あなたが憎かった
2万字近いので、時間がある時にお願いします……
あなたが憎かった。
「はじめまして、セレスティアお姉さま! フィリアっていいます! お姉さまができて嬉しいです!」
そう言って、肩口まであるウェーブがかった淡いプラチナブロンドを靡かせ、琥珀色の瞳を輝かせながら、無邪気な笑顔を向けてきた。
八歳の秋。
母が病気で亡くなった次の日、侯爵の父は後妻を連れてきた。後妻は前の夫と離縁しており、セフィリアはその前の夫との子供らしい。
彼女はとても嬉しそうにニコニコと笑いながら、手を握ってきた。
あたたかい手だった。
その時、
後ろにいた後妻が蔑んだ目で私を見ていることに気付かずに、
ギュッと握ってきた。
■ ■ ■
「お姉さま! 一緒にお散歩してください!」
義妹のフィリアはよく笑いかけてきた。
だけどあなたは知らない。
そうやってあなたが笑いかけてきた後、私が義母に叩かれることを。
関わるなと言われていることを。
お仕置きだと言われ、食事も与えられないことを。
断ると、義妹は泣いた。結局、その日の食事は出なかった。そのことには気づかず、義妹は父と義母と楽しく食事をしていた。
義妹は家族の中心になっていった。
自分の子どもにも前妻にも無関心だった父が、義妹を見て笑っている。きっと可愛くて仕方がないのだろう。義妹は私と違い、表情がコロコロ変わるから。
「お姉さまも一緒にドレスを見よう?」
父と義母の前で、無邪気に笑って手招きしてくる。父と義母がこちらを嫌そうにしていることにも気づかずに、無邪気に笑っている。
その日、父から「もう部屋から出てくるな」と言われた。それから、私の食事は野菜の屑のスープだけになった。侍女たちがおかしそうに笑っていた。
「お姉さま……パン持ってきたよ?」
さすがに父と義母の私への扱いに気付いたのか、時々義妹が食事を持ってくるようになった。けどすぐに侍女に見つかり、そして私がまた義母から責められる。
「フィに近づかないでちょうだい! あの女と同じく、今度はフィに手を出すんでしょう⁉」
義母は亡くなった母を憎んでいた。私の母が無理やり父と結婚したとか、父と愛し合っていた自分に数々の嫌がらせをしてきたとか、そんなことを言っていた気がする。
「その目も髪もあの女に瓜二つ! その目で、私を見ないで頂戴!」
いつもそう言って、義母は私の銀髪を引っ張り、私のサファイアの瞳を見ないように床に叩きつける。水を私にかけて「掃除しておいて」と侍女に指示し、狼狽える義妹を連れて出ていくまでが一連の流れになった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
夜中、義妹は勝手に部屋に入ってくる。
寝ている私の額にそっと手を置いて、その温もりを残していく。
知らない感情が、胸の奥に渦巻いた。
■ ■ ■
「御機嫌よう、セレスティア嬢」
第三王子がお手本のような笑顔を向けてきた。
この日、この国の第三王子ラーク主催のお茶会に呼ばれていた。
招待されたのはこの王子と同年代の貴族令嬢たち。婚約者候補を探す目的があるらしい。我が侯爵家も例外にはならなかった。
義母は恨みがましく睨みつけてきたが、義妹は王子のお茶会に招待されたのを「すごいすごい」と嬉しそうに喜んでいた。さすがに王子に会うからか、父が仕方なさそうにドレスを新調してくれた。それを見て、今度は「綺麗です! 似合ってます!」とまた義妹は笑っていた。
集まった令嬢たちはやはり気合を入れているのか、私なんかより綺麗に着飾っていた。次々とラークの周りを取り囲んで、自分を良く見せようとしているのが明らかに分かる。
でも私には関係ない。今回だって、父が体裁を保つために私をここに来させたのだ。きっと帰れば、またいつもの日常が待っている。
ああ、少しでもこのお菓子たちを持って帰ればいいだろうか? お腹の足しにはなるかもしれない……あの義妹が好きそうな綺麗なお菓子だ。
そんなことを考えていたら、王子が何故か近づいてきて声を掛けてきた。後ろからあの義母のような目をしている令嬢たちが睨みつけてきている。
「……御機嫌よう」
この国の王子に無言で通すわけにはいかない。さすがにそれは分かるからそう返事をしたら、彼はニコニコ顔を変えずに「隣いいですか?」と私のテーブルの椅子を指さしてきた。なんでここに? という疑問を持ったが、断る訳にもいかない。仕方なしに「どうぞ」と言うと、カタッと静かに座って、ニコニコ顔を向けてくる。
「……何か?」
「君は、静かだね」
静か。そう言われてなんと返せばいいんだろう? よく分からない。
質問でもなんでもなかったから、とりあえず紅茶を喉に流す。静かと言えば、さっきから令嬢たちの声が聞こえなくなっていた。ふと気づいて、周りをそっと見てみると、少し離れたテーブルに座ってこっちを見ている。いつのまに。
「僕は王位には興味がない。一番上の兄上がどうせ王太子になって王位を継ぐだろう」
「……そうですか」
いきなり王子が語り出したから反応に困ってしまった。そうですかとしか言えない。私には関係ないし。
彼は私に構わず、視線だけをさっきの令嬢たちに向けていた。
「なのに、彼女らは僕が王族だというだけで群がってくる。親に言われたのかもしれないけど……正直、鬱陶しいんだ。僕にそんな権力を求められても困るのに」
「……そうですか」
「君は欲しくないの? 王族との繋がりを」
今度は興味深げに私を見てくる。
王族との繋がり? この王子様は何を言っているのだろう? そんな繋がりよりも、目の前にあるお菓子との繋がりを持ちたいとは思っている。
この綺麗なお菓子を持って帰ったらどんな顔をするのかと……何故か、思ってしまったから。
王子よりそのお菓子に注目してしまったら、クスッと笑った声が聞こえた。
「そんなに興味なさそうにされたのは初めてだよ」
「……そうですか」
「君は……静かだね」
「……そうですか」
面白い事を何も言っていないのに、何故か王子は満足そうに笑っている。そのお茶会の間、特に話をするわけでもなく、私の向かいで静かに紅茶を飲んでいた。
帰りに、何故かテーブルにあったお菓子を使用人から渡された。王子様に渡すように言われたらしい。なんで? と疑問だったが、貰えるものは貰っておこうと思ったから受け取った。
持って帰ったお菓子を義母が取り上げようとしたが、王子様から貰ったと言ったら、その手が止まった。父は複雑そうな表情をしていた。
義妹は何故か目を輝かせてこっちを見ていたが、その手にお菓子を無理やり乗せたら、今度は驚いていたようだった。私とお菓子を交互に見てきたけど、どう反応していいかも分からなかったから、静かに自分の部屋に戻った。
夜中、またいつものように義妹が部屋に入ってきた。
「ありがとう……お姉さま」
額にまた手の温もりを残されて、その声がやけに耳に残った。
後日、何故か第三王子の婚約者に選ばれたと父から伝えられた。
義母はこっちを射殺さんばかりの目で睨みつけてきたが、義妹は「おめでとうございます!」とニコニコしていた。
「君は静かだから」
第三王子からまたお茶会に招待された。今日は二人だけだ。とは言っても、王子の後ろには侍女やら護衛やらいっぱいいたが。
「君の父親のローザム侯爵は中立だしね。権力にもそこまで執着しなさそうだ」
満足そうに王子は紅茶を飲んでいる。
父が権力に執着しないとかは正直分からない。どんな仕事をしているとかも知らない。ただ、侯爵という位を賜っているということだけだ。母がまだ生きている時についていた家庭教師の先生がそう言っていた。
黙っていると王子が茶器を置いて、微笑みながら私に視線を向けてきた。
「急に事を進めたのは悪かったと思っているよ。事後承諾になってしまうけど、どうかな?僕と婚約してくれないか?」
「……」
「もし君に心から慕う人が出来たら、その時は解消しよう。僕としては成人するまで、あの令嬢たちに付きまとわれたくないんだ」
つまり、その時まで盾になってほしいということなのか。どれだけ鬱陶しかったんだろう。そもそも王子にそういう人が出来た場合はどうするのだろうか?
その私の疑問を見透かしたかのように、王子は笑みを貼り付けたような表情をしていた。
「大丈夫だよ。僕はね、生涯結婚するつもりはないんだ。もちろん、君に慕う人が見つからなければ、その時は僕が君の相手を紹介するよ。ちゃんとしっかりした人をね」
ニコニコと笑みを崩さずに王子は告げてくる。これは、私に拒否権があるのだろうか? いやないだろう。
そもそも『慕う』とはどういう感情なのだろうか。
ふと、思い浮かんだのは、何故かあの義妹の笑顔だった。
私が何も言わないからか、王子はそれを承諾と受け取ったらしい。この日、正式に私と王子との婚約が決定した。
帰ってから父には「くれぐれも迷惑をかけるな」と言い含められ、義妹はどこから取って来たのか、色とりどりの花束を渡してきた。義母はやっぱり忌々しそうに私を睨みつけていた。
その日から、私の食事が普通に戻された。
義妹は満足そうに笑っていた。
■ ■ ■
「初めまして、フィリアといいます!」
「あ、ああ……初めまして。僕はラーク」
一瞬呆けた顔をしたと思ったが、すぐに王子は取り繕った笑みを顔に貼り付けていた。
父と義母と義妹が、揃って彼に挨拶をしている。彼が「王宮は息苦しいから、君の家に行っていいだろうか?」と提案してきたからだ。断る理由もないから『お好きにどうぞ』と返したら、翌日の今日、すぐに来た。
「ここが……君の部屋かい?」
「ええ」
「ふーん」
私の部屋を見たいと言うから連れてきた。とは言っても、何もないが。ベッドと机。それだけだ。華やかなカーテンでもないし、壁に飾れる何かをつけているわけでもない。ここに通すのを父は渋ったが、王子があの貼り付けた笑顔の圧力で押し通した。
彼は興味があるのか部屋の中を見渡してから、唯一ある椅子に座った。てっきりみすぼらしい部屋の感想でも言うのかと思ったが、違う話題を出してくる。
「さっきの子、君の妹?」
「ええ」
「へえ。でも全然似てないね」
「血は繋がっていませんから」
「ああ……そういえば、再婚したんだったね、ローザム侯爵は」
そういう情報もちゃんと調べていたらしい。違うところに感心していると、窓の外から義妹の笑っている声が聞こえてきた。
窓に近寄り外を眺めると、中庭に生えている花を摘んでいる義妹の姿が視界に入り込んでくる。王子も窓際に近寄って来た。
「……楽しそうだ」
「そうですね」
義妹は外で自分の侍女たちと笑いあっている。その姿を見ている彼の眼差しがどこか優し気に見えた。
……?
なんだろう、これは?
そっと胸に手を置いた。胸の奥がモヤっとする。「あはは」という笑い声が聞こえて、また外にいる義妹に視線を向けた。
「彼女はいつもあんな風に笑うのかい?」
「……ええ」
どこか興味深そうに隣の彼は聞いてくる。その様子にまた胸の中に燻るモノを感じた。
その日から、彼は毎日、義妹に会いにくるようになった。
「お姉さま、殿下は優しいですか?」
夜中、私が寝ているベッドの近くで、義母の目を盗んで部屋に入り込んだ義妹が語り掛けてきた。
優しいかどうかは分からない。
そこまで彼と話していない。
彼と話しているのはあなたでしょう?
「殿下ならきっと……」
そっとまた私の額にいつもの温もりを残していく。
その温もりに、また胸の奥が騒めいた。
■ ■ ■
「なんであの子が……」
義母が泣いていた。
その日は義妹の魔力測定の日だった。
この国ではある一定の年齢に達したら魔力測定を行う習わしになっている。私の魔力は普通より高い程度だったから、それ以上のものを義母は期待をしていたのだろう。興味なさげだった父も、この時ばかりは私に対して満足した感じの表情だったから、余計にだと思う。
でも、義妹には魔力がなかったらしい。
「貴族なのに、これからあの子はどうやって生きていけというの……」
「落ち着いて、大丈夫さ。測定だって絶対じゃないだろう? 最初に魔力なしだと言われて、大人になってから魔力が出てくることだってある」
「綺麗事を言わないで! 魔力がなかったら、周りからどんな目を見られるかを、あなただって知ってるじゃない!」
魔力が少ないだけでも、他の貴族からは蔑んだ目で見られる。この国は魔法の力に頼っているからだ。
街にはそこを治めている貴族の魔法で結界を張って、魔獣などの害獣から守るし、結界内での農作物も魔力量によって収穫が違う。その魔力量によって爵位や、領地の広さが決められている。
父が王子の婚約者だからと嫌々そうに手続きをして、今通っている学園で私も教えられた。
その学園では、魔力が低い者たちが高い者たちに虐げられている姿も何度か見た。
あの義妹は、それよりも酷い扱いを受けるのだろうか?
「お姉さま、どうしたの、こんなところで?」
廊下で佇んでいたら、義妹がひょこっと顔を覗き込んできた。
「熱でもある? もしかしてお腹空いた?」
何でもないような顔をして、でもすぐに部屋の中の義母の声が聞こえてきたから、困ったように笑っていた。
「わたしは気にしてないのにな……」
呟いたその声は、どういう意味なのか。
「お姉さまも気にしないでね。お母様にも、お姉さまに当たらないように言っておくから」
何故か私を励ますように、私の手を握ってくる。
その手はいつものように暖かかったのに、どこか冷たい気がした。
■ ■ ■
「フィリアは凄いね」
いつものように義妹に会いにきた王子が、珍しく私の部屋に顔を出した。でも窓の外から義妹の顔を見ているようだ。
「魔力なしだと言われても、どんどん学園で味方という友人を作っている」
義妹も学園に入学した。虐げられるどころか、彼女は多くの人の真ん中に立っていつも笑っている。
私は学園では別室で個人授業だ。『他の人からの余計な干渉は、君にとっても煩わしいだけだろう?』と、学園に入った時に王子が手配した。一応この王子の婚約者という立場だから、そういうものなのかと受け入れた。
「僕の出番はないみたいで安心したよ」
少し寂し気に微笑んだと思ったら、机の上で本を開いていた私の方に視線を向けてくる。
「君は……変わらないね」
「そうでしょうか?」
「うん。君は……いつも静かだ」
彼はいつも私に『静か』だと言う。そう言われても、私はどう返したらいいのか分からない。
「フィリアは、いつも君のことばかり話しているのにね」
「?」
あの子が? 何故?
普段も今もあまり関わっていない。父もいるし、あの義母もいる。だから食事も一緒に取らないし、会話もしていない。
ただ、いつも夜中に来るだけだ。子供の時みたいに柔らかいパンを持って、あの温もりを残していくだけ……ああ、そういえば、義母はいつから来なくなっただろうか?
分からなくて首を傾げると、王子はジッと私を見てくる。
「僕にしてほしいことはある?」
「……特には」
「……そう。そう言うとは思ったよ。そんな君だから、僕にも都合がいいんだけども」
軽く肩を竦めて困ったように笑ってから、部屋を出て行った。
彼がどんな答えを求めているのか、私には分からなかった。
深夜、いつものように義妹が静かに部屋に入ってくる。
その手の温もりを額に置いて、語り掛けてくる。
「学園で、どうしてお姉さまは殿下と一緒ではないのですか?」
一緒にいる理由がないからだ。
彼が欲しいのは、ただ他の令嬢が近づいてこない為の、『婚約者』という存在なのだから。
「明日は……話しかけられるかな……」
彼に?
そういえば、義妹が学園で彼と一緒に話しているところを見ていない気がする。この屋敷では笑い合っているのに。
「……おやすみなさい、お姉さま」
どうしてかを疑問に思っていたら、その柔らかい声音と一緒に、いつもの温もりが離れていった。
また胸の奥がモヤついた。
■ ■ ■
「あなた……ラーク様の婚約者に相応しくないと自分で思わないの?」
学園の廊下を歩いていたら、出会い頭に目つきが悪い令嬢にいきなり言われた。誰なのかはさっぱり分からない。
誰なのかも、どう返せばいいのかも分からないから、首を傾げると、眉根を寄せて見てくる。さらに目つきが悪くなった。
「なんであなたみたいな人が……」
そう言われても、これは仮の婚約だ。彼がそう望んでいる。王族に歯向かうことは出来ないと、この学園で色々と学ばなくても、さすがに誰でも分かるのではないだろうか? 幼い頃の私のように。
ああ、でもそんな事情は目の前にいるこの子も周りにいる人たちは知らないか、と思い直している私に構わずに彼女は話し始める。
「あなたより相応しい人が婚約するべきだと思わないの?」
相応しい人? どういう、意味なのだろうか?
「何も考えていないの? あなたが婚約していることで傷ついている人がいるというのに」
誰が? 彼が煙たがっている令嬢たちの事だろうか?
「周りの事を何も考えられない人ってことなのね。噂通りの冷血な女」
噂?
「私は認めないわ。あなたがラーク様の婚約者だなんて。フィリア様の方が相応しいもの」
……フィリア?
「カーラ!」
「あ……」
彼女の後ろから、義妹の声が響いた。彼女も義妹の方を見て驚いている。学園で義妹と顔を合わせることはなかったが、屋敷にいる時とは違う表情だ。珍しいとつい思ってしまう。私の中ではいつも笑っている印象しかないのに。
でも義妹は私と目が合うと、いつも見る笑顔を浮かべていた。
「ごめんなさい、お姉さま」
何故謝られたのか分からないから軽く首を傾げると、義妹は目付きの悪い彼女を見てから、今度は私に頭を下げてくる。「フィリア様、何を⁉」と彼女は驚いているようだが、私も訳が分からない。
すぐに頭をあげた義妹は、今度は困ったように笑っていた。
その笑顔が妙に胸をざわつかせてくる。
何故?
「カーラが何か失礼なことを言ったのではないですか? でも気にしないでください。お姉さまは何も悪くないのです。周りが勝手に言ってる事ですから」
「何を言っているのですか⁉ この人がいるからあなたは――!」
「カーラ。あなたも勘違いしているわ。周りがどう言おうと、この前私が話したことが全てなの」
説くように義妹は彼女に静かな口調で語りかけている。だけど私は何の話か分からない。
そんな私を見てから、義妹はまた「気にしないでください」と言って、彼女を連れていった。もう話す気はない様子だ。目付きの悪い彼女はそれでも私を睨みつけてくる。
その目が、気になった。
知っている。
私はこの目を知っている。
あの目は、義母と同じ目だ。
私を憎んでいる目だ。
ざわざわと胸の奥が何かに押し潰されようとしていた。
■ ■ ■
「君はフィリアに何をしているの?」
珍しく王子が屋敷で会いにきたと思ったら、開口一番そんなことを聞いてきた。
何を? 特に何もしていない。
「分かってなさそうな顔だけど……でもそれは演技なのかな?」
演技?
「何故何も言わないの? それとも、やっぱり真実なのかな?」
真実?
「君の事は幼少期から知っている。だから、そんなことはあり得ないと思っていたんだ」
そんなこと?
「君が『嫉妬している』なんて馬鹿げているって、そう最初は一蹴していたんだよ」
嫉妬?
「君はいつも静かで、それが僕にとっても都合がよかったんだ。僕は結婚する気はないし、君も僕に興味はないと思っていた。だから仮の婚約を君も受け入れたんだって」
そうあなたが言ったから。
王族に言われて、どうすれば断れたというのだろう?
「君も家での立場は悪そうだったから、僕が抑止力になるんじゃないかってそう思ってたんだ。君にしてあげられることはそれぐらいだって。この婚約は僕の我儘だからね。せめて何か恩返し出来ないかって思ってた」
王子が何かをしてくれていた? 初耳だ。そんなの知らない。
「僕が愚かだったのかな。君に思わせぶりな態度は取らないようにしてきたけど、無駄だったのかな」
すうっと目の前の王子が息を吸った。
いつもの貼り付けた笑みを取り払い、冷めた目で私を見てくる。
婚約してから、彼のそんな表情を見たのは初めてだ。
「君には失望したよ」
そう吐き捨てるように、今まで聞いたことないくらいの冷たい言葉を投げて、彼は部屋を出て行く。
訳が分からず、静かに寂れた椅子に座った。頭が混乱している。彼が何かをしてくれていたということもそうだけど、それ以外もだ。
嫉妬? 真実? 真実とは何なのか。
彼は義妹のことを言っていた。つまりは義妹に関することだ。そう考えると思い出すのはこの前の目付きの悪い彼女の事。
あの憎しみを込めた目で私を睨みつけていた彼女は、『噂通りの冷血な女』とか言っていなかったか?
……噂?
王子が言っていた嫉妬というのは噂のことなのだろうか?
どんな噂なのかは知らない。学園で生活していても、私の耳には入ってこなかった。
だって、私の周りには誰もいなかったから。
王子の婚約者だからと、一人別室で授業を受けていた。
『他の人からの余計な干渉は、君にとっても煩わしいだけだろう?』
入学した当初、そう言ったのは他ならない王子だ。そういうものなのかと、私も黙って従っただけだ。
『お姉さまは何も悪くないのです』
脳裏にあの時の義妹の言葉が過った。
義妹はその噂とやらを知っていたのだろうか? だから気にするなと言っていた? そもそもその噂というものは、どういう噂なのだろうか? あの私を睨みつけていた彼女は、他に何て言っていた?
『あなたが婚約していることで傷ついている人がいるというのに』
『私は認めないわ。あなたがラーク様の婚約者だなんて。フィリア様の方が相応しいもの』
傷ついている?
義妹の方が相応しい?
さっき王子はなんと言っていた?
『君が『嫉妬している』なんて馬鹿げているって、そう最初は一蹴していたんだよ』
『君はフィリアに何をしているの?』
嫉妬している?
何かを義妹にしたと思っている?
義妹はなんと言っていた?
『お姉さまは何も悪くないのです。周りが勝手に言ってる事ですから』
点と点が繋がるように、ある推測が頭の中を駆け巡る。
――私が義妹に嫉妬して、何かをしていると周りが言っている?
そんな噂が流れて、それを王子は信じた?
今までの彼らの会話を繋ぎ合わせて、導かれていく思考にギュッと目を瞑った。
馬鹿げている。そもそも嫉妬とは何?
言葉としては知っている。憎むこと、羨むこと。その感情を私が義妹に対して持っているということなのか。
そんな感情は知らな――
そう考えた所で、ふと、私を睨みつけていた彼女のことをまた思い出す。
あの目だ。
あれが憎しみの目だ。
義母もそうだ。
私を憎んでいる。
いつもあの憎しみを込めた目で私を睨みつけてくる。
あの目を――私は義妹に向けているのだろうか?
目をゆっくりと開けた。自分の胸にそっと手を置いてみる。
ずっと胸の奥に、私の知らない感情がある。
また目を瞑った。
義妹のことを思い出す。
そう。義妹はいつも笑っていた。
父と義母と、王子と、学園のみんなと。
彼女を見ると、いつも胸がもやついた。
いつも夜中にやってきて、あの温もりを残していく。
その度に、胸の奥が騒めいた。
――ああ、これが、
憎しみの感情ということか。
『傷ついている人がいるというのに』
傷ついているのは、義妹のことか。
私が憎しみを向けているから、義妹は傷ついているということか。義妹はそれに気づいていたから、そんな私を同情していたのだろうか?
真夜中に食べ物を持ってきたり、
あの温もりを、
残していったりしたのも。
……王子も何か恩返し出来ないかって思ってたとか言っていた。もしかして、それもフィリアに言われたからなのだろうか。確かに思い返すと、王子と婚約した頃から、ちゃんとした食事が出されるようになったかもしれない。
そう。
そういうことなんだ。
私は、ずっと、義妹に同情されていたのか。
知らず胸元にある服を掴む手に力が入った。
やっと、気づいた。
私は義妹を、憎んでいたのだ。
だって、恵まれているのは義妹の方だから。
王子からも、家族からも学園の生徒からも望まれているのは、義妹の方だから。
あの子を、私は憎んでいるんだ。
「……ふ」
声が自然と出た。
やっと、初めて自分の笑い声を聞いた気がする。それがおかしいという感情だっていうのも初めて知った。
いつもどうしてあの義妹は笑っているのかが分からなかった。
興味もなかった。
でも今は分かる。
おかしい。
今までの全てが。
「ふふ……」
全てがどうでも良かった。
だから今まで何も感じなかった。
自分に興味を持たない父親。私の母に対しての憎悪を向けてくる義母。その義母に従って蔑んでくる使用人たち。
自分のことしか考えていない王子に、可哀想にと同情をしてくる義妹。
それを只々何も考えずにそのままを受け入れてきた自分。
「……馬鹿みたい」
自分の周りを冷気が包む。自分を中心にどんどん周りが凍っていく。部屋中に氷が張っていく。
自分の体から、魔力が漏れ出る。
唯一、あの父が認めた魔力が、形になって溢れ出る。
ドン! と大きい音と共に、窓ガラスを突き破る氷の塊が突き出た。
……これが、私が生み出したもの。
これが、憎しみを理解した力。
火・水・地・風と知られている一般的魔法は魔力を持っている人間はある程度使うことができるが、向き不向きはその人の属性で決まると学園の授業で教わった。
そもそも魔力はその人の持っている属性によって魔法に変わると言われている。でも私は全部が全部普通だったから、適正属性が分からなかった。
だけど、これが私の属性だったんだ。
氷を見渡して、冷え切った部屋にいるのに、どこか胸の奥は熱かった。
異変に気づいたのか、扉の向こうから、ドンドンと叩かれる音が聞こえた。「セレス、ここを開けろ」と、さっき出て行った王子の声も聞こえてくる。
何をしに戻って来たんだろう。
失望したと言った舌の音が乾かない内に、何を。
「お姉さま、いるんですよね⁉ 無事何ですか⁉」
ああ、義妹が一緒だからか。
……そうだ。ちょうどいい。
ギイ……と静かに扉を開けると、そこには私を見てか安心した顔をしている義妹と、怪訝そうな視線を向けてくる王子の姿。
でも二人は私の背中側の氷だらけの部屋の様子を見て、表情を一変させていた。
義妹が慌てたように私の腕を掴んでくる。
「お姉さま、お怪我は⁉ 大丈夫ですか⁉」
「これは、一体? セレス、君がやったのか?」
「ラーク様、それよりもお姉さまの体をご心配なさってください! こんないきなり魔力を暴発させるなんて、ただ事じゃありません! お姉さま、すぐにお医者様を呼んできま――」
義妹が言い切らない内に、その手を振り払った。
一瞬呆けた義妹が反動で後ろに転びそうになるのを、王子が支えている。
「おねえ、さま?」
「……」
「セレス……どういうつもり?」
「……」
義妹は訳が分からなそうに目を瞬かせ、王子はさっきより険しい目付きで私を睨んできた。
どういうもなにも、これをあなたは真実だとしたのでしょう?
その王子から、義妹の方に視線を向けた。まだ状況が分からないらしい。でも伝えることは伝える。
「……医者を呼ぶ必要はないわ。自分でやったことだから」
ただ初めての感情の思うままに、魔力が反応しただけ。
「フィリア」
「……え?」
思えば、こうやって名前を呼んだのは初めてかもしれない。さっきよりも目を見開いて驚いているのが目に見えて分かる。
でも呼ぶ機会もなかった。
私はこの屋敷でも、学園でも、あなたと一緒にいなかったのだから。
「もう二度と、この部屋に入ってこないで」
あなたが来るのは、私が寝ていると思っていた真夜中だけ。
だけど、そんなのはもういらない。
そんな『同情』はいらない。
「ここはあなたが来る場所じゃない」
ここは私が一人でいるべき部屋だ。
誰かといる部屋ではない。
「おね――」
手を伸ばしてきた義妹を無視して、扉を閉めた。扉の向こうから「お姉さま、開けてください!」と声をあげてくる。でもその義妹の扉を叩いてくる手を遮ってくる王子の声も届いた。
「フィリア、行こう」
「ですが――!」
「セレスが望んでいないみたいだ。無事みたいだし、今は一人にさせよう」
どこか棘が含まれている王子の言葉に、どうやら義妹は納得したみたいで、二人の気配が消えた。
すっかり様変わりした自分の部屋を見渡す。どこもかしこも氷漬けになっていて、今の自分を表しているような光景だ。
これが、私の真実です、殿下。
■ ■ ■
夜中、静まり返り、冷え切った自分の部屋を見渡す。ドアに背中を預け、床に座り込んでその光景を眺める。最近の日常だ。どこもかしこも氷だらけだけど、どうしてか寒さを感じない。
この氷は溶けないらしい。この部屋の異常を知らされた父が一度様子を見に来て、そう呟いたのを覚えている。
この氷は私の魔力で形成されているもので、術者には影響を与えないとか言っていた。使用人も義母も気味悪がって、誰もここに近づかなくなった。だからこそ、私はそのままこの部屋にいられるわけだが。
コト
と、静かにドアの外で音が聞こえた。
「もう……開かないんですね……」
ドアの向こうから、小さくか細い声が聞こえてくる。
……義妹は何度もやってくる。私なりに来ないでほしいと伝えたのだが、どうやら正しく伝わらないみたいだ。
「どうしてですか……お姉さま……?」
いつもみたいに、私が寝ているふりをしていた時みたいに話しかけてくる。
「私が……何かしましたか?」
泣きそうな声だ。
「ちゃんと教えてほしいんです……」
やめてほしい。
そんな声で訴えかけないでほしい。
胸の奥が痛くなるばかりだから。
聞きたくなくて、そっと自分の耳を手で押さえた。それでも何かを言っている言葉が聞こえたが、耳を塞いだおかげでよくは聞き取れない。
しばらくすると、諦めたのかドアの向こうの気配を感じなくなった。きっと諦めて自分の部屋に帰ったのだと思う。
ホッと息を吐き、そのまま床に寝ころんだ。氷だらけの、でも自分には寒さを感じない天井を眺める。
もうここには来なくていい。
同情しなくていい。
その温もりは、私には必要ない。
その日から、真夜中に義妹がこの部屋に来ることはなくなった。
あの温もりを残していくことはなくなった。
■ ■ ■
「ねえ、あれが……」
「ラーク様はどうしてあの方を……」
学園で、王子の言っていた噂というものが、私の耳にも入るようになった。
意識を外に向けてみると、色々な声が聞こえてくるようになるものだと思う。今までは誰かの声なんて聞こうとも思わなかったし、必要なかったとも思っていた。
学園の廊下を歩いていたり、帰ろうと馬車に向かおうとしている時とかに、様々な声が耳に届いてくる。
王子と義妹は惹かれ合っている。
私はそんな義妹に嫉妬していて、皆が見えない屋敷で虐げている。
王子に冷たくしているのも、婚約者の自分を蔑ろにしているからだ。
そんな有り得ない話を堂々としているものだから、これが噂というものかと感心してしまう。
そんな噂を信じた王子は、あれから義妹に付きっきりだ。
義母は何故か私を見るたびに笑っていた。
父は面倒臭そうに「必要な時以外は部屋から出てくるな」と言った。
義妹は、
「お姉さま!」
あれから、何度も学園でも屋敷でも声を掛けてくるようになった。今みたいに。
「お姉さま、お待ちください、ちゃんと話を――」
掴んできそうなその手を私は構わず軽く払うと、少し苦しそうな表情になる。その後ろではやっぱり今日も一緒にいたのか王子が険しい表情で私を睨んでいた。
私を睨んでも何も出ない。失望したというなら、この子を私の所に近づけさせないでほしいとも思う。
「話すことはないわ」
話をしてどうしようというのか。
何も変わらない。
私があなたを憎んでいるということも、あなたの同情が気に障ることも。
「フィリア、セレスもこう言っている。これ以上は君が傷つくだけだよ」
この王子が、自分の思い通りにならなかった私に対して勝手に失望することも。
「侯爵も君の母親も、君がセレスと関わる事を心配している」
自分に興味を持たない父親も、憎悪の行先を私に向けている義母も。
何も変わらない。
そんな王子に視線を向けたかと思えば、それでも義妹は私のことを心配そうに見てくる。必要ない同情の目を向けてくる。
「私はちゃんとお姉さまと話したいのです。今朝だって碌に食べてないのではありませんか? 顔色だって」
「……そうなのかい?」
全く信じていない王子の視線がただただ煩わしい。興味もないのに、よくそんな義妹に同調するような表情を作れるなと思う。
「ねえ、あれ……」
「こんなところで?」
周囲からの声も入ってくる。周りを見ると、学園の生徒たちがこちらに注目しているみたいだ。これ以上の好奇の視線は厄介だ。
そんな視線や会話には興味も向けずに、それでも義妹は話しかけてきた。
胸をもやつかせる同情の視線と共に。
「お願いです、お姉さま。どうか――」
言い切らない内に、義妹から視線を外して背中を向けた。後ろからはやっぱり悲しそうな声で「待って!」と言う言葉が聞こえてきたが、王子が止めたのか追ってくる気配はない。
もういらない。
その視線も。
同情も。
その声も。
あの温もりも。
いらない。
憎しみという苦しい感情が、体を蝕んでいく音が聞こえた気がする。
■ ■ ■
「さっさといなくなればいいのに」
誰も来るはずのない私だけが使っている教室で、いつぞや絡んできたあの目つきの悪い女がそう言い放ってきた。次の授業の準備をしていたら、いきなり入ってきて一方的に睨みつけてくる。
「皆がそう言っているのに、まだのうのうと殿下の婚約者でいるなんて、どういう神経しているのかしら」
だから何だというのだろうか。それは殿下に言ってほしい言葉だ。
「自分からさっさと身を引きなさいよ。フィリア様にどれだけ迷惑かけていると思っているの?」
迷惑を掛けられているのは、今は私の方だ。あなたみたいな人に絡まれている。でも相手にするのも馬鹿らしいとも思うから、淡々と机の上に教材を置いていると、彼女はその教材を机の上から薙ぎ払った。
「あなたがどれだけ婚約に縋りついても、殿下の心はもうフィリア様一色なの! いい加減分かりなさいよ!」
フィリアフィリアと、本当にうるさい。随分とフィリアに心酔している感じだ。
「フィリア様はお優しいから、いつもあなたを気にかけているっていうのに。当の本人はフィリア様の優しさにつけこんで何もしてあげないなんて。本当に不憫だわ」
……ああ、そういえば前にもそんなことを言っていた。あの時は何も分からずだったけど、今なら分かる。義妹はずっと私のことを庇っていたんだ。
いつもの、同情で。
「……どれだけ、惨めにさせるというの」
「は? え、え、きゃあ‼」
一気に魔力を高めて、彼女の周りに氷柱を張らせた。案の定、彼女は突然自分の周りに現れた氷柱に表情を強張らせている。手をあげている私を恐怖でいっぱいの目で見つめてきた。
でも、私はずっと義妹の顔がちらついていた。
ずっとこういうことを義妹は言われてきて、そのたびに私は悪くないとでも言っていたのだろうか。それで私が喜ぶというのだろうか。
そんなの、惨めになるだけだ。
感謝しろというのか。
勝手に裏でしたことに感謝する意味なんてない。
「ね、ねえ、ちょっと……噓でしょ……?」
目の前の彼女が顔を青ざめさせて天井を見上げている。そこには私が生成した氷の塊がある。
手を振り下ろせば、その塊は彼女の頭上に落ちるだけだ。
「冗談やめなさいよっ……ねえ、ねえってば!」
彼女の周りは氷柱で閉じ込めているから、そこから逃げることはできない。
そもそも、あなたたちみたいのがいるから、義妹はそういう同情を向けてくる。
いらないものをあの義妹が持ってくる。
そう、余計なことばかり言って、あの子に変なことを押し付けるから――
「何をしている⁉ やめろ‼」
突然の怒声と一緒に、何かの塊が私の作った天井付近の氷の塊を砕いた。欠片が目の前の彼女に降り注いで「きゃあああ‼」と叫んでいる。
馴染みのある声の方を向くと、思い描いていた通りに王子が私を睨みつけてそこにいた。よく見ると王子の後ろには人だかりができている。知らないうちにこんなに集まっていたらしい。
「セレス……どういうつもりだ?」
「……」
どういうつもり? 見たら分かるだろう。分かっているから、あなたはご自分の魔法をぶつけてきた。
彼女に視線を向けると、もう恐怖で頭を抱えるように床に蹲っていた。ガタガタと震える彼女を助けるかのように、何人かの生徒と教師が周りの氷柱を壊している。全員が、私を非難する目で見つめていた。
「何をしたか、分かっているのか?」
王子もまた糾弾してくる。
何をしたかなんて、分かり切っている。
でも、何故そうしたかを、誰も問わない。
また王子に視線を向けた。あの貼り付けた笑みさえ浮かべない王子に、おかしくなってくる。もう取り繕うこともやめたのか。
けれど、
あの義妹はきっと違う。
絶対に、今の状況でも私を庇うのだ。
そして周りにいる人たちが、そんな優しい義妹に尊敬の視線を送る。
そんなことを想像して、またおかしくなってきた。
「場所を変えよう。セレス、今回のことをちゃんと説明してもらうよ」
王子は王子でさらに苛立たし気に伝えてきた。婚約者の私が問題を起こしているというのもあるかもしれない。彼はこういう騒がしいことを起こさない為に、私を婚約者にしたはずだから。
説明したところで、どうせ信じる気はないのも分かっている。結局は無理やりにでも連れていかれるのだろうと、王子が自分の取り巻きに視線を向けた時だった。
「ふざ……ふざけないでよ……」
小声がしたと思ったと同時に、岩の塊が私めがけて飛んでくる。反射的に氷の壁を張ってしまうと、目の前でその岩が衝突した。
ゴンとその塊が床に落ちると同時に、他の人に囲まれる中、手を私に向けているさっきまでガタガタ震えていた彼女がいた。
「ふざけないで! ふざけないでよ! 人を殺そうとしておいて、殿下に縋るつもり⁉」
縋る? 誰が? 私が?
ありえない。
「あんたみたいのがいるから! フィリア様は!」
彼女が叫んだ途端、また岩の塊を生成したのか、その塊が襲ってきた。また反射的に氷の壁を自分の周りに張るが、さっきより強い衝突のせいか、氷の壁がパリンと音を立てながら壊れていく。
同時に、自分で張った氷の破片が私の顔と体を刻んでいった。たまらず両手で頭を守るように覆うけど、それでも痛みが全身を駆け巡っていく。
視界を覆ったから分からないが、魔力の気配が大きくなるのは感じた。周りからは悲鳴が上がっている。だからまた氷の壁を張るけど、次から次に壊される。そのたびに体が傷ついていく。
「やめろ! その子を押さえろ!」
「殿下、ダメです! お下がりください! 危険です! これは魔力の暴走です!」
「そんなことを言っている場合か!」
「あんたが! あんたのせいで!」
王子も彼女も叫んでいるが、顔を上げられない。周りの悲鳴は消えていない。何がどうなっているのかわからない。
分かるのは、何かの魔力の塊が近づいてくることだけ。
「あんたがいなくなればいいのよ‼」
ゴオッと音が聞こえた。
パリン! とまた、氷が割れる音がした。
お腹に、何かが突き刺さった。
衝撃が、体を包んだ。
「セレス‼」
王子の声がした。
でも、どこにいるかは分からない。
「やめて! やめてやめて! 離してよ! 私は悪くない!」
彼女の声が聞こえた。
でも、やっぱりどこにいるのかは分からない。
「誰か、早く医者を!」
お腹に圧迫感を感じる。でも、顔を動かすこともできない。
力が入らない。
息がしづらい。
痛みが全身を駆け巡る。
いきなり王子の顔が視界に入り込んできた。
初めて見る、うろたえている顔だ。
「すぐ医者がくる。それまで持ちこたえろ」
無理を言ってくる。
もう、力が入らないのに。
「……何、これ?」
聞き慣れた、でも聞きたくない声が耳に届いた。
その瞬間、あれだけ周りが騒がしかったのに、一気に静かになる。
目の前の王子が慌てたように後ろを振り返っていた。
嫌でも視界に入ってくる。
「お姉さま……?」
呆然とした義妹が、目を大きく見開いて、王子越しに私のことを見下ろしていた。
「え? 何? なん、で?」
ゆっくり、ゆっくりと、義妹が王子の横に膝をついて見下ろしてくる。
「なんで? どうして?」
さっきから同じことしか言わない。
「フィリア様! 私! 私がやったんです! これでフィリア様は殿下と一緒に!」
姿が見えないけど、あの目つきの悪い彼女の声が聞こえてきた。「おとなしくしろ!」という誰かの声も聞こえてくる。
だけど、義妹は彼女に応えるわけでもなく、ただ私を見つめてきた。
その顔が、いつもの顔で。
その目が、いつもの目で。
ああ、やっぱりと思ってしまう。
こんな時でも、あなたは、その同情する目を向けてくる。
「そ、そんな……なんで、どうして……」
震える手で、声で、息が荒くなっている私の頬にそっと触れてきた。
久しぶりのその温もりに、胸の奥が苦しくなる。
「だめ……だめです。こんなの、だめです……」
大きな目からは涙が零れてくる。その雫が義妹の手に落ちて、そのまま私の頬にも流れてくる。
その涙さえも暖かくて、もう力が入らないのに、どうしてもその手を握りたくなった。
私の手が少し動いたのに気付いたのか、もう片方の手で義妹は握ってくる。
「だめです、だめ……お姉さま、嫌です……」
その声も、
この手の温もりも、
全てが、あなたにとっては私が可哀想だということ。
そう思うと、苦しくて、苦しくて、どうしようもなく苦しくて。
――――あなたが、憎かった。
親も、王子も、他の人も、皆があなたを見ていた。
亡くなった母以外、誰も、私のことなんて見ていなかった。
なのに、あなたは、この温もりを与えてきた。
その笑顔を、与えてきた。
だけど、それは全部同情で、
私が可哀想だからで、
『私だから』与えてきたわけじゃない。
全てがまやかし。
全てが嘘。
私にこの温もりを与えたのに。
私にその笑顔を与えたのに。
私の中に生まれた温かい感情を、あなたはすべて否定した。
与えられなければ、
この温もりを知らなければ、
私は、もっと楽だった。
義母の行為も、
父の無関心も、
王子の要求も、
何も考えずに、屍のように生きていけた。
この胸の苦しさも知らず、
温かさを求めることなく、
誰かの笑顔をまた見たいと、そう願うこともなかった。
その温もりを与えておいて、
教えておいて、
あなたは私を可哀想だとしか思わないんでしょう?
それなのに、
まだこの温もりを求めていたなんて、
自分で自分がおかしくてたまらない。
義妹の手を放し、まだ少しだけ動いた手を義妹の頬に触れさせた。
「お姉……さま……?」
目を見開く義妹の頬に、自分の手を押し当てると、その温もりが手に伝わってくる。
もう二度と触れられないこの温もりを、手に残すように。
だって、目がかすんで、もうほとんど何も見えない。
その声も途切れ途切れでしか聞こえない。
フィリア。
その笑顔で、私は救われていた。
その温もりで、私は救われていた。
その声で、私は救われていた。
でも、
それ以上に、今は、
あなたが憎いわ、フィリア。
知らなくていいことを、与えてくれたあなたが憎い。
この先、きっとあなたは他の人に笑顔を与える。
他の誰かにその温もりを与える。
優しい声をかけていく。
だから、あなたが憎い。
この気持ちを……知りたくなかった。
知らないで……ちゃんと……あなたの幸せを願えればよかった。
――ああ……でも……
王子が……いるから……
きっと……フィリアは……
……
…………
……………………
手の温もりが消えたと同時に、真っ暗になった。
「私はっ……ただっ……お姉さまに笑ってほしかっただけなのにっ……」
この物語をハッピーエンドにするために頑張ります!
主人公は義妹のフィリアです。
次話からは、普通の文字数(五、六千字以内?)なので、安心してください。
最期までお付き合いいただければ嬉しく思います!
お読みくださり、ありがとうございました!