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19話 どれだけ待ち望んでいたか


「お姉さま、こっちもおいしいですよ」

「……」


 昼食を部屋で二人で食べていたら、お姉さまが何故かスクルにリンゴを差し出しながら、ハアと溜め息をついている。何故⁉ このタック特製パンプキンソース、お姉さまも気に入ってなかった⁉


 不思議に思っていると、ハンカチを手にして私の口に当ててきた。


「ついてるから」


 ……ただ優しいだけだった!

 グリグリと私の口元をそのハンカチで拭ってくれた。呆れてはいるけど、嫌な顔では拭いていないお姉さまを見るとホッとしてしまう。まだ嫌われてはいないようだから。


『……いつになったら、キレイに食べれるようになるんだろうね?』


 あーんと何食わぬ顔でリンゴを頬張っているスクルの嫌味を聞いても、何も響きませんが? お姉さまが優しくしてくれることの方が、何倍も嬉しいですが?


 私の口元を拭き終わったお姉さまが食事に戻っている姿をチラリと見ると、若干頬が上がっていた。よかった。やっぱりこれ好きだよね。


 でも、まだまだなんだよ。

 この変化も嬉しいんだけど、もっともっと喜んでほしい。


 その為に絶対不可欠のお父様が、まだ帰ってこないんだよなぁ。


 バールにもあの後すぐに相談した。


『お父様に褒めてもらえば、お姉さまは絶対嬉しいと思うんです!』

『いきなりどうしました?』

『バール、お父様は全然、全っ然お姉さまを褒めてないですよね? しかも避けてますよね? 親が子供に無関心って、バールならどう思いますか? 私だったら悲しいです!』

『フィリアお嬢様……』

『だからバール、お父様にちゃんとお姉さまを褒めてほしいんです! そうしたら、お姉さまだってちょっとは自信も持てるし、何よりも嬉しいはずなんです! お姉さまの頑張りを、バールだって知っているでしょう?』

『そうですね……そう私も思います。セレスティアお嬢様の努力は決して無視できるものではありません。私もフィリアお嬢様の意見には賛成ですよ』


 ちょっと困ったように笑って、バールは視線を私に合わせるように腰を落としてくれた。


『今はお待ちください。旦那様が帰ってきた時には、一番にフィリアお嬢様にお知らせします。その時は、旦那様が絶対セレスティアお嬢様とお会いする機会を作りますので』


 バールのその言葉がどれだけ頼もしく感じたか。

 でもそのバールもそれからこの屋敷に戻ってこれなくなった。お父様の補佐をしに王宮に行ったらしい。本当に忙しくて帰ってこれないみたい。


 それでもお母様がこの部屋にあまり来れないようにはしてくれたみたいで、お母様にも会っていない。カンナとアネッサに聞いたら、何故か今は領地に行っているらしい。


 私にも一言も言わないで行ったのはびっくりしたけど、この屋敷のどこかにある転移の魔法陣を使ってバールが無理やり行かせたのだとか。バール、どれだけすごいんだ。そしていつの間に。おかげでお母様のことで悩まされなくて済んでいるけど。


 そんな数日が経ったんだけど、やっぱりお父様とバールが帰ってくる気配がない。


 お姉さまと二人、そしてお姉さまに優してくれるタックやカンナたち使用人数人の生活も悪くないんだけど、それだとお姉さまの笑顔を見ることができないんだよ!


 ふむー……どうしたら――


「あら?」


 とか考えていた時に、カンナが窓の外を見て声を上げた。アネッサも同じように窓の外を見て、頬を緩ませている。何かあるの?


『あ、フィリア。あんたの待ち人がいるよ』


 スクルが窓際の縁にピョンッと飛び乗って、やっぱりリンゴをモシャモシャと食べながら呟いた。


 待ち人……待ち人⁉ ってことは!


 自分もピョンっと椅子を降りて窓際に行ってみる。目当ての人たちが馬車から降りてくるところが見えた。


「お姉さま! バールです! バールとお父様が帰ってきました!」


 振り向いてお姉さまに伝えると、お姉さまは関心なさそうに目をゆっくりと瞬いている。


 お姉さま! お姉さまを喜ばせるために、私は行きますよ! お姉さまはもう期待していないかもしれませんが、それは絶対知らないだけです! 無理やりにでもお父様にお姉さまを褒めてもらうんだから!


「カンナ、アネッサ、お出迎え行きます! お姉さまも!」

「……私も?」

「そうです! 行きましょう!」


 お姉さまの持っているスプーンを無理やり奪って腕を掴むと、お姉さまが戸惑いながらも椅子から降りてくれた。このままお父様とバールのところに突撃だ! もしかしたら、すぐに仕事に戻っちゃうかもしれないんだから!


「ほら、スクルも!」

『えー……あたしここでこれ食べて――って痛い痛い! 分かったから尻尾掴むな⁉ 行くから行くから!』


 またリンゴを食べそうになっていたスクルを肩に乗せて、みんなでお父様の部屋に向かった。『尻尾は禁止って前に言ったじゃん⁉』ってスクルが言ってるけど、お姉さまに結局慰めてもらってるからいいじゃん!


 ◇◇ ◇


 コンコン、とお父様の部屋のドアをノックすると、すぐにバールが開けてくれた。私たちを見て一瞬目を皿にしてから、すぐに目元を緩ませている。


「旦那様、可愛らしいお客様がお見えですよ」


 バールが部屋の中に声を響かせていると、お姉さまがかなり戸惑っている様子で私を見てきた。いいのかって訴えているような目だ。お姉さまは呼ばれない限り、ここに来ることはないものね。大丈夫です、安心してください!


「お父様、失礼します!」


 お姉さまと手を繋いで、ツカツカと部屋の中に入っていく。『強引だね~』とスクルは他人事みたいに私の頭に手を置いて寛いでいた。器用な。


 部屋の中に入るとお父様が机の向こう側で書類を置いて、私とお姉さまを見てから、驚いたように目を大きく開けていた。お姉さまもいると思わなかったんだろうな。でもバールが『可愛らしいお客さん』と言ったでしょうが! 


 ……そうじゃない。我慢我慢。今日はお父様にお姉さまを褒めてもらうためにここに来たんだから。


 そのお父様はやっぱりお姉さまじゃなくて、私の方に視線を向けてきた。


「フィ。元気そうだな」

「お父様は……お疲れですね」


 見るからに疲れているのは分かる。目の下に隈が大きく広がっていた。


 王宮でどんな仕事をやっていたら、そんな顔になるのだろうか? お母様がここにいたら、「あなたが疲れさせているのに、呑気にここに来るとは」とか絶対お姉さまに意味不明な嫌味を言いそう。


 でも今はいないんだから、好き勝手にやらせてもらうけどね! バールもニコニコ顔で頷いてくれているしね!


「お父様、これ受け取ってください」


 カンナに持たせていた箱を机の上に置いてもらう。お姉さまが驚いたようにカンナと私と箱を見ていたけど、私はお父様を見続けた。「箱?」と呟いて、お父様が静かに手に取っている。


「贈り物です」


 ニコーっと笑顔を作ってお父様が箱を開けるように促すと、箱の蓋を開けてまた目を大きく開けていた。


「ハンカチ?」

「そうです、お父様への贈り物です」


 きっとお父様は私からの贈り物だと思っているだろう。目元を緩ませて、花々が刺繍されたハンカチを眺めていた。


 違いますよ?



「お姉さまから、お父様への」



 その一言を告げると、お父様の顔が固まった。私の手がギューッと強く握られる。お姉さまが強く握ってくる。たぶん、無意識に。


 その手は、少し震えていた。


 大丈夫です。お姉さま。


「お父様、その刺繍綺麗ですよね。お姉さま、すごい上手なんですよ」

「……」

「それにね、お姉さまは勉強もすごい出来るんです。バールから聞いてると思いますけど、先生たちからもすごい褒めてもらっていて」

「……」


 だからちゃんと褒めてあげてほしい。

 お姉さまに関心を持ってほしい。


 父親に褒められる嬉しさを、知ってほしいんです。


「……」


 それでも、お父様は黙ってハンカチを握っていた。何も答えず、さっきとは違い、顔を俯かせて。早く言ってほしい。一言でいいから。すごいな、とか綺麗だ、とかでもいいから。


 お父様の返答をもやもやして待っていると、ふと、強く握られていた手の圧迫を感じなくなった。チラッとお姉さまの方を見ると、お姉さまも顔を俯かせている。


 ……なんで? なんでお姉さまのこの顔を見て、その一言を言えないの?

 そんなにお父様にとって、お姉さまは興味ない存在?

 そんなに一言言うのも面倒臭いとか、鬱陶しいとか思っているの?


 何それ。血は繋がってなくても、父親なのに。赤ちゃんの時はお世話してたんじゃないの? 情も何も、お姉さまには本当に何も感じないの?


「……」


 無言を貫くお父様に、心の中で憤りが沸き上がってくる。ギュッとお姉さまの手を、今度は私から強く握ってしまう。


 お姉さまが期待するのをやめたのはお父様のせいじゃない。

 ずっと無関心で、お母様の仕打ちを知っていたくせに止めもしないで、お姉さまの喜ぶ心を失わせたのは、お父様のせいじゃない。


「お父様……」


 ポツリと低くお父様に呼びかけると、今度はちゃんと私の方に視線を向けてくる。そのしぐさが、さらにイライラと私の心に怒りを生ませる。なんで私の声には反応するの。


 こうなったら、もういい。



「お父様は、間違っています」



 私はまだ子供で、

 お姉さまも子供で。


「お父様にとってお姉さまは何なんですか? 娘じゃないんですか? 子供じゃないんですか?」


 だからこそ、お父様ぐらいにはまだ愛想をよくした方がいいと思っていた。


「お父様にとって私って何なんですか? 子供ですか? 娘ですか?」


 お父様の声が必要だと思った。


「お姉さまに冷たくしているの、気づいてないと思っているんですか?」


 お姉さまが褒められて素直に喜べるようになるのも、お父様に期待する心も。


 スウッと軽く息を吸って、驚いているお父様を思いっきり睨みつけた。



「私とお姉さまに違いをつけないでよ! 私じゃなくて! お姉さまをちゃんと見てよ!」



 肺の中から空気を絞り出すように、叫んだ。


「お姉さまが何をしたの⁉ お父様に何かした⁉ してないじゃん! 何も言わないで、ただただお母様からの罵声を浴びても我慢して、お父様から守ってもらえなくても一人で我慢してきたんだよ!」


 声と一緒に、目頭が熱くなって涙も出てくる。


「それなのに! それなのになんで私に甘い癖に、お姉さまは助けないの⁉ 娘だと思ってないから⁉ 嫌いだから⁉ なんで嫌いになるの⁉ 関わってないくせに!」


 ギューッと強くお姉さまの手を握った。


「お姉さまはお父様の子供じゃないの⁉ なんでお姉さまは我慢しなきゃいけないのっ……⁉」


 段々声が震えてきたけど、お父様を睨み続ける。


「ちゃんとお姉さまを見てよ、お父様っ……お姉さまが耐えてきたことも、頑張っていることも、得意なことも上手くできないことも、全部っ!」


 お姉さまもバールも、カンナもアネッサも一言も話さない。


「父親に見捨てられて、何もかも期待しなくなったお姉さまを……助けてよ……」


 私は見てきた。

 全部見てきた。


 お姉さまが笑えない理由も、

 知らない理由も、


 全部全部見てきた。


「お父様が見ないでっ……誰がお姉さまを見てくれるのっ……」


 誰もが顔を背けた。

 殿下も、お父様も、皆が。


「ちゃんと助けてよ……私を自分の子供だって思ってくれているなら、ちゃんとお姉さまのことも見てよ……」


 そして、私も。


「ちょっとくらいっ……褒めてあげてよっ……」


 涙でお父様の顔も見えない。声もどんどん枯れてきた。泣いているせいか呼吸も苦しい。


 私の手を握り返してくれるお姉さまの温もりを感じて、余計泣けてくる。

 でも止まらなくて……涙を止めて、またお父様に色んな今までの怒りを吐き出したいのに、声も出し辛い。


 そっと頭を撫でてくる優しい手が触れてくる。

 お姉さまの優しい手が触れてくる。


 お姉さまを止まらない涙のまま見てみると、やっぱり戸惑っているお姉さまがぎこちない手で私の頭を撫でてくれていた。


 こんな時でも、お姉さまは私を気遣うんだよ。


 それなのに、お父様は一体何を見ているんだろう? この優しさを見ないで、一体何を見ているんだろう?


「……すまない」


 静かに、本当に静かに、お父様の声が近くから届いてくる。声の方を向くと、お父様が苦しそうに目元を歪めて私とお姉さまを見下ろしていた。


「……本当に、すまなかった」


 大きい手がゆっくりゆっくりと私とお姉さまの頭に置かれて、ポカンと見上げてしまう。その言葉に、辛そうな表情に、呆気にとられてしまう。


 こんな顔、初めて見た。スクルが知らない間に私の足元にいるし。


「旦那様」

「分かっている」


 ちょっと怒っている様子のバールの声も聞こえてきたけど、お父様が深く息を吐いて、膝をついていた。ゆっくりと静かにお父様は私とお姉さまを交互に見てくる。


「……フィ。本当にすまなかった」

「っ……あやま、るのは、私じゃな……」

「ああ。そうだな……そうだよな」


 結局私かいって頭の中で突っ込みつつ、でも泣いたせいか上手く言葉が出てこないまま反論すると、お父様がどこか自嘲気味に苦く笑っていた。


 少し戸惑いつつも、お父様がお姉さまに視線を向けていた。



「セレスティア……すまなかった」



 一言。

 でもその一言が、どれだけ聞きたかったか。


 また涙腺緩みそうになったけど、お姉さまがどんな顔をしているのか気になって顔を向けた時――



 お姉さまが、涙を零した。



 目を見開いたまま、口も閉じられたまま、


 だけど、目元から一滴の涙が頬を伝っている。


 そのお姉さまの頬に、お父様が大きな手の平を当てていた。



「お前は、本当によくやっている」



 その言葉を、どれだけ待ち望んでいたか。


 バールも、カンナもアネッサも、


 そして、私も。



「ちゃんと知っているから」



 お父様が、お姉さまに届くように、ゆっくり言葉を紡いでいく。



「だから、泣かなくていい。セレスティア」



 お姉さまは答えない。


 何も言わない。


 何を感じているのか、何を思っているのか、まだ私には分からない。

 お姉さまの心に今溢れている感情が、私が望んでいた喜びなのか、分からない。


 だけど静かに静かに、そのまましばらくお姉さまは頬に涙を流していて、


 お父様が包み込むようにその涙を拭っていた。


 初めて、



 『自分の声が届いた』と、



 そう感じた。


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