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或る一皿  作者: 久慈柚奈


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第三話 陶器の皿

 翌朝、私は乗ってきたバンを施設に返し、自分の車に乗り換えてホームセンターへ向かった。買うべきものは数えきれないほどあった。屋敷の部屋々々を掃除するのに必要な道具、おそらく切れているだろう洗剤類、清潔なタオル、それから簡易なシュラフとブランケット️️--施設の人が来てふうかちゃんを無理にあの家から引き離すようなことが起こらないよう、私が見守る必要があると思う。職場には所長が不在の隙に有給申請を出してきた。

 狭いキッチン用品売り場を通りすがったとき、一瞬迷った後に陶器の皿数枚も買うことにする。昨日キッチンを片付けている時に気づいたのだが、あれほど高価なもので満たされた屋敷には、それにも関わらず高級な皿は一枚もなかった。食器棚のガラス戸を通して見えたのはほとんど空白で、控えめに重ねて置かれた皿はプラスチック製だった。もともとあの屋敷に収蔵されていた、質も見た目も華麗な皿は全て、兄妹の母親が感情を爆発させるたびに床に叩きつけられて少しずつその数を減らしていったらしい。

 想像だに痛ましい。そのことについて語るときふうかちゃんの顔からは生気が削ぎ落とされていた。私は二階のどこかで閉じこもっているこの子の兄のことを思った。彼についてはほとんどまだ何も知らなかったが、もしかすると感情的な母親の存在が、彼の心的安全領域を自室にまで後退させたのではないか。彼は自分を守るという根源的必要性に迫られて部屋の扉を閉ざしたままなのではないか。

 そうはいっても彼は、ずっとそのような暮らしを続けてきたわけではない。ふうかちゃんの話によれば、彼は半年ほどの期間、市内のアパートで一人暮らしをしていたという。彼の屋敷と母親から離れた身軽な生活が終焉したのは、母親が彼を屋敷に呼び戻したからだった。ふうかちゃんは母親がなぜそんなことをしたのか分からないらしい。母親はある日突然兄に出ていけと言い放ち、その後号泣しながら戻ってきてくれるよう懇願したという。

 兄の帰還から数ヶ月後、母親は亡くなっている。もしかすると息子を追い出したは良いものの自身の死が近いことを知って気が変わり、呼び戻したのかもしれない。

 私とふうかちゃんの手によって屋敷はどんどん清潔になり、共に楽しみながら作る料理のおかげかふうかちゃんの体型も健康的になっていく。私はとっくに有給を使い切っていることを意識の片隅に認識していたが、この屋敷から8時間超も離れたまま働くなんてとても考えられなかった。ふうかちゃんも学校へ行く様子はなかった。

 私はほとんど家中を掃除して回ったが、相変わらず二階だけは上がることを止められていた。沢崎家には二階へつづく階段が二箇所に設置されているが、私が階段の下に立って上の様子を見ようと首を伸ばしていると、どこからともなくふうかちゃんが現れて制止してくるのだった。一体どこから気配を感じ取って飛んでくるのかまったく思いもよらない。しかもその制止が年に似合わず強い口調なので、毎度引き下がるしかないのだった。

 実はそれでも一度だけ、私はあの重厚な踏み板に足をかけたことがある。

 ふうかちゃんがお絵描きに夢中になっているのを廊下から見つけた私は、そのまま流されるように階段へ向かったのだ。木目の綺麗な踏み板は靴下を履いた足につややかだった。私はすべって体勢を崩したり、そのせいで音を立ててしまったりしないよう気をつけた。

 細心の注意を払った忍び足で、何十秒もかかって踊り場までたどり着く。そこからさらに上を目指そうとしたのだが、目には見えない何かが私の歩みを押し留めた。それは私の内側からくるものだった。

 ふうかちゃんが二階に興味を持つ私を止める時の真剣な目が脳裏に浮かんだ。次にあの「見られている」という感覚。それとも、順序は逆だっただろうか? とにかく私はそれ以上足を上げることができなくなる、しばらくのあいだ黙って二階を見つめていた。二階は総じてカーテンが引かれているのか、外は天気なのに薄暗いようだ。階段と同じ木目のフローリングが、左右に道を分けながら延びているのが見える。その先は壁に隔てられ、様子は分からない。

 その廊下の角に、誰か立っている感じがする。気配はほとんど隠して悟られないようにしているけれど、確かにそこにいて、私を観察している。私は観察されている私を意識する。

 妹の制止を聞かず、歓迎されざる領域を垣間見ようとしている私は、この家のもう一人の住人からどんなふうに見えているだろう?

 私の半階下で足音がした。ふうかちゃんが私を呼ぶのが聞こえる。行かなければ。ここにいるところを見られるわけにはいかない。

 心の中でごめんなさいと謝って、私は上った時と同じ注意力を払って一階へ戻った。私を見つけて駆け寄ってきたふうかちゃんは、運よく何も気づいていないようだった。


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