元気百倍満、あるいはテセウスの手牌
いつもの四人が雀卓を囲んでいる。日付はとっくに変わっていた。
ミナミはアンパンを齧りながら手牌を眺めている。
「そういえばさ、有名なパンのヒーローがいるよね」
他の三人は何を言うこともなく頷いた。
「彼、頭の部分が入れ替わっても、記憶は引き継がれてるよね?」
「それが?」とニシが牌を切る。いつも通り、ニシと親しくない者には怒っているように聞こえる口調だ。
「それで、元の頭はどこかに飛んで行って、物言わぬパンになるんだよね」
キタは静かに笑うと「つまるところただのパンだな」と呟いた。ミナミらしからぬ表現がツボに入ったらしい。
「だから、その時の彼の意識はどんな感じなのかなって」
「新しい頭は、飛んで行った古い頭を気にしてない感じだったな。新しい頭の方にだけ意識があるんじゃないか?」
そう言いながら、ヒガシが指先で牌を河に弾き飛ばすと、牌は正確な位置で止まった。ニシはその地味な技術にやや感心しながらも「マナー」と冷たい声を出す。
「古い方にも意識が残ってたら、ホラーだよね」
「その場から動くことも出来ないまま、鳥なんかについばまれたりしながら、苦悶の表情を浮かべてゆっくりと朽ちていくんだろうな。あの世界の子供がそれを見付けたらトラウマものだな」
ヒガシの悪ノリに、ニシは苦笑した。
「彼の脳に相当する機能は体の方にあるんだろう」
「まぁ、頭は食べられることが前提なんだし、その方が製造コストも抑えられそうだな」
「コストはともかく」とニシはまた苦笑しながら続ける。
「そう考えておけば、同一性の問題もある程度回避できそうではある」
「同一性の問題って?」
ミナミが首を傾げた。
「テセウスの船みたいなことか?」
牌を切りながら尋ねるヒガシに、ニシが頷いた。
「知らないことを知らないことで説明しないでよ」
笑うミナミに、ヒガシも笑ってから答える。
「テセウスの船と呼ばれる船の、古い部品一つが新しい部品に入れ替わったところで、それはまぁテセウスの船と言えるだろ?」
「それはそうでしょ」
「じゃあそれを繰り返して、元々の部品全てが入れ替わっても、テセウスの船と言えるか、て話」
「で、合ってるよな?」と確認するヒガシにニシが頷く。
「なんか似たような話聞いたことあるかも。それが彼の構造とどう関係するの?」
「彼の場合、体に記憶や意識があるとすれば、頭が入れ替わったところで直感的にも彼と言えるだろう」
ニシの言葉に、ヒガシが手牌を眺めてから尋ねる。
「人間で言えば、全身の細胞は入れ替わるけど、記憶や意識は一貫してるから、同一人物であり続けるって感じか?」
「認識が存在を定義する」
キタが牌を切りながら呟き、ニシが頷く。
「俺の考えとしてはそうだ。彼の場合、頭は義手や義足のようなもので、彼自身も周りも、体の方を彼と認識しているんだろう」
ミナミはやや考えてから何度か頷いた。
「なるほどねぇ。何となく分かった気がする」
ミナミは牌をツモると、少しの間見つめてからそれを切った。
「でも、船の場合はどうなの? 船には記憶も意識もないんだし、部品が全部変わっちゃったら、直感的には同じ船と言えない気がするんだけど」
「それも結局は人間の認識の問題だろう。物理的には、部品一つの交換どころか、僅かな時間の経過だけで別の船とも言えるが、認識の上では同じ船だとするんだから、部品全てが変わっても同じことだ」
「まぁ、そうかもな」
「そうかなぁ。何か納得いかないけど」
ミナミが首を傾げる。ヒガシはツモ牌を持ったまましばらく考えると、無駄に大きな動作でそれを切った。ニシが睨むが、ヒガシは意に介すことなく声を上げる。
「じゃあ、こういうのはどうだ? 部品を何も変えていない状態のテセウスの船が海賊に奪われたとする」
ミナミが頷き、ヒガシは段々と声を大きくする。
「その海賊はテセウスのテの字も知らず、奪ったその船体にデカデカと書いたとしよう。アンパン丸と」
「漁船か」とキタが呟き、他の三人が笑う。
「そうなったら、海賊もそれ以外の人間も、その船をアンパン丸と認識するだろ?」
ミナミがやや考えてから答える。
「そうかもね。それで、海賊から取り返したら、またテセウスの船に戻りそう」
ヒガシが頷いて牌を切る。
「部品全てが同じ船であっても別の船になるんだから、同じ船であっても部品全てが違うってのも不自然ではないんじゃないか?」
「そうかな。そうかも」
そう呟きながらミナミは牌をツモろうとしたが、山は尽きていた。
「ノーテンかぁ」
他の三人も手牌を晒さない。
「全員ノーテン?」とミナミが笑い、それぞれが頷く。
ミナミは手牌をしばらく眺めてから声を上げた。
「手牌が配牌から全部入れ替わってたら流し満貫なんてどう? テセウスの手牌ってことで」
「本人にしか成立してるか分からんだろう」
「だよね」
苦笑交じりのニシの言葉に即答したミナミに、四人全員が笑った。
「認識にも合意が必要ってことだね」
ミナミは残ったアンパンの欠片を口に放り込んだ。