を持っているようでしたね」

「き、気づいていたんですか」

 私は羞恥心に縮み上がった。彼は気にしている風もなく細い顎を引く。

「生まれた家にずっと住み続けていると、だんだん家が自分そのものみたいな感じがしてくるのです。誰がどこにいて、どんなことをしているのか。だいたい分かるようになるんですよ」

「ごめんなさい……。ふうかちゃんから二階へ行くなと言われていましたが、どうしても気になってしまって」

「怒っていませんよ。未知に心惹かれるのは人間の美徳です」

 どうぞ、と言って、先に階段を上がっていく。庭の方から所長たちの笑い声が聞こえる。私はあゆむの背中を追った。


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