8.検問
からからと馬車の車輪が回る音がする。
ひょこり、と荷台から顔をのぞかせると街の外へ出るための門はもうイヴの目の前にそびえ立っていた。
随分と呆気ないものだ、と思う。
この世界に来て今まで、イヴはこの街の外に出たことなど一度もない。
ただでさえ知らない世界でなんとかなじめたこの街で生きて死ぬのだと、そう言葉にしないまでも漠然と思って暮らしてきた。別に外に出たくないなどとは考えたことはないが、しかし外に出るということはイヴにとっては途方もなく遠く、まるで夢物語のように思っていたのだ。
それがこんなにもあっさりとなされるという。
そびえ立つ大門は、元は蒼く塗られていたのであろうが、経年の劣化でその色は所々剥げ、今では蒼というよりは灰色と言った方が適切であるような印象を受けた。
それでもその堂々とそびえ立つ様はまるで屈強の戦士の様だ。
門の前には他にも外に出ようとする荷馬車達が蟻の行列のように蛇行して連なっていた。
「すごい賑わいね」
「いつもはもう少し閑散としてるさ。さすがに城下街は王のお膝元なだけあって手配がはえぇな。検問してやがる」
イヴ達のことを探しているのだ。――こんなに大勢の大人達が。
ほんの少し怖いと思う。しかしそれ以上に不思議な気持ちも強かった。
こんなにたくさんの人々が、イヴ達のことを悪人だと思っているのだ。
イヴ自身は何も昨日と変わっていない。なんの変哲もない人間であり、どこにでもいる少女だ。……ちょっぴり他の子よりも美少女ではあるが。それが急にいろんな人にとっては罪人に変わってしまったのだ。なんとも不思議だ。実感が湧かない。
「いいか、イヴ。今から俺とおまえは叔父と姪だ」
「夫婦じゃなくて?」
「俺はロリコンじゃねぇ。いいか、叔父と、姪だ! 黙って聞け!」
じろり、と睨まれてイヴは首をすくめる。まったくもって素直でない狼である。
「おまえは親を亡くして身よりがねぇ、だから親戚である俺が引き取りに来た。俺の家はセンドラン村だ」
「シシリアじゃなくて?」
「国を超えるための許可証なりなんなり要求されるからめんどくせぇんだよ。偽造するほどの時間もなかったしな。方向的には一緒だし、小せぇが実在する村だから問題ねぇ」
「ふんふん、なるほど」
「リオンは荷台に隠しておく。万が一リオンが見つかったらおまえの妹だと言え。荷台にいたのと、わざわざ憲兵連中に申告しなかったのは俺がリオンのことを嫌っているからだ」
「どうして?」
「俺はおまえの母親の弟だが、リオンはおまえの親父が浮気をしてできた子で俺は快く思ってねぇ。しかしおまえが離れるのを嫌がるから放っておくわけにもいかず、仕方なく引き取った」
「おねぇさん思いの弟なのねぇ」
「ちなみに俺やおまえは身元が割れてねぇからいいが、リオンはここから先は偽名で呼ぶ」
「偽名はわたしが決めてもいい?」
「かまわねぇ、だがリオンを想定されるような名前にはするな」
「アメリア」
すぐに決めた名前に、ちらりとジルがこちらを伺うのがわかった。彼はふん、と鼻を鳴らして笑う。
「“神の御業”か、皮肉な名前だな」
「“愛される子”、という意味よ」
「どっちにしたって皮肉な名前だ」
「とてもふさわしい名前だわ」
ねぇ、そう思うでしょう? と振り返るとリオンはごそごそと荷台の箱に収まろうとしている最中だった。
「リオン、いいえ、アメリア。その箱に入るのは無理があるわ。入るのならこっちにしましょう?」
「うん」
薄々気づいてはいたが、随分とマイペースな子だ。イヴが箱を開けてスペースを作ってあげるともそもそとリオンは箱の中へと収まった。
蓋を閉めて貰いたいのだろう、そのまま体育座りでこちらを見上げてくる。
その姿は小動物のようで大変可愛らしい。
「はああぅ……っ」
イヴのハートはきゅんきゅんした。
「やっぱりとってもぴったりな名前だわ!」
「おまえが満足ならもうそれでいいけどよ」
ジルはげんなりとしているが、そんなことはどうでもいい。
「とりあえずおまえは御者台のほうへ来い。そこだと荷台に目が向いちまう」
「そう? 荷台にいたほうが間違ってアメリアが身動きした時の音とか誤魔化せるんじゃないかしら?」
「憲兵にはちらっと目を通すぐらいにして欲しいんだよ。ガキがいると何か持ち込んでるんじゃないかとじっくり見られそうだ」
「それもそうかしらねぇ」
よいしょ、と敷居をまたいでジルの隣へと腰を下ろす。
「おまえ本当に余計なことすんなよ」
「これはあれね! わたし、とっても期待されてる!」
「してねぇよ! やめろ!」
そうこうしている間に検問は近づいてきていた。