60.失望
「あの子は……」
イヴは勇者の目を見据えたまま言葉を告げる。
「リオンはどうなるの」
「処刑される。おそらく」
「なぜ」
笑顔を消したイヴの声は決して大きな声ではなかったが、空気を切り裂くように鋭かった。
「あの子はまだ何もしていないわ」
「未然の罪、というものもある」
負けないように勇者は声を張り上げる。
自らの立っている足場をしっかりと踏みしめないと、立っていられなくなりそうだ。
「さっきも言った通り、彼の持つ力は非常に危険なんだ。全人類に悪影響を及ぼす!」
二人の議論は平行線だ。解決策も妥協案も存在しない。
そんなことはわかりきっていた。
少女は、ふ、と息を吐いた。
それは何かを諦めたため息のように勇者には聞こえた。
諦められたのは、きっと勇者自身だ。
「危険な力。それはこういうこと?」
「何を……っ」
言っているのか、最初はわからなかった。
しかし周囲の気配が一斉にざわめいたことで、その存在に気づく。
背後に控えていた兵士達が色めき立つのを「落ち着け!」と制しながらも、勇者自身も動揺を隠せなかった。
魔物に囲まれていた。
前方には崖と少女、しかし勇者の背後にある木々の間から魔物の群れが覗いている。
その数は20や30ではききそうにない。
勇者達はちょうど少女と魔物達の間に挟まれたような形になる。
罠の可能性は高いと考えていた。
しかし、こんな類いの凶行を働くとは考えてはいなかった。
「君は……っ」
思わず少女を睨み付ける。
「ごめんなさいね、勇者様」
しかし責める言葉を発する前に、少女が謝るほうが早かった。
「『正義の味方』は止めることにしたの」
でも誤解しないでね、勇者様。
「わたしは最初から、ただ自分の欲望に忠実なだけよ」
それがまるで少女にとって揺るぎない事実かのように彼女はそう言った。
勇者には信じられない。
あの表門で言葉を交わした少女が、ずっと逃げ続けているだけだった少女が、こんな暴挙に及ぶなどとは思いたくなかった。
彼女を見損ないたくなかった。
「こんな真似をして、ただで済むと思っているのかい」
問いかける声は意図せず震えていた。
「こんな真似って、どんな真似かしら」
少女はすっとぼけて見せる。
その態度にすらも、勇者の心は震えて仕方がない。
冷静にならなくてはならない。いつだって感情的になって良い事など一つもなかった。
深く、長く、息を吐き出す。
しかし少女を睨んだままの瞳は燃えるように熱かった。
「暴力でこちらを制しようというのなら、僕も容赦はしない」
勇者の手が腰の剣にかかる。
それは魔王を倒した伝説の剣だ。
女神から与えられたという御触書の、たいそうな剣だ。
勇者の人生を狂わせたおぞましい剣だ。
わずかに鞘からその刀身が除く。
輝かんばかりの白銀が、ぎらりと光った。
しかしそれを見ても少女は全く動じない。それどころかいけしゃあしゃあと「暴力? どこの誰が暴力を振るっているの?」とのたまってみせた。
「……なに?」
「まだ誰も暴力なんて振るっていないわ」
勇者は唖然とする。あまりにも馬鹿な発言だ。
「魔物が取り囲んでいる時点で、直接の武力行使がなくても無言の脅迫だ」
「魔物を呼んだだけよ。まだ何もしてないわ」
「詭弁だ」
そう吐き捨てる勇者の表情は苦々しい。
彼女に勝手な期待を寄せたのは勇者だったが、それが裏切られたことが腹立たしかった。
怒りにまかせて大仰に片手を広げ、背後の魔物を指し示す。
「見ろ! この力に一体どれだけの人間がその存在におののき、恐怖を味わうことになるか!」
木々の中で蠢く魔物達の姿はおぞましく、その数は小さな町であればすぐにでも制圧できそうなほどの戦力を有していた。
恐ろしい力だ。
たった一人の少年の号令で、国を滅ぼせるほどの戦力が動くのだ。
「あの子は生きているべきではなかった!!」
はっきりと明確にそう告げた勇者に、少女は静かな瞳を向けるだけだった。