第六話 来訪者
空の高い、気持ちの良い秋晴れの日だった。朝リビングの分厚い遮光カーテンを開けて天気の良いことに気づいたとき、私は奇しくも初めてこの屋敷にやってきた日を連想した。乾いた空気が広い芝生の庭を渡り、開け放った折りたたみ窓まで吹き寄せてくる。プールに張られた澄んだ水が細かくさざなみを立てた。
私は隣で庭を見渡すふうかちゃんにおはようと声をかける。まだ眠っている様子だったからそっと動いているつもりだったのに、カーテンを開ける音か何かで起こしてしまったかもしれない。
それにしても不思議だ。見渡した庭の芝生は綺麗に刈り揃えられている。私がここで暮らしはじめてから何週間も経っているのに、そしてその間、一切手入れできていないのに、芝は寒さを増してくる風に枯らされることも日差しの暖かさを受けて多少丈を伸ばすこともない。プールも同じだ。透明な水はいつも澄んでいる。水底に黒い砂が溜まったり、どこかから飛んできた枯れ葉が浮かんだりしているのを見かけたことがない。
一階の窓という窓を開け放ち、風を通す。風がレースカーテンを大きくふくらませる時、私は今勢いよく入ってきた風が、その勢いを保ったまま二カ所ある階段を駆け上がって彼の部屋の前までたどり着いてくれるよう願う。ずっと窓を閉め切ったままでは気づまりなこともあるだろう。
掃除に精を出していると呼び鈴が鳴った。私は掃除機をかける手を止めて耳を澄ます。もう一度呼び鈴が鳴った。ふうかちゃんが居間を飛び出してきて私の後ろに隠れる。頭を撫でて大丈夫だよと慰めた。部屋に隠れていてもいいのに、ふうかちゃんは玄関に向かう私の後をついてくる。
今日は来訪者の予定はないはずだった。彼の作品の集荷は一昨日来たばかりだし、ここにセールスの類が来たこともこれまでない。玄関扉の取っ手に手をかけた時にもまだ、私は来訪者に心当たりが見つかっていなかった。
鍵を開け、扉を細く押し開けた。陽気の中私を見つめて息を呑む二対の目があった。驚いたのは私とて同じことだ。玄関先には所長と同僚--初めてここへ来た時と同じ顔ぶれ--が立っていた。
所長が目をしばたいて私の顔を覗きこむ。
「ほ、本当にここにいるなんて」
「ご無沙汰しています。今日はどのようなご用件で?」
普通に通り一遍の挨拶をしたはずなのに、二人の眉は怪訝そうにひそめられる。
「ご用件、て……。そりゃふうかちゃんの保護に来たのよ。まさかあなたにも会えるとは思っていなかったけれど。ここで一体何してるの? もう有給とっくになくなってるし、無断欠勤しすぎ。シフト回ってないんだよ」
保護。
所長がその言葉を口にした途端、ふうかちゃんが私の服をぎゅっと掴む。私は毅然として見えるよう背筋を伸ばした。
「この子はどこへも行きません。ここがこの子の家ですから。私はここに住んでいます。この子と一緒に」
心の中で「彼も」と付け加える。まだ会ったことはないけれど……?。
「それは認められない」
同僚が気遣わしげな顔で身を乗り出してきた。
「未成年誘拐に該当するかもしれないよ。その子は保護される必要がある。この子の親権を持った親戚とか、誰か見つかるかもしれない。それまで安全な場所で過ごせるようにするんだ」
「ここは充分に安全ですよ。頑丈な家があって清潔です。見てお分かりになるでしょう? 最初にこの家がどんな状態だったか、私たち見たじゃありませんか」
「君一体どうしたんだ。ねえ、気がかりなことがもう一つある……。他の職員たちだ。ここへ来ていないかい? 実は僕たちは3組目なんだ。他の職員たちが二度、ここへふうかちゃんを保護しに来たはずだ。それなのにみんな帰ってこない。誰かに会っていない?」
「誰も来ていません。それにもう来なくてけっこうです」
所長が頭を振り、もういいと言葉を挟む。
「あなたと話し合っていても埒が明かない。そこをどきなさい。あなたの処分は後日決めます。まずはその子を保護するわ」
所長は玄関扉に手をかけて、大きく開け放とうとする。同僚もそれを手伝おうと手を伸ばしてくる。私は取っ手を引いて扉を閉めようとした。ふうかちゃんが私の服の裾をますます強く掴む。歓迎されざる客の前で声を出せなくなっているようだが、この子は私の味方をしてくれていると思った。これが何よりの主張ではないか。ふうかちゃんは保護を拒んでいるのに。
邪魔しないでくれ。同僚が食いしばった歯の間から声を絞りだす。私には返事する余裕がない。一対二では分が悪かった。玄関扉が細かく震えながらも両者の中間にあったのはたったの5秒ばかりで、そこからじりじりと外に開かれていってしまう。射抜くように日差しが入りこんでくる。視界が黄金色に満ちて私を圧倒しようとする。
その声は春先の風のように耳に柔らかく届いた。
「こんにちは。うちに何のご用ですか?」




