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陸軍モノ

帝国の回廊〜シュリーフェン計画、挫折の行進〜

作者: 仲村千夏

 雨が降っていた。アミアンの町を見下ろす高地に布陣した第1軍司令部では、地図の上に滲んだインクが、まるで戦局の先行きを示すかのように不穏な輪郭を広げていた。


「第2軍はパリ西方に到達。第3軍は南進中。包囲輪完成まで――三日といったところです」


 参謀の報告に、フォン・クルック将軍は静かに頷いた。


「完璧だ。シュリーフェン閣下の構想が、そのまま現実になるとはな……」


 オランダ・ベルギーを経由した大迂回進撃。鉄道と自動車輸送によって右翼軍団は驚異的な速さで進み、敵前線を次々と突破してきた。西フランス軍はすでに分断され、南方のロレーヌ正面ではドイツ左翼が着実に耐えている。包囲の環は閉じつつあった。


 問題は――敵が想定よりもしぶといことだった。


 


 パリでは逃げ出す市民と、残った兵士が混在していた。だが、戦意は潰えていなかった。元帥ジョフルは冷静に命じた。


「市街防衛線を構築せよ。奴らは速いが、永くは続かん」


 そして彼の言葉通り、戦局は動き始める。


 


 一週間後、ドイツ軍はパリを包囲した。勝利の凱歌が奏でられようとしていた。


 しかしその時、報告が相次いだ。


「鉄道輸送、ベルギー区間で破壊工作あり!」

「補給列車、オランダ経由便が遅延!」

「イギリス軍、北海より上陸。カレーを確保!」


 クルックは無言で報告書に目を落とす。地図の端に新たな赤線が引かれ、彼の計画に横槍を突き立てていた。


「この状況で、包囲を維持できるのか……?」


 


 補給は断続的になり、食糧と弾薬は限られた。鉄道輸送では届かず、馬車と人力が代替した。歩兵の足は泥に沈み、砲兵は沈黙を始める。進撃の勢いは衰え、包囲輪は薄くなっていった。


 その隙を、フランス軍は見逃さなかった。


 マルヌ川南岸――パリの背後に展開していたフランス第6軍が、ドイツ右翼に猛然と攻撃を仕掛けた。


「我らが大地は、まだ膝を屈してはいないぞ!」


 砲声が再び響き、ドイツ軍の先端は食い破られた。パリ包囲網は崩れ始める。


 


 クルックは司令部で静かに立ち尽くしていた。


「全軍、撤収せよ。マース川以東まで退け。補給線を確保する」


 参謀たちは顔を見合わせる。誰もが理解していた。あの、輝かしい電撃戦は終わったのだ。


「勝利を目前にして、敗北に立ち止まる……。これが戦争か」


 


 ドイツ軍は秩序を保って撤退した。だがその背には、疲れ切った兵士と、果てしない塹壕線が待っていた。


 そして――西部戦線は、膠着する。


 その後、四年間も。


 


 かくして、帝国の輝かしき回廊は、最も重く、泥にまみれた要塞線へと変わっていった。

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