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或る一皿  作者: 久慈柚奈


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第四話  絵付の皿

 だが一階と二階がまったく分裂して過ごしているわけではない。二階の兄は時折玄関先に生存の痕跡を残していく。

 それはダンボールの形をしている。ある朝目が覚めると、それは玄関に置かれていた。ふうかちゃんに尋ねてみると、お兄ちゃんの作品だという。箱はまだ完全に閉じ切ってはいなかった。箱に封をして送り状を貼るのはふうかちゃんの仕事らしい。ガムテープで完全に閉じてしまう前に、興味津々な私のために中を開いて見せてくれた。幾枚もの白い緩衝シートの下からそっと持ち上げられたのは、一枚の美しい絵皿だった。ちょうどふうかちゃんの両手に載るくらいの大きさだった。全面に吸い込まれそうなほど美しいデザインと色彩が踊り、料理を盛ってたとえ一部分でも隠してしまうのが勿体無いと思われた。開かれたダンボールのなかを覗き込んでみると、他にも絵付の施された皿たちが、合間にきちんきちんと緩衝材を挟みながら収められている。ひとつとして同じ色、同じデザインは見当たらない。

 これは兄が絵付した作品なのだとふうかちゃんは教えてくれた。兄は一人暮らしの自由を享受していた時、支援施設の作業所で皿の絵付を覚えたらしい。兄の手がけた皿があまりに芸術的で素晴らしいというので、これまで施設に縁のなかったところからも制作依頼が殺到するようになったという。兄はその後屋敷に舞い戻ることになり、神経質な母は支援施設とのつながりを遮断してしまった。だが兄はなんとか自力で美術商と連絡を取り続け、定期的に絵皿の納品を続けているらしい。それに今や兄の絵皿に支払われる金銭は、この屋敷を存続させるための大きな柱でもあった。

 ダンボールはいつも私たちが眠りについているうちに一階に下ろされる。だから私たちが兄の姿をちらとでも見ることは、やはりないのだった。


絵皿の色彩に心を掴まれたまま、私は顔も知らぬ兄の性質そのものに思いを馳せる。芸術作品、特に絵というものには、作者の精神の根源的な性質--魂の片鱗が現れうるのではないかと思う。そうであるならば兄は、言い得ぬ美しい魂の持ち主に違いなかった。しかも、その魂は途方もなく広く大きいものであろう。一枚として同じ絵柄のない皿を見れば、そう考えないわけにはいかないことがはっきりしている。世間では白は200色あるとも言われるが、赤だって青だって黄色だって、同じくらいのバリエーションがあるのではないか。

 ふうかちゃんが箱を閉じる前に、私はいつも皿を見せてもらうようになった。両手で包むようにして持った皿をじっくり眺める。長いこと見つめているとだんだん不安になってくる柄もあるが、それはきっと描き手の仄暗い部分が表出しているからだと思う。しかしだからといって必ず黒を多く含む色が使われているわけではない。それが不思議なところだ。透き通るような赤色の中に、それが読み取れたりすることがある。もしかしたらこういう見方をするのは私だけかもしれない。きちんと封をされた箱を持ち去っていく運送会社の職員も、この後どこかで私が見たのと同じ皿を手に取るだろう美術商や蒐集家も、色彩の明るさに印象を引きずられて暗さを見落とし続けるかもしれない。

 もしこの広い世界の中で彼の込めた暗さを受け取れているのが私だけだとしたら。

 夢想するだけで深い幸福感に包まれる。


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