第五話 美術探訪
素晴らしい芸術品を生み出すふうかちゃんの兄、顔も知らない彼は、いったいどんな人なのだろう。二階から運び下ろされてくる美しい皿を見るほどに、彼の手を介してこの世に現れる神聖さが畏れ多く、間違ってもこのあいだのように一方的に彼の領域を侵犯しようなどとはとても考えられなくなっていく。けれども同時に彼についてもっとよく知りたいという思いは日々募る。私はある時皿を両手に持ってじっと見つめているうちに思いついた。
まずは彼が最初に絵皿を作った支援施設へ行くことにした。
私は天涯孤独になりかけている兄妹の話をし、なんとか彼らの力になるために色々調べているということにした。最初は警戒と不信をあからさまに顔に表していた施設職員だったが、私が彼がつくる絵皿の綺麗さにひとこと触れた瞬間、態度を変えた。顔が満面の笑みに輝き、この世で最も美しい芸術品を見たと褒め称え、彼についておよそ知っているすべてのことを教えてくれた。どこの何というアパートに住んでいたか、施設での制作の様子、初めて絵付した皿の印象……あれもこれもすべて。私はアパートの名が知れた幸運を喜んだが、その職員と共に彼の素晴らしさを心ゆくまで語り合うことはしなかった。むしろ声を上ずらせて一方的に喋り続ける彼女の声を不快に感じて軽くいなした。
彼の作品を評価する人がいることは嬉しかったが、彼女はあの作品群にひそむ暗さに気づいていない様子だ。あの暗さが、彼の作品を他とは区別して素晴らしいものにしているというのに。暗さを見抜けないようでは彼の作品を、彼を本当に理解しているとは言えないと思う。彼女はどこまで行っても生半可だった。
職員に教えてもらったアパートを見に行ってみる。広い土地に同じ造りの建物が2棟建っており、道路に面した側にA、Bと付してあった。確か、彼はB棟に住んでいたと聞いた。
アパートはまだそこまで築年数が経っていないように見える。ネットでアパートの名前を検索すると、いくつかの賃貸情報サイトがヒットする。写真で室内の様子を窺い知ることすらできた。清潔そうな白っぽいフローリングのワンルーム。彼も同じ間取りの部屋で、たった半年間とはいえ生活していたのだ。この広さの限られた空間に何をどのように配置し、寝起きしていたのだろう。一人でどんな食事を摂っていたのだろう。ここでも絵皿を制作したかも知れない--。
手元の液晶画面に映し出された間取り図と、実物の建物を見比べながら敷地内をひとめぐりする。ふと顔を上げた時、B棟二階の角部屋が黒に覆われているのを見てぎょっとした。はじめは何なのか分からなかった。思わず足を止め、しばらくじっと見つめているうちに、それは焼け跡であるという理解が遅れてやってきた。
横長の四角形の一角が黒っぽくえぐれて奇怪な形を見せている。見慣れているはずのありふれた壁や窓枠が異様な色に焼き上げられて歪み、傾き、日常から一歩はみ出した姿を空虚な青空に晒している。ここで火が起こったのはどれくらい前のことだろう。もう煙など上がっていないのに、風が吹くとここまで焦げ臭さが流れてくる気がする。
買い物袋を提げた初老の男が、ゆっくりアパートの敷地に入ってくるのが見えた。私は近づいて行ってこんにちはと声をかけた。男は訝しげな目を向けてきたが、今アパートを探しているとかなんとか言い訳した。焼け跡について尋ねると、まだ胡乱な眼差しではあるが教えてくれる。男はそれを不審火らしいと語った。
なんでも前の住人が退去し、大家が空いた部屋の状態を確かめに来た日に火が上がったらしい。炎の勢いはなかなか衰えず、男性含めたB棟の住人たちは持つものも持てず外へ出ることを余儀なくされたと言う。消防車が次々に到着する中、炎は風に逆らって渦をまき、灼熱の触手を伸ばして消防士に襲い掛かろうとし、火災現場にある程度は慣れているはずの消防士たちですら悲鳴をあげる有様だったという。しかも悲鳴を上げたのは消防士のみではなかった。ごうごうと燃え盛る火元の家の中、すでに退去も済んで無人であるはずの家の中からも、人のものとは思えない、脳を直接引っ掻くような叫び声が響いてきたという。
好奇心旺盛な住人たちは、炎が鎮まった後で焼け跡を見に行った。彼らは奇怪な悲鳴の主を見出そうとしたのだ。あれが大家のものではないことは全員が承知していた。出火の瞬間に部屋の前にいた大家は、爆発にも似た炎の炸裂に目を射抜かれて、熱に皮膚の表面をあぶられ、消化活動の開始とほとんど同時に救急車で運ばれていた。住人たちが覗き込んだ黒い部屋には、一角だけ焦げもせず元々の色が残っているまるい空間があったという。そこには炎をものともしない「何か」が存在したと思われるが、住人たちの中にそのような耐火性のものを知っている人は誰もいない。みんなは警察がその「何か」を持ち帰ったと思っている。
彼がその部屋の住人だったかどうかは、男の知らないことだった。色彩の中にひそむ暗さの話以前に、美しい皿のこともその作り手のことも知らないでいる。私は火事の話を聞き出すと手早く会話を切り上げて「家」へ帰った。通り道におしゃれなケーキ屋があるのを見つけたので立ち寄ってみる。小さなケーキを3つ買った。ちょっとした手土産だけれど、ふうかちゃんは喜んでくれるに違いない。一つは皿にとっておけば、彼も口に運んでくれるかもしれない……。
私の帰る場所は、この時すでにあの屋敷になっていた。一人で暮らしてきたアパートのことが完全に忘却されたわけではなかったが、激しくどうでもよかった。自分ひとりのために暮らしを立てるというのは、よほどの意志力と自尊感情を要する行いだ。私にはそのどちらも欠けていた。私が持ち合わせているのは惰性だった。一度得た職を手放したり、新しい仕事を見つけようとしたりする気力体力。新しい住まいも同じこと。それなりにまじめに務めていれば毎日は積み重なっていく。変化を起こす方が疲れる。はっきり言葉にできたことは今の今までなかったけれども、今までの私は完全にそれだった。
対して人のために暮らしを立てようとすることはとても容易い。私がもたらす物事で笑顔を浮かべてくれるかも知れない他者がいるというのは。私にとってふうかちゃんは喜んでくれる同志であり、あの森によって世間からやわらかく隔てられた屋敷は、この天体のどこよりも安心できる寝場所だった。唯一の気がかりといえば、私の滞在を彼がどう思っているかが分からないこと。二階にこもりきりのかれからは、出ていけともここにいていいとも言われない。私はふうかちゃんに伝言を頼もうと試みたことがあるが、返ってくるのはいつもはっきりしない態度ばかりで、ことづてがきちんと相手に伝わっているかどうかというところからなんとなく怪しい。
私は彼を敬愛しているからこそ、顔も名前も知らないままで彼と作品を愛でつづけたいと思う。同時に私は彼を、あるいは彼から示されるかもしれない拒絶を恐れていて、だからこそこのままの距離感でいたい。今がいちばん幸せだった。




