32話 何も心配しないでくださいね
「えへへ……」
「どんだけ眺めりゃ気が済むの……?」
深夜、ドア近くのスクルが張った結界の中で、ニマニマと口が緩みっぱなしの私の視線は、自分の手首につけられているブレスレットに注がれている。
そんな私にスクルが呆れたように見てくるのがここ最近の日常だ。
「だって嬉しいんだもん。それにこれ、綺麗だし」
「いやだからってさ……」
ハアとスクルが溜め息をついたかと思ったら、ギンッと睨みつけてきた。
「もう一週間以上経つんですけど⁉」
「全く問題ありませんが?」
え、何か問題でも? 大好きな人から大好きな人の色のブレスレットをプレゼントしてくれたんですよ? 眺めないで何をしろと? ニマニマしないで何をしろと? 嬉しさ一杯のこの気持ちをどうやって止めろと?
めっちゃ半目で見てくるスクルが、とてもその小さい体から出たとは思えない長い長い溜め息をついていた。
「あのさ……いや、ううん。いいんだよ。それが嬉しかったのはもう十分分かってるんだけどさ」
なんかブツブツ言ってるけど、それを無視して、今度はそのブレスレットを月明りに照らしてみる。ふわああ。何これ、新しい発見! めっちゃ綺麗! はっ! しかもベッドで寝ているお姉さまも一緒。ご褒美か!
「魔力測定がどうのって、言ってなかったっけ?」
――スクルのその一言で、ピタッと時間が止まった。
「そろそろなんじゃないの? この前フィリアがそれ眺めてる時にさ、お父様がセレスに話してたし」
……忘れてた。
「あと、学園の準備がどうのこうのっていうのも言ってたじゃん。でもフィリア何にも言ってこないからさ」
忘れてた。
「ま、あたしはそれに関してはそこまでセレスの未来に影響ないって思うから、興味ないんだけど。そういやどうする気なんだろって思って」
忘れてたああああ!!!!
「んで? 今もその魔力測定とか学園のこととかどうにかしないととか思っ――どぅああああ!!!! なになになになに⁉」
「全っ然考えてなかった! 忘れてたあ! どどどどうしよう、スクル⁉ どうすればいい⁉」
「うお! ぐえ! やめっ!」
スクルの体を持ち上げて上下に思いっきり振ってしまったよ。
いや、本当に忘れてた! カーラのこともあったし! 何よりも、お姉さまからのこのプレゼントでそれ以外のことがすっぽり頭から抜けてたよ!
「ちょちょちょっ、ちょっとは落ち着きなってのぉ!」
「ふぐ!」
ズボッとどうやってか私の手から飛び出したスクルが、そのまま尻尾を結構な勢いで私の頭に振り下ろしてきた。顔から床にぶつかってしまう。痛い。さすがに痛い。
スチャッと私の頭にそのまま着地したスクルのまた長い溜め息が聞こえてきたよ。
「はぁ。おえ……まだ気持ち悪。っていうか、忘れてたって。言う程やっぱりそこまで重要なことじゃないってことじゃん」
重要! 重要重要、超重要! お姉さまがこれから殿下に婚約者として選ばれるかどうかの瀬戸際だって!
スクルが頭にいるのも構わず、ガバッと体を起こすと、華麗にジャンプしてたよ。「やば、今の動き天才過ぎないか、あたし?」とか言ってるけど、いや、スクル。そんな自分の動きを自慢されてもね。お猿さんの体に馴染み過ぎでは?
はっ! そんなの気にしている場合じゃなかった!
「あのさ、スクル。前も言ったけど、この魔力測定、本当に阻止しないとまずいって!」
「でもさ、貴族様ってそれやらなきゃいけないんじゃないの?」
「そうなんだけど!」
貴族だからこそ、ちゃんと魔力の量は知らないといけない。領地にどれだけの繁栄をもたらされるかは、その領地を治めている貴族の魔力の量次第。
そして、やっぱり王族に選ばれるのは、魔力量が多い人だ。国を治める立場の人が、魔力量が少ないなんて論外。その最低基準をお姉さまはちゃんと満たしていた。
「お姉さまが王族の婚約者としての魔力量を持っているのを知ってるからこそ、婚約者問題は出てくるんだよ。殿下だって、そりゃまあ前の時間軸とは関係が違うけど、関わってるわけだし」
前はもう子供時代に婚約してたわけだしね。
確かに今の時間軸は、前にスクルが言ったように違う時間を進んでいる。お姉さまが殿下の婚約者になり、学園に入った先で殿下に見捨てられて、挙句の果てにはカーラに殺される運命は変えられたのかもしれない。
でもそれは絶対じゃない。
私はあらゆる可能性をなくしたい。
「で? だからどうするのさ?」
「それを今から一緒に考えてほしいんだって!」
「うお! やめいっ! 体持ち上げるの禁止っ! 振るのも禁止!」
あ、ごめんごめん。なんかスクルのこのお猿さんの体持ち上げやすくてさ。
さすがに悪いなって思ったから素直に床に下ろして手を離したら、ぶはぁっと息を吐いている。よほどこれはお気に召さないらしい。
「はぁ……まあ、いいか。それで? なんか具体的にどうするのかっていう案はないわけ? 言い出しっぺはフィリアじゃん」
「……」
「本当にないの⁉」
……ないんだよね。これといってどうすればいいのか、さっぱり分からない。だって前の時間軸では教会の人が来て、魔力量を測る魔道具に自分の血を垂らして終わりだったんだもん。私もそれやったし。
……ということは?
「魔道具を何とかすればいいのかな?」
「魔道具?」
「あるんだよ。魔力量を測るものが。自分の血をね、ちょっと垂らすんだよ」
人差し指を伸ばして垂らす真似をすると、スクルが「へえ」とどうでもよさそうな返事をしてきた。
「今の時代でもそんな古典的な方法でやってるんだ。あの女の魔法とか作った魔道具見たことあるけど、あたしが知っているものとは違って、随分と進化したんだなって思ってたのに」
「あの女?」
「セレスの母親」
ああ、お姉さまの。確か、すっごい魔法使いだったんだよね。カンナも知ってるぐらいだし。
ふーんとお姉さまのお母様のことをちょっと考えていると、スクルがどっから出してきたのかリンゴを一口齧っている。本当にどこでも出してくるな。
「でもさ、その魔道具に何か仕掛けるのも無理なんじゃない? だって当日にその教会とやらの人たちが持ってくるんでしょ?」
「そうなんだよね。その魔道具、めちゃくちゃ厳重に保管されてるから、前もって教会に入り込んで何かするのも無理だし……」
スクルの言う通り、無理だ。あの魔道具は本当に貴重のものらしくて、王族だって簡単に持ち出せないって聞いたことがある。
……あまり頼りたくはないけど、お姉さまのことだし。
「ねえ、スクル? その日だけ、お姉さまの魔力にさ、魔法かけられない?」
「無理」
思い切って言ってみたのに即答⁉ なんで⁉
ガーンと思いっきり顔でショックを表したのが伝わったのか、スクルが呆れた目で見つめてくる。
「あのさ、ちゃんと分かってる?」
「何が?」
「あたしの魔力、あんたが持ってるんだよ?」
それはそうだね。でも使えないよ? それに、今までだって何度かスクルは魔法を使ってるじゃない。
私の疑問に答えるかのように、スクルがハアとまた溜め息をついた。
「こういう小さい結界とか、セレスとかフィリアに認識阻害の魔法とかなら、今この体にある魔力でもなんとかなる。あんたと出会った頃よりは、使える魔力の量も増えてる」
「じゃあ出来るんじゃ?」
「じゃなくてさ、根本的なことだよ。セレスは誰の子だって言った?」
「うん? 精霊王さんでしょ?」
「そう。主とあの女の子供。精霊と人間のハーフ。つまり、セレスにはさ、精霊の魔力が混じってるんだよ」
トントントンとスクルが私の胸を指でつついてきた。
「精霊の魔力に干渉できるのは、本来精霊だけ。あたしの魔力は精霊にもちゃんと効く。でも、今のあたしの魔力はあんたの中に全部入ってる」
「え? 全部?」
「この結界とかに使ってる魔力は、この体の持ち主のものだもん」
え、そうだったの? でも前に精霊に魔力分けてもらったとか言ってたじゃん。
「あたしだって、何度も何度も試したよ。もうあんたの中に渡った魔力をどうにかできないかって。でも無理だね。なんでそんなに適合してるのか分かんないくらい、あたしの魔力はあんたの体に馴染んでしまってる」
「え、いらないよ。返すね」
「出来たら苦労しないんですけど⁉ 話聞いてた⁉」
いや、そう言われても。いらないよ。どうせ使えないし。
「私がスクルの魔力持ってても仕方ないじゃん。そうだよ。この際だし返せないの?」
「だから出来たら苦労しないんだって! この前その魔力を無自覚に暴走させようとしてたの忘れたの⁉」
「あー……」
そういえばそうだった。魔力暴走ね。本人に制御できなくなるから、周りも自分の体にも危険なんだった。何が起きるのかも分からないし。
「じゃあさ、精霊さんに魔力分けてもらえば? そうすれば、お姉さまの魔力に魔法かけられるんじゃない?」
「だから無理だって! セレスは主の娘だよ? そこらのチビ精霊たちが持っている魔力程度で干渉できるわけないじゃん!」
……純粋に力の差っぽい。
「えー……じゃあ何も出来ないの?」
「ねえ、その役立たずみたいな目しないでくれる⁉ 元はといえば、あんたがあたしの魔力に馴染み過ぎてるのが原因だからね⁉」
そんなこと言われてもさぁ。全然自分に魔力があるの分からないんだよ。どうにかして返せないかなぁ? 暴走されても困るし。
ポフポフと自分の胸を叩いていると、疲れたようにハアと息を吐いているスクルがいた。スクルも困るよね?
……うん、ちょっと試してみるか。
「何?」
「ちょっと黙っててね」
私がいきなりスクルの胸に手を当てたから、きょとんとしていた。ちょっと試すだけだって。
ゆっくりと口から息を吸って、吐いていく。
目を閉じて、頭の中で自分の体の中にある魔力をイメージしてみる。
あるのか。
ないのか。
まずは感じることが大事。
「フィリア?」
「黙ってて」
自分の体に意識を向ける。
魔力があるなら、感じるはず。
スクルがここまで断言してる。
だからあるはず。
体の中心から、ドクドクと温かい何かが流れていく。
……ああ、これかな?
本当にあったよ。全然嬉しくないけど。
フウと軽く息を吐いた。
その魔力らしきものを、なんとか自分の体から出ていかせることができないか。
意識する。
想像する。
手探りで、頭の中で、グググっとお腹に力を込めるように。
――すっごい絡まってる感じがして気持ち悪い。
「うえ」
「はあ⁉」
さすがに気持ち悪さが勝って、スクルのお腹から手を離した。なんとか床に手をついて体を支えてから、ハアハアと呼吸をする。酸素が欲しい。目を開けるとポタポタと床に自分の汗が落ちていた。
「何してんの⁉」
「い、いやぁ……スクルに返せないかなぁって思ったんだけど……無理っぽい」
無理だ。そもそも私、魔力の受け渡しとかやったことないし。これ、なんとなくで出来るものじゃないんだ。ちぇっ。
「人間が出来るわけないじゃん! そもそも魔力が馴染み過ぎてるって言ったじゃんか! 自分の体からそれを引き剥がすのなんて無茶苦茶すぎる!」
「いや、うん。これ、私には無理だ……」
馴染み過ぎてるっていうのも、今分かった。これだけ複雑に絡まれてたら、どうにもできない。ああ、でももう気持ち悪さは感じないかも。楽になってきた。
さすがに慌てていそうなスクルの方に視線をあげると、めちゃくちゃ不安そうな顔をしていた。あれ? スクルってば、意外と私のこともちゃんと心配してくれるんだ?
なんか嬉しくなってえへへと笑うと、安心したように息を吐いていた。
「ごめん、スクル。できないや」
「出来るわけないって。なんで試そうとしたのか、謎すぎるよ。あたしの魔力ってだけで、体に負担かかるんだから」
そんな呆れないでよ。自分には必要ないから返そうと思っただけなのに。というか、スクルの魔力ってそんなに特殊なの? まあ、今はいいか。
やっと気持ち悪さが消えて、あははと笑いながら体を起こした。一度理解してしまったから分かる。こんなに体に何かが巡っているのを感じるなんて、変な気分。
「ちょっと焦っちゃったじゃん。ハア。何ともなさそうならよかった。この前もヒヤヒヤだったけど。あんたがあたしの魔力暴走させたら、さすがにあの場所壊滅だったかも」
「そんなに?」
「そうだよ。だから本当はあたしの方に戻したいんだけど、無理だからお手上げだよ。もう少しあんたの体が成長したら、出来るかもだけど」
そうなんだ。体の成長も関係するんだ。
ああ、でもさ、これで分かったことがあるよ。
「スクル」
「何?」
「暴走はもう心配ないよ」
「は?」
自分の手を持ち上げて、人差し指だけ天井に向けた。
ちょっとだけ指の先に集中すると、指の先から小さい炎がポッと出てくる。ああ、うん。やっぱりね。危ないからすぐ消したけど、スクルはポカンと口を開けていた。
「……は?」
「ね、もう大丈夫」
「いやいや、は?」
「もう自分で制御できると思う」
ずっと口をポッカーンと開けちゃって、信じられない光景を見ているようなスクルについ笑ってしまった。いきなり魔法使ったらそりゃ驚くか。なんか出来ちゃったよ。理論は一応勉強してたから分かってたけどさ。
「これがスクルの魔力かぁ。なるほどなるほど。すごいね、魔法って」
「……」
なんも言わなくなっちゃった。そんなに驚くこと? だって魔力があれば、魔法は使えるでしょ。
――はっ! 待って! 今私も気づいた!
……これって、お姉さまの魔力に干渉できるのでは? スクルの魔力だから、精霊の魔力に干渉できるはずだし。それに、別にスクルに魔力を返さなくても、私自身がスクルの魔力で魔法を使えば、魔道具に何かしら影響を与えられるのでは?
お姉さまの魔力に干渉して、魔道具に出る魔力量を調節できれば。
婚約者にはなれない魔力量をお父様や教会の人たちに見せることができれば。
お姉さまが殿下の婚約者になることは、もう絶対ない。
なんっていいこと思いついちゃったんだろ、私!
「スクル!」
「へ?」
「これで何とか出来るかも! ありがとう、スクル!」
「いや、いやいや、いきなり何言ってんの⁉」
慌てふためくスクルを持ち上げて、嬉しさで目一杯その体を振り回す。「ぎぃやあああ! だからいきなりやめええっ!」って叫んでるけど、これは嬉しさの表現だよ、スクル!
「よぉっし! スクル、この魔力の使い方を教えて! 今回ばかりはこの力、利用するから!」
「うえっぷ! やめっ! 振り回すなぁ!」
ああ、ごめんごめん。なんとか回避できるかもって思ったら嬉しくてつい。
目を回しているスクルを床に下ろして、ベッドの上で寝ているお姉さまに顔を向ける。自然と頬が緩んでいく。何とかできるかもしれないっていう喜びが、胸の内に広がっていく。
近くにいって、お姉さまの隣に座った。気持ちよさそうに眠っている。やっぱりその寝顔は可愛いです、お姉さま。
口元が緩みっぱなしで寝顔を見つめていると、「ん……」と眠ったまま手探りで私の手に近寄ってきた。キュッと指先を軽く掴んでくる。
その仕草が可愛くて、その行動が可愛すぎて、スリッとそのお姉さまの手を撫でてしまう。
安心して眠っているお姉さまの姿を見て、
お姉さまの指先の体温が心地よくて、
胸の中が温かくなっていく。
本当は、魔法とか使いたくはないけど。
自分の力だけで、お姉さまを笑顔にしたいけど。
こうやって、安らかにお姉さまには眠ってほしいから。
その為だったら、魔法でも何でも私は使う。
負担がかかろうとも、そんなの気にしない。
だから、何も心配しないでくださいね。
「いや……いやいや……おかしすぎるでしょ……」
まだ目が回って気持ち悪そうなスクルが後ろでそう言っていたけど、何もおかしくないよ。
それよりスクル! これから忙しくなるからね! この魔力の使い方、きっちり教えてもらうから!
教えてくれないなら、当分リンゴ禁止ね?




